2021年05月26日
講義するドラッカー
リック・ワルツマン編『ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう』、『ドラッカーの講義(1991-2003) ~マネジメント・経済・未来について話そう』を読む。
本書は、1943年から2003年までの、60年にわたる間の31回の講義をまとめたものだ。
訳者「あとがき」には、
「隠れていたドラッカーがあらわれた。」
というのが、本書を一言で言い表すものだ、と述べている。しかし、編者が「はじめに」でいうような、
「ドラッカーのバリトンのような声」
は、紙面では無理としても、あるいは、
「あらかじめ用意した講義用のノートにはまったく目もくれません。ときおり話をやめて自分の考えをまとめるその姿は、まるで大量の情報をダウンロードしているコンピューターさながら、再び元の話に戻ると、ダウンロードした事実や数字を織り込みながら時節を展開する」
様子は見えないにしても、
「ドラッカーの話はまさに変幻自在、実にさまざまな話題が飛び出します。原価会計の話がいつのまにか脱線してメソポタミアの都市国家の話になったかと思えば、高等教育や医療の歴史の紹介に移っています。どういうわけか、最後にはそうした話題を上手にまとめ上げてしまうのです。」
というドラッカーの講義の片鱗は、窺えなくもない、といった程度に、講義は印刷媒体用に、整理され過ぎているため、ドラッカーの講義の魅力は、紙面からは、感じ取れないのが残念である。もう少し、講義のままに、文字起こしすべきではなかったか、という気がしないでもない。
これと対比されるのが、『Harvard Business Review』誌に寄稿した33本の論文を完全収録した、
『P・F・ドラッカー経営論』(ダイヤモンド社、2006年)、
である。1950年から2004年までの論文を集約している。少なくとも、これを通読すれば、ほぼドラッカーの全てがわかる。しかし、残念ながら、本書は、講義ということもあるのか、全部を読んでも、ドラッカーの全体像はつかみにくい憾みがある。
それでも、ドラッカーの先見性を示す見事な話は結構ある。たとえば、
知識社会の到来、
と、そこでの、
知識労働者、
のありようについて語っているのは、
「今の私たちに見えているアメリカの教育の将来像」(1971年)、
で、
「学習は生涯続くものだと考えるようになります。最も大切な学習、つまり最も重要な本物の教育は、成人向けの生涯教育なのです」
と語り、ただし、
「ここで言う成人とは、既定の高等教育を受け、仕事や人生で際立った業績を上げ、成功を収めているひとのことです。」
とする。ここで言う、
生涯学習、
は、カルチャーセンターに通うレベルの意味では、もちろんない。それには、テクノロジーの急速な進歩に対応するという意味がある。しかし、それだけではない。たとえば、ドラッカーの上級経営講座で、
「どれくらいの頻度で学校にやって来るのか聞いてみました。すると、『少なくとも二年に一度ですね。変化についていくためには。三年か四年に一度は学校で基本を勉強し直さないと、取り残されてしまいますから』という答えが返ってきました。」(1999年「学ぶことから教えることへ」)、
とあり、しかもそれはハイテク業界ではなく、自動車業界、航空幾業界、工作機業界なのだとある。これはすべての業界に当てはまる。当然、
「ひとりひとりはスペシャリストになる必要があります。ただし、知識にはもうひとつ、奇妙な特質があります。それは、重要な新しい進歩はスペシャリストの専門分野から生れるのではない、という特質です。そうした進歩は、外部からもたらされるのです。」(1989年「知識の講義Ⅱ」)、
だから、
「基礎となる専門領域を維持しながら、その一方では外部で起こっているイノベーションの意味も的確に把握しなければならない」
のである。その上で、ドラッカーは、
「自分自身の居場所がわかっていますか」(1992年)、
「自分自身を経営する」(1999年)、
で、人類史上初めて、
「私たちは自分自身を経営する責任を負わされているのです」
と喝破し、だからこそ、これから必要なのは、学校の時期に、
「どのようにして学べばいいのかを学ばなければならない」
と(「教えることから学ぶことへ」)、指摘したのである。それは、ひとりひとりが
起業家、
とまでいかなくとも、
個人事業主、
の感覚がいるということである。これは、技術の大変革時代の今日こそ、まさに必要なことで、「メガトレンドの行方」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/481602237.html?1621535438)で触れたように(山本康正『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』)、
「『大学を卒業したら、もう勉強は無意味』という、30年以上前の昭和の時代の考え方から頭を切り替えよう」
と、主張していたが、まさに30年以上前に、ドラッカーは、
生涯学習、
を提唱していたことが分る。
この時のドラッカーの、
自主独立のスペシャリスト、
は、
「アイデンティティ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/436220288.html)で触れた、
人生コースの個別化、
と重なるのである(マーク・L・サビカス『キャリア・カウンセリング理論』)。サビカスは、
「学校を卒業して就職すること、あるいは仕事から次の仕事に移動することは、会社に依存するというよりは、個人に依存する度合いが大きくなっています。」
とし、
「いまでもフルタイム雇用が主要な仕事の形態であり、長期のキャリアも存在しているが、階層体系的な組織が壊れつつあるのに続いて、臨時の仕事やパートタイムの仕事がますます常態化しつつある。デジタル革命によって、組織はマーケット状況に合わせてより小さく、よりスマートに、より機敏になることが要求されている。」
「組織は、標準的な仕事に非標準的な契約を混入させている。仕事は消えていないが、雇用数は減らすという手法によって、プロジェクトの開始と共に始り、製品の完成と共に終了する契約に変えることによって、雇用形態が変化している。」
「組織の中核で働いている労働者にとってさえ、確実で予測できるキャリアの筋道は消えつつある。確立された路線、伝統的な筋書きは消えつつある。今日の多くの労働者は、安定した雇用に基礎を持つ堅実な生活を発展させるのではなく、生涯を通じた学習を通じて、あるいは誰かが言ったように『生きるための学習』を通じて、柔軟性のある能力を維持していかなくてはならない。安定した生活条件のなかで計画を立ててキャリアを発展させるのではなく、変化しつつある環境の中で、可能性を見いだしながら、キャリアをうまく管理していかなくてはならない。」
それは、仕事が非標準化され、そのことによって、人生も、非標準化され、
「それぞれが行う仕事によって自分の安定した居場所をこの世の中に見出すことができなくなっている」。こういう時代に必要なのは、
「企業の提供する物語を生きるのではなく、自分自身のストーリーの著者になり、ポストモダン世界における転職の舵を自分で取らなければならない。」
であり、
人生コースの個別化、
が必要とする。それは、
自分の居場所、
は自分で見つける(1992年「自分の居場所がわかっていますか」)ことであり、
自分自身を経営する、
ということなのである(1999年「自分自身を経営する」)。
参考文献;
リック・ワルツマン編(宮本喜一訳)『ドラッカーの講義(1943-1989)~マネジメント・経済・未来について話そう』、『ドラッカーの講義(1991-2003)~マネジメント・経済・未来について話そう』(アチーブメント出版)、
ハーバート・ビジネス・レビュー編『P・F・ドラッカー経営論』(ダイヤモンド社、2006年)
マーク・L・サビカス『キャリア・カウンセリング理論』(福村出版)
山本康正『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』(講談社現代新書)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95