2021年01月20日
倫理
小林勝人訳『孟子』を読む。
『論語』の見直しに続いて、再度、『孟子』を繰ってみた。しかし、もともと孟子はあまり好きにならない。孟子というと、たとえば、
齊(せい)の宣王(せんのう)問いて曰く、湯(とう)・桀(けつ)を放ち、武王紂(ちう)を伐てること、諸(これ)有りや。孟子対えて曰く、伝に於いてこれ有り。曰く、臣にして其の君を弑(しい)す、可ならんや。曰く仁を賊(そこの)う者之を賊(ぞく)と謂い、義を賊(そこの)う者之を殘(ざん)と謂いう、殘賊(ざんぞく)の人は、之を一夫(いっぷ)と謂う、一夫を誅せるを聞けるも、未だ君を弑せるを聞かざるなり(梁惠王章句下)、
に、
放伐、
つまり、
殷の湯王が夏の桀王を追放し、周の武王が殷の紂王を討伐してそれぞれ新しい王朝を始めたように、暴力による交代、
である、姓をか(易)え、命をあらた(革)める、
という、
易姓革命、
といった思想や、あるいは、文天祥の、
天地に正気あり、
雑然として流形を賦す
下は則ち河嶽と為り
上は則ち日星と為る
人に於いては浩然と為る
沛乎として滄溟に塞つ
皇路清く夷(たい)らかに当たりて
和を含みて明庭に吐く
時窮まれば節乃ち見(あら)われ
一一丹青に垂る
に見られるような「浩然の気」の、
我言(ことば)を知る。我善く浩然の気を養う。敢えて問う、何をか浩然の気と謂う。曰く、言い難し。その気たるや、至大至剛にして直(なお)く、養いて害(そこの)うことなければ、則ち天地の間に塞(み)つ。その気たるや、義と道とに配(合)す。是れなければ餒(う)うるなり。是れ義に集(あ 会)いて生ずる所の者にして、襲いて取れるに非ざるなり。行(おこない)心に慊(こころよ)からざることあれば、則ち餒う也(公孫丑章句上)、
という、どこか大げさな物言い、きれいごとなところがどうも好きになれない。
「浩然の気」は、本書の訳注者は、
趙岐いう、浩然之大気也、またいう、至大至剛正直之気也。朱子は、浩然は正大流行の貌と注し、蓋天地之正気而人得以生者といっておる。おもうに、管子内業篇には浩然和平以為気淵とあり、浩然は和平の形容であり、浩然の気は、天の和気と解される、
と注し、また、
至大至剛にして直(なお)く、
の原文、
至大至剛以直、
について、
趙注、言此至大至剛直之気也、おもうに、趙氏は下の以直の二字を連ねて、一句としておる。以は而と同じで、至大至剛而直の六字は一句である。朱子が、以直の二字を下に続けて讀むのは正しくない、
と注する。「浩然の気」については、しかし、
人間の内部より発する気で、正しく養い育てていけば天地の間に満ちるものとされる。また、道義が伴わないとしぼむとされ、道徳的意味を強くもつ概念である。いわば道徳的活力とでもいうべきものであるが、多分に生理的なニュアンスをはらむ(ブリタニカ国際大百科事典)、
とか、
〈夜気〉〈平旦の気〉や《楚辞》遠遊篇の〈六気を餐(くら)いて沆瀣(こうがい)を飲む〉の〈沆瀣〉などと同じもの。これらはいずれも明け方近くの清澄な大気を意味する。おそらく孟子は、ある特殊な呼吸法を行っていたと想像される(世界大百科事典)、
とか、
人間内部から沸き起こる道徳的エネルギー。これは自然に発生してくるもので、無理に助長させず正しくはぐくみ拡大していけば、天地に充満するほどの力をもつとされる。……気とは、もと人間のもつ生命力、あるいは生理作用をおこすエネルギーのようなものを意味するが、孟子はこれに道徳的能力をみいだした。仁義に代表される徳目は人間の内部に根源的に備わっているものとし、それが生命力によって拡大されることを「浩然の気」と表現したのである(日本大百科全書)、
等々と説かれる。しかし、大袈裟である。
予(われ)三宿して昼を出ずるも、予(わ)が心に於いては猶以て速(すみやか)なりとなす。王庶幾(こいねがわ)くば之を改めよ。王如(も)し諸(これ)を改めば、則ち必ず予(われ)を反(よびかえ)さん。夫れ昼を出ずるも王は予(われ)を追わず、予(われ)然る後に浩然として帰る志(こころ)有り。予(われ)然りと雖も豈王を舎(す)てんや(公孫丑章句下)、
と使われる「浩然」は、朱注では、
水が流れと止めることのできない形容、
とある。そうみると、後世の儒者や志士の大袈裟な言いようは別として、
天地自然と共にあるゆったりした気、
が原義なのだろう。「義」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/411864896.html)で触れたが、漢字「義」(ギ)を構成する、
我
は、「ぎざぎざとかどめのたった戈」を描いた象形文字であり、「義」は、
「羊+我」
で、
かどめがたってかっこうのよいこと、
きちんとして格好の良いと認められるやり方、
を意味する(漢字源)。孟子の言う意味は、
よしあしの判断によって、適宜にかど目をたてること、
という。あるいは、
羞悪の心が義の端(はじめ)、
とする(公孫丑章句上)。悪、すなわち悪く、劣り、欠け、あるいはほしいままに振舞う心性を羞じる心である。それは、あくまで、倫理である。倫理とは、
(おのれが)いかに生くべきか、
であって、人に押し付けたり、押し付けられたりするものではない。そう見れば、文天祥の義に対して、藤田東湖や幕末の志士の義は、大義や正義に紐づけられている。おのれの生き方ではないところから、義を語っている。そういう大袈裟な語り口が闊歩し始めたら、危険の兆候である。
僕は、義とは、
問い
であると思う。どこかに正しい答えがあるのではない。これでいいのか、このありようでいいのか、とみずからを問うものである。その意味で、答えは永遠にないはずなのである。それは、倫理に通じる。倫理とは、
いかに生きるか、
という、
生き方の問い、
である。この生き方でいいのか、と自らに問う。それと同じである。だから、孟子の言う、
天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行い、志を得(う)れば民と之に由(よ)り、志を得ざれば独り其道を行ひ、富貴も淫(みだ)すこと能わず、貧賤も移(か 易)うること能わず、威武も屈(くじ挫)くこと能わざる、此れを大丈夫(だいじょうぶ)と謂う(滕文公章句下)、
は、ひどく矮小化するようだが、おのが「倫理」(生き方)を指す。人に押し付けるものではない。それが見事に現われているのが、有名な、
人皆人に忍びざるの心有り。先王(せんのう)人に忍びざるの心有りて、斯(すなわ)ち人に忍びざるの政(まつりごと)有りき。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること、之を掌(たなごころ)の上に運(めぐ)らす(が如くなる)べし。人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以(ゆゑん)の者は、今、人乍(にわかに)孺子(こじゅし 乳飲み子 釈明「児始めて歩くを孺子(おさなご)という」)の将に井(いど)に入(おち)んとするを見れば、皆怵惕(じゅつてき 恐れること)惻隠(そくいん いたわしく思う)の心有り、交わりを孺子の父母に内(むす)ばんとする所以にも非(あら)ず、誉れを郷党朋友に要(もと)むる所以にも非(あら)ず、其の声(な 名)を悪(にく)みて然るにも非ざるなり。是れに由りて之を観れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり。羞悪(しゅうお)の心無きは、人に非ざるなり。辞譲(じじょう)の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隠の心は、仁の端(はじめ)なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是(こ)の四端有るは、猶其の四体有るがごときなり、是の四端ありて、自ら(善を為す)能わずと謂う者は、自ら賊(そこの)う者なり(公孫丑章句上)、
と、いわゆる「四端」、つまり、仁・義・礼・智を説いた。
惻隱之心、仁之端也、
羞惡之心、義之端也、
辞譲之心、禮之端也、
是非之心、智之端也、
である。それを、惻隠の情から説いたところが、孟子の孟子たる所以に思える。
孟子が再三言うのは、
王の王たらざるは、為さざるなり、能わざるに非(あら)ざるなり(梁惠王章句上)、
為さざると、能わざるとの形は、何以(いか 如何)に異なるや。曰く、大山(泰山)を挟(わきばさ)みて以て北海(渤海)を超えんこと、人に語(つ)げて我能わずと云う、是れ誠に能わざるなり。長者(めうえ)の為に、枝(てあし 肢)を折(ま)げんこと、人に語(つ)げて我能わずと曰う、是為さざるなり。故に王の王たらざるは、大山を挟みて北海を超ゆるの類にあらざるなり。王の王たらざるは、是れ枝を折(ま)ぐるの類なり(仝上)、
人豈勝(た)えざるを以て患(うれい)となさんや、為さざるのみ(告子章句下)、
である。これも、倫理の核である。
能わざるに非(あら)ず、為さざるなり、
である。孔子は、
力足りらざるものは中道にして廃(や)む。今汝は画(かぎ)れり(雍也篇)、
と言っている。似たことを言っているが、主体に即している分、孔子に分がある、と僕は思う。
参考文献;
小林勝人訳『孟子』(岩波文庫)
冨谷至『中国義士伝』(中公新書)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95