2021年04月09日
なじむ
「なじむ」は、
馴染む、
と当てる。
なれて親しくなる、
意である。それが転じて、
おなじみ、
というように、
馴染客の意でも使うし、メタファとして、
手になじんだ筆、
というように、
しっくりする、
意でも使う(仝上)。
なれしむの約、
とある(広辞苑・大言海)ので、
馴れ染むの義(日本釈名・柴門和語類集・国語の語根とその分類=大島正健)、
ということだろう(日本語源大辞典)。
馴れ親しむ(日本語原学=林甕臣)、
馴添(日本語源=賀茂百樹)、
は、「しむ(染む)」の意味の広がりからみて、別の文字を持ってくる必要はない。
「しむ」は、「しむ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463683479.html)で触れたように、
染む、
沁む、
滲む、
浸む、
と、使い分けるが、
染色の液にひたって色のつく意から、あるものがいつのまにか他の物に深く移りついて、その性質や状態に変化・影響が現れる意、
である(広辞苑)。だから、
色や香り、汚れが付く→影響を受ける、
意へと広がり、さらに、その価値表現として、
感じ入る、親しむ→しみじみと落ち着いた雰囲気→気に入る→馴染みになる、
の意に広がり、その価値が変われば、
こたえる、
痛みを覚える、
という意にまでなる。物理的な色や香りや汚れが付く状態表現から、そのことに依って受ける主体の側の価値表現へと転じた、ということになる。だから、出発は、
染む、
と当てた、染まる意である。岩波古語辞典は、「染み」「浸み」と当て、
ソム(染)の母音交替形。シメヤカ・シメリ(湿)と同根。気体や液体が物の内部までいつのまにか入りこんでとれなくなる意。転じて、そのように心に深く刻みこまれる意、
とする。
ソム(染)の母音交替形です。シム、シミル、シメルなどと同源(日本語源広辞典)、
ソムに通ず(日本語源=賀茂百樹)、
も同趣旨だが、
シム(入)の義(言元梯)、
物の中に入り浸る意のシヅクとつながりがある(小学館古語大辞典)、
も意図は同じである。「しむ」は、
しめ(湿)す、
と同根、つまりは、
ぬらす、
のと同じ意であった、と見られる。
「染」(セン、漢音ゼン、呉音ネン)の字は、
会意。『水+液体を入れる箱』で、色汁に柔らかくじわじわと布や糸をひたすこと、
で(漢字源)、染める意である。「しみじみ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463638912.html?1547325377)で触れたように、漢字「染」には、
しみる、
しみこむ、
という意や、しみじみのように、
心に深く感じ入る、
意はない。我が国だけの使い方である。別に、
会意文字です(氿+木)。「流れる水の象形と川が曲がって行き止まりになる象形」(「屈曲する穴の奥から流れ出る泉」の意味)と「大地を覆う木」の象形から、樹液などで「そめる」を意味する「染」という漢字が成り立ちました、
との説もある(https://okjiten.jp/kanji953.html)が、あくまで「染める」意しかない。
「なる」は、「なれる」の文語形だが、
慣る、
馴る、
狎る、
熟る、
穢る、
等々と当てる(広辞苑・岩波古語辞典)。意味は幅広く、
物事に絶えず触れることによって、それが平常と感じられるようになる意、
とある(広辞苑)。そのことから、
たびたび経験して常の事になる、
意と、
たびたび行ってそのことに熟達する、
意となり、
馴染みになる(「馴る」と当てる)、
馴染んで打ち解ける(「狎る」と当てる)、
意となり、それをメタファに、
衣類などが体になじむ、
意となり、そこから、
使い古す、
意となり、そのメタファで、
よく熟成する(「熟る」と当てる)、
意となり、
使い慣れた万年筆、
というように、
馴染む、
意と重なる使い方もある。一般には、「なる」は、
慣る、
と当てるが、「慣」(漢音カン、呉音ケン)は、
会意兼形声。貫は、ひとつの線で貫いて変化しない意を含む。慣は、「心+音符貫」で、一貫したやり方にそった気持ちのこと、
とあり(漢字源)、「なれる」意から、「慣習」というように、「いつもおなじことをするならわし」の意である。別に、
会意兼形声文字です(忄(心)+貫)。「心臓」の象形と「物に穴を開けつらぬき通す象形と子安貝(貨幣)の象形」(「物をつらぬく」の意味)から、1つの物事を心の働きを方を通して、「なれる」を意味する「慣」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji845.html)が、趣旨ほぼ同じである。ただ、漢字としては、
倣、
習、
と対比される。
「慣」は、ならひ、なるるなり、大載禮「習慣如自然」、
「倣」は、效と同じ。先例にまねびてならふなり、
「習」は、重也と註す。そのことを幾遍となく重ねてならひ熟するなり。論語「學而時習之」、
とある(字源)ので、「慣」は、「なれる」意はあるが、「習う」「倣う」の「なれる」のようである。意味として重なる部分はあるが、「ならう(倣・習)」ことで、「なれる」のと、「なれる(馴・熟・狎)」ことで「なれる」のとでは、プロセスが異なる。本来、「なじむ」の「なる」は、
「狎」は、なれなれしく、なじむ儀。禮記「賢者狎而敬之」、
「馴」「擾」は、鳥獣のひとになれるをいう。淮南子「馬先馴而後、求良」漢書「劉累學擾龍」、
と(仝上)、どちらかというと、「なれなれしい」いの「なれる(馴・狎)」であり、「なれる」に当てる字としては、意味が限定される。
「熟」(漢音シュク、呉音ジュク、ズク)は、
会意。享は、郭の左側の部分で、南北に通じた城郭の形。突き通る意を含む。熟の左上は、享の字の下部に羊印を加えた会意文字で、羊肉に芯を通すことを示す。熟は丸(人が手で動作するさま。動詞の記号)と火を加えた字で、芯に通るまで柔らかく煮ること、
とある(漢字源)。別に、
会意形声。「火」+音符「孰」、「孰」は「享」+「丸(←丮)」の会意。「享(古体:亯)」は「郭」の原字で、城郭の象形、「丮」は、両手で工事するさま。「孰」は城郭に付属して建物を意味していたが、音を仮借し、「いずれ、だれ」の意に用いるようになったため、元の意は「土」を付し「塾」に引き継がれた。古体は「𦏧」であり、「羊」が加えられており食物に関連。「享」が献上物をとおして、「饗」と通じていたことから、饗応のための食物をよく煮る意となったか。藤堂明保は、「享」に関して、城郭を突き抜けるさまに似る金文の形態及び「亨」の意義などから、城郭を「すらりと通る」ことを原義としていることから、熱をよく通すことと解している。なお、「亨」に「火」を加えた「烹」も「煮る」の意を有する、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%86%9F)、さらに、
会意兼形声文字です(孰+灬(火))。「基礎となる台の上に建っている先祖を祭る場所の象形と人が両手で物を持つ象形」(「食べ物を持って煮て人をもてなす」の意味)と「燃え立つ炎」の象形から、「よく煮込む」を意味する「熟」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji971.html)が、あくまで「熟」は、「煮る」意であり、果物などが「熟す」意であるが、それをメタファに、「習熟」というような、手慣れている意もある(漢字源)が、
なじむ、
の意の「なれる」の意はない。「馴」(漢音シュン、呉音ジュン)は、
会意兼形声。「馬+音符川」で、川が一定の筋道に従って流れるように、馬が従い慣れる、
意で(漢字源)、「なれる」というより、「ならす」の含意が強い。
和語「なる」の語源は、
ナラス(均)・ナラフ(習)のナラと同根。物事に絶えず触れることによって、それが平常と感じられるようになる意、
とある(岩波古語辞典)ように、「ならう」も、
倣う、
習う、
と、
慣う、
馴う、
とを区別していない。たとえば、
ナレアフ(馴合)の義(日本語原学=林甕臣・菊池俗語考)、
というように、語源でも区別しない。だから、「なる(なれる)」も、
ナラフ(習)の義(和訓栞)、
ナラブ(並)の義に通ず。何となく事を繰り返して常となる意(国語の語根とその分類=大島正健)、
等々。
「ならう(倣・習)」ことで、「なれる」
のと、
「なれる(馴・熟・狎)」ことで「なれる」
のとでは、プロセスが異なる。どうやら、語源的には、一緒くたに「なる」「なれる」である。和語のいい加減さをよく示している。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95