2021年04月21日

せんろっぽ


「せんろっぽ」は、

繊蘿蔔、

と当てるが、

千六本、
繊六本、

と当てたため、

せんろっぽん、
せろっぽう、

等々ともいう。「蘿蔔」は、「すずしろ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/465194822.htmlで触れたように、

蘿蔔(ラフク)、

は、漢名である。

蘿菔(ラフク)、

とも書く(字源)。

「蘿蔔」は、

ロフ(広辞苑・大言海)、
ラフク(たべもの語源辞典)、
ラフ(精選版日本国語大辞典)、

等々と表記されるが、『易林本節用集』(1597)には、

らふく(蘿蔔)、

とある(精選版日本国語大辞典)。

中国でロープと訓まれた。千切りにした大根を北京語でセンロープといった。それが訛って千六本といわれた、

とある(たべもの語源辞典)。

「せんろっぽ」は、従って、漢名の、

センロフ(繊蘿蔔)の転、

とある(広辞苑・大言海)。ただ、

センロフ→センロッポ、
センラフ→センロッポ、
センラフク→センロッポ、

のいずれにせよ、転訛しにくいと見えるが、「繊蘿蔔」を、

唐音「せんろうぽ」の音変化(デジタル大辞泉)、
せんろふを唐音で訓んだ(日本語源大辞典)、
北京語で発音すると、センロウプ(たべもの語源辞典)、

等々と、漢語の発音のいずれかの転訛とみられる。日本人の大根の千切りを見て帰化僧が、

センロウプ、

と呼んだところから、大根の千切りを、そう呼び始めた(たべもの語源辞典)、ともある。室町時代の『下学集』(1444)には、「繊蘿蔔」を、

センロフ、

とふり仮名されている(仝上)。いつ、

センロウプ→センロフ→センロッポ、

に転訛したかははっきりしないが、「かた言」(1650)には、

ほそくきざみてうじたるを繊蘿蔔(せんろふ)と申すを、せろっぽんと云は、いかが、

とあり(精選版日本国語大辞典)、転訛であることを承知していた、とみられる。

ただ、異説に、

中国料理の料理法でハリのように細く大根を切る「鍼蘿蔔(チェンロープ)」から、

とするものもあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%8A%E5%88%87%E3%82%8A。これだと、「セン」ではなく、

チェンロープ→センロッポ、

という転訛ということになる。

なお、昭和初期まで、東京の主婦は、

「今朝のおみおつけのみは、せんろっぽよ」

という会話をしており、「せんろっぽ」が大根の千切りであることを承知していた、とある(たべもの語源辞典)。

平安期の「和名抄」は、

〈葍〉〈蘿菔〉の字をあて、俗に大根の二字を用う、

とある(世界大百科事典)が、近世以前は、どんな味付けをして食べていたものか、ほとんど知る手がかりがない(仝上)、とある。

また、「庭訓往来」には、

菜者、繊蘿蔔、煮染午房、

とある(大言海)。

大根の千切り.jpg

(大根の千切り https://cojicaji.jp/cooking/how-to-cut/2164より)

従って、「千切り」にも、

千切り、

とともに、

繊切り、

とも当てる。

「繊」 漢字.gif

(「繊」 https://kakijun.jp/page/1728200.htmlより)

漢字「繊(纖)」(セン)は、

会意兼形声。韱(セン)は、小さく切るの意を含む。纖はそれを音符とし、糸を加えた字、

とあり(漢字源)、「繊細」「繊維」というように、細い意で、別に、

会意兼形声文字です(糸+韱)。「より糸」の象形と「刃のついた矛の象形と人の象形(「みじん切りにする」の意味)と地上に群がり生え揃った、にらの象形」(「みじん切りにしたような山にら」の意味)から、「細くてよわよわしい糸」を意味する「繊」という漢字が成り立ちました、

とありhttps://okjiten.jp/kanji1850.html、「韱」の由来がよくわかる。

「繊」 漢字 成り立ち.gif

(「繊」の成り立ち https://okjiten.jp/kanji1850.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年04月22日

笑止


「笑止」は、

笑止千万、

などと使う。「千万」は、

無礼千万、
後悔千万、
迷惑千万、

等々と、

形容動詞の語幹や性質・状態を表す体言に付いて、その程度がはなはだしいという意を添える、

が、「千万」自体は、

センバンマウシタイコトナレド(日葡辞書)、

のように、

数量の多いこと、

の意や、

千万砕く気の働き(浄瑠璃「生玉心中」)、

のように、

状態のさまざまなさま、

の意(広辞苑)や、

是は千万蒐合 (かけあひ) の軍 (いくさ) にうち負くる事あらば(「太平記」)、

のように、

万が一にも、

の意でも使われた(デジタル大辞泉)。

「笑止千万」は、

甚だ気の毒なこと、
あるいは、
笑うべきこと、

と、

同情

ばかばかしい、

と、相手に寄り添う気持ちと突き放す気持ちと、意味に幅がある。

これは、「笑止」自体の意味の幅が大きいことによる。たとえば、

たいへんなこと(弁内侍日記「笑止の候ふ、皇后宮の御方に火の、といふ」)、
困ったこと、苦しいこと、悲しいこと(謡曲・鉢木「あら笑止や候。さらばお帰りを待ち申しそうずるにて候」)、
他に対する気の毒な気持ちをあらわす(天草本・平家「女院、二位殿に憂き目を見せまらせうずるも笑止なれば」)、
気の毒やら、おかしいやらといった気持ちをあらわす(虎明本狂言・柿山伏「やれやれ笑止や、鳶と思うたればそなたか、と云て笑ふ」)、
おかしいこと、滑稽千万(咄・昨日は今日「言語道断、これ程おかしう、笑止なる事はあるまい」)、
恥ずかしく思うこと(浄瑠璃・一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)「ほんにまあわしとした事が、始めての付け合ひになめたらしい、ヲヲー笑止と、袖震ふさへ廓めかし」)、

等々と意味の幅がある(広辞苑・岩波古語辞典)。しかし、どうやら、

相手の状態に対する、

(「たいへん」という)状態表現から、その状態への、

(「こまったこと」という事態への)感情表現となり、その、

気の毒、
とか、
おかしい、

という感情自体の価値表現へと転換していく、という流れに見える。多くは、他者に対する表現だが、それが、自分自身に向けられると、「恥ずかしい」のように、

(相手が)気の毒、おかしい→(自分が)気の毒、おかしい→恥ずかしい、

という意味の転換が起きている場合がある。

しかし、多くは、その意味の幅の中に、

笑止なれども、京へ上ってたもれ(天草本狂言六義・若和布)、

というように、「笑止」には、相手に対する、

気の毒、

という気持ちがある。だから、本来、

気の毒やら、おかしいやらといった気持ち、

が、含意としてあるのではないか、と思えてならない。だから、

笑も止まる意か、

とし、

他人の、人笑いとなるを、気の毒と思ふこと、片腹痛きこと、

とするのが(大言海)、的確だと思える。「片腹痛い」http://ppnetwork.seesaa.net/article/462187823.htmlで触れたように、「片腹痛い」は、

傍ら痛い、

であり、室町末期の『日葡辞典』に、「カタハライタイ」と載り、

傍らにいて心が痛む、

意であり、

気の毒である、
傍で見ていて、嫌な気がする(源氏・桐壷「うへ人、女房などはかたはらいたしと、聞きけり」、「かたはらいたきもの、よくも音弾きとどめぬ琴を、よく調べで、心の限り弾きたてる」)

の意と、

きまりが悪い、
はずかしい(源氏・柏木「かたはらいたうて、御いらへなどをだにえし給はねば」)、

と、ほぼ「笑止」の意味の範囲と重なる。つまり、「笑止」は、

傍ら痛い、

と同じく、人の状態の、

気の毒ながら、おかしい、

という気持ちを言い表している。そう考えると、

「笑止」は当て字、「勝事」の転で、本来普通でないことの意(広辞苑・岩波古語辞典)、
「勝事」からか(デジタル大辞泉)、
「勝事」が語源、すぐれたこと、まれなことの意(日本語源広辞典)、

とするのは如何なものか。

室町以降、笑止と当てられ、笑も止まるほどのこと、困ったこと、気の毒なこと、わらうべきこと、等と意味が変遷した、

とする(日本語源広辞典)のは、十三世紀前期に、

今度の御座に笑止数多(あまた)あり。先法皇の御験者、次に后御産の時御殿の棟より甑(こしき)を転かす事あり(高野本平家)、

と、「笑止」使われており、根拠がない(精選版日本国語大辞典)。むしろ、中世末の易林本節用集(1597)に、

勝事 シャウシ 笑止、

とあることは、これが「笑止」の語源ではなく、中世には、「笑止」がそう解釈されていただけなのではないか。高野本平家では、

今度の御産に勝事あまたあり、

となっており、「勝事」と表記されている(仝上)とされる。これは、

「勝」と「笑」とは本来「ショウ」「セウ」として別音であるが、平安時代末にはその発音上の区別は失われていたと考えられる、

ためである(仝上)。「高野本」は、もとになった、応安四年(1371年)の、

覚一本http://www6.plala.or.jp/HEIKE-RAISAN/zenshoudan/shohon.html#kakuichi

を室町末期に写本した、とされるhttp://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/1996Moji/04/4401.html。とすれば、「笑止」は「勝事」という通念ができた室町期による表記なのではないのか、という気がする。もちろん、素人の憶説だが、ただ、

ショウジ(笑事)をショウシ(笑止)というのは強化例である、

との説もある(日本語の語源)。「笑」=「勝」とするのは如何だろうか。

「笑」 漢字.gif


なお、漢字「笑」については「笑」http://ppnetwork.seesaa.net/article/402589627.htmlで、「わらう」http://ppnetwork.seesaa.net/article/449655852.htmlhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/418275600.htmlについては、それぞれ触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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ラベル:笑止 笑止千万
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2021年04月23日

経済運営の理念


ケインズ(間宮陽介訳)『雇用、利子および貨幣の一般理論』を読む。

ケインズ 上.jpg


経済に素人な人間が、いまさらケインズを論評するのは、時代錯誤かもしれない。ただ、マルクス、シュムペーターとの違いから、気づいたことを書いてみたい。

僭越かもしれないが、僕には象徴的に思えるケインズの文章がある。師マーシャルの死後書いた追悼文である。

「経済学の体系書は大きな教育上の価値があるかもしれない。たぶんわれわれは、主要作品として、各世代ごとに一個の体系書を必要とするであろう。けれども経済学的事実の一時的性格や、それだけ切り離された場合の経済学原理の無内容さなどを考えると、経済科学の進歩と日常の有用性とは、先駆者や革新者が体系書をさけてパンフレットやモノグラフのほうを選ぶことを要求するのではないだろうか……。経済学に対するジェボンズの貢献のことごとくが、パンフレットの性質をもつものであった。マルサスは『人口論』を初版のあと体系書に改めたさいに台なしにしてしまった。リカードのもっとも偉大な著作は、その場かぎりのパンフレットとしてものされたのである。ミルはその独特の才能をもって首尾よく体系書を完成させることにより、科学よりもむしろ教授法のために尽くし、終わりは『海と老人』のように、船出しようとする次代のシンドバッドたちの重荷になったのではなかったか。経済学者たちは、四つ折り版の栄誉をひとりアダム・スミスだけに任せなければならず、その日の出来事をつかみとり、パンフレット風にて吹きとばし、つねに時間の相の下にものを書いて、たとえ不朽の名声に達することがあるにしても、それは偶然によるものでなければならない」(『エコノミック・ジャーナル(1924年)』)

確かに、ケインズは、アカデミックな、本書『一般理論』や『貨幣論』はあるが、基本的には、ケインズの経済学は、ケインズ自身が、

「現在の経済体制が全面的に崩壊するのを回避するために」(下巻 190頁)、

というように、

大恐慌が資本主義に与えたショックに対する一つの経済学的処方箋、

であり、同時に、

ロシア革命後の社会主義の台頭に対するアンチテーゼ、

をなすものであり、

世界資本主義の一般的危機の生み出した産物、

であり、その経済的帰結は、

この一般的危機を解決するための処方箋、

としての(宇沢弘文「解題」)、

資本主義経済運営のための処方箋、

であることは確かである。それは、

資本主義経済の運営理念(仝上)、

を示し、戦後60年代までの経済政策の基盤としての役割を果たした。その意味では、ケインズが経済学に期待した役割を自ら遂行した、というべきかもしれない。

しかし、そのままケインズ以後の近代経済学は、計量経済学へと進化していく。それはあくまで、経済運営の最適解を見つけるための経済学、というケインズの路線を引き継いでいる、としか言えない。ケインズ自身も、数式で表現することも少なくないが、「経済分析を記号を用いて組織的に形式化する疑似数学的方法」のもつ欠陥を、

「それらが関連する要因相互の完全な独立性をはっきりと仮定し、この仮定がないとこれらの方法のもつ説得力と権威とがすべて損なわれてしまうところにある。これに対して、機械的操作を行うのではなく、いついかなるときにも自分は何をやっているのか、その言葉は何を意味しているのかを心得ている日常言語においては、留保、修正、調整の余地を、後々その必要が生じたときのために『頭の片隅』に残しておくことができる。しかるに、込み入った偏微分を、その値がすべてゼロとされている代数の幾ページかの『紙背』に残しておくことは不可能である。最近の『数理』経済学の大半は、それらが依拠する、出発点におかれた諸仮定と同様、単なる絵空事にすぎ」ない(下巻 63~4頁)、

「(貨幣数量説の一般化された形式の)これらの操作にはいかなる変数を独立変数にするかについて日常言語と同じくらい多くの仮定が含まれている(偏微分は終始無視されている)が、それにもかかわらずこのような操作が日常言語以上にわれわれの思考を前進させるものか、疑問である。」(仝上 75頁)

等々と批判している。その是非は判断できないが、数式化は、ある種抽象化であり、それは、現実を丸める操作である。その次元においては妥当でも、丸められた、コンマいくつかのわずかな誤差が、

バタフライ効果、

を生むことはあり得る。エドワード・ローレンツの、

「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?」という問い掛けと、もしそれが正しければ、観測誤差を無くすことができない限り、正確な長期予測は根本的に困難になる、

という数値予報に関わる言葉は、生きている気がする。

ケインズは、本書の、「結語的覚書」で、

「われわれが生活している経済社会の際立った欠陥は、それが完全雇用を与えることができないこと、そして富と所得の分配が恣意的で不公平なことである。」(下巻178頁)

と書き、本書で論じた理論は、

第一のものと関係している、

とし、この理論は、第二のものとも、

「資本の成長は個人の貯蓄動機の強さに依存しており、しかもこの資本成長のかなりの部分については、富者のあり余る所得からの貯蓄に依存しているという信念」(下巻178、9頁)

を修正を迫るものとして、本書の、

利子率理論、

を挙げ、

「われわれの示したところによれば、有効な貯蓄の大きさは必ず投資の規模によって決定され、その投資の規模は、完全雇用点以上に投資を刺激しようとするのでないかぎり、低利子率によって促進される。だとしたら、利子率を、資本の限界効率表の完全雇用点まで引き下げるのがいちばんの利益だということになる。」(下巻182頁)

そして、

「消費性向と投資誘因とを相互調整するという仕事にともなう政府機能の拡大は、19世紀の政治評論家やアメリカの金融家の目には、個人主義への恐るべき侵害だと映るかもしれないが、私はむしろそれを擁護する。現在の経済体制が全面的に崩壊するのを回避するためには実際にとりうる手段はそれしかないからであり、同時にそれは個人の創意工夫がうまく機能するためのじょうけんでもあるからだ。」((下巻190頁))

と、

管理型資本主義(訳者)、

の方向を示した。確かに、「完全雇用」は60年代で実現された。しかし、ここでは留意されただけの課題、

富と所得の分配が恣意的で不公平なこと、

は、以降、近代経済学では、解決されるどころが、今日、

世界の最富裕層1%の保有資産、残る99%の総資産額を上回る、

とか、

世界の「所得格差」、世界の最富裕層2153人は最貧困層46億人よりも多くの富を持つ、

等々という、各国内でも、世界レベルでも格差が拡大し続けている。つまり、それは、マルクスが試みたように、

資本主義経済、

そのものを批判的に分析し、その枠組みそのものを検討対象とせず、

数学的モデルを構築し、その分析に重点を置き、モデルの妥当性の検証、

にウエイトを置いた結果といっていい。対象そのものの上に乗っかかった学問は、対象を超えることはできない。マルクス、シュムペーターで止まった、経済学全体のつけである。

ところで、面白いことに、マルクスが『「経済学批判」序説』http://ppnetwork.seesaa.net/article/479551754.htmlで、「経済学の方法」について、

「われわれがある一国を経済学的に考察するとすれば、その人口、人口の各階級や都市や農村や海辺への分布、各種の生産部門、輸出入、毎年の生産と消費、商品価格等々からはじめる。
 現実的で具体的なもの、すなわち、現実的な前提からはじめること、したがって例えば経済学においては、全社会の生産行為の基礎であって主体である人口からはじめることが、正しいことのように見える。だが、少し詳しく考察すると、これは誤りであることが分る。人口は、もし私が、例えば人口をつくり上げている諸階級を除いてしまったら、抽象である。これらの階級はまた、もし私がこれらの階級の土台をなしている成素、例えば賃金労働、資本等々を識らないとすれば、空虚な言葉である。これらの成素は、交換、分業、価値等々を予定する。例えば、資本は賃労働なくしては無である。価値、貨幣、価格等々なくしては無である。したがって私が人口からはじめるとすれば、このことは、全体の混沌たる観念となるだろう。そしてより詳細に規定して行くことによって、私は分析的に次第により単純な概念に達するだろう。観念としてもっている具体的なものから、次第に希薄な抽象的なものに向かって進み、最後に私は最も単純な諸規定に達するだろう。さてここから、旅はふたたび逆につづけられて、ついに私はまた人口に達するであろう。しかし、こんどは全体の混沌たる観念におけるものとしてではなく、多くの規定と関係の豊かな全体性としての人口に達するのである。」

そして、後者の方法こそが「科学的に正しい方法」であるとし、

「具体的なものが具体的なのは、それが多くの規定の綜合、したがって多様なるものの統一であるからである。したがって、思惟においては、具体的なものは、綜合の過程として、結果として現れるものであって、出発点としてではない。言うまでもなく、具体的なものは、現実の出発点であり、したがってまた考察と観念の出発点であるのだが」

と書いていたことと、ケインズが、似たことを書いている。

「われわれの分析の目的は間違いのない答えを出す機械ないし機械的操作方法を提供することではなく、特定の問題を考え抜くための組織的、系統的な方法を獲得することである。そして、複雑化要因を一つ一つ孤立させることによって暫定的な結論に到達したら、こんどはふたたびおのれに返って考えをめぐらし、それら要因間の相互作用をよくよく考えてみなければならない。これが経済学的思考というものである」(下巻 63~4頁)

その目的は異にするが、経済学的方法は一つ、ということだろうか。

ケインズ 下.jpg


『諸国民の富』(アダム・スミス)については「国民の富」http://ppnetwork.seesaa.net/article/479434441.html、『資本論』(カール・マルクス)については、『サグラダファミリア』http://ppnetwork.seesaa.net/article/480630223.html、『宇沢弘文の経済学 社会的共通資本の論理』については「社会的共通資本」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444460857.html、『経済発展の理論』(シュムペーター)については、「イノベーション」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480856779.html?1617734814で、それぞれ触れた。

参考文献;
ケインズ(間宮陽介訳)『雇用、利子および貨幣の一般理論』(岩波文庫)
宮崎義一・伊藤光晴編『ケインズ・ハロッド(世界の名著57)』(中央公論社)

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2021年04月24日

上戸


「上戸」は、

じょうご、

と訓むと、

下戸(げこ)の対、

の意となり、

じょうこ、

と訓むと、701年(大宝1)に制定された大宝律令で、

賦役に服す義務をもつ壮丁(課丁)が6~8人いる家を上戸、4~5人の家を中戸、3人以下のそれを下戸(げこ)、

といい(日本大百科全書)、「上戸」は、

四等戸(大戸・上戸・中戸・下戸)の第二、

の意となる(広辞苑)。また、そこから、

貧富によって民家を区別して、富む家を上戸、貧しい家を下戸、

という意味でも使った(日本大百科全書)、とある。ここでは、

酒の飲めない人、

の意の、

下戸(げこ)の対、

の意とされる、

上戸(じょうご)、

である。

酒のたくさん飲める人、

の意だが、

笑い上戸、
無き上戸、

といった、

因った時の癖、

から、

日常の癖、

に転用しても使われる(広辞苑)。

「上戸(じょうこ)」に引きずられたせいか、「上戸(じょうご)」も、

庶民婚礼、上戸八瓶下戸二瓶、

とある(群書類要)として、

婚礼に用いる酒の瓶数の多少から出た(広辞苑)、
「上戸」「下戸」は、もと民戸の家族数による上下を言ったが、婚礼に用いる酒の瓶の数から、飲酒量に関して用いるようになったという(岩波古語辞典・大言海)、

等々と、江戸時代の随筆『塩尻(しおじり)』が伝える『群書類要』の、

庶民婚礼、上戸八瓶下戸二瓶、

根拠とする説が大勢である。しかし、酒瓶の数は、酒瓶の数で、飲酒量のことを指してはいない。「上戸」「下戸」は漢語由来ではあるまいか。

按以飲酒、為大小戸、三國之時也、今以嗜酒號上戸、以上頓與戸大幷言也(経史摘語)、

とあり(字源)、「戸大」とは「酒豪」の意とある。「戸」は、

とぐち、とびら、

の意だが、

飲酒の量、

の意があり、

大戸、
小戸、

と使い、白居易の詩に、

戸大嫌甜酒、才高笑小詩、

とある(仝上)。

戸大は上戸、

とある(仝上)「甜酒(てんしゅ)」は、もち米を蒸し、発酵させた甘い酒である。辛党が好むはずはない。

「戸」は酒量の意で、酒飲みの意の「上頓(じょうとん)」「戸大(こだい)」の語の1字ずつをとって上戸とし、その逆を下戸とした(日本大百科全書)、

ともある。

上頓の訛りという。また飲酒を戸というのは三国からの語であるから、上頓と戸大をあわせて上戸といった(俚言集覧)、

とするのは、上述の「経史摘語」を指している。

この「上戸」の由来については、

秦の阿房宮は高くて寒いため、殿上の戸の内に宿直する者は多量の酒を飲んで上がったから(志不可起・一時随筆・卯花園漫録)、
秦の時代、万里の長城で門番をしている兵士がいました。万里の長城には「上戸」と呼ばれる寒さの厳しい山上の門と、「下戸」と呼ばれる往来の激しい平地の門があります。労をねぎらうために、上戸の兵士には体を温めるお酒を、下戸の兵士には疲れを癒やす甘いものを配ったそうです。それが転じて、現在の「上戸」「下戸」の意味になったとされていますhttps://jp.sake-times.com/knowledge/culture/sake_jogo

