「つるべずし」とは、
釣瓶鮨、
と当て、
馴鮨(なれずし)の一種、
で、
(奈良県の)吉野川のアユで作った早鮨、
である。
吉野川のアユを、下市(しもいち)で製し、釣瓶型の桶に入れ、藤蔓で桶と蓋を押さえつけてならしたもの、
とある(広辞苑)。
(かつて使用していた釣瓶鮨の圧力器 https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1148/より)
「なれずし(熟れ鮨・馴れ鮨)」は、「すし」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/456254952.html)で触れたように、
塩漬けにした魚の腹に飯を詰め、または魚と飯とを交互に重ね重石で、圧し、よくなれさせた鮨、
である(広辞苑)。ただ、「飯鮨」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/475973752.html)で触れたように、
古い時代、鮨は、自然に酢味をもたせた魚ばかりのものであった。その後、早ずしとか一夜ずしといって飯を使って鮨をつくるようになったが、これは発酵作用のために飯を利用したもので、食べるのはやはり魚ばかりであった、
とあり(たべもの語源辞典)、飯は、捨ててしまったのである。つまり、
動物の生肉を塩と合わせ、それを飯の間に漬け、数日たつと飯が発酵して酸味を生じたものを食べた。…飯は食べずに、肉だけを食用とした(日本食生活史)、
冬場、雪に閉ざされる北海道や東北地方の港町ならではの食べ物で、冬の保存食として年末やお正月には欠かせない郷土料理として食べられてきました。魚をどのように美味しく保存できるのか考えられ開発されたのが「飯寿し」(http://takemoto-suisan.com/user_data/whats.php)、
等々とあるように、あくまで主役は、魚であった。
古く延喜式の諸国の貢物のなかに多く「すし」が出てくるが、
これは「馴れずし」で魚介類を塩蔵して自然発酵させたものである。発酵を早めるために、飯を加えて漬けるようになったのは、慶長(1596‐1615)ころからと伝えられる。飯に酢を加えて漬けるようになったのは江戸時代になってからで、江戸末期に酢飯のほうが主材となって飯鮨とよばれるようになり、散らしや握り鮨が生まれる、
とある(たべもの語源辞典)。飯を加えて漬けるようになったのはかなり新しい。因みに、「すし」は、
鮨、
鮓、
と当てるが、「鮨」の字は
魚の鰭、
うおびしお、魚のしおから、
を意味し、我が国でだけ、
酢につけた魚、
酢・塩をまぜ飯に、魚肉や野菜などをまぜたもの、寿司、
の意で使う。「酢」は、
塩・糟などにつけ、発酵させて酸味をつけた魚。たま、飯を発行させて酸っぱくなった中に魚をつけた込んだ保存食、
で、これが、
なれずし、
の元の形になる。
この時代の、「すし」の「酢」と「鮨」の表記は、
『十巻本和名抄-四』に『鮨(略)和名須之 酢属也』とあり、『鮨』と『鮓』は同義に用いられていた可能性がある。ただし、飯の中に魚介類を入れて漬けるのが酢で、魚介類の中に飯を詰めて漬けるのが鮨であるとも言われている、
と(日本語源大辞典)、「鮨」と「鮓」は使い分けがなされていた可能性が高い。
歴史的には、「なれずし」の後に、「一夜鮨」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/475989654.html)と呼ばれる「すし」が生まれてくる。「一夜鮨」には、
昔の「なれずし」の製法、
と、
酢をつかったものとの両義があり、
ふり塩をしたアユの腹に飯を詰め、苞にいれて火にあぶり、おもしをかけて、一夜のうちにならした鮨、
が古い形になる。
元来酢は鮒にあれ、鮎にあれ、其魚と飯とをまぜて、二三日或いは四五閒も経て、なれて食するものなるを、一夜にてなれて食するより云ふ、
とある(大言海)。この「酢」は、飯の中に魚介類を入れて漬ける「鮨」を指す。江戸時代後期『嬉遊笑覧』には、
むかしの酢は、飯を腐らしたるものにて、みな、源五郎鮒の酢の如し、早鮨とも、一夜ずしなり、料理物語、一夜ずしの仕様、鮎の酢を苞に入れ、焼火に炙りて、おもしを強くかくる、又は、柱に巻つけて、しめたるもよし、一夜にしてなるるといへり、
