「羽二重」は、
経糸(たていと)に生糸、緯(ぬきいと)に濡らした生糸を織り込んだ、緻密で肌触り良く光沢のある平組織の上質な白生地、
をいう(広辞苑)が、それを、
地合いを引き締め光沢を出すために、よこ糸を水で湿らせて柔らかくする「湿緯(しめよこ)」という羽二重独特の製織法、
という(テキスタイル用語辞典)。
非常に柔らかく、握ったり結んだりすると、キュッキュッという絹ならではの摩擦音「絹鳴り」がするのが特徴、
とある(仝上)。
享保二年(1717)の『書言字考節用集』に、
光絹(又作、輕光)湖紬、羽二重(和俗所用)はぶたへ、、
とあるように、
光絹(こうきぬ)、
とも呼ばれる。それは、
通常の平織りが緯糸と同じ太さの経糸1本で織るのに対し、羽二重は経糸を細い2本にして織るため、やわらかく軽く光沢のある布となる。織機の筬(おさ)の一羽に経糸を2本通すことから、
この名がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E4%BA%8C%E9%87%8D)。平安時代の『古語拾遺』には、
衣服謂之白羽(篤胤云、羽は蓋し布帛の総名)、
とあり、江戸中期の『和漢三才図絵』には、
光絹(はぶたへ)、光繪、俗云、羽二重、按光絹出京師、而繪之最上、以為御服出於加賀者、名加賀光絹、稍劣、但馬之産次之、
とある。羽二重が始まったのは近世からで、
明治10年頃から京都や群馬県桐生などで機織り機の研究が進められ、明治20年頃には福島県川俣、石川県、福井県などで生産されるようになった。明治時代、日本の絹織物の輸出は羽二重が中心であり、欧米に向けてさかんに輸出され、日本の殖産興業を支え、羽二重は国内向けのものと輸出向けのものがあり、輸出されるものを「輸出羽二重」と呼んだ、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E4%BA%8C%E9%87%8D)。別に、
明治4年。「五箇条の御誓文」の草案者である由利公正公が欧州から絹織物数種を持ち帰った。それを福井の有志に見せて新しい絹織物の考案を依頼し、羽二重製織の技術研究が始まりました。そもそも一年中いつでも昼と夜の乾湿の差が少ない福井地方は、まさに最高の条件をそなえた土地でした。明治20年頃には技術の基礎も確立し、福井県は名実ともに世界一の生産地となったのです、
と福井の羽二重の由来を説くものもある(http://www.fukukinu.jp/habutae/knowhow.html)。
「羽二重」の言葉の由来は、
和名抄に、「帛、波久乃岐奴」とあり、帛栲(ハクタヘ 栲は白布)の訛(大言海・日本語源広辞典)、
埴生帛(はぶたへ)の義、下総國、埴生(はぶ)郡ょり始めて製出す、因りて名あり(大言海)、
ふつうの絹糸を二重に合わせたような絹であるところから(三省録)、
羽振妙の義(和訓栞)、
ハクウタヘ(白羽布)の義(名言通)、
等々ある。「光絹」の名が、正式で、俗に、
羽二重、
と言ったとすると、
帛栲(ハクタヘ)、
か
白羽布(ハクウタヘ)、
か、
何れも同義だが、どちらかなのではないかと思うが、しかし、「光絹」の由来とつながる、
撚りのない生糸で織られた羽二重は、鳥の羽根のようなふわっとした風合いであること、また、たて糸を2本引き揃えて製織することから“二重”という意味にとり「羽二重」という名が生まれた、
とする(http://www.fukukinu.jp/habutae/knowhow.html)のが妥当かもしれない。
ところで、「羽二重」に因んだ、「羽二重餅」というものがある。
「求肥」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473642635.html)で触れたように、江戸時代の初期に、
葛粉・蕨粉・玉砂糖の三味を糯米粉に入れて火にかけて煉り、さらに水飴を混ぜて煉って冷ましてから菱型に切った。糯米を主材料にしたので求肥餅とよばれたが、次第に餅より飴に発達して文化・文政(1804~30)のころにはその技術は最高となり、加工品もできた。餡を求肥で包んだものは、羽二重餅といった、
という(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317673943)。文化年間(1804~18)の滑稽本『浮世床』にも、
紅毛やうかん、本やうかん、最中まんぢゅに、羽二重もち、
とあり、おなじみのものであった。ただ、この「羽二重餅」は、
外皮が羽二重のように滑らかできめ細かく搗いてある餅、
を指す(たべもの語源辞典)。いわゆる、
羽二重餅、
は、福井の名物、松岡軒の特製品である(仝上)、とあるが、
弘化四年(1847)錦梅堂(きんばいどう)で作られた、
ともあり(http://nyancoroge.info/mame_habutae)、背景には、
「名産品の羽二重を彷彿とさせるような土産物を」という、福井の人たちの思いがあったようです。聞くところによると、ほぼ同時期に、福井の複数の菓子屋さんから同時多発的に販売が始まった、
ともある(https://www.kansendo.com/habutaemochi/)。
「求肥」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473642635.html)そのものが普及した後のことだから、この発想が取り立てて珍しいものではないのだろう。
糯米(もちごめ)と砂糖と水飴とで柔らかく求肥に練り上げたものを取粉引きの厚い箱に、厚さ三ミリくらいに流し込み、冷やしてから包丁で長さ六センチくらいの短冊型に切る、
という(たべもの語源辞典)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:羽二重