等々とするが、そんな付会をする必要はなく、「上戸」は、漢語、

大戸、
小戸、

あるいは、

戸大、

からきた、漢語由来と考えていいのではないか。

「戸」 漢字.gif

(「戸」 https://kakijun.jp/page/0452200.htmlより)

「下戸」も、

酒を飲み得ざる人、

とある(字源)。

「戸」(漢音ト、呉音ゴ・グ)は、

象形。門は二枚扉を描いた象形文字。戸はその左半分をとり、一枚扉の入口を描いたもの、

とある(漢字源)

「戸」 成り立ち.gif

(「戸」成り立ち https://okjiten.jp/kanji267.htmlより)

因みに、「上戸」と同じ意味の、「左党」は、

江戸時代、大工や鉱夫が右手に槌、左手にノミを持つことから右手のことを「槌手」、左手のことを「ノミ手」と言いました。この「ノミ手」が「飲み手」と同じ発音だったため、ダジャレのような感覚で、お酒飲みのことを「左利き」と呼ぶようになりました。「左党」もその派生語とされています、

との説がある(https://jp.sake-times.com/knowledge/word/sake_word-geko・笑える国語辞典)。

また、同義の「辛党」は、近代以降で、

酒が好きな人、
辛いものが好きな人
塩からいものが好きな人、

の用例は古くても1920年代ごろ、酒好きの意味にシフトしたのは、1930年頃、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%85%9A、最近の言葉のようである。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:上戸 下戸 左党 辛党
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2021年04月25日

雑炊


「雑炊」は、

雑吸、
増炊、

等々と当てる(たべもの語源辞典・語源由来辞典)が、

大根・ねぎなどの具を刻みこみ味付けをして炊いた粥(広辞苑)、
醤油や味噌などの調味料で味を付け、肉類、魚介類、キノコ類や野菜などとともに飯を煮たり、粥のように米から柔らかく炊き上げた料理https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%82%8A

等々とある。

雑炊、

は当て字で、古くは、

増水、

と当てられた(たべもの語源辞典)。「増水」というのは、

粥にして水を増す、

という意である(仝上)。「雑炊」は、

ただしくは増水、

とあり(江戸語大辞典)、「増水」は、

米の粉に水を加えてかき混ぜて煮立てた羹(あつもの 熱い吸物)、

であり、これを、

こながき、

ともいった(たべもの語源辞典)。「こながき」は、

こなかき、

ともいい、

糝、
餗、

等々と当てるが、平安中期の『和名抄』に、

餗、古奈加木、

米の粉をかきまぜて煮立てた羹(あつもの)、

とあり(たべもの語源辞典)、平安後期の『字鏡』に、

以糝煮肉也、古奈加支、

室町時代の『下学集』には、

増水羹也、

とある。「こながき(こなかき)」は、

熟攪(コナシガキ)の義、かきこなしの意。名義抄「擾、かきこなし」、熟田(こなた)、錬金(こながね)も、こなしだ、コナシガネなり(大言海)、
コナカキ(粉掻)の義(言元梯)、
米粉を菜羹(さいこう)に和える意で、コナカキ(粉菜掻・米菜掻)の義(日本釈名・和訓栞)、

等々、

米粉をかきまぜる、

という意に由来しているが、古くは、

穀類の粉末を熱湯でかいて補食または薬食としたもの、

であり(たべもの語源辞典)、厳密には、今日の「雑炊」とは異なる。

「雑炊」は、

びょうたれ(河内・播州)、
みそづ(加賀・越中・但馬)、
にまぜ(越前)、
いれめし(伊勢)、

等々と呼ばれ、東国では、

ぞうすい(ざふすい)、
いれめし、

といい、女房詞で、

おじや、

という(仝上)。「おじや」は、

じやじやは、煮ゆる音、じわじわ、じくじく(大言海)、

あるいは、

ジャジャと時間を長くかけて煮るさま(上方語源辞典=前田勇)、

由来と思われるが、安永四年(1775)の『物類称呼』に、

東国にて、ざふすい又いれめしといふ、婦人の詞に、おじやといふ、

とあり、幕末の『守貞謾稿』には、

江戸にて男女専らおじやと云……是も実は女詞なるべし、

とある(江戸語大辞典)。「雑炊」の呼び名に、

みそづ、

というのがあるが、江戸語大辞典は「雑炊」を、

味噌汁に飯・野菜を入れて炊いた粥、

としているように、

味噌水、

と当て、

みそうづ、

ともいい、

粥を味噌で煮たもの、

の意である。そういう食べ方が多かったのかもしれない。鎌倉時代中期『沙石集』(しゃせきしゅう / させきしゅう)には、

糝、ミソウヅ、増水也、

とある。しかし、「みそうづ」に、

醤水、
未曾水、
味噌水、

等々(世界大百科事典)と当て、女房詞で、

おみそう、

と呼ぶとあり、足利将軍家では七草粥にせず七種の雑炊を用いて、

御みそうづ、

と呼んだ(たべもの語源辞典)、とある。侍中群要(1071頃)には、

不入給日〈略〉如餹飯餠・味噌水・芋之類、

とある(精選版日本国語大辞典)。

江戸時代の『物類称呼』になると、

京都で正月七日の朝、若菜の塩こながきを祝って食べるが、これをふくわかしという。大坂・堺辺では、神棚に供えた雑煮、あるいは飯のはつほなどを集めておき、糝(こながき)に加えて食べるが、これを福わかしという。土佐では正月七日雜水に餅を入れたのを福わかしという。江戸で、正月三日上野谷中口の護国院に福わかしがあるが、これを大黒の湯という。男女が群集する、

とある(仝上)。どうやら、当初、

米の粉に水を加えてかき混ぜて煮立てた羹、

で、文字通り、

増水、

であったものが、今日の、

飯・野菜を入れて炊いた粥(江戸語大辞典)、

である、

雑炊、

に近くなっている。「雑炊」を、

雑菜粥、

とも呼ぶ(大言海)のは、この意味であろうか。

元来は白粥には味付けしなかったので、野菜や魚貝類を入れ、醤油や味噌で味付け、

するようになって、

雑炊、

と当てたものとみられる。

きのこ雑炊.jpg


「増水」と「白粥」の違いは、

増水は塩味を加えたが、白粥は塩味を加えなかった、

のである(たべもの語源辞典)。

こう見てくると、今日、「雑炊」と「おじや」の区別を、たとえば、

調理にあたり、米飯をいったん水で洗い、表面の粘りをとってから用いることで、さらっと仕上げたものが雑炊。そうでないのがおじや、
汁とともに温めるだけ、または水分が飛ぶほどには煮込まず、米飯の粒の形を残すものが雑炊。煮込んで水分を飛ばし、米飯の粒の形をさほど残さないのがおじや、
味噌や醤油で味付けをしたものをおじやと呼び、塩味または煮汁が白いものは雑炊と認識している地域がある。その一方で塩味に限らず醤油味のものも雑炊と呼ぶ地域もある、

等々とする(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%82%8A・語源由来辞典)のは、たとえば、

増水→こながき→みそうづ→おじや、

といったように、次第に「増水」から具を入れ、味付けするようになった歴史的経緯の、どの段階にあるかの差でしかないことがわかる。なお、沖縄料理のジューシー(本来の方言名はジューシーメー)は、

雑炊(雑炊飯)の転訛、

であるとされる(仝上)。

「雜」 戦国時代.png

(「雜」(簡牘文字・戦国時代) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%9C

因みに、「雜(雑)」(慣用ゾウ・ザツ、漢音ソウ、呉音ゾウ)は、

会意兼形声。木印の上は衣の変形。雜は、襍とも書き、「衣+音符集」で、ぼろ布を寄せ集めた衣のこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(衣+集)。「衣服のえりもと」の象形(「衣服」の意味)と「鳥が木に集まる」象形(「あつまる」の意味)から、衣服の色彩などの多種のあつまりを意味し、そこから、「まじり」を意味する「雑」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji875.html。いろいろなものが混じる、意である。「増水」の字では表しきれず、「雜」+「炊」とするには意味があった、と思える。

「雜」 成り立ち.gif

(「雜」成り立ち https://okjiten.jp/kanji875.htmlより)

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年04月26日

雑煮


「雑煮」は、

雑煮餅の略、

とある(大言海)。

餅を主に仕立てた汁もの、新年の祝賀などに食する、

ものである(広辞苑)。室町時代の『鈴鹿家記』に、

初めて「雑煮」という言葉が登場する、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%85%AE。古くは、

烹雜(ほうぞう)、

といった(たべもの語源辞典)とあるが、ただ、

以前の名称ないし形態については諸説あり、うち1つの名前は、烹雑(ほうぞう)といわれる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%85%AE

雑煮と御節料理.jpg

(雑煮と御節料理 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%85%AEより)

「煮切り」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480550074.htmlで触れたが、「にる」の意の漢字には、

煮、
烹、
煎、

等々などがあり、三者は、

「煎」は、火去汁也と註し、汁の乾くまで煮つめる、
「煮」は、煮粥、煮茶などに用ふ。調味せず、ただ煮沸かすなり、
「烹」は、調味してにるなり。烹人は料理人をいふ。左傳「以烹魚肉」、

と、本来は使い分けられている(字源)。漢字からいえば、「にる」は、

狡兎死して走狗烹らる、

の成句があるように、「煮る」は「烹る」でなくてはならない。その意味で、

烹雜、

から、

雑煮、

に転じた背景には、「烹る」ではなく、「煮る」が慣用化されて以降、ということになるが、「にる」は、

に(煮 上一段)、

で、万葉集に、

食薦(すごも)敷き青菜煮持ち来(こ)梁(うつはり)に行騰(むかばき)掛けて休むこの君、

とあり、あるいは、

にる(煮 上一段)、

でも(「煮ゆ」の他動詞形)、万葉集に、

春日野(かすがの)に煙(けぶり)立つ見ゆ娘子(をとめ)らし春野のうはぎ採みて煮らしも、

と、共に、「煮」を当てている。当初から、「煮る」を用いていた可能性はある(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)。

ただ、梁高僧伝に、

密以半合米、雑煮也

とある(大言海)。『梁高僧伝』は、

高僧伝、
梁伝、

とも言われ、

梁・天監一八年(五一九)述。中国への仏教伝来年とされる後漢・永平一〇年(67)から天監一八年(519)に至る二五七人の高僧の列伝を集めたもの<

であるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%A2%81%E9%AB%98%E5%83%A7%E4%BC%9D。そこで「雑煮」という言葉が使われている。あるいは、漢語なのかもしれない。

「雑煮」は、

羹餅(かんのもち)、一名雑煮(和漢三才図絵)、

とあるように、

羹餅(かんのもち)、

とも呼ばれ、略して、

かん、

ともいい、

元日に、かんを祝ふところへ、數ならぬ者、禮に来る(元和三年(1617)「醒睡笑」)<

とあり(大言海)、「カン」は、

羹(カウ)の唐音、羹(スヒモノ)の餅の意、

である(仝上)。「かん」は、

吉原詞、

とあり(江戸語大辞典)、

おかん、

ともいう、とある(仝上)。物類称呼(1775)には、

畿内にて雑煮と云、又カンとも云、江戸にては、新吉原にてカンと云、オカンを祝ふ、又をかん箸など云ふ、案に新吉原市中をはなれて一ト廓を構へ住居す、ゆへに古く遺りたる事多し、

とある(江戸語大辞典)。「かん」という古い言い方が、吉原に残ったものらしい。「おかん」は、

御羹、

と当て、これも、遊女の隠語で、

正月中の節(せち)の食べものなり(文政八年(1825)「兎園小説」)、

とある(仝上)。

専ら正月の元日より三日の間、畿内にては羹(カン)の餅、又、おかんというが、「雑煮をたべる」ことを「食ふ」とは言わず、

羹(カン)を祝う、
雑煮を祝う、

という(大言海)、とある。

なお、「羊羹」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472187601.htmlで触れたように、「羹(あつもの)」(漢音コウ、呉音キョウ、唐音カン)は、

会意。「羔(丸煮した子羊)+美」

で、

肉と野菜を入れて煮た吸い物、

である(漢字源)。

わが国で、「餅」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474462660.htmlを祝賀に用いる風習は古く、

元日の鏡餅http://ppnetwork.seesaa.net/article/473055872.html
上巳の草餅http://ppnetwork.seesaa.net/article/477094915.html
雛祭りの菱餅http://ppnetwork.seesaa.net/article/479150270.html
端午の粽http://ppnetwork.seesaa.net/article/474481098.html
十月の亥の子餅、

等々年中行事となっているが、

三月三日の草餅、
五月五日の粽、柏餅、

は中世になってからであり、

雑煮、

は江戸時代になってからである。この時代になって、

正月の鏡餅、雑煮餅、
三月上巳の草餅、菱餅、
五月五日の粽、
十月亥の日の亥の子餅、

と年中行事に欠かせないものになっていった。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:雑煮 雑煮餅 烹雜
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2021年04月27日

そばがき


「そばがき」は、

そばかき、

ともいい、

蕎麦掻、

と当て、

蕎麦練り、
蕎麦掻餅、
そばがゆ、
蕎麦の粥、

等々とも呼ばれる(たべもの語源辞典)。

そば粉を熱湯でこねて、餅状にもの、

である(広辞苑)。「そばがき」は、

蕎麦粉をかいてつくる動作そのものが名称となった、

もので(たべもの語源辞典)、

醤油をつけたり、そばつゆや小豆餡をかけたりして食べる(デジタル大辞泉)。秀吉は夜食に「蕎麦掻」を好んだ、という(たべもの語源辞典)。

そばがき.jpg

(そばがき デジタル大辞泉より)

縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されており、日本では古くから蕎麦が食べられていた。蕎麦がきは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られ、江戸時代半ばまでは蕎麦がきとして蕎麦料理を食べられていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E%E9%BA%A6%E3%81%8C%E3%81%8D

「蕎麦切」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471421916.htmlで触れたように、蕎麦は、

