「すいとん(すゐとん)」は、
水団、
と当て、
炊団、
水飩、
等々とも当てる(たべもの語源辞典)。
水団子、
の意だとある(仝上)。
小麦粉を水で練ってちいさくちぎって、味噌汁かすまし汁に入れて煮込んだもの、
で(仝上)、そのため、
汁団子
ともいう、とある(仝上)。生地を入れる際、手で千切る、手で丸める、匙ですくうなどの方法で小さい塊に加工する(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%93)。
「すいとん」の歴史は長く、「水団」の語が、南北朝時代の『異制庭訓往来』に、
点心(てんしん)の品目、
を列挙する個所に登場してくる、とある(世界大百科事典)。
因みに、『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』というのは、『新撰之消息』『百舌鳥往来』『森月往来』などともいい、南北朝時代の初学者向け教科書で、1月から12月までの行事や風物を述べた贈答の手紙を掲げ、貴族社会における知識百般を体得できるように工夫されている(ブリタニカ国際大百科事典)。
参天台五台山記(1072~73)に、
有水団炙夫二種菓、
とあり(精選版日本国語大辞典)、室町末期の『日葡辞書』にも、
Suiton、
の項目はあるが、
ある種の料理、
とあるのみで、その中身はわからない(世界大百科事典)。また、資料上「すいとん」の調理法は変遷が激しく、今日のような、手びねりした小麦粉の形式が出現したのは江戸後期である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%93)。江戸時代から戦前は、
すいとん専門の屋台、
や
料理店、
が存在しており、庶民の味として親しまれていた。大正の半ばには一旦かなり減少したが、関東大震災直後には食糧事情の悪化に合わせて焼け野原のいたるところに出現した(仝上)、とある。戦後の食糧難の時期には、主食の代用ともされたため、その時代を生きた者にとっては、「すいとん」は、粗食の代名詞かもしれない。
「すいとん」は、
上方は同名異物、
とある(江戸語大辞典)のは、幕末の『守貞謾稿』(『近世風俗誌』ともいう)に、
心太、ところてんと訓ず、三都も夏月売之、蓋京坂心太を晒したる水飩と号く、心太一箇一文水飩二文買て後に砂糖をかけ或いは醤油をかけ食之、京坂は醤油を用ひず、又晒之乾きたるを寒天と云、煮之を水飩と云、江戸は乾物煮物とも寒天と云、因日江戸にては温飩粉を団し味噌汁を以て煮たるを水飩と云、蓋二品ともに非也。本は水を以て粉団で涼し白玉と云物水飩に近し、
とある。つまり、京坂では、「ところてん」を、
水飩、
と呼ぶからである。「すいとん」は、
水団子、
とか、
汁団子、
とも書き、「団」を
唐宋音、
で、
トン、
と呼んで、「水団」を、
すいとん、
と名づけた、とするものが多い(たべもの語源辞典・広辞苑・大言海他多数)。しかし、「すいとん」は、本来、
水飩、
なのではないか、と思う。「飩」(漢音トン、呉音ドン)は、
会意兼形声。「食+音符屯(トン まるくずっしりとかたまる)」
とあり(漢字源)、
小麦粉をこねて丸く固めたもの、
の意である。わが国は「うどん」に「饂飩」と当てているが、中国では「麺」である。
「團」(漢音タン、唐音トン、呉音ダン)も、
会意兼形声。專(セン 専)の原字は、円形の石をひもでつるした紡錘のおもりを描いた象形文字で、甎(セン)や磚(セン 円形の石や瓦)の原字。團は「□(かこむ)+音符專」で、円形に囲んだ物の意を表す、
とあり(漢字源)、確かに、丸い、円形の意であり、丸く集める意(字源)はあるが。なお「団」は、和製略字で、「專」の下部をとったものである(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%A3)。
「団子」は、「団子」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/475567670.html)で触れたように、
穀類の粉を水でこねて小さく丸めて蒸し、または茹でたもの、
である。「団子」の由来は、今日の感覚では、嗜好的な役割が強いが、
かつては常食として、主食副食の代わりをつとめた。団子そのものを食べるほか、団子汁にもする。また餅と同様に、彼岸、葬式、祭りなど、いろいろな物日(モノビ 祝い事や祭りなどが行われる日)や折り目につくられた、
とある(日本昔話事典)。柳田國男によると、
