2021年06月11日

暦注


内田正男『暦と日本人』読む。

暦と日本人.jpg


本書は、

暦注批判、

と、和製の、

暦法づくり、

をめぐる余話だが、「はじめに」で、

「本書が暦と日本人の生活を主題とする以上、暦注にかなりの頁を割くのは当然であろう。もちろん私は、暦注に関連する迷信は積極的に否定する立場を取り、懸命なお知り合いから、日の吉凶などをいう人が一人でも減ることを期待しながら執筆した」

とあるように、暦注に関しては、なかなか手厳しい。

「暦注」とは、

古暦の日付の下に付した注記、

つまり、

日時、方角の吉凶禍福に関する事項、

のことで、

暦本に記される事項、天象、七曜(木・火・土・金・水の五惑星と太陽と月)、干支、朔望、潮汐、二十四節気、

といった科学的・天文学的な事項や年中行事のほか、注記は二段に分かれ、

中段、

は、

北斗七星の星の動きを吉凶判断に用いた十二直(建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉)、

下段は、

選日(十干十二支の組合せによってその日の吉凶を占う)・二十八宿(月・太陽・春分点・冬至点などの位置を示すために黄道付近の星座を二八個定め、これを宿と呼んだもの)・九星(一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫)、

と、日の吉凶に関する諸事項を記した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6%E6%B3%A8・広辞苑他)。

最後の正規の暦.jpg

(明治五年の暦(最後の正規の旧暦) 本書より)

暦注の大半は、暦ともに中国から伝来した、陰陽五行説、十干十二支(干支)に基づいたものであるが、特に最後の改暦となった、

明治五年の改暦、

以後、旧暦が廃止され、東京天文台も研究対象としていないので、それまでは、曲がりなりにも、天文方とかかわりがあり、たとえば江戸時代は、

「暦を立てるのに必要な、二十四節気や、朔、あるいは日食・月食などの天文学的計算は幕府の天文方で行い、これを京都の幸徳井家(土御門り次席のような立場にある)に送って暦注を付け、これを再び天文方が検査して、京都の大経師が彫刻し刷上げた写本暦を幕府から領主・奉行を経て暦屋に渡し、各地の暦屋でそれぞれ実用上の板木をほり、それを天文方が検閲する」

という手続きを毎年とっていた。その肝心の官許の暦法すら、江戸中期の、有職故実家・伊勢貞丈は、

「吉日、凶日、日に吉凶はなきことなり。吉日にも悪事をすれば刑罰免れがたし、凶日にも善事を行へば、褒賞せらる。(中略)是にて考うべし、暦に日の吉凶を記すは、吉凶もなき日に、強いて吉凶を付けたるなり」

といい、江戸後期の儒家・中井竹山は、

「世に中段と称する、建徐(たつ・のぞく 十二直)の名は暦法に古く見へたることなれども、是又甚だの曲説にて、その外、下段と称する吉日、凶日、みな言ふに足らざることどもとす」

といい、以後旧暦を配することになった、明治五年改暦の布告では、

「特に中下段ニ掲ル所ノ如キハ率(オオム)ネ妄誕無稽ニ属シ、人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセズ」

として、消えたはずの「旧暦」が、明治十年代後半から、一枚刷りの暦などに、六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)が載り始めた、とある。本家中国では六百年も前に暦書から消えたもので、江戸時代もほとんど載らなかった代物である。この決め方は、

「六曜は旧暦の月日で決まる。正月は先勝で始まるから、毎年元日はかならず先勝、七月一日も必ず先勝である。あとは二日友引、三日先負、四日仏滅、五日大安、六日赤口、そして七日はまた先勝である。」

となる。この順を晦日まで続けて行けばいい。しかし、

「晦日というのは旧暦では、小の月なら二九日、大の月なら三〇日のことで、その月が二九日か三〇日かどちらであるかは毎年計算によって決まるから暦を見ないと分からない」

しかし、

「いずれにしても正月は毎年五日、一一……がよい日(大安)で、よい日の前日は必ず悪い日(仏滅)だということになってあまり面白味はない」

もので、江戸時代にはやらなかったはずである。旧暦だと、

「毎年、同じ月日の下に同じ六曜」

が載ることになるが、ところが、今日の六曜は、太陽暦のカレンダーにつけられている。

「(上述の順で)割り当ててあると、旧暦の月替りの所で順序が狂うのが、しろうとには分からなくなるから迷信に神秘性を与える上でつごうがよい。」

らしいのである。迷信の迷信たる代表のような六曜にしてこれである。今日神社でもらう「神社暦」に、頁数を割いている「九星」は、本来、昔の暦注には載らず、暦注解説書にも説明されていないものらしい。

「星といっても、これも天文学とはなんの関係もない」

もので、縦・横・斜めの総和が15になる、いわゆる「魔方陣」の、

「九つの星を年によってぐるぐる回しして、どの星の生れはどのうのと、大いに技巧をこらしたもの」

で、ある意味、

「数字のおあそびに理窟をこじつけたもの」

と著者は一蹴する。ぐるぐる回すだけで、運否占うのは確かに少し滑稽かもしれない。

我々の日常に入り込んで、心をかき乱す、こうした「六曜」や「九星」の根拠をさらけ出し、ちょっと嗤ってみるのも悪くはない。

参考文献;
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:31| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする