「じじ(ぢぢ)むさい」は、
爺むさい、
と当て、
年よりじみている、
むさくるしい、
という意味だが(広辞苑)、年寄り自身に言うよりは、今日、
じじむさい身なり、
じじむさい意見、
というように、
男性の容姿や衣服などが年寄りのように感じられる様子、
また、
年寄りのようで汚らしい様子、
の意味で使う(デジタル大辞泉)。ただ、「じじむさい」に、
爺穢い、
と当て、
ぢぢむさい女房を持っている者も損だよ(文化十年(1813)「浮世床」)、
というように、
はなはだ穢い、
不潔、
という意味(大言海)や、
ちぢむさくも無く、小ざっぱりと洗濯物が着られるのは(文化六年(1809)「浮世風呂」)、
というように、
むさくるしい、
という意味(岩波古語辞典)で使う。
年寄りじみている、
という意味と、
むさくるしい、ひきたない、
という意味とが並立しているが、用例から見ると、室町から近世前後の、比較的新しい言葉に思える。方言では、
意地汚い、食い意地が張っている(松本)、
不細工、洗練されていない(東近江)、
等々と、汚さの意味が少しスライドして残っている。
どうも、「爺むさい」と「爺」を当てるのは、当て字なのではないか、という気がする。
「むさい(むさし)」は、
もとより礼儀をつかうて身を立つる人には心むさければ(甲陽軍鑑)、
心せばく、意地むさけれど(仝上)、
と、
むさぼり欲する心が強い。まだ欲望・意地などが強すぎてきたない(岩波古語辞典)、
卑しい、下品である(広辞苑)、
の意味と、
傍近う使ふにはちとむさいなあ(狂言・粟田口)、
と、
汚い、不潔である、
の意味がある。どうやら、
意地汚い、
という状態表現が、
汚い、
という価値表現へと転じたものと見える。方言には、この「むさい」の原意が残っていると見ることができる。
「むさい」は、
穢い、
と当てるが、
ムサト・ムサボルのムサと同根、
とある(岩波古語辞典)。「むさと」は、副詞で、
人の国をむさと欲しがる者は、必ず悪しきぞ(三略鈔)、
と、
むさぼるように強く、
むやみに、
無造作に、
といった意味で使い、「むさぼる」は、
ムサはムサト・ムサムサ・ムサシのムサと同じ、ホルは欲りの意、
とあり(仝上)、
汚らしくむさぼる、
意である(仝上)。「むさむさ」も、
むさぼり欲する心が強いさま、
で、
意地汚さ、
を言っている。こうみると、「じじむさい」は、
意地汚い、
意の「むさい」を強めている意味で、「爺」の意味は元来ない。「爺」は当て字の印象が強い。その当て字「爺」に引きずられて、今日の、
年寄りのよう、
という意味が加わったのではないか。となると、
老人の意の俗語ヂヂイ(老翁)にシジカム(蹙)のシジをだぶらせて、むさくるしい意のむさいを強調したもの(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)、
ジジムムサイ(字染穢)の義か(語簏)、
ジジムサイ(字染穢)の義か(俚言集覧)、
は付会ではないか。
一説に爺(ぢぢい)かとする説は従い難く、またぢじみ(字染)は仮名違い、
とする(江戸語大辞典)のが妥当で、
ぢぢは、鼻汁の小児語「ぢぢ」か、
とする説(仝上)の方が納得できる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:じじむさい