神饌の1つでもある粢(しとぎ)を丸くしたものが原型とされる。熱を用いた調理法でなく、穀物を水に浸して柔らかくして搗(つ)き、一定の形に整えて神前に供した古代の粢が団子の由来とされる、
とする(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%AD%90)。「粢(しとぎ)」とは、
日本古代の米食法の一種、水に浸した米を原料にさまざまな形に固めたものを呼び、現在は丸めたものが代表的である。別名で「しとぎもち」と言い、中に豆などの具を詰めた「豆粢」や、米以外にヒエや粟を食材にした「ヒエ粢」「粟粢」など複数ある。地方によっては日常的に食べる食事であり、団子だけでなく餅にも先行する食べ物、
と考えられている(仝上)。それが、「団子」となったのは、
米の粒のまま蒸して搗いたものをモチ(餅)とよび、粉をこねて丸めたものをダンゴ(団子)といった。団粉(だんご)とも書くが、この字のほうが意味をなしている。団はあつめるという意で、粉をあつめてつくるから団粉といった。団喜の転という説もあるが、団子となったのは、団粉とあるべきものが、子と愛称をもちいるようになったものであろう、
とする(たべもの語源辞典)。「団子」は、
中国の北宋末の汴京(ベンケイ)の風俗歌考を写した「東京夢華録」の、夜店や市街で売っている食べ物の記録に「団子」が見え、これが日本に伝えられた可能性がある、
とある(日本語源大辞典)。その「団子」の「シ」が唐音「ス」に転訛し、
ダンシ→ダンス(唐音)、
となり、
ダンス→ダンゴ、
と、重箱読みに転訛したともみられる。つまり「団子」の系列は、
神饌由来なのである。他方、「すいとん」は、
水団子、
汁団子、
とは呼ぶが、
粉物を水で練り、団子にして水(汁)に入れたもの、
という意(https://www.nikkoku.co.jp/entertainment/glossary/post-137.php)の、
すいとん、
である。
似たものに「きんとん」がある。「きんとん」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/476983576.html)で触れたように、「きんとん」は、
金団、
と当てる(広辞苑)が、やはり、
金飩、
とも当て(たべもの語源辞典)、古くは、
橘飩(きつとん)、
と書いた(仝上)。
甘藷(さつまいも)・隠元豆などを茹でて裏漉しにし、砂糖を加えて練り、甘く煮た栗・隠元豆などを混ぜたもの、
である(広辞苑)。「橘飩」は、卓袱料理(http://ppnetwork.seesaa.net/article/471380539.html)の語から由来した、とされる(仝上)。それは、もともと、
小麦粉を黄色く着色したものを丸めて茹でたもの、
とされるからである。
「きんとん」という語自体は室町時代から見られ、実隆公記の大永七年(1527)八月一日には、
自徳大寺一金飩一器被送之、
と、「金飩」の字があり、
米や粟の粉で小さな団子のように作り、中に砂糖を入れたもの、
とされる。どうも、「きんとん」は、中国から渡ってきた唐菓子の、
餛飩(こんとん)、
からその名が起こったらしい。「餛飩」は、「菓子」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474306504.html)で触れたように、
麦の粉を団子の様にして肉を挟んで煮たもの。どこにも端がないので名づける。今日の肉饅頭のようなもの、
である。やはり、「小麦粉」を丸めたものなのである。
なお、「すいとん」の呼称は全、地方によっては、
ひっつみ、
はっと、
つめり、
とってなげ、
おだんす、
ひんのべ、
等々の名で呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%84%E3%81%A8%E3%82%93)。具材、出汁が異なり、あくまで、「すいとん」に似た郷土料理である(仝上)。例えば旧仙台藩北部地域の「はっと」は、
水で練った小麦粉の生地を小さな塊に分け、それを指で引き伸ばしながら薄い麺のように加工する、
とあり(仝上)、他の東北地方の、「ひっつみ」は、
小麦粉の団子をひっつかんで丸めて薄くしたもの(ひっつかむ→ひっつみ)、
とされる(https://katatosi.com/archives/1897)。
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:すいとん