2021年01月19日

注釈


貝塚茂樹訳注『論語』を読む。

論語 (中公文庫) (日本語) 文庫.jpg


「架空問答(中斎・静区)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475470344.htmlでも取り上げたし、何度も何度も、折を見ては、繰り返し繙(紐解)いているので、今更めくが、きちんと取り上げていなかったことを思い出して、改めて、書いてみた。

訳注者貝塚茂樹氏は、ときに、人口に膾炙している訓み下しでも、独自の解釈をする。たとえば、

子曰 学時習之 不亦説乎 有朋自遠方來 不亦楽乎 人不知而不慍 不亦君子乎

は、論語の冒頭の「学而篇」の劈頭に来る、有名なフレーズだ。一般には、

子曰く、学んで時に之を習う、亦た説ばしからず乎、朋有り遠方自り来たる、亦た楽しからず乎、人知らずして慍(いか)らず、亦た君子ならず乎、

と訓み下す(井波律子『論語入門』)。しかし、本書では、

子曰く、学んで時(ここ)に習う、亦説(よろこ)ばしからずや。有朋(とも)、遠きより方(なら)び来たる、亦楽しからずや、人知らずして慍(いか)らず、亦君子ならずや、

と訓み下す。そして、

学んで時(ここ)に習う、

について、

従来は、注釈家はみな「時(とき)に習う」と読み、定まった適当な時期に、先生から習った本を復習するという意味にとってきた。しかし、孔子の時代の古典の教科書の『詩経』『書経』などでは、「時(こ)れ邁(ゆ)く」というように、「時」は具体的な意味をもたない、助字としてもちいられていた。この場合も同様で、「時」は「これ」とか「ここ」とか読んで、「そのあとで」などと訳すのは私の新説である、

と述べ、その傍証として、「憲問篇」の、

子問公叔文子於公明賈、曰、信乎、夫子不言不笑不取乎、公明賈對曰、以告者過也、夫子時然後言、人不厭其言、樂然後笑、人不厭其笑也、義然後取、人不厭其取也、子曰、其然、豈其然乎、

を、

子、公叔文子を公明賈に問いて曰わく、信(まこと)なるか、夫子(ふうし)は言わず笑わず取らずと、公明賈対えて曰わく、以て告ぐる者の過つなり。夫子は時にして然る後に言う、人その言うことを厭わざるなり、楽しくして然る後に笑う、人その笑うことを厭わざるなり、義ありて然る後に取る、人その取ることを厭わざるなり、子曰わく、それ然り、豈にそれ然らんや、

と、

夫子は時にして然る後に言う、

と訓み下し、

適当の時にはじめて発言する、

という意として、こう貝塚氏は付言する。

吉川幸次郎博士は、この「時」という用法によって、學而篇第一章の「学んで時に習う」の「時」が、しかるべき時という意味である証拠とされている。私が学而篇でいったように、「時」を助字として使うのが、その古典的用法である。これにたいしてこの場合のように、「時」を実字として、適当の時という意味として使うのは、孔子時代あるいはそれ以後のいわば現代的用法である。この場合に、「時にして然る後」というように、「時」の古典的用法からはずれて、現代的用法で使うには、かなりこの「時」ということばに念を入れて発音する必要があったのである。このことから考えると、「学んで時に習う」の「時」は、ずっと軽く使われているから、古典的な助字として使われており、適当な時ではないと私は考える、

と。

『論語』には伝統的に複数の注釈書があり、最古の注釈は、魏の何晏(かあん)がまとめたとされている『論語集解(しっかい)』が、

古注、

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E8%AA%9E、井波律子・前掲書)。ただ、『三国志』巻九の何晏列伝には編纂したことは書かれておらずどこまで何晏の解釈か難しい、とされる(仝上)。しかし、訳注者は、

漢代の『論語』の注釈として、後漢の鄭玄の注を、

古注、

としている。不幸にして宋代に佚(いっ)して、部分的にしか残っていない、という(本書「解説」)。これに対して、

新注、

とされるのが、南宋の朱熹(しゅき 朱子)が、独自の立場から注釈を作った『論語集註(しっちゅう)』で、江戸時代以降の日本ではもっぱら新注が用いられた、とある(仝上)が、

宋学という新しい形而上学の体系をもって、孔子の原始儒教を強引に解釈しすぎたため多くの難点を残している、

とし(仝上)、日本では、朱子の新注を批判し、『論語』の本文に即して、その意味をすなおに理解しようとした、

伊藤仁斎『論語古義』

荻生徂徠『論語徴』

がある(仝上、井波・前掲書)。

特に、徂徠は、漢の古注に傾斜した。また、清朝の考証学者の劉宝楠(りゅうほうなん)、潘維城(はんいじょう)は、漢代の古注をもとにした注釈をあらわした、

とあり(仝上)、貝塚氏は、

だいたい、仁斎、劉、潘からさらに武内義雄博士にうけつがれたこの新古注派の線に沿って口訳をすすめようとしたが、新古注派の中にも異説が多く、それを取捨することは大変な仕事であった。私は、鄭玄の古注、朱子の『集註』をはじめ無数の注釈のなかから、穏当な説を、

