「まさに」は、
正に、
将に、
当に、
等々と当てる。
まさにその通り、
というように、
間違いなく、
確かに、
の意で使う(広辞苑)が、この場合、「ある事が確かな事実である」という意で、
見込み通りに(事が起こり行われて)、
とか、
(社会的に定められている通りに)当然のこととして、
とか、
期待通りに、
とか、
の「まさに」の意と、また、「実現・継続の時点を強調する」という意で、
ちょうど、
とか、
いまや、
という意の「まさに」の意とがあり(「将に」とも当てる)、「確かに」の意の「まさに」には、微妙な含意の幅がある(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。
さらに、漢文訓読から起こった用法として、
学生たる者正に学問に励むべきだ、
と、
まさに…べし、
などの形で、
当然あることをしなければならないさま、ぜひとも、
の意でも使い(「当に」とも当てる)、また、
飛行機が正に飛び立とうとしている、
と、
まさに…せんとする、
という形で、
ある事が実現しそうだという気持ちを表す、
意でも使う(「将に」とも当てる)し、反語的に、
いまの翁まさに死なむや(伊勢物語)、
と、
どうして…しようか、
というように、
思い通りにはならない、
意を表す(仝上)。なお、
漢文で予想を表す辞の「将」の訓としても用い、予想通りにの意。また漢文で「当」「合」「応」などの辞も「マサニ」と訓む。これらの漢文は、本来、二つの物や事がぴたり一致する意を含む点で「まさに」にあたる。「方」はきっちり、ちょうどの意でマサニと訓む。「まさに……すべし」とだけ呼応するのは後世の訓読で、平安初期には、「まさに……む」とか、命令形、時には過去形と呼応した例もある、
とある(岩波古語辞典)。
この「まさに」は、
マサ(正・当)の副詞形、
であり、
見込み・予定・期待通りにの意、転じて、ちょうど、ぴたりと、
の意である(岩波古語辞典)。つまり、
思いと現実が重なる、
のが、「まさに」の意で、「まさ」は、
正、
当、
雅、
昌、
等々と当てる(岩波古語辞典・日本語源広辞典)。「まさ」は、
マはメ(目)の古形、サは方向の意で、タタサ(縦)、ヨコサ(横)のサに同じ。目の向く方向の様子の意。転じて、見込み・予想・予定の意。類義語タダ(直)は、直接的、一直線的で、曲折の無い意、
とあり(岩波古語辞典)、
予想にぴたり一致し、的中した事態が実現するさま、また、当然の期待に合致するさま、
とあり(仝上)、
柾、
と当てると、
正目、
つまり、
木目の真っ直ぐなるものを指す(仝上)。
(「正」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AD%A3より)
当てた主な漢字を見ておくと、「正」(漢音セイ、呉音ショウ)は、
会意。「―+止(足)」で、足が目標の線めがけてまっすぐに進むさまを示す。征(まっすぐに進)の原字、
とある(漢字源)。別に、
会意文字です(囗+止)。「国や村」の象形と「立ち止まる足」の象形から、国にまっすぐ進撃する意味します(「征」の原字)。それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「ただしい・まっすぐ」を意味する「正」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji184.html)。
(「正」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji184.htmlより)
「正」は、まさしくと訳す、正面の義、偏の反なり、花正開といへば、花が十分の見頃になりたるなり、
とある(字源)。「正」は、時機のぴたり合う、という意のようである。
「将(將)」(漢音ショウ、呉音ソウ)は、
会意兼形声。爿(ショウ)は、長い台を縦に描いた字で、長い意を含む。將は「肉+寸(手)+音符爿」。もといちばん長い指(中指)を将指といった。転じて、手で物をもつ、長となって率いるなどの意味を派生する。またもつ意から、何かでもって処置すること、これから何かの動作をしようとする意などをあらわす動詞となった。将と同じく「まさに……せんとす」と訓読することばに、且(ショ)がある、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(爿+月(肉)+寸)。「長い調理台」の象形と「肉」の象形と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形から、肉を調理して神にささげる人を意味し、そこから、「統率者」、「ささげる」を意味する「将」という漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji1013.html)。
「且」も、確かに、
且為所虜(且に虜にせられんとす)
と使われ(史記)、「まさに……せんとす」と訓ますが、接続詞「かつ」の意で見ることが多い。「且」(漢呉音シャ、漢音シャ、呉音ソ)は、
象形。物を積み重ねたかたちを描いたもので、物を積み重ねること。転じて、かさねての意の接続詞となる。また、物の上に仮にちょっとのせたものの意から、とりあえず、間に合わせの意にも転じた、
とある(漢字源)。
(「将」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1013.htmlより)
「将」は、既の反なり、欲然也と註す、まさに何々せんとすとかへり訓む、
とあり(字源)、論語に、
子曰、孟之反不伐、奔而殿、将入門、策其馬曰、非敢後也、馬不進也、
子曰く、孟之反(もうしはん)、伐(ほこ)らず。奔(はし)って殿(でん)たり。将(まさ)に門に入らんとす。
其の馬に策(むちう)って曰う、敢(あえ)て後れたるに非ず、馬進まざるなり。
とある。
「当(當)」(トウ)は、
形声。當は「田+音符尚(ショウ)」。尚は、窓から空気の立ち上るさまで、上と同系。ここでは単なる音符にすぎない。當は、田畑の売買や替地をする際、それに相当する他の地の面積をぴたりと引き当て、取引をすること。また、該当する(枠組みがぴたり当てはまる)意から、当然そうなるはずであるという気持ちをあらわすことばとなった、
とある(漢字源)。別に、
(「當」 簡帛文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%95%B6より)
会意兼形声文字です(尙+田)。「神の気配」の象形と「家の象形と口の象形」(「屋内で祈る」の意味)と「区画された耕地」の象形(「田畑」の意味)から、田畑に実りを願って事に「あたる」を意味する「当」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji238.html)。
(「當」成り立ち https://okjiten.jp/kanji238.htmlより)
「方」(ホウ)は、
象形。左右に柄の張り出した鋤をえがいたもので、⇆のように左右に直線状に延びる意を含み、東⇔西、南⇔北のような方向の意となる。また、方向や筋道のことから、方法の意が生じた、
とある(漢字源)。別に、
象形文字です。「両方に突き出た柄のある農具:すきの象形」で人と並んで耕す事から「ならぶ」、「かたわら」を意味する「方」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji379.html)。
(「方」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%B9より)
「方」は、方位の方にて、その方に向ふ義。まさかりと訳す。花方開といへば、花がいまをさかりと咲けるなり、又方今と熟し、さしあたってと訳す、
とある(字源)。左伝に、
水潦(すいろう)方隆、疾瘧(しつぎゃく)方起、
とある(仝上)。
(「方」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji379.htmlより)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95