2021年04月01日

あざやか


「あざやか」は、

鮮やか、

と当てるが、

「あざむく」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480760102.html?1617131910で触れたように、「あざやか」の「あざ」は「あざむく」の「あざ」と同根とする説がある。

アザはアザ(痣)・アザケル・アザムク・アザワラフのアザと同根、人の気持にかまわず、どぎつく現れるものの意。アザヤカはすべて、際立って鮮明であるさま。類義語ケザヤカはケ(界)サヤカ(冴)で、二つの対比がはっきりし、物事のけじめがきっぱりしているさま、

とある(岩波古語辞典)。

「アザ」には、

交、

と当て、

アザナフ(糾)・アザナハル(糾)・アザハル(糾)・アザフ(叉)などのアザ、

であり、

あぜ(校)の古形、

で、

棒状・線状のものが組み合う意、

とある(仝上)。名義抄には、

糺縄、アザハレルナハ、

と載る。さらに、「アザ」には、

痣、

と当てて、和名抄に、

痣、阿佐、

とあるように、いわゆる「痣」を指し、さらに、

あばた・ほくろ・こぶ、

等の意でも使い、文明本節用集に、

瘤、あざ、肉起、

とある。この「あざ」が、

アザアザ・アザワラフ・アザケル・アザムク・アザヤカのアザと同根、

とされるのである(岩波古語辞典)。「アザアザ」は、

鮮々、

と当て、

明瞭、鮮明、

の意である。

「あざやか」の語源は、「あざ」の由来と関わり、ひとつは、

アザはアザ(痣)・アザケル・アザムク・アザワラフのアザと同根、

とする説で、

人の気持にかまわず、どぎつく現れるものの意、

とするものである(岩波古語辞典)。これは、

「アザ(痣)+やか」で、きわだって明白な色、美しさ、腕前を言います。一般に見た瞬間の強い印象を表し、舞など、動きが無駄なく、際立って上手だという印象を表現する言葉、

という説明が、「痣」との関連を強く主張している観がある。

いまひとつは、

「あざ(交)+やか(形容動詞化)」で、色を入り交えた美しさを言う、

とするもの(日本語源広辞典)で、これは、「あざむく」の、

アザ(交)ム+ク、つまり真偽をまぜあわせてだます、

と重ねる説(仝上)だが、二つの説明が、微妙に変えてあるのが、少し気になる。ただ、和訓栞が、

黒き色は、體に交じりたるを以て云ふ也(交(アザ)ふと云ふにや)、

しており(大言海)、「痣」の「あざ」と「交」の「あざ」が交叉しているのだが。

『大言海』は、「あざ」との関連を別に解釈し、

アは明くの語幹、明清(アサヤカ)ならむか、

とする。

アキラカ(明)ニ-サヤカ(和句解)、
アキ(明)サヤカ(和訓栞)、

も同趣旨になる。しかし、この意味なら、「痣」の「あざ」と重なるのではあるまいか。

「あざ」は「あざける」「あざむく」と同根で、心情表現に関わりなく強烈に現われることを言うか、

とあり(日本語源大辞典)、さらに、「あざやか」と同義の、語幹を同じくする、

あざ(鮮)らか、

という言葉は、

(殺した動物の肉の)新鮮で生き生きしているさま、

の意で用い(岩波古語辞典)、両者は使い分けられていた。

「あざらか」が魚肉などの鮮度を言うのに対して、「あざやか」は美的形容をもっぱらとしていたが、中世に、ヤカとラカの区別が薄れるにつれて、「あざらか」が消滅して、「あざやか」が新鮮の意味でもちいられるようになった、

とある(日本語源大辞典)。中古では、「あざやか」は、

衣装や調度の色彩のコントラスト、姿形、態度などの視覚的な鮮明さに用いる場合、



性格、態度、手腕などが際立っているなど、質的な価値判断をこめて人事に用いる場合、

とがあった(仝上)、とある。やはり、

コントラストの際立ち、

が原義なのではあるまいか。

「鮮」(セン)の字は、

会意。「魚+羊(ひつじ)」で、生肉の意味を表す。なまの、切り立ての、切りめがはっきりした等々の意を含む、

とあり(漢字源)、「鮮魚」というように、「生の魚」「生の肉」の意であり、そこから「新しい」という意味が派生した。その意味で「あざらか」に当てたのは的確であった。

「鮮」.gif

(「鮮」 https://kakijun.jp/page/1747200.htmlより)

別に、

会意文字です(魚+羊)。「魚」の象形と「羊の首」の象形から、新鮮さを求める魚や羊をあげて、「あたらしい」、「いきいきしている」、「生魚」、「生肉」を意味する「鮮」という漢字が成り立ちました。また、「尟(セン)」に通じ、「すくない」、「とぼしい」の意味も表すようになりました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji314.html、金文の文字を見ると、意味がよくわかる。やがて、「金文」の、

羊は上、魚は下、上下の結びついた構造は小篆の「鮮」という単語が左右の構造に受け継がれ、変更されています。楷書は小篆を受け継ぎ、左右合体した文字、

となっていくhttps://asia-allinone.blogspot.com/2019/01/p5.html

「鮮」の成り立ち.gif

(「鮮」の成り立ち https://asia-allinone.blogspot.com/2019/01/p5.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:あざやか 鮮やか
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2021年04月02日

たぶらかす


「たぶらかす」は、

誑かす、

と当て、

だます、まどわす、

意だが、

たぶろかす(誑かす)の転、

とある(岩波古語辞典)。これは、

「たぶる」の他動詞形、

とある。

タブル(狂)の未然形(たぶら)+カス(接尾語)、

という感じであろうか(日本語源広辞典・精選版日本国語大辞典)。

「たぶる」は、

狂る、

と当て、

気が変になる、
気が狂う、

意である(岩波古語辞典)。大言海は、「たぶる」は、

倒(たふ)るに通じるか、

としている。相手を狂わせる、という含意だろうか。

たぶる(狂)→だぶろかす→だぶらかす、

と転訛し、主体の「狂う」意から、相手を(狂わせて)「だます」意へと転化したことになる。

「たぶる」は、古い言葉で、万葉集に、

狂(たぶ)れたる醜(しこつ)翁の言だにもわれには告げず(大伴家持)

と使われる。

で、「誑かす」は、

たぶらかす、
たぶろかす、

と訓ませるが、また、

たらかす、

とも訓ませる。

涼しやと莚もてくる川の端〈野水〉
たらかされしや彳る月〈荷兮〉(曠野(1689))、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「たらす」は、

誑す、
欺す、

と当て(岩波古語辞典)、中世の和漢通用集に、

誑、たぶらかす、人をたらす也、

とあり、確か、秀吉は、

人たらし、

といわれたが、

うまいことを言ってあざむく、
だます、

という意の他に、

子供などをすかしなだめる(好色一代男「泣く子をたらし」)、

意がある(広辞苑)。「だまくらかす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480711603.htmlで触れた「だます」と似た使い方である。この含意だと、必ずしも、誉め言葉とは限らない。

誑し込む、

は、「たらす」を強めた言い方になり、まんまと騙した含意がある。

だまして手なづける、

意とし、

賺し込む、
蕩しこむ、

と当てている(江戸語大辞典)。

「あざむく」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480760102.html?1617131910で触れたように、「誑」(漢音キョウ、呉音コウ)の字は、同義の漢字を

「欺」は、あなどりてだます義、大学「誠意者、毋自欺也」、
「瞞」は、ぱっとしたことを云ひてだます義、「謾」と同じ、
「誑」は、誑かすとも訓み、だまして迷わす義、

と使い分ける(字源)が、

会意兼形声。狂(キョウ)は、むやみにとびまわる犬のことで、むやみやたらに動く意を含む。誑は「言+音符狂」で、でたらめなことをいうこと、

とある(漢字源)。「欺誑(ギキョウ)」「誑誕」(キョウタン)などと使い、あざむく、誑かす意である。

「誑」 漢字.gif

(「誑」 https://kakijun.jp/page/E673200.htmlより)

因みに、「狂」(漢音キョウ、呉音ゴウ)は、

会意兼形声。王は二線の間にたつ大きな人を示す会意文字。また末広がりの大きなおのの形を描いた象形文字。狂は「犬+音符王」で、大袈裟にむやみに走りまわる犬。ある枠を外れて広がる意を含む、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(犭(犬)+王)。「耳を立てた犬」の象形と「支配権の象徴として用いられたまさかりの象形」(「王」の意味だが、ここでは、「枉(おう)」に通じ(同じ読みを持つ「枉」と同じ意味を持つようになって)、「曲がる」の意味)から、獣のように精神が曲がる事を意味し、そこから、「くるう」を意味する「狂」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1163.html。この方が「くるう」の意がとりやすい。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:たぶらかす
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2021年04月03日

いつわる


「いつわる(いつはる)」は、

偽る、
詐る、

と当てる。

事実をゆがめる、
うそをつく、
だます、
あざむく、

といった意味である(広辞苑)。大言海は、自動詞の「いつはる」に、

偽る、
詐る、
佯る、
譎る、

を当て、他動詞「いつはる」に、

偽る、

をあてるという区別をしている。

平安初期までは、

更にうつはる人無し(允恭紀)、

というように、

うつはる、

の形もあったが、中期以降は、

事をいつはりて、物を盗めるなり(宇津保物語)、
いつはり飾りて名を立てんとす(徒然草)、

等々と、

いつはる、

だけが用いられるようになった(日本語源大辞典)、とある。平安後期の『字鏡』には、既に、

詐、伊豆波留、又、阿佐牟久、

とある(大言海)。で、大言海は、

古言、ウツハルの転、うつくしむ、いつくしむ。魚(うを)、いを。芋(いも)、うも、

と(大言海)、

うつはる→いつはる、

との転訛とする。『日本語の語源』も、

ウツワリ(偽、允恭紀)、
ウツワリゴト(偽事、欽明紀)、

であったのが、

u→i、

間の母音交替とみている。

この母交(母音交替)から見れば、「いつわる」の語源は、「うつはる」をもとに考えるほかはない。しかし、多くは、

イツイヒ(虚言)の約であるイツヒに助動詞アリが結合して、イツハリという語ができた(日本古語大辞典=松岡静雄)、
イツハル(何時晴)の義(和訓栞)、
イツアル(何時有)の義(名言通)、
イツハル(言津張)の義、ツは休字(和句解)、
イツハル(言突張)の義か(日本語源=賀茂百樹)、
イツハル(稜威張)の義(俚言集覧)、

等々と、「いつはる」に合わせて語呂合わせをしている(日本語源大辞典)。「うつはる」由来として考えているものは、

ウツ(空虚、ウツロ)+ハル(張、動詞化)。内容のないこと、空虚なことを言う(日本語源広辞典)、
ウツホル(虚)の転声(和語私臆鈔)、
うつはり(空張)の意(言元梯)、

である。

虚言、
空事、

の意味でいえば、「うつ」は「虚」か「空」なのだろう。

「偽」 漢字.gif

(「偽」 https://kakijun.jp/page/1102200.htmlより)

「いつわる」に当てた漢字を見ておくと、「偽(僞)」(ギ)は、「いつわる」意だが、

会意兼形声。爲(為)の原字は「手+象の形」の会意文字で、人間が手で象をあしらって手なづけるさまを示す。作意を加えて本来の性質や姿をためなおすの意を含む。偽は「人+音符為(イ)」で、人の作意により姿を変える、正体を隠してうわべをつくろうなどの意。爲が、広く作為する→するの意となったため、むしろ僞にその原義が保存され、「人間の作意」「うわべのつくろい」といった意味が為のもとの意に近い、

とある(漢字源)。同趣だが、別に、

会意兼形声文字です(人+為(爲))。「横から見た人」の象形と「手の象形と象(ぞう)の象形」(「人が手を加えて作る」の意味)から、「人がつくりごとをする」、「いつわる」を意味する「偽」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji1286.html

「偽」 字源.gif

(「偽」字源 https://okjiten.jp/kanji1286.htmlより)


「詐」(漢音サ、呉音シャ)も、「いつわる」意だが、

会意兼形声。乍は刀で切れ目を入れるさまを描いた象形文字で、作の原字。物を切ることは人間の作意である。詐は「言+音符乍(サ)」で、作為を加えたつくりごとのこと、

とある(漢字源)。

「詐」 金文.png

(「詐」(金文・春秋時代) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A9%90より)

「佯」(ヨウ)は、

形声。佯は「人+音符羊」で、外面の姿の意を含む。羊は音だけを示し、ここではひつじは意味に関係しない、

とある(仝上)。

「譎」(漢音ケツ、呉音ケチ)も、「いつわる」意だが、

会意兼形声。矞(ケツ)はややこしくいりくんだという意を含む。譎はそれを音符とし、言を添えた字、

とある(仝上)。

これら同義の漢字の使い分けは、

「僞」は、人爲にて、天真にあらざるなり、いつはりこしらへたるなり、虚偽・詐偽と用ふ、晉紀「太子有淳古之風、而末世多偽、恐不了家事」、
「詐」は、詐欺と連用す。欺き騙すこと誠実の反なり、説苑、貴徳「巧詐不如拙誠」、
「譎」は、権詐なり、正しからず、詐謀を設けていつはるなり、すべて言行器服などのあやしく異様なるをいふ。詭に同じ。「晉文公譎而不正」の如し、
「詭」は、譎に同じく、あやしくして正しからざる義。詭巧・詭変と用ふ。孫子「兵者詭道也」、
「佯」は、「陽」と同音同義。内心は然らずして、うはべをいつはるなり。史記「箕子佯狂為奴」、

とある(字源)。なお、「誕」(漢音タン、呉音ダン)も、「いつわる」意があり、

会意兼形声。延は、ひきのばすこと。誕は「言+音符延」で、むやみに引き延ばした空事。その音を利用して、旦(タン 隠れた日が地平に現われること)・蛋(タン 腹に隠れたたまごが外に出る、たまご)に当て、特に人間の赤子が世に出ることをいう、

とあり(漢字源)、別に、

会意兼形声文字です(言+延)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「国や村の象形と立ち止まる足の象形と十字路の象形の左半分を取り出し、それを延ばした形」(「まっすぐ行く」の意味から、言葉を真実よりも越えてのばす事を意味)し、そこから、「いつわる」を意味する「誕」という漢字が成り立ちました。また、「のびる」の意味から、「生まれ育つ」の意味も表します、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji929.htmlが、

「言」と音符「延」を合わせて、言い延ばされた「でたらめ」が原義、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%AA%95ので、元来、「虚誕」(おおげさなうそ)、「怪誕」(でたらめであやしい)などと使ったらしい。

誕 字源.gif

(「誕」字源 https://okjiten.jp/kanji929.htmlより)

それが、意味が変わったのは、『詩経』に、

誕彌厥月(誕(ここ)に厥(そ)の月を彌(を)へ)
先生如達(先づ生まるること達の如し)

という一説があり、ここから、「誕生」「生彖」という言葉が生まれ、「誕」が「うまれる」という意味で使われるようになった、とする説があるhttps://quizknock.com/tanjou

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年04月04日

でっちあげる


「でっちあげる」は、

捏ち上げる、

と当てる。

証拠をでっちあげる、

というように、

ないことをあるようにつくりあげる、

つまり、

捏造、

の意である。それをメタファに、

報告書をでっちあげる、

というように、

間に合わせに形だけ整えてまとめ上げる、

意でも使う(広辞苑)。岩波古語辞典にも大言海にも載らない。比較的新しい言葉に思われる。大言海、江戸語大辞典に載るのは、

捏ちる、

と当てる、

でっちる、

である。「でっちる」は、

うなされて夜着のうえからでっちられ(明和四年(1767)「柳多留」)、

と、

こねる、
つくねる、

意である(江戸語大辞典)。この言葉は、今日ほとんど使わないが、広辞苑にも載る。

「捏」(漢音デツ、呉音ネツ・ネチ)は、

会意兼形声。旁(つくり)は「土+音符日」からなる形声文字で、ねばる土のこと。捏はそれを音符とし、手を添えた字で、粘土をこねること、

とあり(漢字源)、「こねる」意で、泥など、柔らかい物を手でこねる意から、「捏造」と使う(漢字源)。

「捏」 漢字.gif


捏造、

は、文字通り、

土などをこねて物の形を造る、

意で、それが転じて、

根も葉もない事実を構成する、

意で使う(字源)。わが国では、「捏造」を、

捏ち上げる、

という意味でも使うが、この「捏ち上げる」自体が、

「捏(デツ)」を活用させたことば(漢字源)、

とする説が主流である。たとえば、

捏造の「捏」が語源とされる。呉音「ねつ」漢音「ダツ」、その「捏」(デツ)が動詞化され、「捏ち上げる」となった(語源由来辞典)、
「捏つ(でつ)上げる」と言われていたものが、「でっちあげる」と変化していったhttps://yaoyolog.com/
漢音で「でつ」と読む。その「捏(でつ)」の読みが動詞化されることで「捏ち上げる(でっちあげる)」となり、「でっちあげ」が生まれたhttps://www.yuraimemo.com/1903/

等々、

デツ→でっちる→でっちあげる、

といった転訛を言っているらしいのである。本当にそうだろうか。

でっちる、

でっちあげる、

では少し意味に乖離がある。もし「捏」(デツ)の動詞化というのなら、

デツ→デツスル→デッツル、

といった転訛になるのではないか。憶説かもしれないが、

「捏(でつ)」の動詞化説、

はどうも承服しがたい。直接に、

「捏」の動詞化、

とするには、語感的にも意味的にも、飛躍がある。

隠語には、「でっちあげ」は、

丁稚上げる、

と当て、

無いことをあるように偽りつくること(捏造)、丁稚(職人や商人の家に奉公する少年、小僧)を一人前に仕上げる意から出た語、

とする説がある(隠語大辞典)。これを、「まったくの俗説」(語源由来辞典)と言い切るのはむつかしい。むしろ、

でつ→でっちる→でっちあげる、

自体がいかがわしい俗説に思われてならない。大言海は、「でっちる」を、

手抉(テクジ)るの転か、

としている。ただ、「抉(くじ)る」は、

うがつ、
えぐって中の物を取り出す、

意で、少し意味がずれる。それなら、

捏ねる、

とあてる「こねる」のほうが、意味がもっと近い。

粉末または土などを水に混ぜて固まるほどにこねる、

意で、漢字「捏」の意味とも重なる。

「こぬ(捏ぬ)」は、名語記に、

粉を水に和するをこぬと言へり、

とある(岩波古語辞典)。「こねる」の語源は、

粉練るの、口語調に成れる語なるべし、粉成す、粉熟(こな)れる、同趣の語なり、集韻「捏、乃結切、音捏(ネツ)」、増韻「捻聚(ひねりあつむる)也」、正字通「捏、同捻」、

とする(大言海)。他に、

コネル(粉煉・粉練)の義(日本釈名・和訓栞)、

も同趣旨。

コ(接頭語、小手で)+ネル(練る)(日本語源広辞典)、
コマネル(細練)の義(名言通)、
コネル(泥練)の義(言元梯)、

等々もある。文字通り「こねる」の同義、

捏、

を当てたところから、この漢字「捏」の音から、

デツする→デッツル→デッチル、

という言い回しが生まれたとするのなら、まだ納得できる。そう考えると、

でっちあげる、

という言葉は、江戸期にはなく、明治以後、それも昭和近くになってから生れた言葉ではないだろうか。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年04月05日

定家煮


「定家煮(ていかに)」は、

魚介を塩と酒だけで味付けした料理、

とある(広辞苑)が、

鯛などの淡白な魚を塩と酒(または焼酎)で煮る、

のをいう(たべもの語源辞典)、とある。文政五年(1822)の『江戸流行料理通大全』(八百善主人著)に、

焼酎と焼塩で味をつけ煮るを定家煮といふなり、

あり(たべもの語源辞典)、

潮煮の一種、

であるhttp://gogen.bokkurigoya.com/archive/006633.php。「潮煮」は、

ウシオニ、

と訓ませ、

鯛・かつおなどの魚介類を材料とした塩味の煮物。汁は通常の煮物より多めで、汁も味わう、

とあり(世界の料理がわかる辞典)、

うしお、
うしおじる、

などともいう。応永三二年(1425)の『看聞御記』に、

水車火の車にそ成にける池の魚をはうしをににして、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「定家煮」は、藤原定家の、

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしおの身もこがれつつ、

という歌にちなんで名づけられた、とも(仝上)、鎌倉時代の定家の名が、江戸時代に流行した料理に名づけられた、ということで、あくまで、

利休煮http://ppnetwork.seesaa.net/article/474289336.html
や、
祐庵焼http://ppnetwork.seesaa.net/article/479712626.html

等々と同じく、

定家好み、

ということから名づけられたともされる(たべもの語源辞典)。

藤原定家の肖像画.jpg

(藤原定家の肖像画(伝藤原信実筆) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%AE%B6より)

しかし、天明五年(1785)の『万宝料理秘密箱』(一名「玉子百珍」)には、

骨付きの鶏を生醤油と酒で炒り煮する。おろし大根と山椒の粉、葱の五分切、にんにくを添えて、

とあるhttps://megutama.com/category/%E5%82%AC%E3%81%97%E5%A0%B1%E5%91%8A/%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%EF%BC%88%E5%82%AC%E3%81%97%EF%BC%89/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%96%99%E7%90%86/

『万宝料理秘密箱』は、その出版広告に、

たまご百色、鳥るい、川うをるいの料理、飯、汁、なます、ちよく、ひらさら、くはしわん、やきもの、すべて膳部一式、勿論、酒のさかな、すいものに至るまでたまご、一式にして、四季のこん立、くみあはせ、古来より、料理の書にいでざる珍らしき、仕立にて、いまだ人のしらざる、秘方伝受もの、并に当りうの作りものゝ、仕方をいづかたにても、とゝのひ安きやうに、くはしくかきしるしたる書なり、

とありhttp://codh.rois.ac.jp/edo-cooking/tamago-hyakuchin/、一名「玉子百珍」とも言われるように、

江戸時代後期には採卵を目的として鶏が飼育されはじめ、本書の刊行により卵料理は、当時の食生活のなかに広まっていった、

という(仝上)。本書には、103種の卵料理が記されている。

定家煮 (2).jpg


どうやら、当初の、

燒酎と燒鹽にて味を付煮る、

という(江戸流行料理通大全)、

定家好み、

云々は消えて、ただ「定家」の名のみ残った感じである。

こうした料理本は、江戸時代、

『料理物語』 著者・出版者不詳 寛永二〇年(1643)、
『豆腐百珍(とうふひゃくちん)』 正・続篇 何必醇編 大阪 藤屋善七 天明二年(1782~1783)、
『大根一式料理秘密箱』 著者不記 京都 西村市郎右衛門[ほか] 天明五年(1785)、
『甘藷百珍(いもひゃくちん)』  珍古樓主人編著 出版地・出版者不明 寛政元年(1789)、
『新撰包丁梯(しんせんほうちょうかけはし)』 杉野駁華著 大阪 浅野弥兵衛[ほか]享和三年(1803)、
『料理通(江戸流行料理通)』 初編~4 編 八百善著 江戸 和泉屋市兵衛 文政五年(1822)~天保六年(1835)、

等々ありhttp://hikog.gokenin.com/edonosyokubunka1.html、今日の料理本と同様に、

専門の料理人ばかりではなく一般読者をも対象とした読み物、

となっており、まず、

料理法、

次に、

遣ひ方、

つまり用途を記述し、

どのような場面、器がふさわしいかなども記述している(仝上)。いわば、

料理を楽しむ、

という、この時代の豊かさを反映している。

定家の名にちなんだものには、もうひとつ、

定家葛、

がある。

テイカカズラ.jpg


式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず、ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に基づく命名である。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:定家煮
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2021年04月06日

イノベーション


J・A・シュムペーター(塩野谷祐一他訳)『経済発展の理論―企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究』を読む。

経済発展の理論上.jpg


シュムペーターは、経済発展の駆動力を、

(生産手段の)新結合(neue Kombination)の遂行、

とみた。今日の言葉でいうと、

イノベーション、

である。生産をするということは、

われわれの利用しうるいろいろな物や力を結合することである。生産物および生産方法の変更とは、これらの物や力の結合を変更することである。旧結合から漸次に小さな歩みを通じて連続的に適応によって新結合に到達することができる限りにおいて、たしかに変化または場合によっては成長が存在するであろう。しかし、(中略)新結合が非連続的にのみ現われることができ、また事実そのように現われる限り、発展に特有な現象が成立するのである。

とし、その「新結合」のパターンを、五つ挙げている。

①新しい財貨、すなわち消費者の間でまだ知られていない財貨、あるいは新しい品質の財貨の生産、
②新しい生産方法、すなわち当該産業部門において実際上未知な生産方法の導入。これはけっして科学的に新しい発見に基づく必要はなく、また商品の商業的取扱いに関する新しい方法をも含んでいる。
③新しい販路の開拓、すなわち当該国の産業部門が従来参加していなかった市場の開拓。ただしこの市場が既存のものであるかどうかは問わない。
④原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得。この場合においても、この供給源が既存のものであるか―単に見逃されていたのか、その獲得が不可能とみなされていたのかを問わず―あるいは始めてつくり出されねばならないかは問わない。
⑤新しい組織の実現、すなわち独占的地位の形成あるいは独占の打破。

そして、この新結合は、

とくにそれを具現する企業や生産工場などは、その観念からいってもまた原則からいっても、単に旧いものにとって代わるのではなく、いちおうこれと並んで現れるのである。

とする。そして、

新結合の遂行およびそれを経営体などに具体化したもの、

を、

企業(Unternehmung)、

と呼び、

新結合の遂行をみずからの機能とし、その遂行に当たって能動的要素となるような経済主体、

を、

企業者(Unternehmer)、

と呼ぶ。企業者は、今日、

Entrepreneur、

と呼ばれるものである。ただ、企業者は起業者ではあるが、今日の起業者は、企業者ではない。企業者の困難を、

成果のすべては「洞察」にかかっている。それは事態がまだ確立されていない瞬間においてすら、その後明らかとなるような仕方で事態を見通す能力であり、人々が行動の基準となる根本原則についてなんの成算ももちえない場合においてすら、またまさにそのような場合においてこそ、本質的なものを確実に把握し、非本質的なものをまったく除外するような仕方で事態を見通す能力である。周到な準備工作や事実知識、知的理解の広さ、論理的分析の才能でさえ、場合によっては失敗の源泉となる、

困難であり、さらに、

固定的な思考習慣の本質や、それが労力を省く事によって生活を促進する作用は、その習慣が潜在意識となっていて、結論を自動的に導き、批判に対しても、個々の事実の矛盾に対しても保障されているという事実に基づいている。(それが)障害物と化すのである。……新しいことをおこなおうとする人の胸中においてすら、慣行軌道の諸要素が浮かび上がり、成立しつつある計画に反対する証拠を並べ立てるのである。(中略)新結合の立案と完成のために可能なものとみなしうるようにするためには、……意志の新しい違った遣い方が必要になってくる、

のであり、さらに、

経済面で新しいことをおこなおうとする人々に対して向けられる社会環境の抵抗である。この抵抗はまず第一に法律的または政治的妨害物の存在として現われる。しかしこの点を別にしても、社会集団の一員が他と異なる態度をとることはすべて批難の的となる。

と。企業者としては、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)の創業者たちやマイクロソフトのビル・ゲイツを思い起こすが、そんな例を出すまでもなく、我国でいえば、当時の運輸省と裁判を通してまで戦った、宅急便の小倉昌男氏の例でも、シュムペーターのいう通りの事態が起きていることがわかる。

シュムペーターは、自らの「発展」の理論の嚆矢を、マルクスに位置づける。

発展問題への唯一の偉大な試みはカール・マルクスのそれである。われわれはここで彼の歴史観を考えているのではない。なぜなら、この見解は彼の精密な理論とは関係がないからである。(中略)これを別にしても、マルクスはなお「発展」に関する誇るべき業績をもっている。彼は経済生活自体の発展を経済理論を手段として取り扱おうと試みた。彼の蓄積の理論、窮乏化の理論、崩壊の理論は実際純粋に経済学的推論から生じている。そして彼の眼は、単に一定時点における経済生活の循環のみならず、経済生活の展開そのものを思考的に考え抜こうという目標に絶えず向けられている。

だから、

発展の息吹を感じさせる、

が、しかし、あくまで古典学派の延長線上に、

静態的、

にとどまり、

動態的、

ではない、とする。しかし、その上で、自らの発展理論を、マルクスの、

内発的な経済発展、

という建造物の、

表面の小さな一部分を覆うにすぎない、

と位置づけている。シュムペーターが、「日本語版への序文」(1937年)で、

「自分の考えや目的がマルクスの経済学を基礎にしてあるものだとは、はじめ気づかなかった」
「マルクスが資本主義発展は資本主義社会の基礎を破壊するということを主張するにとどまるかぎり、なおその結論は真理たるを失わないであろう。私はそう確確信する」

と述べているのは、そうした背景からである。

しかし、マルクスとの接触点を、シュムペーターは、こう整理し、その違いに言及する。

マルクスは周知のように、資本が労働者の「搾取手段」として役立つという点に資本の特質を認め、しかもこの「搾取」は明らかに企業者―もちろんマルクスは古典的見解にしたがってこれを資本家に一括した―が労働者の力に対する支配を獲得するということに基づいている。(中略)したがってマルクスとわれわれとの一致はあまり広汎に及ぶものではない。なぜなら、彼はまさに労働者が物的生産手段から分離されている点に重点をおき、後者を前者の搾取手段としているからである。また「搾取」という表現もわれわれの方向とは異なった方向を意味している。しかし最後に、彼の根本観念は、資本は本質的に生産に対する支配手段であるということであって、この観察はまったくわれわれのものである。さらにその観念は事実観察に基づいている。そしてたとえマルクスがこの観念からわれわれの共鳴しえない結論を引き出したとはいえ、またたとえ彼がその根本観念を不正当に精確化し、ことにその完成に当たってまったく迷路に陥ったとはいえ、ここはわれわれの見解と彼の見解―および彼の見解によって多かれ少なかれ影響されたあらゆる見解―とが接触する一つの点が存在する。

ただ、個人的には、総資本としての資本の自己増殖を論及していたマルクスとは遥かに別の企業者という個々のレベルに発展の起因をもっていったことは、その理論の成否とは別に、理論の矮小化の印象は免れない気がしてならない。シュムペーター自身が、

マルクスの内発的な経済発展という建造物の、表面の小さな一部分を覆うにすぎない、

と言ったのは、必ずしも謙遜ではなかったのかもしれない。

ところで、たしか、ケインズは、経済学理論はアダム・スミスに任せて、日々パンフレット風に政策論をすればいいという趣旨のことを書いていたが、まさに、今日、数学的モデルを構築し、その妥当性を競っている経済学の流れは、いまのありようを構造として把握し、どうすればいいのかを考えようとした、マルクスやシュムペーターの流れの途絶そのもののように見える。

経済発展の理論下.jpg


参考文献;
J・A・シュムペーター(塩野谷祐一他訳)『経済発展の理論―企業者利潤・資本・信用・利子および景気の回転に関する一研究』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2021年04月07日

じぶ煮


「じぶ煮」は、

熟鳧煮、
治部煮、

等々と当てる。

石川県金沢の郷土料理で、鴨肉の煮込みのこと、小麦粉をまぶした鴨肉を煮て、別に煮込んだ野菜や簾麩(すだれぶ)と共に山葵(わさび)を添えて供する、

とある(広辞苑)。「簾麩」(すだれふ・すだれぶ)というのは、

石川県金沢の名産品、特産品として知られる麩の一つ。グルテンに米粉を加えて練り、「すだれ」に包んで茹でたもの。生麩の一種。江戸時代から製造されている伝統的な加賀麩のひとつ、

であるhttps://japan-word.com/sudarefu。「じぶ煮」については、別に、

鴨肉(もしくは鶏肉)をそぎ切りにして小麦粉をまぶし、だし汁に醤油、砂糖、みりん、酒をあわせたもので鴨肉、麩(金沢特産の「すだれ麩」)、しいたけ、青菜(せりなど)を煮てできる。肉にまぶした粉がうまみを閉じ込めると同時に汁にとろみをつける。薬味はわさびを使う、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%85%AE。「熟鳧」と当てるのは、

鴨の煮込み、

の意だから、とある(仝上)。本来は、

小鳥を用いるとされ、その際は丸ごとすり潰してひき肉状にし、これをつくねのように固めたものを煮立てた、

とある(仝上)。そのためか、「熟鳧煮」は、

ツグミを用いた金沢地方の郷土料理、

ともある(たべもの語源辞典)。

ツグミは秋になるとシベリアから渡ってくる。主な捕獲地は南加賀の丘陵地帯、

で、このための、

霞網は加賀藩で考えられて発達した、

という(仝上)。今日は霞網による捕獲は禁止されているため、

鴨、

等々の鳥肉を使う(仝上)、とある。

鳧(フ)は、カモのことで、じふ煮は、鴨の皮を煎り、出したまりを加減して入れ、ジフジブといわせ、その身を入れて煮た料理、

とある(仝上)。「じぶ煮」には、

カモ(またはガン)の正肉を醤油で少し辛めに蒸し、焼麩千切り、ささがき牛蒡か山芋を少し入れて煎る。要するに醤油仕立てで、カモに限らず、焼麩・牛蒡・茸類を加えて煮たものを準麩(じゅんぶ)といった。ジブのことである、

とするもの(仝上)と、

煎鳥のようにして塩を強く塩梅して、煮汁少なく仕かけ、ジブシブと煎りつけるようにして出すもの、

とがある(仝上)、とする。

同じ「じぶ」という名称であっても、調理方法には変遷があった、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%85%AE。加賀前田家に仕えた代々料理人が18世紀前期に書いた『料理の栞』には、

麦鳥(むぎどり)、

と呼ばれる、

雁・鴨・白鳥などの肉をそぎ切りにし、麦の粉を付けて濃い醤油味の汁で煮、ワサビを添える、

という料理があり、これが現在の治部煮に似ている、という(仝上)。また同書には、

「じぶ」あるいは「じゅぶ」、

という、

鍋に張った汁(醤油、たまり、煎り酒などを混ぜる)を付けながら鍋肌で焼き、汁を張った椀に5切れほど盛ってワサビを添えて出すカモの鍋焼き、

という料理があった、とされる(仝上)。上記の「じぶ煮」の二つのタイプは、それぞれの流れをくむものとみていい。

ただ、以後この二種類の料理が混同されて、19世紀前期までには従来の「麦鳥」のような料理が「じゅぶ(熟鳧)」と呼ばれるようになり、現在の「じぶ」につながる、

とある(仝上)。

「じぶ煮」という名の由来については、

じぶじぶと煎りつけるようにして作るhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%85%AE
ジブシブと煎りつけるようにして出す(たべもの語源辞典)、
ジブジフと音をさせて煮るhttps://mainichi-kotoba.jp/kanji-439

等々といった調理の仕方に関わる説や、あるいは、

カモに限らず、焼麩・牛蒡・茸類を加えて煮たものを準麩(じゅんぶ)といった。ジブのことである(仝上)、

といった料理内容に関わる説が順当だと思う(仝上)が、その他に、「じぶ」という名前の由来は諸説ある。

「じゅぶ」とは「熟鳧」(じゅくぶ)の略https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%85%AE
豊臣秀吉の兵糧奉行岡部治部右衛門が朝鮮から伝えた陣中料理(https://mainichi-kotoba.jp/kanji-439・たべもの語源辞典)、
石田三成(治部少輔)が考案した料理(仝上)、
高山右近が加賀にいた折に伝えた欧風料理だともされる(仝上)、

等々がある。

治部煮.png


参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年04月08日

つるべずし


「つるべずし」とは、

釣瓶鮨、

と当て、

馴鮨(なれずし)の一種、

で、

(奈良県の)吉野川のアユで作った早鮨、

である。

吉野川のアユを、下市(しもいち)で製し、釣瓶型の桶に入れ、藤蔓で桶と蓋を押さえつけてならしたもの、

とある(広辞苑)。

かつて使用していた釣瓶鮨の圧力器.jpg

(かつて使用していた釣瓶鮨の圧力器 https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1148/より)

「なれずし(熟れ鮨・馴れ鮨)」は、「すし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456254952.htmlで触れたように、

塩漬けにした魚の腹に飯を詰め、または魚と飯とを交互に重ね重石で、圧し、よくなれさせた鮨、

である(広辞苑)。ただ、「飯鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475973752.htmlで触れたように、

古い時代、鮨は、自然に酢味をもたせた魚ばかりのものであった。その後、早ずしとか一夜ずしといって飯を使って鮨をつくるようになったが、これは発酵作用のために飯を利用したもので、食べるのはやはり魚ばかりであった、

とあり(たべもの語源辞典)、飯は、捨ててしまったのである。つまり、

動物の生肉を塩と合わせ、それを飯の間に漬け、数日たつと飯が発酵して酸味を生じたものを食べた。…飯は食べずに、肉だけを食用とした(日本食生活史)、

冬場、雪に閉ざされる北海道や東北地方の港町ならではの食べ物で、冬の保存食として年末やお正月には欠かせない郷土料理として食べられてきました。魚をどのように美味しく保存できるのか考えられ開発されたのが「飯寿し」http://takemoto-suisan.com/user_data/whats.php

等々とあるように、あくまで主役は、魚であった。

古く延喜式の諸国の貢物のなかに多く「すし」が出てくるが、

これは「馴れずし」で魚介類を塩蔵して自然発酵させたものである。発酵を早めるために、飯を加えて漬けるようになったのは、慶長(1596‐1615)ころからと伝えられる。飯に酢を加えて漬けるようになったのは江戸時代になってからで、江戸末期に酢飯のほうが主材となって飯鮨とよばれるようになり、散らしや握り鮨が生まれる、

とある(たべもの語源辞典)。飯を加えて漬けるようになったのはかなり新しい。因みに、「すし」は、

鮨、
鮓、

と当てるが、「鮨」の字は

魚の鰭、
うおびしお、魚のしおから、

を意味し、我が国でだけ、

酢につけた魚、
酢・塩をまぜ飯に、魚肉や野菜などをまぜたもの、寿司、

の意で使う。「酢」は、

塩・糟などにつけ、発酵させて酸味をつけた魚。たま、飯を発行させて酸っぱくなった中に魚をつけた込んだ保存食、

で、これが、

なれずし、

の元の形になる。

この時代の、「すし」の「酢」と「鮨」の表記は、

『十巻本和名抄-四』に『鮨(略)和名須之 酢属也』とあり、『鮨』と『鮓』は同義に用いられていた可能性がある。ただし、飯の中に魚介類を入れて漬けるのが酢で、魚介類の中に飯を詰めて漬けるのが鮨であるとも言われている、

と(日本語源大辞典)、「鮨」と「鮓」は使い分けがなされていた可能性が高い。

歴史的には、「なれずし」の後に、「一夜鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475989654.htmlと呼ばれる「すし」が生まれてくる。「一夜鮨」には、

昔の「なれずし」の製法、
と、
酢をつかったものとの両義があり、

ふり塩をしたアユの腹に飯を詰め、苞にいれて火にあぶり、おもしをかけて、一夜のうちにならした鮨、

が古い形になる。

元来酢は鮒にあれ、鮎にあれ、其魚と飯とをまぜて、二三日或いは四五閒も経て、なれて食するものなるを、一夜にてなれて食するより云ふ、

とある(大言海)。この「酢」は、飯の中に魚介類を入れて漬ける「鮨」を指す。江戸時代後期『嬉遊笑覧』には、

むかしの酢は、飯を腐らしたるものにて、みな、源五郎鮒の酢の如し、早鮨とも、一夜ずしなり、料理物語、一夜ずしの仕様、鮎の酢を苞に入れ、焼火に炙りて、おもしを強くかくる、又は、柱に巻つけて、しめたるもよし、一夜にしてなるるといへり、