選んだとしている(仝上)。

閑話休題、

さらに、

有朋自遠方來、

について、

ふつうは、「朋あり、遠方より来たる」と読んできた。「遠方」は現代語の遠方ではなく、遠国の意味にとるとしてもこの時代では見なれぬ用法である。中国近世の学者愈樾(ゆえつ)の説をもとにして、孔子の同僚や旧知人たちがそろってやってきて、孔子の学園の行事に参列したと解釈する、

と、その説の根拠を述べる。因みに、この時代の学問は、

当時は紙がなく、書物はすべて木や竹の札に書いてつづりあわせて巻物としていたので、(中略)学問といっても、先生から『詩経』『書経』などという古典を読んでもらって、暗唱するだけで、現在のような読書や講義によるものではなかった。礼・楽・射・御・書・数など、貴族社会の行事における正しい礼儀作法の口伝をうけることが、学問の第一歩として重視されていた。孔子の教育もこれをもとにしている、

とある。解釈の是非はわからないが、なじんだ訓読の先入観がどうしても、新説を妨げるのは、どんな場合も同じようだ。

『論語』は、ある意味、政治の鑑である。たとえば、子路篇にある、

子路曰、衞君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、言不順則事不成、事不成則禮樂不興、禮樂不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、

の中の、

名正しからざれば則ち言順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち禮樂興らず、禮樂興らざれば則ち刑罰中(あ)たらず、刑罰中たらざれば、則ち民手足措く所なし、故に君子これを名づくれば必ず言うべきなり、これを言えば必ず行なうべきなり、君子その言に於おいて、苟くもする所なきのみ。

と訓み下される部分は、今日、尚更辛辣である。本書の訳注は、実に丁寧で、この「子路篇三」でも、「名を正す」を、

「名」つまりことばと「実」つまり実在とが一致することが必要である。実在に適合した「名」を与えねばならない、

とする。ここでは具体的に、「衛の君」とは、出(しゅつ)公輒(ちょう)(前492~481年在位)を指す。衛国から亡命していた父の荘公蒯聵(かいがい)と、祖父の靈公の遺命によってその後即位した出公輒とに、それぞれ適当な名、つまり称号を与えることにより、内乱を解決しようとしたことを指す、とある。

「名正しからざれば則ち言順わず」については、

「名」は単語であり、「言」は文章である。単語の意味がはっきりしていないと、文章の意味がよく通らなくなることをさしている。漢語は単綴語で、一字が一語をなしているから、「名」はまた「一字」と訳してよい、

とする。

「名称が正確でなければ言語が混乱する」(井波律子『論語入門』)
「名分が正しくないと論策が道をはずれる」(下村湖人『現代訳論語』)

という訳では、間違っているわけではないが、意味の外延が広すぎる。ここでは、具体的に孔子が何について「名正しからざれば」と言っているかを見ないと、意味を広げてしまう。貝塚氏は、

孔子の立場は、荘公蒯聵(かいがい)は亡父霊公から追放されてはいるが、父子の縁はきれていないし、また太子の地位は失っていないから、出公は父である蒯聵に位を譲らねばならないと考えた。「名を正さん」とはこのことをさしている。子路はそんなことを出公が承知するはずはないから、孔子の言は理論としては正しいが、現実的ではないと非難したのである。孔子はしかし、自分の「名を正す」という立場が絶対に正しいことを確信して、子路を説得しようとした。「名」つまりことばと、「実」つまり実在とが一致せねばならないという「名実論」は、これ以後中国の知識論の基本となっている。「名」つまり単語の意味が明確でないと、「言」つまり文章の意味が不明になるという中国の文法論の基礎となり、また論理学の基本となった、

と解説する。しかし「名分論」として解釈することについては、

孔子が「名実論」をはっきり意識していたかどうかについては若干疑いがある、

とし、

弟子たちにより、「名実論」「大義名分論」の立場で解釈された、

と解している。因みに、『史記』「孔子世家」と「衛康叔世家」によれば、蒯聵が(姉の子、甥の)孔悝(こうかい)を脅してクーデターを起こした折、子路は、衛の重臣の領地の宰(管理者)をしていた(井波律子『論語入門』)が、