蕎麦及ビ大小麦ヲ種樹シ、

と『続日本紀』の「備荒儲蓄の詔」にあるから、古くから食べられたが、

蕎麦粉をこねて団子にして焼餅として食べるとか、やや進んで蕎麦かきとして食べた、

とある(たべもの語源辞典)。江戸時代以降、現在のように細く切られるようになり、当初は、

ソバギリ、

と呼ばれた(語源由来辞典)。その名は、

粉を水でこねて、麺棒で薄くのばして、たたみ、小口から細長く切り、ほぐして熱湯の中に入れてゆで、笊ですくって冷水につける。そして水を切った、

という製法からつけられた。

沸湯に煠(ゆ)でて、冷水にて洗ひ、再び蒸籠にて蒸すを、ムシソバキリと云ふ、

とある(大言海)。現在のような蕎麦が作られるようになったのは、慶長年間(1596~1615)といわれる。

17世紀後半に著された(遠州横須賀藩の関係者が1680年ころに著したと推定されている)農書『百姓伝記(ひゃくしょうでんき)』には、

そば切りは田夫のこしらへ喰うものならず、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%8E%E9%BA%A6%E3%81%8C%E3%81%8D、そば切りを禁止されている農村が少なからずあった。そのような地域で蕎麦がき、そば餅が食べられた(仝上)、とある。そのため、当時食べられた蕎麦がきは、米飯の代わりとして雑穀や根菜を混ぜたり、鍋料理に入れるなど食べごたえのある形に調理された(仝上)、ともある。

因みに、「蕎麦切」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471421916.htmlの発祥地には、

森川許六の編集した『風俗文選』宝永三年(1706)にある「蕎麦切の頌」から信濃の国、本山宿という説、

天野信景の『鹽尻』「蕎麦切は甲州よりはじまる。初め天目山へ参詣多かりし時、所民参詣の諸人に食を売るに、米麦の少なかのし故、そばをねりてだご(団子)とせし、其後うどむを学びて今のそば切とはなりしと信濃人のかたりし」から甲州発祥説、

のがある(たべもの語源辞典)。その後、明暦3年(1657)の振袖火事の後、復興のために大量の労働者が江戸に流入し、

煮売り(振売り)、

が急増、夜中に屋台でそばを売り歩く夜そば売りも生まれたhttps://www.nichimen.or.jp/know/zatsugaku/28/、という。「かる口」(貞享)には、

「一杯六文、かけ子なし、むしそば切」

とあり、「鹿の子ばなし」(元禄)には、

「むしそば切、一膳七文」

とあるが、天保・嘉永期(1830~54)になると、

「一椀価十六文、他食を加へたる者は二十四文、三十二文等、也」(守貞謾稿)、

とあるhttps://www.nichimen.or.jp/know/zatsugaku/28/

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年04月28日

瀬戸飯


「瀬戸飯(せとめし)」は、

瀬戸の染飯(そめいい)、

と呼ばれるものである(たべもの語源辞典)。瀬戸の染飯は、

もち米を蒸したものをクチナシの実で黄色く染め、せいろで蒸し、すりつぶして小判形に薄く伸ばして乾かしたもの、

とかhttps://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/

強飯(こわいい/こわめし・蒸した餅米、おこわ)をクチナシ(梔子)の実で黄色く染めて磨り潰し、平たい小判形や三角形(鱗形)、四角形などにして乾燥させたもの、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E3%81%AE%E6%9F%93%E9%A3%AFが、

クチナシの実を煎じた汁で炊いた黄色いご飯。牛蒡をささがきにして茹でたものを混ぜ合わせ、食べるときに、熱いすまし汁をかけて好みの薬味を加える、

とある(たべもの語源辞典)。乾燥させたものだから、熱い汁を掛けて食べたのである。

染飯(レプリカ)千貫堤・瀬戸染飯伝承館.jpg

(染飯(レプリカ)千貫堤・瀬戸染飯伝承館 https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

現在の静岡県藤枝市上青島である駿河国志太郡青島村付近で戦国時代から販売された黄色い米飯食品、

でありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E3%81%AE%E6%9F%93%E9%A3%AF、古く、

『参詣道中日記』1553年(天文22年)、
や、
『信長公記長』1582年(天正10年)、

に記載があり、東海街道名物としては最古級、とある(仝上)。

江戸時代には藤枝宿-島田宿間にある瀬戸の立場(休憩所)で売られていた(仝上)。『東海道名所記』(1658)に、

藤枝の瀬戸の染飯は、此処の名物なり、その形、小判程にて、強飯に山梔子を塗りたり、うすきものなり、

とある(たべもの語源辞典)。これでみると、復元されたものにそっくりだが、「塗りたり」とあるので、後で色を付けたことになるが、ともかく、江戸時代、

駿河国瀬戸の名物、

であった。『嬉遊笑覧』(1830年)にも、

黄飯は瀬戸の染飯是なり、

とある(仝上)。

瀬戸の染飯 東海道中五十三駅狂画 藤枝 (2).jpg

(瀬戸の染飯・葛飾北斎『東海道中五十三駅狂画 藤枝』 https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

漢方医学では、

クチナシには消炎・解熱・利胆・利尿の効果があるといわれ、また足腰の疲れをとるとされることから、難所が多い駿河の東海道を往来して長旅に疲れた旅人たちから重宝された、

とある(仝上)。

東海道中膝栗毛.jpg

(瀬戸の立場茶屋 十返舎一九『東海道中膝栗毛』(1804) https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

寛永4年(1792)に西国を旅した小林一茶は藤枝で、

染飯や我々しきが青柏、

と詠んでいるが、この句を、金子兜太氏は、

「われわれのようなものでも、柏の青葉に盛った染飯がいただけるとは嬉しいね。ありがたいねぇ。こう眺めているだけで、涼しい風が通るようです」(『一茶句集』)

と絵解きされているhttps://www.city.fujieda.shizuoka.jp/material/files/group/125/shishi11.pdf

東海道名所圖會.jpg

(瀬戸の染飯 寛永九年(1797)『東海道名所圖會』(秋里籬島) https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

寛政九年(1797)の『東海道名所図会』に染飯を売る茶屋の挿絵があり、享和四年(1804)の『東海道中五十三駅狂画』(葛飾北斎)でも四角い染飯を売る茶屋の娘が描かれ、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(1802~1814年)でも登場する、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E3%81%AE%E6%9F%93%E9%A3%AF。現在も藤枝市内で販売されているが、乾燥せずおにぎり状のおこわである。

光廣卿(烏丸光広(からすまる みつひろ) 江戸時代前期の公卿・歌人)の狂歌に、

つくづくと見てもくはれぬ物なれや口なし色のせとの染いひ、

とある(大言海)。「口無し」なのだから食べれぬと掛けてみたところは、「染飯」は、公卿の口には合わなかったようだhttps://www.city.fujieda.shizuoka.jp/material/files/group/125/shishi11.pdf

瀬戸の染飯.jpg

(現在売られている「瀬戸の染飯」 https://ippin.gnavi.co.jp/article-10198/より)

