澤村修治『日本マンガ全史~「鳥獣戯画」から「鬼滅の刃」まで』を読む。
出版業界に携わった著者の、ある意味、日本における、
漫画の歴史、
であると同時に、漫画に関わる、
出版業界史、
の側面もある。著者が、本書執筆に当たっては、
「著者の個人的関心はなるべく控え、俯瞰的な叙述者に徹すべく努めた」
とある(あとがき)。にしても、新書版としては大部の500頁近い大作である。
見ものは、個人的関心と重なるが、『サンデー』『マガジン』という二大週刊誌が競い合っていた、60年代後半だ。ちょうど大学生の時期で、「おそ松くん」のギャグと、社会派「忍者武芸帖」、シュールな「ねじ式」を、ほぼ同時代に見ていた。
マンガ誌編集者にとっては、「ジャリマン」と卑下した時代、悪書としてやり玉に挙がっていた時代だが、その中で、後世、トキワ荘グループと言われた、手塚治虫の影響下の、寺田ヒロオ、赤塚不二夫、藤子不二雄、石森章太郎等々が活躍をし始めたころだ。60年代末に、
石子順造の『マンガ芸術論』(1967年)、
という、漫画を(たぶん初めて)芸術として論評した本が出たが、その中で、石森章太郎の『サイボーグ009』が完結を迎え(この後、再開されたが)、手塚治虫の『鉄腕アトム』が最終回を迎えたのを受けて、それぞれのラストを、
009は流れ星になり、鉄腕アトムは太陽に向かって飛んで行った、
という(ような)名文句で評したのをよく覚えている。
(石子順造『マンガ芸術論―現代日本人のセンスとユーモアの功罪』(1967年))
本書は、マンガ史全体を俯瞰する意図から、12~13世紀の、
鳥獣戯画、
信貴山縁起、
から、
鳥羽絵、
北斎漫画、
を経て、維新・明治期の
ポンチ絵、
から、大正期の、
岡本一平、
までが、前史になる。この頃から、
コマ割り、
四コマ漫画、
と、今日の新聞漫画へ続く道が開け、
のらくろ、
の田河水泡という山脈へと至る。「サザエさん」の長谷川町子は、田河の弟子だし、手塚治虫は、「のらくろ」を模写して技術を磨き、藤子不二雄にも強い影響を与えた。そして、
「戦争が終わると、日本の出版界は一気呵成に復興した」
という。その中で、田河の弟子、
杉浦茂(『猿飛佐助』)、
をはじめ、
山川惣治(『少年王者』)、
福井英一(『イガグリくん』)、
に続いて、
手塚治虫(『新宝島』『ジャングル大帝』)、
に引っ張られるように、
トキワ荘グループが、続々登場してくる、という流れから、戦後の漫画ブームが拡大していくのだが、この辺りは、現場の、二代漫画週刊誌、
サンデー、
と
マガジン、
との競争の、出版業界の内幕もののようにスリリングで面白い。いまは、メディアミックスから、他の分野と同じように、ネットの中から自らを売り出す時代へと転換しつつあり、所謂、
編集者、
とか、
プロデュース、
ということとは別のところから、新星が登場する時代のようで、その辺りはちょっと驚かされる。著者は、
「マンガは庶民の願望・欲望を反映したメディアだといわれる。主人公の微笑みはどこまでもやさしく、甘き夢を読者に見させてくれる。格好良さはストレートに表現される一方、意表を突くデフォルメが繰り返される。これらを表現するマンガ制作の現場では、美へ、醜悪へ向かって飽くなき闘争がなされてきたし、いまもなされている。人の心をうがち社会の裸身に迫るセンスに至る作品も珍しくない。庶民のなかから生まれた放恣な表現法でありながら、人間の真理をわしづかみにする迫力において、マンガは他の芸術ジャンルと比肩でき、ときに凌駕している」
と称える。いま、
クールジャパン、
の中核とされた「漫画」だが、既に1990年代、
「マンガは伸長のピークアウトを迎えていた」、
とある。それでも、
「長期にわたりアクチュアリティを失わずにいた」、
その精気充満は、これからも期待できると、著者は言う。独自の、
マンガ文化、
の帰趨は、ある意味日本のエネルギーの帰趨を占う指標のようにも見える。
参考文献;
澤村修治『日本マンガ全史~「鳥獣戯画」から「鬼滅の刃」まで』(平凡社新書)
石子順造『マンガ芸術論―現代日本人のセンスとユーモアの功罪』(富士新書)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95