「なか」は、
中、
仲、
央、
等々と当てる。「なか」の古形は、
な、
で、
三国の坂、中井(なゐ)に聘(むか)へて(書紀)、
と
他の語につき複合語をつくる、
とある(岩波古語辞典)。
中處(なか)の義、ナに中(チュウ)の意あり、
とある(大言海)のは、同趣旨である。で、
古くはナだけで中の意。カはアリカ・スミカのカと同じで、地点・所の意。原義は層をなすもの、並立するもの、長さのあるものなどを三つに分け、その両端ではない中間にあたる所の意。空間的には、上下、左右、または前後の中間。時間的な経過については、その途中、最中。さらに使い方が、平面的なとらえ方にも広まり、一定の区域や範囲の内側、物の内部の意を表すに至って、ウチと意味が接近してくる、
とある(岩波古語辞典)。「うち」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/452986493.html?1616905983)で触れたように、「うち」は、
うち(うつ)⇔そと(と)・ほか、
と対比され、
古形ウツ(内)の転。自分を中心にして、自分に親近な区域として、自分からある距離のところを心理的に仕切った線の手前。また囲って覆いをした部分。そこは、人に見せず立ち入らせず、その人が自由に動ける領域で、その線の向こうの、疎遠と認める区域とは全然別の取り扱いをする。はじめ場所についていい、後に時間や数量についても使うように広まった。ウチは、中心となる人の力で包み込んでいる範囲という気持ちが強く、類義語ナカ(中)が、単に上中下の中を意味して、物と物とに挿まれている間のところを指したのと相違していた。古くは『と(外)』と対にして使い、中世以後『そと』または『ほか』と対する、
とある(仝上)ように、「うち」は、
外(そと)の反。内、
外(ほか)の反。物事の露わならぬ方。ウラ、
あひだ。間、
それより下。以内、以下、
等々という「うち」の意味が、その意味のメタファとして、
内裏、禁中、
主上の尊称。うへ、
家の内、
味方、
心の内、
と、
中心となる人の力で包み込んでいる範囲、という気持ちが強い、
のに対して、「なか」が、
物と物とに挿まれている間のところ、
を指した。ただ、「なか」も、
空間的に、上中下の中、両端でない所(真中)、物と物の間、ある区間の端でない所、
時間的に、始めと終わりの中間、途中、最中、中旬、まるまるの日数・月数、時間の流れの中のその頃、
うち(内)の意味に近づいて、内部、内心、ある区間の範囲内、
と意味が変化し、その「間」という含意をメタファに、
二人の間、同類、間柄、
といった意味でも使う(仝上)。この場合、
仲、
を当てる(広辞苑・日本語源大辞典)。原義は、
上(ほ)つ枝は天を覆(お)へり、中つ枝は東(あづま)を覆へり、下(し)づ枝は鄙(ひな)を覆へり(古事記)、
夕へになればいざ寝よと手をたづさはり父母もうへはな離(さか)り三枝(さきくさ)の中にを寝むと(山上憶良)、
等々と見えるところから見て、
層をなすもの、並立するもの、長さのあるものなどを三つに分け、その両端ではない中間にあたる所、
の意が強かったものと推測される。ただ、「なか」の「な」が何から由来するかは、「なか」の語源、
並ぶものの中間の位置を言うところから、並處の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
二つの物の間を意味するところから、両者が隔たることナカレ(勿)の義(名言通)、
マカ(間所)の義(言元梯)、
等々の諸説からは見当がつかない。ただ、憶説ながら、
並ぶ、
と関係あるのかもしれない。「並ぶ」は、
並(な)むの延、
とあり(大言海)、「並ぶ」は、
二つのものがそろって位置している意が原義、
だが(岩波古語辞典)、「並む」は、
三つ以上のものが凹凸なく横に並ぶ、
意とある(仝上)。この「並む」の語幹「な」ではないか、たとえば、
並む處(なむか)→並處(なか)、
というように転訛したというような。勿論憶説であるが。
「なか」に当てる漢字「中」(チュウ)は、
象形。もとの字は、旗竿を枠の真ん中につきとおした姿を描いたもので、真ん中の意を表す、また、真ん中を突きとおすの意をも含む。仲、衷の音符となる、
とあり(漢字源)、別の解釈では、
指事文字です。 「軍の中央に立てる旗」の象形から「うち」を意味する「中」という漢字が成り立ちました、との説もある(https://okjiten.jp/kanji121.html)が、「中」は、
中外、
と、「ものの内側」の意であり、「内」の意に近いが、そこから、物の真ん中、進行している最中、子や兄弟の間、心の中、という意味を持つ。位置関係よりは、「内側」の意がもともと強いと見えるが、
中は、矢の的に中る義。百発百中と用ふ。転じて、広く的中する義とす。家語「孔子聖賢、其所刺譏、皆中諸侯之病」、又そこなひあてらるる義に用ふ。「中暑」「中酒」、
とある(字源)ところをみると、
まんなか、中央、
という原義のようである。
(「中」金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%ADより)
(「中」金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%ADより)
「仲」(漢音チュウ、呉音ジュウ)は、
会意兼形声。「人+音符中(真ん中)」、
で(漢字源)、まさに、人の関係に当てた字で、
兄弟の序列で、中に当たる人、
の意である。兄弟を年齢の上の者から、
伯・中・叔・季(または、孟・仲・季)、
という(漢字源)。これを季節に当て、春夏秋冬それぞれを三分して、たとえば、
孟春・仲春・季春、
という。
(「央」 甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AEより)
「央」(漢音オウ、呉音ヨウ)は、
会意。大の字にたった人間の真ん中にある首の部分を枷で押さえ込んださま。また、人間の頭の真ん中を押し下げた形と考えてもよい。真ん中、真ん中を押さえつける意を含む、
とある(漢字源)が、別に、
会意(藤堂)。大(ひと)+しるし。大の字に立ったひとの真ん中にしるしをつけたもの、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%AE)、
象形文字です。「首かせをつけられた人」の象形で、人の首が首かせの中央にある事から「まんなか」を意味する「央」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji463.html)。いずれも、首の位置から言っているようだ。
なお、
「うえ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463565088.html)、
「かみ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463581144.html)、
「した」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463595980.html)、
「しも」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/463610265.html?1616905179)、
については、それぞれ触れた。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95