なお、黄飯は、

豊後の郷土料理、

にもあり、大友宗麟伝来、といわれている。中国風の一種の、

けんちん料理、

で、古くは、

おうはん、
けんちん、

と呼んだが、黄色い飯ではなく、これにそえる魚菜、つまり「かやく」のことを、呼ぶようになり、飯が白米になり、趣旨が変わってしまった、とある(たべもの語源辞典)。

「けんちん」は、「けんちん」http://ppnetwork.seesaa.net/article/477345064.htmlで触れたように、

巻繊、
捲煎、
巻煎、

等々と当て、

普茶料理の一つ(たべもの語源辞典)、

とされたり、

卓袱料理のひとつ(大言海)、

とされたりするが、何れも中国からの伝来で、油を使うところが特徴である。

日本に伝えられた「けんちん」は、

①黒大豆のもやしをごま油で炒めて湯葉で巻いたもの、
②大根・牛蒡・人参・椎茸などを千切りにして、油で炒めて崩した豆腐を加え、味付けしたものを油揚で巻いて油で揚げたもの、
③鯛・エビ・鶏肉などを玉子焼で巻いたもの、

などがある(たべもの語源辞典)。本来は中国料理なので、必ず油を用いる(仝上)。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年04月29日

すいとん


「すいとん(すゐとん)」は、

水団、

と当て、

炊団、
水飩、

等々とも当てる(たべもの語源辞典)。

水団子、

の意だとある(仝上)。

小麦粉を水で練ってちいさくちぎって、味噌汁かすまし汁に入れて煮込んだもの、

で(仝上)、そのため、

汁団子

ともいう、とある(仝上)。生地を入れる際、手で千切る、手で丸める、匙ですくうなどの方法で小さい塊に加工するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%93

「すいとん」の歴史は長く、「水団」の語が、南北朝時代の『異制庭訓往来』に、

点心(てんしん)の品目、

を列挙する個所に登場してくる、とある(世界大百科事典)。

因みに、『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』というのは、『新撰之消息』『百舌鳥往来』『森月往来』などともいい、南北朝時代の初学者向け教科書で、1月から12月までの行事や風物を述べた贈答の手紙を掲げ、貴族社会における知識百般を体得できるように工夫されている(ブリタニカ国際大百科事典)。

すいとん.jpg


参天台五台山記(1072~73)に、

有水団炙夫二種菓、

とあり(精選版日本国語大辞典)、室町末期の『日葡辞書』にも、

Suiton、

の項目はあるが、

ある種の料理、

とあるのみで、その中身はわからない(世界大百科事典)。また、資料上「すいとん」の調理法は変遷が激しく、今日のような、手びねりした小麦粉の形式が出現したのは江戸後期であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%93。江戸時代から戦前は、

すいとん専門の屋台、

料理店、

が存在しており、庶民の味として親しまれていた。大正の半ばには一旦かなり減少したが、関東大震災直後には食糧事情の悪化に合わせて焼け野原のいたるところに出現した(仝上)、とある。戦後の食糧難の時期には、主食の代用ともされたため、その時代を生きた者にとっては、「すいとん」は、粗食の代名詞かもしれない。

「すいとん」は、

上方は同名異物、

とある(江戸語大辞典)のは、幕末の『守貞謾稿』(『近世風俗誌』ともいう)に、

心太、ところてんと訓ず、三都も夏月売之、蓋京坂心太を晒したる水飩と号く、心太一箇一文水飩二文買て後に砂糖をかけ或いは醤油をかけ食之、京坂は醤油を用ひず、又晒之乾きたるを寒天と云、煮之を水飩と云、江戸は乾物煮物とも寒天と云、因日江戸にては温飩粉を団し味噌汁を以て煮たるを水飩と云、蓋二品ともに非也。本は水を以て粉団で涼し白玉と云物水飩に近し、

とある。つまり、京坂では、「ところてん」を、

水飩、

と呼ぶからである。「すいとん」は、

水団子、
とか、
汁団子、

とも書き、「団」を

唐宋音、

で、

トン、

と呼んで、「水団」を、

すいとん、

と名づけた、とするものが多い(たべもの語源辞典・広辞苑・大言海他多数)。しかし、「すいとん」は、本来、

水飩、

なのではないか、と思う。「飩」(漢音トン、呉音ドン)は、

会意兼形声。「食+音符屯(トン まるくずっしりとかたまる)」

とあり(漢字源)、

小麦粉をこねて丸く固めたもの、

の意である。わが国は「うどん」に「饂飩」と当てているが、中国では「麺」である。

「團」(漢音タン、唐音トン、呉音ダン)も、

会意兼形声。專(セン 専)の原字は、円形の石をひもでつるした紡錘のおもりを描いた象形文字で、甎(セン)や磚(セン 円形の石や瓦)の原字。團は「□(かこむ)+音符專」で、円形に囲んだ物の意を表す、

とあり(漢字源)、確かに、丸い、円形の意であり、丸く集める意(字源)はあるが。なお「団」は、和製略字で、「專」の下部をとったものであるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%A3

「団子」は、「団子」http://ppnetwork.seesaa.net/article/475567670.htmlで触れたように、

穀類の粉を水でこねて小さく丸めて蒸し、または茹でたもの、

である。「団子」の由来は、今日の感覚では、嗜好的な役割が強いが、

かつては常食として、主食副食の代わりをつとめた。団子そのものを食べるほか、団子汁にもする。また餅と同様に、彼岸、葬式、祭りなど、いろいろな物日(モノビ 祝い事や祭りなどが行われる日)や折り目につくられた、

とある(日本昔話事典)。柳田國男によると、

神饌の1つでもある粢(しとぎ)を丸くしたものが原型とされる。熱を用いた調理法でなく、穀物を水に浸して柔らかくして搗(つ)き、一定の形に整えて神前に供した古代の粢が団子の由来とされる、

とするhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%AD%90。「粢(しとぎ)」とは、

日本古代の米食法の一種、水に浸した米を原料にさまざまな形に固めたものを呼び、現在は丸めたものが代表的である。別名で「しとぎもち」と言い、中に豆などの具を詰めた「豆粢」や、米以外にヒエや粟を食材にした「ヒエ粢」「粟粢」など複数ある。地方によっては日常的に食べる食事であり、団子だけでなく餅にも先行する食べ物、

と考えられている(仝上)。それが、「団子」となったのは、

米の粒のまま蒸して搗いたものをモチ(餅)とよび、粉をこねて丸めたものをダンゴ(団子)といった。団粉(だんご)とも書くが、この字のほうが意味をなしている。団はあつめるという意で、粉をあつめてつくるから団粉といった。団喜の転という説もあるが、団子となったのは、団粉とあるべきものが、子と愛称をもちいるようになったものであろう、

とする(たべもの語源辞典)。「団子」は、

中国の北宋末の汴京(ベンケイ)の風俗歌考を写した「東京夢華録」の、夜店や市街で売っている食べ物の記録に「団子」が見え、これが日本に伝えられた可能性がある、

とある(日本語源大辞典)。その「団子」の「シ」が唐音「ス」に転訛し、

ダンシ→ダンス(唐音)、

となり、

ダンス→ダンゴ、

と、重箱読みに転訛したともみられる。つまり「団子」の系列は、

神饌由来なのである。他方、「すいとん」は、

水団子、
汁団子、

とは呼ぶが、

粉物を水で練り、団子にして水(汁)に入れたもの、

という意https://www.nikkoku.co.jp/entertainment/glossary/post-137.phpの、

すいとん、

である。

似たものに「きんとん」がある。「きんとん」http://ppnetwork.seesaa.net/article/476983576.htmlで触れたように、「きんとん」は、

金団、

と当てる(広辞苑)が、やはり、

金飩、

とも当て(たべもの語源辞典)、古くは、

橘飩(きつとん)、

と書いた(仝上)。

甘藷(さつまいも)・隠元豆などを茹でて裏漉しにし、砂糖を加えて練り、甘く煮た栗・隠元豆などを混ぜたもの、

である(広辞苑)。「橘飩」は、卓袱料理http://ppnetwork.seesaa.net/article/471380539.htmlの語から由来した、とされる(仝上)。それは、もともと、