とある。寛永二〇年(1643)刊行の『料理物語』は、「一夜ずし」の仕様を、
鮎をあらひ、めしを常の鹽かげんよりからうして、うほに入れ、草づとにつつみ、庭に火をたき、つととともにあぶり、その上を、こもにて二三返まき、かの火をたきたる上におき、おもしを強くかけ候、又、柱に巻きつけ、強くしめたるもよし、一夜になれ候、
と書く。
つくりはじめて一日くらいで食べられる酢、
の意で、
はやすし、
なまなり、
とも言う(たべもの語源辞典)のである。ただ、「生成(なまなり)の鮨(鮓)」は、
十分な熟成を経ない半熟の鮨(鮓)ではあるが、飯を共に食するというものではなく、敢えて半熟状態のものを試みに賞翫するというもの、
とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BF%E5%8F%B8)、飯を食べる今日の鮨とは異なる。
「早すし」は、酢を用いるようになって以後の「すし」をも指すので、何に対して早いかの意味が、少しずつ変わる。ここで「一夜ずし」を「はやすし」というのは、
なれずし、
に対して言っている。時代が下るとともに酒や酒粕、糀を使用したりと、寿司の発酵を早めるため様々な方法が用いられ即製化に向かい、1600年代からは酢を用いた例が散見されるようになり、鮨に酢が使われ、酢の醸造技術も進んできて、いよいよ発酵を待たずに酢で酸味を得て食する寿司が誕生し、まさに、
早寿司(鮨)、
が生まれることになる(仝上)。この場合は、「早鮨」は、
一夜ずし、
よりも早い、ということを意味する。酢を用いるようになると、
魚は沖鱛ほどにひらりと大きく切って、二時間ほど酢につけておく。引き上げて水気がなくなるまで乾かし、飯をきれいにこしらえて、一段一段に並べ、おしをよくして、二、三日たったら出す。こしらえた翌日も食べることが出来る、
とあり(たべもの語源辞典)、ここで飯を食べるスタイルになっている。「釣瓶鮨」は、この段階の鮨になる。
酢でしめた鮎の腹にご飯を詰めて桶に入れ、フタをして上からぎゅっと押さえつけ、5日間ほどかけて発酵させたなれずしのことです、
とある(https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1148/)のはその意味になる。桶の形が、井戸で水を汲み上げるときに使う釣瓶に似ていることから、この名がついた。
「釣瓶鮨」は、
弥助鮨、
吉野鮨、
とも言うが、特に、
吉野川のアユは吉野山の櫻の花びらを食べて育つ、
といわれ、別名、
桜鮨、
とも言われた(たべもの語源辞典)。
釣瓶鮨は室町時代の、『石山本願寺日記』に下市別院からの到来物と記されるなど、日記類に散見されるが、有名になったのは、竹田出雲の歌舞伎狂言の、
義経千本桜(延享三年(1746))、
の三段目の「すし屋」で、
俗称すし屋に登場する釣瓶鮨屋弥左衛門のところに平維盛が世を忍んで弥助という変名で雇人になっている、
という場面である。だから、
弥助鮨、
とも呼ぶようになった(仝上・語源由来辞典)。
この芝居の舞台となった「つるべすし 弥助」は創業800年、今も実在する。代々「弥助」を名乗る主人も当代49代目とか(https://www.kabuki-bito.jp/special/knowledge/todaysword/post-todaysword-post-233/)。
なお、「鮨」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/456254952.html)、「一夜鮨」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/475989654.html)、「飯鮨」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/475973752.html)、「いなりずし」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/469221526.html)、については、それぞれ触れた。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95