「を(お)ざす」は、
建す
と当てる。
北斗七星の斗柄が、十二支のいずれかの方角を指す。陰暦の正月は寅の方角を指し、二月は卯を指し、順次一年間に十二支の方角を指す、
とある(広辞苑)。この順で、
三月は、辰、
四月は、巳、
五月は、午、
六月は、未、
七月は、申、
八月は、酉、
九月は、戌、
十月は、亥、
十一月は、子、
十二月は、丑、
を指す。
「斗柄」は、
とへい、
と訓むが、
けんさき、
とも訓まし(大言海)、
北斗七星のひしゃくの柄の部分、
をいい、
大熊座のイプシロン・ゼータ・エータの三星、
を指し、古代から、
これのさす方向で時刻や季節を判別した、
とある(精選版日本国語大辞典)。別に、
斗杓(とひょう)、
斗杓(としゃく)、
ともいう(仝上)。
「をざす」は、
尾指すの意、
である(和訓栞・広辞苑・岩波古語辞典・大言海)。これは、
漢字「建」に、
北斗七星の柄が、ある方向を指す、
という意味があり、
建寅(月)(ケンイン 夕方、星が見え始める時刻に寅の方向を指す=正月)、
建卯(月)(ケンポウ 同上、卯の方向を指す=二月)、
建辰(月)(ムンシン 三月)、
建巳(月)(ケンシン 四月)、
建午(月)(ケンゴ 五月)、
建未(月)(ケクビ 六月)、
建申(月)(ケンシン 七月)、
建酉(月)(ケンユウ 八月)、
建戌(月)(ケンジュツ 九月)、
建亥(月)(ケンガイ 十月)、
建子(月)(ケンシ 十一月)、
建丑(月)(ケンチュウ 十二月)、
という意味があることから、「建」を当てた、というか、「建」を「をざす」と訓ませた、とみられる。わが国では、たとえば、
建寅月、
を、
寅にをざす月、
というように訓ませた(広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』)。
これを、
十二月建(げっけん)、
といい、
閏月(うるうづき)は二四節気の節による、
とある(精選版日本国語大辞典)のは、陰暦では、1年につき約11日ズレるため、それを解消するため、
二十四節気との関連で、2年ないし3年に1度ずつ閏月をおいて補正する、
ことを指している(仝上)。
戦国時代の『鶡冠子(かつかんし)』に、
斗柄指東、而天下知春、
とあるらしいが、江戸中期の『和漢三才図絵』に、
北斗……、劔峰時々替、以可知時刻及月建、以毎昏時、劔峰所指方、知月建即気令所旺也、如正月黄昏則指寅、二月昏則指油卯(正月為寅月、二月為卯月)、謂之月建、
とある。
太陽暦では一月一日から一年が始まるが、中国で始まった太陽陰暦(月の満ち欠けをもとにした太陰暦を基とするが、太陽の動きも参考にして閏月を入れ、月日を定める暦(暦法))は、農耕用であったので、二十四節気の立春を年初とする説がある。しかし、正月という月名は、正月中(雨水)で定まるが(雨水(うすい)は、二十四節気の第二。正月中(通常旧暦1月内)。冬至→小寒→大寒→立春→雨水→啓蟄→春分と続く)、立春は正月の中に在るとは限らない。しかし、理想的には、春は立春より始まるとして、
正月、二月、三月を春、
四月、五月、六月を夏、
七月、八月、九月を秋、
十月、十一月、十二月を冬、
と区分し、それぞれの季節に、
孟、
仲、
季、
を冠して、
孟春(正月)、
仲春(二月)、
季春(三月)、
と呼んできた(広瀬秀雄・前掲書)。漢の武帝の時代から、
雨水を含む月の第一日(朔)から暦年を数え始めるのが定着した、
とある(仝上)。以降二千年採用されてきたが、『史記』によると、それ以前、
夏正は正月をもってし、殷では十二月を以てし、周正は十一月を以てす、
とあり、夏は、
寅の月(一月)を正月とし、これを人正(じんせい)、
といい、殷では、
丑の年(十二月)を正月とし、これを地正、
といい、周では、
子の年(十一月)を正月とし、天正、
と、正月が分れていた(内田正男『暦と日本人』)。つまり、
冬至を含む月(十一月 冬至月)、
大寒含むその翌月(十二月 大寒月)、
雨水を含むその翌月(一月 雨水月)、
は、年初月になる資格がある、のだという(仝上)。この正月の三つの定め方を、
三正、
というらしい(仝上)が、これは、
夏の時代に北斗の尾は建寅月(雨水月)の夕刻には、垂直になって真北(子の方向)を指していたが、周の初期には、それが冬至の頃の夕刻になっていた、
という。つまり、
夕刻に、北斗の尾が垂直になる季節(月)が変わる、
「歳差」が生じていたためらしい(広瀬秀雄・前掲書)。わが国に入ってきたのは、
夏の正月、
つまり、
雨水月、
を正月としたもので、
建寅月、
という呼び方も、そのまま受け入れた(仝上)。
さて、「建」(漢音ケン、呉音コン)は、
会意。聿(イツ)は、筆の原字。筆を手で持つさまを表す。のち、筆の意の場合は、竹しるしを添えて筆と書き、聿は、これ、ここなりなど、リズムを整える助詞を表すのに転用された。ここでは、筆をまっすぐ手で立てたさま。建は「聿(ふで)+廴(進む)」で、体を真っ直ぐ立てて堂々と歩くこと、
とある(漢字源)。別に、
会意。廷(てい)(廴は省略形。朝廷)と、聿(いつ)(筆の原字。法律)とから成り、法律を定めて国を治める、転じて「たてる」意を表す、
という解釈(角川新字源)もあるし、
会意文字です(廴+聿)。「十字路の左半分を取り出し、それを延ばした」象形(「のびる」の意味)と「手で筆記用具を持つ」象形(「ふで」の意味)から、のびやかに立つ筆を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「たつ・たてる」を意味する「建」という漢字が成り立ちました、
という解釈もある(https://okjiten.jp/kanji569.html)。
「建」は、
立てると、始むるとの意を兼ね、建国とは、国家を開き始むる義、易経に、
天造草昧、利建侯、
とある(字源)ので、「立つ」意からの解釈と、「始める」意からの解釈が並立することになるらしい。
(「建」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji569.htmlより)
参考文献;
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95