とある。寛永二〇年(1643)刊行の『料理物語』は、「一夜ずし」の仕様を、

鮎をあらひ、めしを常の鹽かげんよりからうして、うほに入れ、草づとにつつみ、庭に火をたき、つととともにあぶり、その上を、こもにて二三返まき、かの火をたきたる上におき、おもしを強くかけ候、又、柱に巻きつけ、強くしめたるもよし、一夜になれ候、

と書く。

つくりはじめて一日くらいで食べられる酢、

の意で、

はやすし、
なまなり、

とも言う(たべもの語源辞典)のである。ただ、「生成(なまなり)の鮨(鮓)」は、

十分な熟成を経ない半熟の鮨(鮓)ではあるが、飯を共に食するというものではなく、敢えて半熟状態のものを試みに賞翫するというもの、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8、飯を食べる今日の鮨とは異なる。

「早すし」は、酢を用いるようになって以後の「すし」をも指すので、何に対して早いかの意味が、少しずつ変わる。ここで「一夜ずし」を「はやすし」というのは、

なれずし、

に対して言っている。時代が下るとともに酒や酒粕、糀を使用したりと、寿司の発酵を早めるため様々な方法が用いられ即製化に向かい、1600年代からは酢を用いた例が散見されるようになり、鮨に酢が使われ、酢の醸造技術も進んできて、いよいよ発酵を待たずに酢で酸味を得て食する寿司が誕生し、まさに、

早寿司(鮨)、

が生まれることになる(仝上)。この場合は、「早鮨」は、

一夜ずし、

よりも早い、ということを意味する。酢を用いるようになると、

魚は沖鱛ほどにひらりと大きく切って、二時間ほど酢につけておく。引き上げて水気がなくなるまで乾かし、飯をきれいにこしらえて、一段一段に並べ、おしをよくして、二、三日たったら出す。こしらえた翌日も食べることが出来る、

とあり(たべもの語源辞典)、ここで飯を食べるスタイルになっている。「釣瓶鮨」は、この段階の鮨になる。

酢でしめた鮎の腹にご飯を詰めて桶に入れ、フタをして上からぎゅっと押さえつけ、5日間ほどかけて発酵させたなれずしのことです、

とあるhttps://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1148/のはその意味になる。桶の形が、井戸で水を汲み上げるときに使う釣瓶に似ていることから、この名がついた。

「釣瓶鮨」は、

弥助鮨、
吉野鮨、

とも言うが、特に、

吉野川のアユは吉野山の櫻の花びらを食べて育つ、

といわれ、別名、

桜鮨、

とも言われた(たべもの語源辞典)。

釣瓶鮨は室町時代の、『石山本願寺日記』に下市別院からの到来物と記されるなど、日記類に散見されるが、有名になったのは、竹田出雲の歌舞伎狂言の、

義経千本桜(延享三年(1746))、

の三段目の「すし屋」で、

俗称すし屋に登場する釣瓶鮨屋弥左衛門のところに平維盛が世を忍んで弥助という変名で雇人になっている、

という場面である。だから、

弥助鮨、

とも呼ぶようになった(仝上・語源由来辞典)。

釣瓶鮨 (2).jpg

(現在の釣瓶鮨 https://shimoichi-kanko.jp/person/person04.htmlより)

この芝居の舞台となった「つるべすし 弥助」は創業800年、今も実在する。代々「弥助」を名乗る主人も当代49代目とかhttps://www.kabuki-bito.jp/special/knowledge/todaysword/post-todaysword-post-233/

なお、「鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456254952.html、「一夜鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475989654.html、「飯鮨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475973752.html、「いなりずし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/469221526.html、については、それぞれ触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年04月09日

なじむ


「なじむ」は、

馴染む、

と当てる。

なれて親しくなる、

意である。それが転じて、

おなじみ、

というように、

馴染客の意でも使うし、メタファとして、

手になじんだ筆、

というように、

しっくりする、

意でも使う(仝上)。

なれしむの約、

とある(広辞苑・大言海)ので、

馴れ染むの義(日本釈名・柴門和語類集・国語の語根とその分類=大島正健)、

ということだろう(日本語源大辞典)。

馴れ親しむ(日本語原学=林甕臣)、
馴添(日本語源=賀茂百樹)、

は、「しむ(染む)」の意味の広がりからみて、別の文字を持ってくる必要はない。

「しむ」は、「しむ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463683479.htmlで触れたように、

染む、
沁む、
滲む、
浸む、

と、使い分けるが、

染色の液にひたって色のつく意から、あるものがいつのまにか他の物に深く移りついて、その性質や状態に変化・影響が現れる意、

である(広辞苑)。だから、

色や香り、汚れが付く→影響を受ける、

意へと広がり、さらに、その価値表現として、

感じ入る、親しむ→しみじみと落ち着いた雰囲気→気に入る→馴染みになる、

の意に広がり、その価値が変われば、

こたえる、
痛みを覚える、

という意にまでなる。物理的な色や香りや汚れが付く状態表現から、そのことに依って受ける主体の側の価値表現へと転じた、ということになる。だから、出発は、

染む、

と当てた、染まる意である。岩波古語辞典は、「染み」「浸み」と当て、

ソム(染)の母音交替形。シメヤカ・シメリ(湿)と同根。気体や液体が物の内部までいつのまにか入りこんでとれなくなる意。転じて、そのように心に深く刻みこまれる意、

とする。

ソム(染)の母音交替形です。シム、シミル、シメルなどと同源(日本語源広辞典)、
ソムに通ず(日本語源=賀茂百樹)、

も同趣旨だが、

シム(入)の義(言元梯)、
物の中に入り浸る意のシヅクとつながりがある(小学館古語大辞典)、

も意図は同じである。「しむ」は、

しめ(湿)す、

と同根、つまりは、

ぬらす、

のと同じ意であった、と見られる。

「染」(セン、漢音ゼン、呉音ネン)の字は、

会意。『水+液体を入れる箱』で、色汁に柔らかくじわじわと布や糸をひたすこと、

で(漢字源)、染める意である。「しみじみ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463638912.html?1547325377で触れたように、漢字「染」には、

しみる、
しみこむ、

という意や、しみじみのように、

心に深く感じ入る、

意はない。我が国だけの使い方である。別に、

会意文字です(氿+木)。「流れる水の象形と川が曲がって行き止まりになる象形」(「屈曲する穴の奥から流れ出る泉」の意味)と「大地を覆う木」の象形から、樹液などで「そめる」を意味する「染」という漢字が成り立ちました、

との説もあるhttps://okjiten.jp/kanji953.htmlが、あくまで「染める」意しかない。

「染」 漢字.gif


「なる」は、「なれる」の文語形だが、

慣る、
馴る、
狎る、
熟る、
穢る、

等々と当てる(広辞苑・岩波古語辞典)。意味は幅広く、

物事に絶えず触れることによって、それが平常と感じられるようになる意、

とある(広辞苑)。そのことから、

たびたび経験して常の事になる、

意と、

たびたび行ってそのことに熟達する、

意となり、

馴染みになる(「馴る」と当てる)、
馴染んで打ち解ける(「狎る」と当てる)、

意となり、それをメタファに、

衣類などが体になじむ、

意となり、そこから、

使い古す、

意となり、そのメタファで、

よく熟成する(「熟る」と当てる)、

意となり、

使い慣れた万年筆、

というように、

馴染む、

意と重なる使い方もある。一般には、「なる」は、

慣る、

と当てるが、「慣」(漢音カン、呉音ケン)は、

会意兼形声。貫は、ひとつの線で貫いて変化しない意を含む。慣は、「心+音符貫」で、一貫したやり方にそった気持ちのこと、

とあり(漢字源)、「なれる」意から、「慣習」というように、「いつもおなじことをするならわし」の意である。別に、

会意兼形声文字です(忄(心)+貫)。「心臓」の象形と「物に穴を開けつらぬき通す象形と子安貝(貨幣)の象形」(「物をつらぬく」の意味)から、1つの物事を心の働きを方を通して、「なれる」を意味する「慣」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji845.htmlが、趣旨ほぼ同じである。ただ、漢字としては、

倣、
習、

と対比される。

「慣」 漢字.gif

(「慣」 https://kakijun.jp/page/nare200.htmlより)

「慣」は、ならひ、なるるなり、大載禮「習慣如自然」、
「倣」は、效と同じ。先例にまねびてならふなり、
「習」は、重也と註す。そのことを幾遍となく重ねてならひ熟するなり。論語「學而時習之」、

とある(字源)ので、「慣」は、「なれる」意はあるが、「習う」「倣う」の「なれる」のようである。意味として重なる部分はあるが、「ならう(倣・習)」ことで、「なれる」のと、「なれる(馴・熟・狎)」ことで「なれる」のとでは、プロセスが異なる。本来、「なじむ」の「なる」は、

「狎」は、なれなれしく、なじむ儀。禮記「賢者狎而敬之」、
「馴」「擾」は、鳥獣のひとになれるをいう。淮南子「馬先馴而後、求良」漢書「劉累學擾龍」、

と(仝上)、どちらかというと、「なれなれしい」いの「なれる(馴・狎)」であり、「なれる」に当てる字としては、意味が限定される。

「熟」(漢音シュク、呉音ジュク、ズク)は、

会意。享は、郭の左側の部分で、南北に通じた城郭の形。突き通る意を含む。熟の左上は、享の字の下部に羊印を加えた会意文字で、羊肉に芯を通すことを示す。熟は丸(人が手で動作するさま。動詞の記号)と火を加えた字で、芯に通るまで柔らかく煮ること、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。「火」+音符「孰」、「孰」は「享」+「丸(←丮)」の会意。「享(古体:亯)」は「郭」の原字で、城郭の象形、「丮」は、両手で工事するさま。「孰」は城郭に付属して建物を意味していたが、音を仮借し、「いずれ、だれ」の意に用いるようになったため、元の意は「土」を付し「塾」に引き継がれた。古体は「𦏧」であり、「羊」が加えられており食物に関連。「享」が献上物をとおして、「饗」と通じていたことから、饗応のための食物をよく煮る意となったか。藤堂明保は、「享」に関して、城郭を突き抜けるさまに似る金文の形態及び「亨」の意義などから、城郭を「すらりと通る」ことを原義としていることから、熱をよく通すことと解している。なお、「亨」に「火」を加えた「烹」も「煮る」の意を有する、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%86%9F、さらに、

会意兼形声文字です(孰+灬(火))。「基礎となる台の上に建っている先祖を祭る場所の象形と人が両手で物を持つ象形」(「食べ物を持って煮て人をもてなす」の意味)と「燃え立つ炎」の象形から、「よく煮込む」を意味する「熟」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji971.htmlが、あくまで「熟」は、「煮る」意であり、果物などが「熟す」意であるが、それをメタファに、「習熟」というような、手慣れている意もある(漢字源)が、

なじむ、

の意の「なれる」の意はない。「馴」(漢音シュン、呉音ジュン)は、

会意兼形声。「馬+音符川」で、川が一定の筋道に従って流れるように、馬が従い慣れる、

意で(漢字源)、「なれる」というより、「ならす」の含意が強い。

「馴」 漢字 .gif


和語「なる」の語源は、

ナラス(均)・ナラフ(習)のナラと同根。物事に絶えず触れることによって、それが平常と感じられるようになる意、

とある(岩波古語辞典)ように、「ならう」も、

倣う、
習う、

と、

慣う、
馴う、

とを区別していない。たとえば、

ナレアフ(馴合)の義(日本語原学=林甕臣・菊池俗語考)、

というように、語源でも区別しない。だから、「なる(なれる)」も、

ナラフ(習)の義(和訓栞)、
ナラブ(並)の義に通ず。何となく事を繰り返して常となる意(国語の語根とその分類=大島正健)、

等々。

「ならう(倣・習)」ことで、「なれる」

のと、

「なれる(馴・熟・狎)」ことで「なれる」

のとでは、プロセスが異なる。どうやら、語源的には、一緒くたに「なる」「なれる」である。和語のいい加減さをよく示している。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:なじむ 馴染む
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2021年04月10日

鉄火味噌


「鉄火味噌」は、

赤味噌に細かく刻んだごぼうや炒り豆、ねぎ、砂糖、みりん唐辛子などを混ぜてごま油で炒めた、

もので(広辞苑・ブリタニカ国際大百科事典)、

嘗味噌の一種、

だが、形状は、

カラカラに乾燥したものもあれば、ペースト状のものもある、

とし、

大日本帝国陸軍のレシピ集である「軍隊調理法」や大日本帝国海軍のレシピ集でも取り入れられていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%81%AB%E5%91%B3%E5%99%8C

「鉄火味噌」の名は、

豆味噌を使ったことから来ている、

とか(仝上)、

味噌を油で炒めると赤みの光沢が増すところからその名がつけられた、

とか(ブリタニカ国際大百科事典)、

心の凶悪無残な者、粗暴なる者、乱暴者、鉄火肌の者をいった、鉄火者の「鉄火」からきた、

とか(たべもの語源辞典)、いろいろある。

鉄火味噌.jpg


「鉄火」については、「いなせ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/414618915.htmlで触れたように、

鉄火場、

つまり博奕場である。だから、

鉄火打、
とか、
鉄火博奕、

というと、

玄人相手の博打打ち、

を指し、転じて、

博徒、

そのものを指した(岩波古語辞典・江戸語大辞典)。

しかし、「鉄火肌」の「鉄火」は、

鉄火(鉄が焼かれて火のようになったもの)

という意味から来ているので、気性の激しさを言っている。

「鉄火」http://ppnetwork.seesaa.net/article/436546704.htmlでも触れたように、「鉄火」には、

鉄を熱くして真っ赤にしたもの、
戦国時代に罪の有無を試すために、神祠の庭前で熱鉄を握らせたこと。炎苦に耐えず投げ捨てたものを有罪とした、
刀剣と鉄砲、
弾丸の発射の火、
鉄火打の略。博徒。また博徒のようにきびきびして威勢のいいさま、侠客風、
鉄火丼の略、
鉄火巻きの略、

等々の意味がある(広辞苑)。「鉄火丼」「鉄火巻」は別とすると、本来、

真っ赤に焼けた鉄、

を意味した(岩波古語辞典)。そして、

鉄が赤く焼けている様や鍛冶仕事の火花でもあるが、そこから鍛冶の中でも神事や武士との繋がりが強い、刀鍛冶・鉄砲鍛冶を指すようになり、ひいては刀・鉄砲を表す。またその使用時には刀も鉄砲も火花を散らす事も鉄火を意味するようになった。そこから戦場や戦という意味に転じ、戦(いくさ)や死を意味する修羅場、または勝負事(賭け事)という意味を持つようになった、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%81%AB。「鉄火」には、中世・近世の日本で行われた神判の一種で、いつわりなければ熱鉄を握っても熱くないと、これを握って誠を誓う、

鉄火の誓言(せいごん)、

とか(江戸語大辞典)、相論の是非が定まらなかった場合に、神の判断を仰ぐ意図で、

相論の対象となる集団からそれぞれ代表者を指名し、代表者は精進潔斎の上に立会いの役人らの前で掌に牛王宝印を広げ、その上に灼熱した鉄(鉄片・鉄棒)を乗せて、それを歩いて神棚の上まで素手で持ち運びその完遂の度合いによって所属集団の主張の当否が判断された、

火起請(ひぎしやう)、
火誓(かせい)、
鉄火(てっか)、
鉄火起請(てっかきしょう)、

とかhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%B5%B7%E8%AB%8Bというように、

鉄火を執る、

というのが、

善悪正邪の判定法、

で、

鉄火裁判、
鉄火の裁判、

とも言った。これは、古く熱湯に手をさし込んでその正邪を神にただした、

盟神探湯(くかたち、くかだち、くがたち)、

の遺風とみられる(大言海)。

そう考えると、「鉄火」には、ただ、鉄が熱せられたという意味だけではなく、真偽、成否、是非を明らかにする、というニュアンスが色濃くあるのではないか、そこから、鉄火場につながる意味の筋があるように思える。

昔は、武内宿禰と甘内宿禰とが争って、熱湯に手をさし込んでその正邪を神にただした、ということがありますが、鉄火を執るということは、戦国時代によく言った言葉で、天神地祇に誓って、火で真赤に焼いた鉄を掴み、それで火傷をしない方を勝とする、善悪正邪の争いの時、鉄火を執っても自分の主張の正しいことを見せる、なんていうことがあった。一か八か、神祇の罰利生を覿面に見ようとする。テキパキ片づくところから、「鉄火」という言葉を生じた、

とする(三田村鳶魚)には理由がある。とみると、

鉄火丼、
鉄火巻、
鉄火味噌、
鉄火鮨、
鉄火飯、

等々は、

鉄火肌、

の「鉄火」のもつ、いささか、

伝法な、
侠気のある、
無法な、
勇み肌、

といった含意を持たせているのではないか。しかし、

鉄火場で食べた、
鉄火場で調理した、

というのは(日本語源広辞典)、いささか穿ち過ぎではあるまいか。

まっとうではない、
堅気ではない、
身を持ち崩した、

が、どこか、

ことさら侠気を示そうとする、
人目につく、
あか抜けていき、

といった含意を込められているではないか。だから、たとえば、

マグロの切身とおろしたワサビを芯にして巻いた海苔巻き、

の「鉄火巻」は、

マグロをぶつ切りにして巻くところから、身を持ち崩したヤクザの意の鉄火洒落たもの(すらんぐ=暉峻康隆)、

という説になる(日本語源大辞典)。

醤油を加えて炊いた飯(あぶらげ飯を指す場合もある)、

の「鉄火飯」も、

芝海老の身をそぼろにして酢飯の上に掛けた、

「鉄火鮨」も、

鮨飯に、おろしたワサビとマグロの切身をのせ、焼きのりを散らした、

「鉄火丼」も、江戸時代の『皇都午睡(みやこのひるね)』に、

芝えびの身を煮て細末にし鮨の上に乗せたるを鉄火鮓(ずし)と云うは身を崩してという謎なるべし、

とあり(江戸語大辞典・日本大百科全書)、

鉄火者的なところがある、

という(たべもの語源辞典)含意なのだろう。「鉄火味噌」にも、たしかに、本道から外した趣が無くはない。

江戸時代の『春色恵の花』に、

「鉄火味噌(みそ)に坐禅(ざぜん)豆梅干」とあり、鉄火みそは江戸時代からあった。色が赤く、辛味がきいているものにも鉄火の名がつけられた、

とある(日本大百科全書)が、「鉄火味噌」の作り方には、微妙な違いがあり、たとえば、

フライパンで細かく刻んだ根菜をカラカラになるまで油で炒める。味噌を入れて再びよく炒め、全体がパラパラになるまで炒める、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%81%AB%E5%91%B3%E5%99%8Cし、

ごぼうは、みじん切りにする(あるいは、短いささがき)。生姜はすりおろす。鍋にオイルを入れて火にかけ、ごぼうを入れて炒める。おろした生姜の半量も加えて弱火で焦がさないように混ぜながら炒め、味噌を加えて炒める。調味料を加えて、弱火で味がなじむように炒める。黒練りごまと残りの生姜、豆を入れて全体になじむように混ぜて炒める。味を調えて火を止め、ごま油を混ぜて、器に入れ炒りごまをちらす

ともありhttps://shop.henko.co.jp/goma-recipe/%E9%89%84%E7%81%AB%E5%91%B3%E5%99%8C%EF%BC%81/、さらに、

胡麻油を熱して最初に大豆を煎って、次に牛蒡、蓮根をこまかに刻んで入れ、するめをこまかに刻んで、煎った麻の実、こまかくした唐辛子をいっしょに打ち込み、よく煎って、赤味噌を砂糖・酒で調味して加え、練って混ぜ、手早く煮あげる、

ともある(たべもの語源辞典)。ま、「鉄火」には、本道はない。ただ、

マグロを用いた料理に鉄火の名がしばしば使われているが、天保(てんぽう)(1830~1844)中期以前にはすしにマグロは用いていない、

とある(日本大百科全書)し、

鉄火巻きの名称は明治以降、

また、マグロの角切りを丼(どんぶり)飯の上に置き、焼きのりをふりかけたものを鉄火丼(どん)と名づけたのは、

大正以後、

とみられる(仝上)とあり、「鉄火巻」は、大正十四年に出た『現代用語辞典』に、

通語の一、

とありhttps://japanknowledge.com/articles/asobi/16.html、まだ一般化していなかったとみられる。どうやら、「鉄火」な雰囲気だけで名づけただけで、「鉄火巻」の「鉄火」には深い意味はないようだ。

なお、「味噌」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471703618.html)については触れた。

参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年04月11日

鉄砲焼


「鉄砲焼」は、

魚・鶏肉・タケノコに唐辛子味噌をつけて焼いた料理、

を指す(広辞苑)。

アユ・フナ・ハヤなどを丸のまま山椒味噌を塗って焼いたものは、

土蔵焼、

という(たべもの語源辞典)が、

魚の上に塗るのでいう、

とある(仝上)。「鉄砲焼」の作り方も同じだが、

唐辛子味噌、

山椒味噌、

の違いで、「鉄砲」の名は、「鉄炮和(あえ)」が、

ぶつ切りにしたゆでたねぎと、魚・貝などと辛子酢味噌であえたもの、

だが、この「鉄砲」の名は、

ぴりりと辛子がきくのから、

とも、

食べると葱の芯がポンと抜けるのが鉄炮に似ているから、

ともいうが、

唐辛子がきく、
とか、
辛子がきく、

から名づけたとする(たべもの語源辞典)。しかし、どうもこれは疑わしい。『料理談合集』(享和元年(1801)~文化元年(1804))に、精進の「鉄砲焼」は、

筍を皮のまま生で根を切り離し、肉の節を抜いて、酒とたまり醤油をつぎ込んで、切り口を大根で塞いで。藁灰の中に入れて焼く。焼けたところを出して皮をむいて切る。中につぎ込んだ醤油が良くしみ込んで香味がよくなる、

とある、という(仝上)。この「鉄砲焼」は、

形が鉄砲に似ているから、

という。ここから「鉄砲焼」の名だけが引き継がれたのではないか。そうみれば、

食べると葱の芯がポンと抜けるのが鉄炮に似ているから、

とするのには意味がある。そう考えるには理由がある。

たとえば、「鉄砲漬」というものがある。千葉県内にはタケノコの鉄砲漬(筍の中にトウガラシ)、菜の花の鉄砲漬(瓜の中に菜の花。トウガラシなし)などなどいろいろな「鉄砲漬」があるが、正しい「鉄砲漬け」は、

白瓜の種の部分を抜き、ここにシソで巻いた 「青トウガラシ」を入れて醤油または味噌漬けにしたものです。発祥地は「千葉県成田」です、

とある(https://style.nikkei.com/article/DGXMZO13914750Q7A310C1000000?page=2)。唐辛子の辛さが由来と思いたいが、

周りの白瓜を鉄砲の筒に見立てて、中に入っているシソ巻き青トウガラシを弾丸に見立てる、

ところから「鉄砲漬け」と言う(仝上)、とある。筍の節を抜いた筒状を、「鉄砲」と名づけたのと同じである。

鉄砲漬け.jpg


「烏賊の鉄砲焼」というのもあるが、

青森県下北半島や石川県能登、富山等々の郷土料理、で、いかの足を細かく切り、これにわたとみそを合わせて胴に詰めて焼いたもの。輪切りにして食べる、

とあり、これも同じ見立てなのではないか、という気がする。「鉄砲和え」も、「からしが効く」からではなく、

ネギの芯 (しん) が抜けるのが鉄砲に似る、

ところからではないか(デジタル大辞泉)。

スルメイカの鉄砲焼き.jpg

(スルメイカの鉄砲焼 https://www.toyama-sakana.jp/recipe/ika3/より)

「鉄砲巻」は、

干瓢を芯にした細い海苔巻、

だが、これも、

形が鉄砲の砲身に似ている、

というのが名前の由来である(広辞苑)。

短筒.jpg


「鉄砲」は、

鉄炮、

とも当てるが、多くは大筒ではなく、小銃を指す。この形をなぞって、

鉄砲釜、

というものがある(岩波古語辞典)。

鉄砲風呂と五右衛門風呂.jpg

(鉄砲風呂と五右衛門風呂 https://www.nasluck.co.jp/useful/bath/history/より)

据え風呂・風炉に装着して火を焚く金属製の円筒、

である(仝上)。幕末の『守貞謾稿』にも、

銕炮風呂と号て桶中の側に銅筒を立る、内に銕簀を納る、銅筒無底にて火勢を助く、是には炭を専らとし希には薪にても焚之、

とある(江戸語大辞典)し、

たっぷりの湯に首までつかる「据え風呂」ができたのは、慶長年間の末ころ。据え風呂は蒸気や薬湯ではなく、井戸水を沸かして入れるので「水(すい)風呂」とも呼ばれ、一般の庶民の家庭に広まります。湯舟は湯量が少なく済むよう、人一人が入れるほどの木桶を利用。浴槽の内側の縁に通気口のついた鉄製の筒をたて、この中に燃えている薪を入れます。通気口から入る風で薪が燃え続け、鉄の筒が熱せられることによって湯が沸く「鉄砲風呂」が発明され、江戸の主流となりました、

とあるhttps://www.nasluck.co.jp/useful/bath/history/。関西では、桶の底に平釜をつけ、湯をわかす「五右衛門風呂」が主流だったらしい。

このように、多く「鉄砲」の名がつくのは、

砲身と弾丸、

に準えたもののように思える。ただ例外は、

鉄砲汁、

で、これは、

河豚汁、

を指す(広辞苑)。

鉄炮と名にこそ立てれ河豚(ふくと)汁(元禄十六年(1703)『たから船』)、

という句がある。

河豚は当たると死ぬ、

のが「鉄砲」の名の由来らしいhttps://japanknowledge.com/articles/asobi/16.html

曲がり鉄砲、

とも言うが、河豚の刺身を、

テッサ、

河豚のちり鍋を、

テッチリと言うのは、

鉄砲の刺身・鉄砲のちり鍋の略、

とある(仝上)。因みに、「鉄砲」には、

法螺、
嘘、

の意味があるが、江戸初期から使われ、

人を驚かすから、文化九年(1813)の式亭三馬『浮世風呂』にも、

「イヤイヤ、飛八さんの話はいつも鉄炮だて」

と使われている(仝上)。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:鉄砲焼
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2021年04月12日

さしみのつま


「さしみ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453881536.htmlの「つま」は、

妻、

と当て、

刺身や吸物などにあしらいとして添える、野菜・海藻などのつけあわせ、

であり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%BE・広辞苑)、

主要なものを引き立てる軽く添える、

意として、

話のつまにされる、

等々とも使い、

ツマ、

とも表記し、

具、

とも当てる(仝上)。

刺身の盛り合わせ.jpg

(刺身盛り合わせ。「つま」として使われている大根と人参、大葉、食用菊、パセリ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%BEより)

「つま」は、「つま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/443211797.html?1615959193で触れたように、

妻、
夫、
端、
褄、
爪、

と、当てて、それぞれ意味が違う。

爪、

と当てて、「つま」と訓むのは、「つめ」の古形で、

爪先、
爪弾き、
爪立つ、

等々、他の語に冠して複合語としてのみ残る。岩波古語辞典は、「つま(爪)」は、

端(ツマ)、ツマ(妻・夫)と同じ、

とし、

端、

は、

物の本体の脇の方、はしの意。ツマ(妻・夫)、ツマ(褄)、ツマ(爪)と同じ、

とする。その意味は、「つま(妻・夫)」を、

結婚にあたって、本家の端(つま)に妻屋を立てて住む者の意、

つまりは、「妻」も、「端」につながる。さらに、「つま(褄)」も、

着物のツマ(端)の意、

とあり、結局「つま(端)」につながることになる。これだけなら簡単なのだが、大言海は、「つま(端)」を、

詰間(つめま)の略。間は家なり、家の詰の意、

とし、「間」には、もちろん、いわゆる、

あいだ、

の意と、

機会、

の意などの他に、

家の柱と柱との中間(アヒダ)、

の意味がある。さらに、「つま(妻・夫)」も、

連身(つれみ)の略転、物二つ相並ぶに云ふ、

とあり、また、「つま(褄)」も、

二つ相対するものに云ふ、

とし、

「つま(妻・夫)」の語意に同じ、

とある。

つまり、「つま」には、

はし(端)説、

あいだ説、

があるということになる。ただ、「つめ」だけは、大言海は、

端(つま)の意。橋端をハシヅメ、軒端をノキヅマと云ふ類、

とし、これのみ、

はし(端)説、

を採っているのが一貫しない気がするが。

当然、「つまようじ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444901278.htmlで触れたように、「つまようじ」の「つま」も、

はし(端)説、

あいだ説、

があり、

爪楊枝、

とともに、

妻楊枝、

と当てたりする。

はし、

関係(間)、

の二説、いずれとも決め手はないが、「さしみのつま」の「つま」の使われ方からすると、

物二つ相並ぶに云ふ、

意ではなく、

物の本体の脇の方、はし、

の含意がある。ただ、「つま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/443211797.html?1477684696でも書いたが、上代対等であった、





の関係が、時代とともに、「妻」を「端」とするようになった結果、

対の関係、

が、

つま(端)

になったように思われる。たべもの語源辞典は、「つま」の、

ツは連(ツラ)・番(ツガフ)のツ、
マは身(ミ)の転、

とし、「連身」説を採っている。因みに、

「あちこちに女を持つヤチホコ神に対して、『后(きさき)』であるスセリビメは、次のように歌う。
 やちほこの 神の命(みこと)や 吾(あ)が大国主
 汝(な)こそは 男(を)に坐(いま)せば
 うちみる 島の崎々(さきざき)
 かきみる 磯の崎落ちず
 若草の つま(都麻)持たせらめ
 吾(あ)はもよ 女(め)にしあれば
 汝(な)を除(き)て 男(を)は無し
 汝(な)を除(き)て つま(都麻)は無し」(三浦佑之)

とあり、あるいは、ツマは、

対(つい)、

と通じるのではないか、という気がする。「対(對)」(漢音タイ、呉音ツイ)は、

会意。左側は業の字の上部と同じで、楽器を掛ける柱を描いた象形文字。二つで対をなす台座。對はその右に寸(手、動詞の記号)を加えたもので、二つで一組になるように揃える。また二つがまともにむきあうこと、

とあり(漢字源)、別の解釈では、

会意文字です(丵+又)。「上がノコギリ歯の工具(のみ)」の象形と「右手」の象形から王(天子)の命令である言葉に「こたえる」・「むきあう」を意味する「対」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji513.htmlが、呉音由来で、

二つそろって一組をなすもの、

である(漢字源)。『大言海』は、「つゐ(対)」について、

「むかひてそろふこと」

と書く。

「刺身につま」というときは、

具、

とも当てるが、その「つま」を分解すると、

けん、
つま、
辛味、

の三種となる(たべもの語源辞典)。「けん」は、

「間」か「景」の訛りかと思われるが確かでない。「けん」は「しきづま」と呼ばれるもので、白髪大根・胡瓜・ウドの千切り、オゴノリなど、

とあり、別に、「けん」とは、

「剣」であり、鋭く細長いの意です。「三寸」長さに切って食べやすくし、また彩りや造り身の脇役としても欠かせません。大根のけんは【白髪】と献立に書くのが普通です。大根以外にも、ウド、カボチャ、ジャガイモ、キュウリ、ニンジン、カブラなんかも使います。極千切りにして、刺身の横に剣のように立てて盛ります、

という説もあるhttps://temaeitamae.jp/top/t6/b/japanfood3.06.html。「つま」は、

芽ジソ、防風など前盛りとしてあしらうもの、

であり、「辛味」は、

ワサビ・ショウガなど、

を指す(仝上)。江戸時代の料理書には、「つま」に、

交、
具、
妻、

等々を当て、「具(つま)」には、

大具(おおつま)、
小具(こつま)、

があり、「交(つま)」は、

取り合わせ、
あしらい物、

の意であり、

配色(つま)、

とも書く(たべもの語源辞典)。こうみると、

主役と脇役、

は、対である。

料理のあしらいとして添えるもの、

と位置づけたのは、対から下がった「妻」の字の影響かもしれない。

参考文献;
三浦佑之『古代研究-列島の神話・文化・言語』(青土社)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年04月13日

つみいれ


つみいれ

「つみいれ」は、

摘入れ、
抓入れ、

とあてる(大言海・広辞苑)。約して、

つみれ、

とも言うが、「つみれ」は、

摘入、
抓入、

と当てる(広辞苑)。

魚の擂り身に卵・小麦粉・塩などをすり合わせ、少しずつすくい取り、ゆでたもの、

である(仝上)。鍋の具や汁の実とする。

つみれ.png


少しずつ摘み取りて、汁に入れて煮たるもの、

とある(大言海)、「摘み入れ」から来たものかと思われるが、

つみいれかまぼこの略、

とあり、『江戸料理集』(1674)は、

すり身のつまみ取り方によって、つみいれを7種類にも分けている、

とあるhttps://www.excite.co.jp/dictionary/ency/content/%E3%81%A4%E3%81%BF%E3%81%84%E3%82%8C)。

うどんの抓入れ、

ともあるので、

捏ねたる小麦粉、

を、少しずつ摘み取りて入れたものもあったようである(大言海)。ただ、江戸語大辞典には、

魚肉を擂り潰し、少しずつつまみとって汁に入れて煮たもの、汁は味噌汁が通例、

と、魚肉になっている。高級品は、

スズキ、
キス、

を原料とし、一般には、

サバ、
アジ、
イワシ、

を用いる(たべもの語源辞典)、とある。始めたのは、文化七年(1810)の『飛鳥川』(八十九翁著)に、

筋違外(すじかいそと)の大丸という料理屋、

とある(仝上)。幕末の『守貞謾稿』によると、

「つみいれ」は京阪にはなかった、

らしく、昔は、

「うけいれ」といい、鯛肉すって小梅実の大きさにつくり、冬は味噌汁にこれを入れ、みぞれの吸物といった、

とある(仝上)。江戸では、「はんぺん」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479729382.htmlと同じ品の魚肉で、四季ともに味噌汁に用い、粗製の膳に用いた、とある(仝上)。「うけいれ」は、

うけ煎(うけいり)、

ともいい、室町末期成立の『庖丁聞書』に、

タイのすり身を小梅ほどにまるめてゆでるもので、これを入れたみそ汁を冬は〈みぞれの吸物〉といった、

とある(世界大百科事典)。

「つみいれ」と似たものに、「つくね」があり、魚のすり身で作った物を、

つみれ、

鶏や豚などのひき肉で作った物を、

つくね、

と分けることもあるが、元々は調理法が違い、「つくね」は、

手で捏ねて形を整えた状態のもの、

「つみれ」は、

手やスプーンなどでつまみとった状態もの、

をいう(由来・語源辞典)とある。

「つみいれ」の「つむ」は、「摘む」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465356690.htmlで触れたように、

集む、
詰む、
摘む、
抓む、
積む、
切む、
齧む、

と当て分けているが、

摘む、

とあてる「つむ」は、

抓む、

とも当てる。

指先または詰め先で挟み取る、
つまみ切る、

意であるが、転じて、

ハサミなどで切り取る、刈り取る、

意でも使うし、

爪先や箸で取る、

意にも使う。更にそれに準えて、

摘要、

の意にも広げる。

「摘」(漢音テキ、タク、呉音チャク)の字は、

「会意兼形声。帝は、三本の線を締めてまとめたさま。締(しめる)の原字。啻は、それに口を加えた字。摘はもと『手+音符啻』で、何本もの指先をひとつにまとめ、ぐいと引き締めてちぎること」

とあり、「指先をまとめてぐっとちぎる、つまむ」意である。

「抓」(漢音ソウ、呉音ショウ)の字は、

「会意兼形声。爪(ソウ)は、指先でつかむさま。抓は『手+音符爪』で、爪の動詞としての意味をあらわす」

で、「つまむ、つかむ」意である。

「つむ」は、

つま(爪)を活用させた語、

である(広辞苑)。

指の先で物を上へ引っ張り上げる意。転じて、植物などを指の先で地面から採取する意、

ともある(岩波古語辞典)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2021年04月14日

つくね


「つくね」は、「つみいれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480975139.html?1618253464で触れたように、

魚のすり身で作った物を、

つみれ、

鶏や豚などのひき肉で作った物を、

つくね、

と分けることもあるが、元々は調理法が違い、「つくね」は、

手で捏ねて形を整えた状態のもの、

「つみれ」は、

手やスプーンなどでつまみとった状態もの、

をいう(由来・語源辞典)。

つくね.jpg


「つくね」は、

捏ね、

とも当て、

つくぬ(捏ぬ)、

からきている。

手でこねて丸める、

意で、

乱雑に積重ねる、

意もある(岩波古語辞典)が、

たばねる、

意もある(江戸語大辞典)。この口語体が、

つくねる(捏ねる)、

である。「つくねる」の語源は、はっきりしないが、

つか(束)ぬの訛りか、

とする説がある(大言海)。

上方語でツカネル(束ねる)をツクネル、

という(日本語の語源)ともあるので、意味から見ても、

ツカネル(つかぬ)→つくねる(つくぬ)、

と転訛したことになる。「つかねる」は、文語で、

つかぬ、

だが、

ツカ(束・柄)と同根、

とあり、

物を一つにまとめてくくる。ひとつにまとめたばねる、

意である。名義抄には、

束、ツカヌ、

とある。

握(つか)を活用せさする語(大言海)、
つかむ(掴)と同根(小学館古語大辞典)、

と、「つかむ」とつながり、「つかむ」は、

束・柄と同根(岩波古語辞典)、

と「つかぬ」に戻る。「つくぬ」の語源が、

束(つか)ねる、

からきていることを示している。「つかねる」は、

たばねる、

意の他に、

手をつかねる、

と、

手(腕)をこまぬ(ね)く、

と、傍観の意でも使うのが面白いが、「こまぬく」は、

拱く、

と当て、説文に、

拱、斂(おさむる)手也、

とあり、

両手を腹の上にて組み合す(敬礼なり)、

とある(大言海)、中国風の礼からきている。

「つくねる」は、また、

でっちる、

ともいう(大言海)。「捏ち上げる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480825365.html?1617476126で触れたように、「でっちる」は、

捏、

の字を当て、

こねる(こぬ)、

とも訓ませる。

粉や土などに水分を加えて練り混ぜる、

意で、名語記には、

粉を水に和するをこぬと言へり、

とある(岩波古語辞典)。これをメタファに、今日、

理窟をこねる、
ただをこねる、

というように、

筋の通らない理屈などを繰り返ししつこく言う、
とか、
無理なことをあれこれ言って困らせる、
とか、
あれこれと考えてみる、

等々(デジタル大辞泉)の意でも使う。これは、

つくねる、

とは別由来で、

コ(接頭語、小手で)+ネル(練る)(日本語源広辞典)、
粉練るの、口語調に成れる語なるべし、粉成す、粉熟(こな)れる、同趣の語なり(大言海)、

等々、その行為からきているようである。

「捏」(漢音デツ、呉音ネツ・ネチ)は、

会意兼形声。旁(つくり)は「土+音符日」からなる形声文字で、ねばる土のこと。捏はそれを音符とし、手を添えた字で、粘土をこねること、

とあり(漢字源)、「こねる」意で、泥など、柔らかい物を手でこねる意から、「捏造」と使う(漢字源)。その意味では、

こねる、
つくねる、
でっちる、

に当てたのには意味がある。

「捏」 漢字.gif


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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ラベル:つくね
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2021年04月15日

ゐる


「ゐ(い)る」は、

居る、

と当てるが、

動くものが一つの場所に存在する意、現代語では動くと意識したものが存在する意で用い、意識しないものが存在する意の「ある」と使い分ける、

とある(広辞苑)。「ある」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/467053373.html?1616713488)は、

ものごとの存在が認識される。もともとは、人・動物も含めその存在を著したが、現代語では、動きを意識しないものの存在に用い、動きを意識して「いる」と使い分ける。人でも、存在だけをいう時には「多くの賛成者がある」のように「ある」ともいう、

とある(広辞苑)。「ある」は、

空間的時間的に存在し持続する意が根本で、それから転じて、…ニアリ、…トアリの形で、…であるという陳述を表す点では英語のbe動詞に似ている。ニアリは後に指定の動詞ナリとなり、トアリは指定の助動詞タリとなった。また完了を表すツの連用形テとアリの結合から助動詞タリ、動詞連用形にアリが結合して(例えば、咲キアリ→咲ケリ)完了・持続の助動詞リ、またナリ・ナシ(鳴)の語幹ナ(音)とアリの結合によって伝聞の助動詞ナリが派生した、

とあり(岩波古語辞典)、漢字の「在」と「有」が、

「有」は、無に対して用ふ、
「在」は、没または去と対す、

と使い分ける(字源)が、

語形上、アレ(生)・アラハレ(現)などと関係があり、それらと共通なarという語幹を持つ。arは出生・出現を意味する語根。日本人の物の考え方では物の存在することを、成り出る、出現するという意味でとらえる傾向が古代にさかのぼるほど強いので、アリの語根も、そのarであろうと考えられ……る、

と(岩波古語辞典)、和語「ある」は、「有」、「在」の意味をともに持つ。

「居」 漢字.gif

(「居」 https://kakijun.jp/page/0871200.htmlより)

「ゐる」は、

立つの対、

とあり(仝上)、

すわる意、類義語ヲリ(居)は、居る動作を持続し続ける意で、自己の動作ならば卑下謙譲、他人の動作ならば蔑視の意がこもっている、

とある(「立つ」http://ppnetwork.seesaa.net/archives/20140615-1.htmlについては触れた)。

「居る」は、上記のように、

を(お)る、

とも訓ませるが、「を(お)る」は、

をり(居)の転、

であり(大言海)、「をり」は、

居有(ゐあ)りの転(大言海)、
坐(ゐ)有りの転(岩波古語辞典)、

等々、当てる字は違うが、

「ゐる」と「ある」との結合したもの、本来「ゐる」はある場所にすわること、「ある」は、継続存在することを意味する、

と(日本語源大辞典)、

そこにずっといる、

意で、

人がじっと坐り続けている意、転じて、ある動作をし続ける意、奈良時代には、自己の動作について使うのが大部分で、平安時代以後は、例が少なく、自己の動作の他、従者・侍女・乞食・動物などの動作に使うのがほとんどを占めている。低い姿勢を保つところから、自己の動作については卑下、他人の動作については、蔑視の気持をこめて使う。中世以後、四段に活用、

とある(岩波古語辞典)。

さて、この「ゐる」は、

「ヰ・ウ(居)」、つまり動かないさま、

が語源(日本語源広辞典)、とある。岩波古語辞典は、「ゐ」に、

居、
坐、

を当てて、

立つの対、すわる意、

とする。

動かないさま、

が語源、

住む、止まる、集まる、坐るが「居る」の語源、

とある(日本語源広辞典)。これだと分かりにくいが、

もとは動かぬ意のヰルが、転じて住む、止まる、集(ゐ)る、坐るの義に広がった、

のであり(日本語源大辞典)、「ゐ」に、

居、
坐、

を当て(岩波古語辞典)、

じっと動かないでいる、低い姿勢で静かにしているのをいうのが原義、

なので(デジタル大辞泉)、

「立ち」の対、

とする(岩波古語辞典)のはその故である。だから、

もとは、動かぬ意のヰルが、転じて住む、止まる、集(ゐ)る、坐るなどの義に広がった(国語の語根とその分類=大島正健・豆の葉と太陽=柳田國男)、

といった語源説になる。

「居」 金文.png

(「居」(金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%85より)

「ゐる」に当てる「居」(漢音キョ、呉音コ)は、

会意兼形声。「尸(しり)+音符古(=固、固定させる、すえる)」で、台上にしりを乗せて、腰を落ち着けること。踞(キョ 尻をおろして構える)の原字、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(尸+古)。「腰掛ける人」の象形と「固いかぶと」の象形(「古い」意味だが、ここでは「固(コ)」に通じ(同じ読みを持つ「固」と同じ意味を持つようになって)、「しっかりする」の意味)から、しっかり座るを意味し、そこから、「いる」を意味する「居」という漢字が成り立ちました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji888.html

「坐」(漢音サ、呉音ザ)は、

会意。「人+人+土」で、人が地上に尻をつけることを示す。すわって身丈を短くする意、

とある(漢字源)。別に、

会意文字です(人+人+土)。「向かい合う人の象形と、土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形(「土」の意味)」から、向かい合う2人が土にひざをつけて「すわる」を意味する「坐」という漢字が成り立ちました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2404.html

なお、入る、要る、炒る、煎る、射る、鋳る、率る、沃る等々と当てる「いる」については「いる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450380300.html?1616486835で触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:ゐる 居る ある おる
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2021年04月16日

苞豆腐


「苞豆腐(つとどうふ)」は、

水切りした豆腐をすりつぶし、棒状にして、わらづとなどに入れ、固く締めて蒸したもの、

とあり(広辞苑)、

菰(こも)豆腐、

とも(仝上)、

しの豆腐、

ともいう(たべもの語源辞典)、とある。というのは、

わらの他にイグサやシノなどを束ねたつとを使うから、

とあるhttps://kondate.oisiiryouri.com/japanese-food-tsutodoufu/

苞豆腐.jpg

(苞豆腐 http://www.zouni.jp/tsuto/より)

つとどうふ.jpg

(小口切にした苞豆腐 http://www.zouni.jp/tsuto/より)

「苞豆腐」には、

豆腐の水をよく絞ってから、甘酒をすりまぜ、棒のようにして、竹簀(タケス)で巻いたものを蒸し、小口切りにして出す、

あるいは、

豆腐一丁に、つくね芋をひとかぶおろして、豆腐の水気をよくしぼったものとすり合わせ、小麦粉を少し交ぜ、藁に巻き、湯煮してから煮しめ、切って用いる、

あるいは、

豆腐を絞って、葛粉をいれて、すり鉢ですって、布に包んで苞に包み、蒸してから、苞を採って生醬油で煮る、油で揚げることもある、

あるいは、

豆腐を手で崩して、納豆苞の中に詰めて、藁できっちり結び、塩を加えた湯の中でよく煮る。さめたところで取り出して、小口きりにする。それを出し、砂糖・醤油で煮ふくめ、煮汁の中に加える、

等々、さまざまな作り方、利用法がある(仝上)。

「苞」は、

苞苴、

とも当て(「苞苴」は「ほうしょ」とも訓む。意味は同じ)、

わらなどを束ねて物を包んだもの、

で、

藁苞(わらづと)、
荒巻(あらまき 「苞苴」「新巻」とも当てる)、

とも言う(広辞苑)が、「苞」には、

土産、

の意味がある(広辞苑)のは、

歩いて持ってくるのに便利なように包んできたから、

という(たべもの語源辞典)。土産の意では、

家苞(いえづと)、

ともいう(広辞苑)。「苞」は、また、

すぼづと、

ともいう(たべもの語源辞典)が、

スボというのはスボミたる形から呼ばれた、

かららしい(仝上)。

「苞」(つと)は、「つつむ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/467683799.htmlで触れたことだが、

ツツム(包)のツツと同根、包んだものの意、

とある(岩波古語辞典)。

包(ツツ)の転(大言海)、
ツツムの語幹、ツツの変化(日本語源広辞典)、

と、「つつむ」とつながる。

苞に包まれだつと豆腐.jpg


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年04月17日

菜の花


「菜の花」は、

アブラナ(油菜)、ナタネナ(菜種菜)、ハナナ(花菜)、

と呼ぶ、

アブラナ科アブラナ属の花の総称、

を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%9C%E3%81%AE%E8%8A%B1・広辞苑・たべもの語源辞典)が、特に、

アブラナまたはセイヨウアブラナ、

の別名としても用いられる(仝上)。花びらが4枚で十文字に咲くことから、

十字花科植物の花、

とも呼ばれる、

アブラ菜、コマツ菜、カブ、白菜、キャベツ、チンゲン菜、ブロッコリー、カリフラワー、葉牡丹、大根、カラシナ、ザーサイ、

等々、普段は花が咲く前に収穫されるが、種子を採るため、または放置されたまま成長を続けると花が咲いてくる。
アブラナ属以外のアブラナ科の植物には白や紫の花を咲かせるものがあるが、これを指して「白い菜の花」「ダイコンの菜の花」という(仝上)、とある。

菜の花.JPG

(菜の花)

「菜」は、

葉・茎などを食用とする草本類の総称、

であり(広辞苑)、特に、

総菜、

というように、

副食物とする草の総称、

とされる(日本語源大辞典)。最古の部首別漢字字典(100年)『説文解字』に、

草可食者、曰菜、

とある。

「菜」 漢字.gif

(「菜」 https://kakijun.jp/page/1164200.htmlより)

「菜」(サイ)は、

会意兼形声。「艸+音符采(=採 サイ、つみとる)」。つみなのこと、

とあり(漢字源)、「食用とする草本類」「あぶらな」「副食物」と、ほぼ和語の「な」の使い方と重なる。

しかし、「肴」http://ppnetwork.seesaa.net/article/477167042.htmlで触れたように、和語「な」は、

菜、
肴、
魚、

を当てた。「さかな」の語源が、

酒菜(さかな)の意、

とされるように(広辞苑)、「な(肴・菜)」は、平安時代から使われ、

サカは酒、ナは食用の魚菜の総称(岩波古語辞典)、
酒+ナ(穀物以外の副食物)、ナは惣菜の意(日本語源広辞典)、
「菜」(な)は、副食物のことを指し、酒に添える料理(酒に添える副菜)を「酒のな」と呼び、これが、なまって 「酒な」となり、「肴」となったhttp://hac.cside.com/manner/6shou/14setu.html
「酒菜」から。もともと副食を「な」といい、「菜」「魚」「肴」の字をあてていた。酒のための「な(おかず)」という意味である。「さかな」という音からは魚介類が想像されるかもしれないが、酒席で食される食品であれば、肴となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%B4

等々と、「な(肴)」も「な(菜)」も、

食用とする魚菜の総称(大言海)、

の意で、

酒を飲むとき、副食(アハセ)とするもの、魚、菜の、調理したるもの、其外、すべてを云う、

とされた(仝上)が、いま「肴(さかな)」は、

今、専ら、魚を云ふ、

ようになり、「菜」は、

草本類、

を指すように分化した。

だから、「な(菜)」は、

肴(な)と同源、

であり(広辞苑)、「菜」と「肴」と漢字をあてわけるまでは、

な、

で、

野菜・魚・鳥獣などの副食物、

を全て指し、

さい、
おかず、

の意であった(岩波古語辞典)。かつては、

おめぐり、
あわせもの、

とも言った。「あわせもの」は、

飯に合わせて食うことから、

いう(日本食生活史)。古今著聞集に、

麦飯に鰯あはせに、只今調達すべきよし、

とある(仝上)。

「菜」の字を当てることで、「菜(な)」は、

葉・茎・根などの食用とする草木、

と分離し、今日では、「菜」(な)は、

あぶらな類の葉菜、

に限定するようになる(広辞苑)。そして、

魚類のことを「さかな」と呼ぶのは、肴から転じた言葉であり、酒の肴には魚介類料理が多く使用されたためである。古くは「うを」(後に「うお」)と呼んでいたが、江戸時代頃から「さかな」と呼ぶようになった、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%B4

「な」は、だから、「な(肴)」の語源も、たとえば、

ナム(嘗)の義(大言海)、

「な(菜)」の語源も、

ナム(嘗)の義(日本釈名・和訓栞・大言海)、

「な(魚)」の語源も、

ナム(嘗)の義(大言海)、

等々同じになる。「な(菜)」の語源が、

肴(な)、

で、「な(肴)」の語源が、

菜(な)(言元梯)、

でもおかしくはない。

因みに「菜の花」は晩春の季語、

菜の花や 月は東に日は西に(蕪村)
なの花にうしろ下りの住居かな(一茶)

等々があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%9C%E3%81%AE%E8%8A%B1

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:菜の花
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2021年04月18日

すっぽん煮


「すっぽん煮」というものがあるらしい。

鼈煮、

と当て、本来は、

スッポンを煮たもの、

を指したが、

ナマズ、エイなどを濃厚な味の汁でささがき牛蒡などと共に似て、スッポンの味に似せたもの、

を意味し、

すっぽんもどき、

ともいう(広辞苑)、とある。どちらかというと、「鼈煮」を、

すっぽんもどき、

と呼び、

スッポンの味に似せた煮物の一種。ぶつ切りの魚を油でいり、酒・みりん・醤油・砂糖で味付けし、ネギ、ゴボウなどとともに煮て、ショウガの絞り汁をふりかける。魚はナマズ、アカエイ、コチ、オコゼなど白身のものが多く用いられる。本来はスッポンの脂を使用、

とある(百科事典マイペディア)ところをみると、「鼈煮」に似せたものを、

鼈煮、

と呼んでいる気配である。

すっぽん煮.jpg


すっぽんは生臭いため、煮込み料理を作る際、大量の日本酒と生姜汁を使って仕立てます。そこから転じて、たっぷりのお酒でコクのある味に仕立てた煮込み料理を「すっぽん煮」と呼ぶようになりました、

とあるhttps://jp.sake-times.com/enjoy/food/sake_g_cooking_suppon。で、「すっぽん煮」の具材は、すっぽんに限らず、

弱火でじっくり煮込むということで、長時間煮込んでもぱさつきにくい、ゼラチン質の多い素材に適した料理法、

とある(仝上)。もちろん、「すっぽん」そのものを使い、

スッポンは、おろしたあと霜降りをして薄皮を丁寧にむき取り、油で炒めたり、揚げたりしたものを酒、醤油、砂糖、みりんなどで煮つめます。そして、仕上げに搾りしょうがを加える、

とあるhttps://cookpad.com/cooking_basics/7118が、

骨付きの鶏肉やうずら肉を使う場合が多い、

とある(仝上)。因みに、「霜降り」とは、

肉や魚などを調味する前に、沸騰したお湯にさっと通すか熱湯をかけることで、素材のもつ臭みを抜くこと。身をしめてうまみを逃げにくくなる効果もあります、

とあるhttps://cookpad.com/cooking_basics/7118

ただ、「すっぽん煮」には、

ナマコの料理に「すっぽう」という煮方があり、このすっぽう煮が「すっぽん煮」と混同した、

とする説がある(たべもの語源辞典)。

「煮しめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480533264.htmlで触れたが、すっぽん料理には、「筑前煮」の別名とされる、

がめ煮、

がある。これは、秀吉が、文禄元年(1592)に、

博多の入江や沢にスッポンが多くいたので、これと野菜を一緒に煮て食べた、

らしいが、スッポンは川龜、またはドロガメというので、

ガメ煮、

といった(たべもの語源辞典)、とある。後には、スッポンの代わりに鶏肉を使い、

人参や牛蒡ヤコンニャクや筍などを甘煮(うま煮)にするようになった、

とある(仝上)。ただ、「がめ煮」については、

筑前煮同様、鶏肉と野菜などを炒めてから甘辛く煮た福岡県の郷土料理、

ではあるが、

「寄せ集めの」という意味を持つ方言「がめくり込む」から来ているという説、

もあり、一般には、がめ煮は、

骨付きの鶏肉、

使うhttps://delishkitchen.tv/articles/407、ともある。「鼈煮」との違いは、「がめ煮」が、

具材を全て炒める、

ところにあるのかもしれないが、時代によって変化し、「鼈煮」も、

魚類を濃いつゆで煮た物から、魚類をごま油で揚げて、調味料で煮たものになった、

とある(たべもの語源辞典)ので、違いは、具の違いなど微妙になってきている。

なお、「鼈(すっぽん)」については「月と鼈」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470570777.htmlで触れた。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年04月19日

スッポン


「スッポン」は、

鼈、

の意であるが、これに準えた、

歌舞伎の舞台で、花道の七三(しちさん)に設けた切穴(きりあな)、

を指し、

奈落から花道へ役者をせり上げるためのもの、

をいう(広辞苑・江戸語大辞典)。「七三」とは、

「七三」とは揚幕(楽屋の出入り口にかかる幕)から七分、本舞台から三分の位置のこと、

で(http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/suppon.htm・広辞苑)、ここで、見得を切ったりする(広辞苑)。「奈落」は、花道の下や舞台の床下の地下室。回り舞台やせり出しの装置がある(仝上)。「七三」の位置は、

現在は舞台から3分、揚幕から7分(実際にはもっと舞台に近い)となっているが、古くは揚幕から3分の位置だったといわれる。花道にある〈スッポン〉は原則として人間以外の精や霊、妖怪、怨霊、忍術使いなどの出入りに用いる〈セリ上げ〉〈セリ下げ〉の機構である。すなわち、花道を歩かせない形で、効果的、印象的に役者を出没させるために案出されたものにほかならない、

とある(世界大百科事典)。人間以外の精や霊、妖怪、怨霊、忍術使いなどの役には、共通点があり、

人間離れしているか空想の生き物であるということです。これらはスッポンを使ってせり上がり、頭から徐々に登場してきます。場面によっては出たり退いたりする際に、スッポンから煙を出すこともあります。そうすることで、怪しさがさらに増すのです、

とあるhttps://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1174

こうした舞台機構は、宝暦年間(1751‐64)に、改新的な数々の技術改革が開発され、

セリ上げ(1753)、
(狂言作者並木正三による)回り舞台(1758)の発明、

につづいて、

スッポン(1759)、
がんどう返し(1761)、

が考案され、

舞台上の破風屋根を除去(1761)、
目付柱・脇柱の撤去(1761)、

明和期(1764~72)には、

引割り(部隊の大舞台を左右へ引き込んで、次の場面に転換させること)、

寛政元年(1789)には、

田楽返し(舞台背景の襖などの中央に田楽豆腐の串のような棒を貫き、これを回転させて背景を変化させる)、

が創案されて、歌舞伎の演出上多彩な展開を可能とした(仝上・世界大百科事典)、とある。「スッポン」は、そうした舞台装置考案の一つである。

スッポン.jpg


「月と鼈」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470570777.htmlで触れたが、この「スッポン」は、

切穴から出るとき、演者が首から出るので亀の首を想像して付けられたか、

また、

床面が龜甲形だから、

とも、

床板のはまるときスポンと音がすることから、

ともいう、とあり(演劇百科大事典)、「鼈」と関わっている。

「鼈(すっぽん)」は、「月と鼈」http://ppnetwork.seesaa.net/article/470570777.htmlで触れたように、中国では、

団魚、

と呼ばれ、日本では、

土亀、
泥龜、
川龜、

等々とも呼ぶ(各地で、ガメ・ドウガメ・ドンガメ・ドヂ・ドチ・トチとも)。

和語「すっぽん」の語源は、

スボンボの轉。或いは、葡萄牙語也と云ふ説もあり(大言海)、
鳴き声がスンスボンと聞こえるから(瓦礫雜考・三余叢談・俚言集覧・名言通)、

等々がある。川柳に、

すっぽんの名は飛び込んだ時に附け、

とあるらしく、すっぽんが水の中に飛び込んだ時、

スッポン、

という音がした、という説に由来しているとするが、鳴き声が、スッポンスッポン、と聞こえるとするのは、

亀はポンポンと鼓の音のように鳴くという。「亀の看経(かんきん)」といって、亀の鳴き声は初めは雨だれ拍子で、次第に急になり、俗に責念仏(せめねんぶつ)といわれる。スッポンの鳴声も間遠にスポンスポンと聞こえる。いずれも夜になって聞こえる、

とある(たべもの語源辞典)のによる。大言海の「スボンホ」は、その転訛であるとも思われる。この他、

すぽむ+ぼ(もの)、

と首をすくめる擬態からとする説(日本語源広辞典)もあるが、やはり「擬音」で、よさそうである。

「スッポン」の由来が、「亀」ではなく「鼈」としたのは、音に由来するならわかるが、そうでないとすると、「カメ」では語感が間が抜けるせいだろうか。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:スッポン
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2021年04月20日

なか


「なか」は、

中、
仲、
央、

等々と当てる。「なか」の古形は、

な、

で、

三国の坂、中井(なゐ)に聘(むか)へて(書紀)、



他の語につき複合語をつくる、

とある(岩波古語辞典)。

「仲」 漢字.gif

(「中」 https://kakijun.jp/page/0404200.htmlより)

中處(なか)の義、ナに中(チュウ)の意あり、

とある(大言海)のは、同趣旨である。で、

古くはナだけで中の意。カはアリカ・スミカのカと同じで、地点・所の意。原義は層をなすもの、並立するもの、長さのあるものなどを三つに分け、その両端ではない中間にあたる所の意。空間的には、上下、左右、または前後の中間。時間的な経過については、その途中、最中。さらに使い方が、平面的なとらえ方にも広まり、一定の区域や範囲の内側、物の内部の意を表すに至って、ウチと意味が接近してくる、

とある(岩波古語辞典)。「うち」http://ppnetwork.seesaa.net/article/452986493.html?1616905983で触れたように、「うち」は、

うち(うつ)⇔そと(と)・ほか、

と対比され、

古形ウツ(内)の転。自分を中心にして、自分に親近な区域として、自分からある距離のところを心理的に仕切った線の手前。また囲って覆いをした部分。そこは、人に見せず立ち入らせず、その人が自由に動ける領域で、その線の向こうの、疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい、後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは、中心となる人の力で包み込んでいる範囲という気持ちが強く、類義語ナカ(中)が、単に上中下の中を意味して、物と物とに挿まれている間のところを指したのと相違していた。古くは『と(外)』と対にして使い、中世以後『そと』または『ほか』と対する、

とある(仝上)ように、「うち」は、

外(そと)の反。内、
外(ほか)の反。物事の露わならぬ方。ウラ、
あひだ。間、
それより下。以内、以下、

等々という「うち」の意味が、その意味のメタファとして、

内裏、禁中、
主上の尊称。うへ、
家の内、
味方、
心の内、

と、

中心となる人の力で包み込んでいる範囲、という気持ちが強い、

のに対して、「なか」が、

物と物とに挿まれている間のところ、

を指した。ただ、「なか」も、

空間的に、上中下の中、両端でない所(真中)、物と物の間、ある区間の端でない所、
時間的に、始めと終わりの中間、途中、最中、中旬、まるまるの日数・月数、時間の流れの中のその頃、
うち(内)の意味に近づいて、内部、内心、ある区間の範囲内、

と意味が変化し、その「間」という含意をメタファに、

二人の間、同類、間柄、

といった意味でも使う(仝上)。この場合、

仲、

を当てる(広辞苑・日本語源大辞典)。原義は、

上(ほ)つ枝は天を覆(お)へり、中つ枝は東(あづま)を覆へり、下(し)づ枝は鄙(ひな)を覆へり(古事記)、
夕へになればいざ寝よと手をたづさはり父母もうへはな離(さか)り三枝(さきくさ)の中にを寝むと(山上憶良)、

等々と見えるところから見て、

層をなすもの、並立するもの、長さのあるものなどを三つに分け、その両端ではない中間にあたる所、

の意が強かったものと推測される。ただ、「なか」の「な」が何から由来するかは、「なか」の語源、

並ぶものの中間の位置を言うところから、並處の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
二つの物の間を意味するところから、両者が隔たることナカレ(勿)の義(名言通)、
マカ(間所)の義(言元梯)、

等々の諸説からは見当がつかない。ただ、憶説ながら、

並ぶ、

と関係あるのかもしれない。「並ぶ」は、

並(な)むの延、

とあり(大言海)、「並ぶ」は、

二つのものがそろって位置している意が原義、

だが(岩波古語辞典)、「並む」は、

三つ以上のものが凹凸なく横に並ぶ、

意とある(仝上)。この「並む」の語幹「な」ではないか、たとえば、

並む處(なむか)→並處(なか)、

というように転訛したというような。勿論憶説であるが。

「なか」に当てる漢字「中」(チュウ)は、

象形。もとの字は、旗竿を枠の真ん中につきとおした姿を描いたもので、真ん中の意を表す、また、真ん中を突きとおすの意をも含む。仲、衷の音符となる、

とあり(漢字源)、別の解釈では、

指事文字です。 「軍の中央に立てる旗」の象形から「うち」を意味する「中」という漢字が成り立ちました、との説もあるhttps://okjiten.jp/kanji121.htmlが、「中」は、

中外、

と、「ものの内側」の意であり、「内」の意に近いが、そこから、物の真ん中、進行している最中、子や兄弟の間、心の中、という意味を持つ。位置関係よりは、「内側」の意がもともと強いと見えるが、

中は、矢の的に中る義。百発百中と用ふ。転じて、広く的中する義とす。家語「孔子聖賢、其所刺譏、皆中諸侯之病」、又そこなひあてらるる義に用ふ。「中暑」「中酒」、

とある(字源)ところをみると、

まんなか、中央、

という原義のようである。

「中」 金文 殷.png

(「中」金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%ADより)

「中」 金文 殷②.png

(「中」金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%ADより)

「仲」(漢音チュウ、呉音ジュウ)は、

会意兼形声。「人+音符中(真ん中)」、

で(漢字源)、まさに、人の関係に当てた字で、

兄弟の序列で、中に当たる人、

の意である。兄弟を年齢の上の者から、

伯・中・叔・季(または、孟・仲・季)、

という(漢字源)。これを季節に当て、春夏秋冬それぞれを三分して、たとえば、

孟春・仲春・季春、

という。

「央」甲骨文字.png

(「央」 甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AEより)

「央」(漢音オウ、呉音ヨウ)は、

会意。大の字にたった人間の真ん中にある首の部分を枷で押さえ込んださま。また、人間の頭の真ん中を押し下げた形と考えてもよい。真ん中、真ん中を押さえつける意を含む、

とある(漢字源)が、別に、

会意(藤堂)。大(ひと)+しるし。大の字に立ったひとの真ん中にしるしをつけたもの、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AE

象形文字です。「首かせをつけられた人」の象形で、人の首が首かせの中央にある事から「まんなか」を意味する「央」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji463.html。いずれも、首の位置から言っているようだ。

なお、
「うえ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463565088.html
「かみ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463581144.html
「した」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463595980.html
「しも」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463610265.html?1616905179
については、それぞれ触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:なか うち
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