「水前寺海苔」というものがある。
淡水産の藍藻、清流の川底などに生え、体は丸い単細胞から成り、粘液質により多数集まって塊状をなす。これを厚紙状に漉いて食用とする、
とある(広辞苑)。
九州の一部だけに自生する食用の淡水産藍藻類、
であり、
茶褐色で不定形。単細胞の個体が寒天質の基質の中で群体を形成する。群体は成長すると川底から離れて水中を漂う、
ともあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA)、
熊本市の水前寺成趣園(水前寺公園)の池で発見され、明治5年(1872年)にオランダのスリンガーによって世界に紹介された、
とある。ために、
水前寺海苔、
の名がある(仝上)。現在も、水前寺公園の石橋に、水前寺海苔発祥の地の立札が立っている(たべもの語源辞典)。別に、
カワタケノリ、
カワノリ(緑のカワノリとは別)、
ともいう(広辞苑・たべもの語源辞典)し、久留米では、
紫金苔(しきんたい)、
福岡県甘木では、
寿泉苔(じゅせんたい)、
と呼び名が変わる(https://www.oishi-mise.com/SHOP/mimisuise.html)。
(水前寺成趣園 https://kumamoto.guide/spots/detail/12351より)
スリンガーによって、「聖なる」を意味する学名の"sacrum"がつけられたが、それはこの藍藻の生息環境の素晴らしさに驚嘆して命名したものである(仝上)が、熊本市の上江津湖にある国の天然記念物「スイゼンジノリ発生地」では平成9年(1997年)以降、水質の悪化と水量の減少でスイゼンジノリはほぼ絶滅した、とされる(仝上)。現在、自生しているのは、
福岡県の朝倉市甘木地区の黄金川のみ、
とされ、
そこでも年々減少の一途をたどっている、
という(https://www.projectdesign.jp/201310/pn-kumamoto/000864.php)が、養殖が試みられており、
熊本の嘉島にて、丹生慶次郎が人工養殖に成功。最近では翠色が強い水前寺のりの亜種が発生し、継体養殖の末、品種として安定させた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA)。
歴史的には、
宝暦十三年(1763)遠藤幸左衛門が筑前の領地の川(現朝倉市屋永)に生育している藻に気づき「川苔」と名付け、食用とされた。1781~1789年頃には、遠藤喜三衛門が乾燥して板状にする加工法を開発し、寛政五年(1792)に商品化された、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA)。
寿泉苔、
紫金苔、
川茸、
等々の名で、将軍家への献上品とされた(仝上)。肥後でも、「水前寺海苔」は、
ひご野菜、
のひとつとされ、細川藩から幕府への献上品であった(https://www.projectdesign.jp/201310/pn-kumamoto/000864.php)。
(戻した水前寺海苔 https://www.oishi-mise.com/SHOP/mimisuise.htmlより)
参考文献;
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:水前寺海苔