2021年02月13日

おやじ


「おやじ」は、

親父、
親爺、
親仁、

等々と当て(広辞苑)、

老爺、

とも当てる、とある(日本語源広辞典)。

自分の父親を、他人に対して称する語、

である(大言海・広辞苑)。旧仮名では、

おやぢ、

である。「おやじ」は、

親父、

から、

おやちちの転、

とされる(広辞苑・日本語源広辞典・大言海・和訓栞)。

江戸期以後の言葉、

とある(仝上)。旧仮名から見れば、

おやぢ、

で、「父」を、古くは、

ち、

と言っていたので、

おやちちの転、

とするまでもない(語源由来辞典)のだが、

男親を「ちち」と呼ぶようになって以降の言葉なので、「おやちち」の転、

とする(仝上)。ただ、「ち」に、

父、

と当てるのは、古く、古事記にも、

甘(うま)らに聞こし以ち食(を)せまろが父(ち)(古事記)

とあり、この場合、「ち」は、父親の意だけではなく、

男性である祖先・親・親方などに対する親愛の称、

で(広辞苑)、

チチ、オヂのチ、祖先、男親の意、

として使われた(岩波古語辞典)。で、

おほぢ(祖父)、
おぢ(「おぼぢ」の転)、
おぢ(小父)

のように他の語の下に付く場合は連濁のため「ぢ」となることがある(デジタル大辞泉)。いずれにしても、

もとは「ち」に父の意があったことは(上記の古事記から)わかる。「ち」はまた「おほぢ」(祖父)「をぢ」(叔父、伯父)の語基である、

とある(日本語源大辞典)ように、「ち」を父親の意味でも使っていたことに変わりはない。では、いつごろから、「ちち」と使っていたのかというと、

労(いた)はしければ玉鉾(たまほこ)の道の隈廻(くまみ)に草手折(たお)り柴(しば)取り敷きて床(とこ)じものうち臥(こ)い伏して思ひつつ嘆き伏せらく国にあらば父(ちち)取り見まし家にあらば母(はは)取り見まし……

と万葉集にある。「ち」も「ちち」も、ほぼ同時期に使われていたと思われる。ただ、

歴史的には、チ・チチ・テテ・トトの順で現われる、

とある(日本語源大辞典)ので、「ち」が先行していたようであるが、

常に重ねてちちと云ふ、

ともあり(大言海)、

母(おも)、母(はは)との対、

とあるところを見ると、

ちち、

はは、

は対である。とすると、やはり、「おやぢ」は、

おやちちの転、

と見ていいのかもしれない。ただ「おやぢ」と転訛したのは江戸期としても、「おやちち」は、かなり古いのではないか、という気がする。

で、「ち」あるいは「ちち」の語源だが、

霊(ち)を重ねて云ふ語、

とする(大言海)説がある。

威力ある神霊を称える語チ(靈)を重ねたもの(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、

も同趣旨である。大言海は、

持ちの約、

とする。「持ち」とは、

神の御名に云ふ語。其の物を保ち知(しろ)しめす義。転じては貴(ムチ)と云ひ、約めては、チと云ひ、又転じて、ミ、ビとも云ふ、則ち大名持(ノ)神、保食(ウケモチノ)神、天御食(ミケノ)神、大日孁貴(オオヒルメノムチ)、野津霊(ノヅチ)など、

とする。ただ岩波古語辞典は、「貴(ムチ)」は、

神や人を尊び親しんで言う語、

であるが、

ムツの転と見られ、ムツには、皇睦神魯支(すめむつかむろぎ)など「睦」の字が当てられているから、ムチは単に尊貴の対象ではなく、親しく睦まじい対象を言ったものと思われる、

とある。もし、この意味だとしても、

ムツ→ムチ→チ→チチ、

の転訛があるなら、「ちち」の由来に当てはめられなくもない。まして、祖先をも「チチ」が指しているのなら、なおさらな気がする。「ちち」の由来としては、その他、

中国北魏の漢語、達達tata tiatiaが、音韻変化で、titiとなった(藤堂明保)、
乳を分けて子の血とした人であるところから。また父を見ると畏れて縮むところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
チチ(千血)の義(柴門和語類集)、
チチ(血道)の義(言元梯)、
チは男子の尊称(古事記伝)、

等々あるが、こんな基本語を中国由来とする必要もないのではあるまいか。どうも、

ムツ→ムチ→チ→チチ、

モチ→ムチ→チ→チチ、

の、何れかなのではあるまいか。

「父親」を言う語には、中古以後に、

てて、

が見られるが、

てて、ちちの俗語也(和訓栞)、

とある(日本語源大辞典)。中世末期の日葡辞書には、

toto(とと)、

が見られるが、「とと」は、

ちちの転訛、

だが、幼児語である(日葡辞書・大言海・広辞苑・物類称呼他)。しかし、この「とと」の語形は、これにさまざまな接辞のついた語形が近世になってあらわれ(仝上)、

ととさん(上方語)、
ととさま(仝上)、
おとっちゃん(江戸語)、
おとっつぁん(仝上)、
おととさん(仝上)、
とうさん(仝上)、
おとうさん(仝上)、

等々。ちなみに、

ちゃん、

は、

おとっちゃんの略語、
とも、
ちちの転訛、

ともみられる(仝上)。「おとうさん」は、どうやら、

1903年(明治36年)に尋常小学校の教科書に採用されてから急速に広まった。それ以前は「おとっつぁん」が多かった(武士の階級では「父上」)、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%88%B6%E3%81%95%E3%82%93、標準語を強制したように、上から指示されたもののようである。ただ、江戸期の、「おとっつぁさん」は、

御父様、

と当てるが、

おととさまの転訛、

であり(江戸語大辞典)、「おととさま」(御父様)は、多く武家用語で、中流以上の商家でも用いる、

おととさん、

を丁寧に言う称で、

おかかさま(御母様)の対、

となり、やはり武家、富商でもいった(仝上)、とある。どうやら、本来幼児語の、

とと、

が、

おとうさん、

にまで格上げされ、「おとっつぁん」より上とされるのは、何だか、嗤える。

ところで、チの重複形は、チチだが、これは、

チチの有声化(濁音化)がヂヂ(爺)で、ハハ(母)―ババ(婆)と対をなす、

とある(日本語源大辞典)。

甲骨文字 父.png

(甲骨文字(殷) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%B6より)

なお「父」(漢音フ、呉音ブ、慣習ホ)は、

会意。父は「おの+又(手)」で、手に斧を持って打つ姿を示す。斧(フ)の原字。もと拍(うつ)と同系。成人した男性を示すのに、夫という字をもちいたが、のち父の字を男の意に当てて、細分して「父」は「ちち」、夫は「おとこ、おっと」をあらわすようになった、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする