「居候」(ゐさうらふ・いそうろう)は、
他人の家に寄食すること、またその人、
の意である。略して、
居(ゐ)そ、
ともいう(江戸語大辞典)。
「しくじれば又いそだ、むづかしい咄はねへ」(享和元年(1801)「二布団」)
かかりうど(掛人)、
ともいい、
「かかりびと」の音変化、
である(広辞苑)。また、
食客(しょっかく)、
と意味が重なるが、微妙な齟齬もある。
居候三杯目にはそっと出し、
という川柳が有名だが、
居候因果と子供嫌いなり、
というのもある。
誰々方へ居候という言葉から出た、
とある(江戸語大辞典)。
「居候」は、「ごんすけ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/478489648.html)で触れたが、
権八、
ともいう。権八は、
白井権八、
で、
侠客幡随院長兵衛の家の食客だったところから、
居候、
食客、
の代名詞として使われている(江戸語大辞典・広辞苑・大言海)。これも、
天明八年(1788)、江戸中村座にて、傾城吾妻鑑の狂言ありて、白井権八と云ふ者が、幡随院長兵衛の食客たりしことを演ず、
による(大言海)。
(三代目歌川豊国『東海道五十三次の内 川崎駅 白井権八』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E6%A8%A9%E5%85%ABより)
ただ「食客」は、
士不外索、取千食客門下矣(平原君傳)、
とあるように、
門客(もんかく)、
門下(もんか)、
とも言い、
客分としてかかえおく臣、
を指す(字源)。日本では、
他人の家に寄食する人,たとえば師匠の家に住みこみ,雑用をしながら食事と勉学の機会を与えられている書生などを含めて,
食客、
と言い、
多くの地方で不意の食客を意味し,カンナイド,ケンナイド,ケイナイヤツ,ケナイドなどの民俗語彙でよばれていた。ケはハレに対する日常の意味であり,とくに大和地方ではケナイドは〈招かざるに来て食事などをする客〉の意味であり,ここでは居候の存在は喜ぶべきものではなかった、
とある(世界大百科事典)が、中国では、
有力者の門に召しかかえられる寄食者,居候をさし,門客,門下客などともよばれる。春秋戦国時代の社会変動の中から放出された多数の浮動的な士や遊民は,一定の生業をもたないために,個人の才能だけをたよりに有力者に仕えざるをえず,他方,諸侯や貴族も彼らを集めて勢力をのばす必要があった、
とある(仝上)ので、「居候」と重ねるのは難がある。
多数の食客を抱えたことで有名な人物は、
戦国四君(斉の孟嘗君、 趙の平原君、魏の信陵君、楚の春申君)、
秦の呂不韋、
等々がいる。彼らの食客は俗に三千人と言われ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E5%AE%A2)、
招諸侯賓客、……食客數千人(孟嘗君傳)、
とあり(大言海)、食客は、
その土地に封土を有さないため、諸侯などの「館(『官』が原字)」に起居し、「官」の起源となった。また、生計を封土からの収穫ではなく、その特別な技術・才能からの報酬により立てたので、「論客」「剣客」「刺客」等の語源ともなる、
とある(仝上)。
天子は諸侯を賓礼によって遇し,賓客は礼遇すべきものと観念される。しかし春秋戦国の変動期以後,主家に寄食する〈食客〉がふえると,賓客に対する処遇にも格差が生じ,またその中に〈俠客〉の要素も加わって,やがて客や賓客が居候・とりまきの意味を帯びてくる。さらに主家に傭われて働く〈傭客〉,土地を失って豪族や地主の小作人となる〈田(佃)客〉や〈荘客〉,はては衣食を支給される代りに労働の成果をすべて主家に取られる〈衣食客〉まで現れる、
ともあり(世界大百科事典)、白井権八の「居候」との差がなくなる。
参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95