反乱を諫め、「太子には勇気がない。この高殿を放火すれば、太子はきっと孔悝を放逐されるだろう」と言い放ったために、激怒した蒯聵の家臣の石乞と于黶が投げた戈で落命した、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E8%B7%AF。死の直前、冠の紐を切られた彼は、

君子は死すとも冠を免(ぬ)がず、

と、紐を結び直して絶命した、という。子路の遺体は「醢(かい、ししびしお)」にされた(死体を塩漬けにして、長期間晒しものにする刑罰)。これを聞いた孔子は、

嗟乎(ああ)、由(ゆう、姓は仲、名は由、字子路)や死せり、

と悲しみ(井波・前掲書)、家にあったすべての醢(食用の塩漬け肉)を捨てさせたと伝えられる(仝上)。

もうひとつ、

子夏問曰。巧笑倩兮。美目盼兮。素以為絢兮。何謂也。子曰。繪事後素。曰。禮後乎。子曰。起予者商也。始可輿言詩已矣

にある、

素以為絢兮(素以て絢(あや)となす)、

について、子夏が、

繪事後素、

と答えたのについて、鄭玄の古注では、

絵の事は素(しろ)きを後にす

と、絵とは文(あや)、つまり模様を刺繍することで、すべて五彩の色糸をぬいとりした最後にその色の境に白糸で縁取ると、五彩の模様がはっきりと浮き出す、

と解すると、訳注にはある。しかし新注では、

絵の事は素(しろ)より後にす、

と読み、絵は白い素地の上に様々の絵の具で彩色する、そのように人間生活も生来の美質の上に礼等の教養を加えることによって完成する、と解する。これをとって、大塩中斎は、諱を後素とした。しかし貝塚氏は、

洋画をかくときでも最後にホワイトでハイライトを入れる。この入れ方で絵がぐっとひきたつそうである。私は欧米の画廊でレンブラントのような巨匠の鋭くさえたハイライトに接したとき、「絵の事は素きを後にす」ということばを思い出した、

と古注に与した。新注の、

絵の事は素(しろ)より後にす、

では、当たり前すぎないだろうか。

『論語』はある意味、アフォリズムのように短いものが多く、含意が深いが、どうとでも解釈できる部分がなくはない。いくつか、いつも僕自身が気になり、読み返すフレーズを拾っておく。

三軍を行わば、則ち誰と与(とも)にかせん。暴虎憑河(ぼうこひょうか)し、死して悔いなき者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼(おそ)れ、謀を好みて成さん者なり(述而篇)、

如之何(いかん)、如之何と曰わざる者は、吾如之何ともする末(な)きのみ(衛霊公篇)、

人に備わらんことを求むるなかれ(微子篇)、

(小人は)その人を使うに及びてや、備わらんことを求む(子路篇)、

道を聴きて塗(みち)に説くは、徳をこれ棄つるなり(陽貨篇)、

これを知る者は好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず(雍也篇)、

力足りらざるものは中道にして廃(や)む。今汝は画(かぎ)れり(雍也篇)、

約を以て失(あやま)つものは鮮(すく)なし(里仁篇)、

由よ、汝に知ることを誨(おし)えんか、知れるを知るとなし、知らざるを知らずとせよ、これ知るなり(為政篇)、

学びて思わざれば則ち罔(くら)く、思いて学ばざれば則ち殆(うたが)う(為政篇)、

教えありて類なし(衛霊公篇)、

人にして遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり(衛霊公篇)、

事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す、學を好むと謂うべきなり(学而篇)。

最後に、

死生、命あり。富貴、天にあり(顔淵篇)、

である。

天を楽しみて命を知る。故に憂えず、

でもある(易経)。「天」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163401.htmlで書いたことだが、

彼を是とし又此れを非とすれば、是非一方に偏す
姑(しばら)く是非の心を置け、心虚なれば即ち天を見る(横井小楠)

あるいは、

心虚なれば即ち天を見る、天理万物和す
紛紛たる閑是非、一笑逝波に付さん(同)

で言う天は、もう少し敷衍すると、

道既に形躰無ければ、心何ぞ拘泥あらんや
達人能く明らかにし了えて、渾(す)べて天地の勢いに順う(同)

でいう天地自然の勢いとなる。自然の流れ、というとあなたまかせだが、天理、自然の道理というと、人間としてのコアの倫理に通じていく。だから、

人事を尽くして天命を俟つ

の天命は、精神科医、神田橋條治氏流に、逆に言うと、

天命を信じて人事を尽くす

には、コアの天理にかなうはずという、自らへの確信という、主体的な意味がある。だから、

楽天、

である。

なお、『易経』http://ppnetwork.seesaa.net/article/445726138.htmlについては触れた。

参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
井波律子『論語入門』(岩波新書)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:04| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする