2021年01月24日
椿餅
「椿餅」は、
ツバイモチイ、
あるいは、
ツバイモチ
と訓ませる(広辞苑)。
ツバキモチイの音便、
である。
アマズラをかけ、ツバキの葉二枚にて包んだ餅、
である(広辞苑・大言海)。
餅は、道明寺糒(どうみょうじほしい)を用いて、中に餡を入れる、
とある(たべもの語源辞典)。「桜餅」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/475836259.html)で触れたが、「道明寺」は、尼寺である。道明寺も、
糒(ほしい 干飯)の一種、
で、保存食として使われ(「ほしい(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474940298.html)」)、
糯米を水に浸し、吸水した後水を切り、古くは、釜の上にせいろを置いて、下から火をたいて蒸した。その蒸し上がった物を天日にさらして乾燥させて、干飯(ほしいい・ほしい)として保存した(仝上)。作り出したのは、
道明寺の尼僧、
で、
道明寺糒、
として有名になって、
道明寺、
といえば、糒のこととなった(たべもの語源辞典)。この道明寺糒を碾いて粉にしたものが道明寺粉である。
源氏物語に、
つばいもちひ、梨、柑子(カウジ)やうの物ども、さまざまに、箱の蓋どもに取りまぜつつあるを、若き人びとそぼ(戯)れ取り食ふ。さるべき乾物ばかりして、御土器参る、
とあるが、室町時代初期の『源氏物語』の注釈書『河海抄』に、
椿の葉を合はせ、餅の粉にあまづらをかけて包みたる物なり、
とある(大言海)ように、平安時代に、軽食代わりとして食べられた餅菓子で、
平安時代の菓子は唐菓子と言う中国伝来の揚菓子がほとんどだが、桜餅のように団子を植物の葉で挟む形式などが珍しく、この椿餅は日本独自のものでないかと言う見解もある、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E9%A4%85)。「椿餅」は、蹴鞠の後、食べられることが多いのは、上記の、
源氏物語「若菜上」の蹴鞠の場面で描かれていることにより、後世、様式化した、
のではないか、との推測もある(http://kakitutei.web.fc2.com/taiken/tubaimotihi.html)。
「唐菓子」については「干菓子」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474306504.html)で触れたように、文武天皇の治世の704年に、遣唐使によって、唐から唐果子(からくだもの)8種と果餅14種の唐菓子が日本にもたらされた。
梅枝(バイシ 米の粉を水で練り、ゆでて梅の枝のように成形し、油で揚げたもの)、
桃枝(とうし 梅枝と同様に作り、桃の枝のように成形し、桃の実に似せたものをそくい糊でつけた)、
餲餬(かっこ 小麦粉をこねて蝎虫(蚕)の形とし、焼くか蒸したもの)、
桂心(けいしん 餅で樹木の形をつくり、その枝の先に花になぞらえて肉桂の粉をつけたもの)、
黏臍(てんせい 小麦粉をこねてくぼみをつけて臍に似せ、油で調理したもの)、
饆饠(ひら 米、アワ、キビなどの粉を薄く成形して焼いた、煎餅のようなもの)、
鎚子(ついし 米の粉を弾丸状に里芋の形にして煮たもの)、
団喜(だんき 緑豆、米の粉、蒸し餅、ケシ、乾燥レンゲなどを練った団子、甘葛を塗って食べた)、
等々があり(倭名類聚抄、日本食生活史)、その他、
餛飩(コントン 麦の粉を団子の様にして肉を挟んで煮たもの。どこにも端がないので名づける。今日の肉饅頭のようなもの)、
餅餤(ヘイタン 餅の中に鳥の卵や野菜を入れて四角に切ったもの)、
餢飳(フト 伏菟 油で揚げた餅)、
環餅(マガリモチ 糯米の粉をこねて細くひねって輪のようにし、胡麻の油で揚げたもの。輪のように曲がるので)、
結果(カクナワ 小麦粉を練って緒のように結び、油で揚げたもの。加久縄(かくのあわ)とも)
捻頭(ムギカタ 小麦粉で作り油で揚げたもの、頭の部分がひねってある)、
索餅(ムギナワ さくべいともいい、麦の粉を固めて捻じり、縄のようにしたもの、冷そうめんの類)、
粉熟(フンズク ふずくともいう、米・麦・大豆・胡麻の五穀を粉にして餅をつくり、ゆであまずらをかけて竹の筒に詰め、押し出して切ったもの、小豆の摺り汁を用いた)、
餺飥(ホウトウ やまいもをすりおろし、米の粉を混ぜてよく練って、めん棒で平たくし、幅を細く切って、豆の汁にひたして食べた。ほうとうは、今日も残っている)、
煎餅(センベイ 小麦粉で固めたものを油で揚げた)、
粔籹(アシゴメ 糯米を火で煎って密で固め、竹の筒などにつき込んで押し出す、今日のオコシと似ている)、
等々がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%8F%93%E5%AD%90、日本食生活史)。
「モチヒ」というのは、「餅」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474462660.html)を、古くは、
モチヒ、
といったが、「餅」には、
粉餅、
と
搗餅、
があり、粉餅には、
粽(ちまき)、
があり、粽は、
糯米(もちごめ)の粉を湯でこねて笹か真菰で巻いて蒸したもの、
であるが、内裏の粽は、
粳米(うるちまい)を粉にして大きく固め、これを煮て水をのぞいて臼でつき、笹の葉で巻き、また煮てつくった。また粳米を水で何度も洗い、粉にして絹ふるいでふるい、水でこねって少し固めにし、すこしずつ取って平たく固め、蒸籠にならべ、よく蒸し、蒸し上げたらとりあげてよくつき、粽のかたちにまるめて笹の葉などで固くしめて巻いて作った、
とある(日本食生活史)。はっきり今日の「もち」とわかるのは室町期になってからである。
また、「アマヅ(ズ)ラ」というのは、
甘葛、
味葛、
と当て(大言海)、
今のアマチャヅルに当たるといわれる蔓草の一種、その蔓草からとった甘味料、
をいい(広辞苑)、
甘葛煎(あまずらせん)、
味煎、
ともいう(仝上・大言海)。
「甘茶」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473914947.html)で触れたように、「甘茶」をつくる植物には、三種あり、そのひとつが、
アマヅル、
アマヅラ、
で、別名、
ツタ、
ナツヅタ、
その幹から液を採って煮詰めて甘味料をつくった、
とある。ツル性の植物で、甘い液の出るツルがその名になった(たべもの語源辞典)。
いまひとつは、ヤマアジサイ(あるいはガクアジサイ)に似た、
ユキノシタ科の落葉低木、
で、
コアマチャ、
とも呼ばれるものがある(仝上)。これを、
アマチャ、
といい、
その葉を乾かすと甘くなるので、甘茶をつくった。漢名で土常山(どじょうざん)と称するのがこれであり、アマチャの木という。
三つめは、ウリ科の、
アマチャヅル、
である。
ツルアマチャ、
アマカヅラ、
ともいい、
夏から秋にかけて新芽をとって蒸してからよく揉み、青汁をとり除いてから乾燥させる。黄褐色で甘みが強く、香りがよいので、飲料とした、
とある(仝上)。
「椿餅」は、延喜式に、
つばい餅、
とあり(たべもの語源辞典)、
上古は砂糖がなかったので、米の粉をこねて桂枝(ケイシ 桂の枝の皮)を細かにしたものを少し入れ、甘茶の煎汁でよく練って丸め、椿の葉を両方から合わせて包み込んで蒸しあげたもの、
で(仝上)、唐菓子に暗示されてつくられたもの、という(仝上)。
なお「つばき」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/457874557.html)については、触れた。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95