「おぞまし」には、
悍し、
とあてる語と、
鈍し、
と当てる語がある(広辞苑)。前者は、
ぞっとするようで嫌な感じだ、恐ろしい、
我が強い、強情だ、
という意味であり、後者は、
鈍い、愚かしい、
という意である。どうも、「おぞまし(鈍し)」は、
おそし、
からきて、
遅し、
鈍し、
と当て、
はやし(速し)・とし(疾し)の対、
とあるので、
動作や心の動きがにぶい、
意であり、それが、
おぞし、
と転じ、
おぞまし、
へと転じた(大言海)ものと見られる。
「おぞまし(悍し)」は、
おぞくれ、おぞしと同根、
とある(岩波古語辞典)ので、
おぞし(悍し)、
からきている。ただ、「おぞし」は、
気の強さと能力を備えている(源氏「(乳母は)物づつみせずはやりがに(短気で)おぞしき人」)、
という意であり、それを傍から見て、
強烈で恐ろしい(源氏「(身投げなどとば)おどろおどろしくおぞしきやうなりとて」)、
という意になる(岩波古語辞典)。この原意は、
押すを活用せしめたる語なるか、
とある(大言海)ので、
強気、
の含意からきているのかもしれない。
なお、「おぞし」には、
おずし(悍し)、
という、
オゾシの母音交替形があり、ほぼ同義だか、
強烈で恐ろしい(源氏「(荒々しい関東で育ったから身投げなどという)すこしおぞかるべき事を思い寄るなりけむかし」)、
という意で使われる(仝上)。「気が強い」「強情だ」の意の、「おずし」は、
上代から見られるが、「おぞし」は中古からで、意味の中心も、(恐ろしい)へと移っていった、
とある(日本語源大辞典)。
おずし→おぞし、
と同様、「おぞまし」にも、
おずまし、
という「おぞまし」の母音交替形があり、
おずまし→おぞまし、
の転訛がある(岩波古語辞典・大言海)。
「おぞし(鈍し)」と「おぞし(悍し)」とは、別由来と考えられるが、ただ、「おぞし」は、
オゾシ(鈍)とオヅ(怖)の混合か(両京俚言考)、
との説もある(仝上)し、「おぞくれ」が、
オゾオクレの約、オゾはオゾシのオゾと同根。オクレは遅れの意、
気が強くて愚かである意、
とあり(岩波古語辞典)、「おぞし(鈍し)」と「おぞし(悍し)」は、辿れば、無縁ではないかもしれない。因みに、名義抄には、
仡・忔 オゾクレタリ、
とある(仝上)。「仡」(漢音キツ、ギツ、ゴツ、呉音コチ、ゴチ)は、
形声。「人」+音符「乞」、
いさましい、勇壮、
の意(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BB%A1)、「忔」(キツ、ギツ)は、喜ぶ、嫌う、と真逆の意味を持つ。ついでながら、「悍」(漢音カン、呉音ガン)は、
会意兼形声。旱はからからに乾くこと、悍は「心+音符旱」で、かわいてうるおいのない心、むき出しの性分のこと、
とあり(漢字源、)、「気が強くて荒々しい」意である。
(漢字「悍」 https://kakijun.jp/page/kanar10200.htmlより)
なお、「おぞし」から「おぞまし」に転ずる、「おぞし」+「まし」の助動詞「まし」については、
将(む)より転ず。動作を未然に計りて云ふ助動詞、稍、願ひ思ふ意を含めて用ゐるもあり、
とあり(大言海)、また、
現実にはおこらないことや、事実と異なることを仮定し、仮想する意を表す。また、仮定や空想に立つ種種の主観的な情意を表す、
ともある(明解古語辞典)。その造語法は、
現実の事態(A)に反した状況(非A)を想定し、「それ(非A)がもし成立していたのだったら、これこれの事態(B)が起こったことであろうに」と想像する気持ちを表明するものである。世に多くこれを反実仮想の助動詞という。「らし」が現実の動かし難い事実に直面して、それを受け入れ、肯定しながら、これは何か、これは何故かと問うて推量するに対し、「まし」は動かし難い目前の現実を心の中で拒否し、その現実の事態が無かった場面を想定し、かつそれを心の中で希求し願望し、その場合起こるであろう気分や状況を心の中に描いて述べるものである。これは「行く」から「ゆかし」(見たい、聞きたいと思う意。原義はそちらへ行きたい)、「うとむ」から「うとまし」、「むつ(睦)ぶ」から「むつまし」、「つつむ」から「つつまし」などの形容動詞がつくられた造語法(yuku+ashi→yukasi)と同一の方法によって、推量の「む」から転成した(mu+asi→mashi)ものと思われる、
とあり(岩波古語辞典)、「おぞし」の、主体が現実に感じている感情ではなく、相手(事態)を見ながら、
そうなってほしくはないがそうなるだろう→そうなると恐ろしい、
といった含意があり、「おぞし」とは異なる使い方であったはずである。「おぞし」の、
「(荒々しい関東で育ったから身投げなどという)すこしおぞかるべき事を思い寄るなりけむかし」、
と、「おぞまし」の、
「(嫉妬深い女が)腹立ち怨ずるに、かくおぞましくは、……絶えて見じ」
とは。共に源氏物語だが、(そうなってほしくないのにそうなるという)事態に対する内的心の葛藤の差が、含意としてあったものと思われる。
なお、
オゾシ・オゾマシに類する型の語は、ツベタシ・ツベタマシ(冷)、アラシ・アラマシ(荒)などある、
とある(岩波古語辞典)。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95