「たまる」は、
溜る、
と当てる。
同質のものが一所(ひとところ)に次第に集まりと止まってじっとしている意、
とあり(広辞苑)、
流れ集まる(古事記「水のたまる依網(よさみ)の池の」)、
集まりとどまる、積もる(源氏「かひなを枕に寝給へるに、御ぐしのたまりたる程などありがたくうつくしげなるを」)、
物がある場所に止まる(後撰和歌集「散るとみて袖に受くれどたまらぬは荒れたる浪の花にぞありける」)、
といった、
とまる、
つもる、
といった意味をメタファに、
堪(たま)る、
と当て、
力の入った状態のまま保つ(保元「しばらく弓たまって、……真中に押し当て放ちたり」)、
こらえる、ふせぐ(拾遺和歌集「秋霧の峰にも尾にも立つ山は紅葉の錦たまらざりけり」)、
こらえきれる、がまんできる(保元「ひとたまりもたまらずどうど落つ」)、
目一杯にこらえる、
意でも使う(広辞苑・岩波古語辞典)。「たまる」は、
たむ(溜む)の自動詞。ものごとが満を持した状態のまま、じっと動かずにいる意、転じて、相手の仕打ちに対して、こちらの態勢を変えず、されるがままにじっとこらえ通す意、
とある(岩波古語辞典)。「たむ」は、
満を持した状態でおく、一杯にした状態のままで保っておく、
意である。つまり、
満杯状態、
という状態表現が、
その状態を保っている、
という価値表現へと意味をずらしたということになる。
「たまる」の語源は、
止まる、積もるに通ず(大言海)、
トマル、ツモル、タタマルに通じ、「積もりとどまる」(日本語源広辞典)、
とする説がある。「たたまる」は、
畳まる、
で、
かさなる、つもる、たまる、
意である。その他、
手の中に集めて丸めたようであるところから(本朝辞源=宇田甘冥)、
タチモチウル(保得)の義(柴門和語類集)、
等々もあるが、どうも、音韻から見ると、
とまる(止 tomaru)→たまる(溜 tamaru)、
とむ(止 tomu)→たむ(溜 tamu)、
ではないかと感じる。「とまる」は、
止まる、
留まる、
と当てるが、確かに、
タマル(溜まる)の母音交替形。物の進行がその地点まで続いてきて、そこで一切の運動はなくなるが、その物はそこにある意。類義語トドマルは、物事の進行はやんでも、やんだ地点での物事の小さい動きはやまない意、ヤム(止)は、継続している現象や動作がその時点で消えてなくなる意、
とある(岩波古語辞典)。「とまる」が、
線的動作の時間軸が止まる、
意だが、「たまる」は、それを、雫のように、
一定場所での連続動作が空間的に極限に来る、
意とは、紙一重なのではあるまいか。
一つ所に寄り集まると、そこに集まって多くなる。これは流動していたものが止まらなければならない。止まるからきた(たべもの語源辞典)、
とする説明は、ある意味納得できる。
「澑(溜)」(漢音リュウ、呉音ル)は、
会意兼形声。「水+音符留(つるつるしたものがしばしとまる)」。古典では軒下の水たまりの意(畱とも)に用いる、
とある(漢字源)。別に、
形声文字です(氵(水)+留(畱))。「流れる水」の象形と「同形の物を左右対称においた象形(「等価の物と交易する」の意味だが、ここでは、「流(リュウ)」に通じ(同じ読みを持つ「流」と同じ意味を持つようになって)、「流れる」の意味)と区画された狩猟地・耕地(田畑)の象形」(田の間を流れる水が「とどまる」の意味)から、「水が流れる」、「水がとどまる」を意味する「溜」という漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji2348.html)。
(「溜」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2348.htmlより)
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95