小麦粉を黄色く着色したものを丸めて茹でたもの、

とされるからである。

「きんとん」という語自体は室町時代から見られ、実隆公記の大永七年(1527)八月一日には、

自徳大寺一金飩一器被送之、

と、「金飩」の字があり、

米や粟の粉で小さな団子のように作り、中に砂糖を入れたもの、

とされる。どうも、「きんとん」は、中国から渡ってきた唐菓子の、

餛飩(こんとん)、

からその名が起こったらしい。「餛飩」は、「菓子」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474306504.htmlで触れたように、

麦の粉を団子の様にして肉を挟んで煮たもの。どこにも端がないので名づける。今日の肉饅頭のようなもの、

である。やはり、「小麦粉」を丸めたものなのである。

なお、「すいとん」の呼称は全、地方によっては、

ひっつみ、
はっと、
つめり、
とってなげ、
おだんす、
ひんのべ、

等々の名で呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%93。具材、出汁が異なり、あくまで、「すいとん」に似た郷土料理である(仝上)。例えば旧仙台藩北部地域の「はっと」は、

水で練った小麦粉の生地を小さな塊に分け、それを指で引き伸ばしながら薄い麺のように加工する、

とあり(仝上)、他の東北地方の、「ひっつみ」は、

小麦粉の団子をひっつかんで丸めて薄くしたもの(ひっつかむ→ひっつみ)、

とされるhttps://katatosi.com/archives/1897

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:すいとん
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2021年04月30日

吸口


「吸口(すいくち)」は、

煙管の吸口、
とか
たばこの吸口、

など、口に当たる部分を指す(広辞苑)が、ここでは、

吸物に浮かべて芳香を添えるつま、

の意(仝上)、である。

ゆず、木の芽、蕗の薹、

等々を指す(仝上・大言海)。香りを添え、味をしめるために、

季節のものをそえる、

とあり、

ショウガ、カラシ、ウメ、ミョウガ、ワサビ、ネギ、

等々https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E3%81%84%E7%89%A9

香りのあるもの、

である。

吸口として木の芽が浮かべられた吸い物.jpg

(吸口として木の芽が浮かべられた吸物 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E5%8F%A3より)

香りと風味を与え生臭い匂いを消す作用、
や、
見た目を美しくすることによって食欲をそそる働き、

だけではなく、

木の芽のような葉物を浮かべることで、熱い汁物を一気に飲むことで火傷をしないようにする効用もある、

とするhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E5%8F%A3。『大草家料理書』(16世紀中期)には、

生鶴料理の事。先作候て酒塩を懸て置。汁は古味噌をこくして。……すひくちは柚を入て吉也、

と載る(精選版日本国語大辞典)。

供し方は、

吸物(酒を飲むとき出すつゆもの)をつくるときは、お椀に具を入れ吸地(すいじ 汁)を張って、吸口を入れて蓋をする、

とある(たべもの語源辞典)。略して、

口、

とも、

香頭(こうとう)、
鴨頭(こうとう)、

ともいった(仝上)。香頭とは香料のことであり、香に鴨を当てたのは、江戸時代後期の『貞丈雑記』は、

青柚(あおゆ)の皮が汁に浮いているさまが、水中の鴨(かも)の頭のように見える、

ためだと記しているが、付会のようだ。

「鴨頭」は「鴨(アフ)」を「カフ」と誤読した当て字、

としている(デジタル大辞泉)し、鎌倉時代に、酒の盃に青い柚のヘギ切をちょっと浮かべて飲む酒、

柚子酒、

が流行っていた。李白の酒を讃えた、

遥かに漢水の鴨頭の緑を看れば、

という詩句(襄陽歌)から、

鴨頭、

と当てたのではないか、と推測している(たべもの語源辞典)。また、

鶴頭、

とも当てる(広辞苑)。

ちなみに、「ヘギ切」とは、

へぎ独活、
へぎ柚子、

といったように、「へぎ」は、

剥ぎ、

と当て、薄く表面を剥ぎ取る意味になるhttps://temaeitamae.jp/top/t2/kj/9991_K/01.html

「香頭」を使い出したのは室町時代で、『四条流庖丁書』(1489)に、

ヘギ生姜をカウトウに置くべし、

とある(仝上)。

「吸物」というのは、今日、

つゆ、
とか、
すまし汁、

を指すが、

すすり吸うように仕立てたもの、煮立てただし汁を塩・醤油・味噌などで味付けし、魚肉や野菜を実とする、

とある(広辞苑)。

羹(あつもの)、

とも呼び、

酒の肴、

となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E3%81%84%E7%89%A9。因みに、

しる(汁)、

は、食事の時ご飯と共に出る、

つゆもの、

を指すが、

吸物、

は、

酒と共に出るもの、

を指した(たべもの語源辞典)。

「吸口」は、

つま、

の一種とされることもある(広辞苑)。

「つま」は、

刺身や汁などのあしらいとして添える野菜・海藻など、

の意(広辞苑)だが、「さしみのつま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480958538.html?1618167957で触れたように、

妻、
とも、
具、

とも当て、

刺身や汁などのあしらいとして添える野菜・海藻、

の意だが、「つま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/443211797.html?1615959193で触れたように、「つま」は、

妻、
夫、
端、
褄、
爪、

と当てて、それぞれ意味が違うが、つながっている。いずれも、

端(ツマ)、ツマ(妻・夫)と同じ(岩波古語辞典)、

物二つ相並ぶに云ふ(大言海)、

と、

はし(端)説、

あいだ説、

がある。「つま」http://ppnetwork.seesaa.net/article/443211797.html?1477684696でも書いたことだが、上代対等であった、





の関係が、時代とともに、「妻」を「端」とするようになった結果、

対の関係、

が、

つま(端)

になったように思われる。たべもの語源辞典は、「つま」の、

ツは連(ツラ)・番(ツガフ)のツ、
マは身(ミ)の転、

とし、「連身」説を採っている。「つま」は、あるいは、

対(つい)、

と通じるのかもしれない。「対」は、唐音由来で、

二つそろって一組をなすもの、

である。「つゐ(対)」は、

むかひてそろふこと、

でもある(大言海)。

江戸時代の料理書には、「つま」に、

交、
具、
妻、

等々を当て、「具(つま)」には、

大具(おおつま)、
小具(こつま)、

があり、「交(つま)」は、

取り合わせ、
あしらい物、

の意であり、

配色(つま)、

とも書く(たべもの語源辞典)。こうみると、

主役と脇役、

は、対である。

「吸口」は、

つま、

ともされるが、

汁物料理に用いられるつけあわせ、薬味のこと、

と、

薬味、

ともされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B8%E5%8F%A3。「薬味」は、

食物に添えてその風味を増し、食欲をそそるための野菜や香辛料、

で、広く、

加薬、

と呼ばれる、

わさび、生姜、ねぎ、あさつき、大根、山椒、紫蘇、芹、三つ葉、茗荷、独活、春菊、蓼、大根おろし、七味唐辛子、胡麻、芥子、海苔、削り節、

等々を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%91%B3・広辞苑・世界大百科事典他)。

「吸口」は、

つまの一種、
薬味の一種、

とされるが、あくまで、

吸い物に浮かべて芳香を添えるもの、

である。

参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:吸口 薬味 つま
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