「こよみ」は、
暦、
と当てるが、中国の旧い文献では、
歴、
の字を使っている(広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』)、とある。
「暦」と「歴」は同系である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9A%A6)。「暦(曆)」(漢音レキ、呉音リャク)は、
厤(レキ)はもと「禾(カ 象形。穂の垂れた粟の形を描いたもの)をならべたさま+厂印(やね)」の会意文字で、順序よく次々と並べる意を含む。曆はそれを音符とし、日を加えた字で、日を次々と順序よく配列すること、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(厤+日)。「屋内で整然と稲をつらねる」象形と「太陽」の象形から、日の経過を整然と順序立てる事を意味し、そこから、「こよみ(天体の運行を測り、その結果を記したもの。カレンダー。)」を意味する「暦」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji1292.html)。
(「暦」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1292.htmlより)
「歴(歷)」(漢音レキ、呉音リャク)は、
会意兼形声。厤は「厂(屋根)+禾(カ イネ)ふたつ」の会意文字で、禾本(カホン)科(イネ科 稲・麦・粟・稗等々)の作物を次々と並べて取り入れたさま。順序よく並ぶ意を含む。歷は、それを音符とし、止(あし)を加えた字で、順序よく次々と足で歩いて通ること、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(厤+止)。「屋内に稲(いね)を整然と並べた」象形と「立ち止まる足」の象形から、整然と並べた稲束を数え歩く事を意味し、そこから、「すぎる」・「かぞえる」を意味する「歴」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji705.html)。
(「歴」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji705.htmlより)
「こよみ」は、「惠方」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/481909221.html?1623182699)でも触れたが、『日本書紀』欽明天皇十四年(553)に、百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌欽明十五年、百済国、
貢曆博士固徳正保孫、
とあり、遅くとも6世紀には中国暦が伝来していたと考えられる。また推古十年(602)には、
百済の僧勧勒(かんろく)が暦を献上した、
とあり、この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦なので、伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される、とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6・広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』)。日本では、元嘉暦から宣明暦までは中国暦を輸入して使った。渋川春海の手によって日本独自の暦法を完成させたのは、江戸前期の貞享暦からである(仝上)。
(貞享暦 (1729(享保14)年版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6より)
百済の僧勧勒(かんろく)が献上した暦は、
こよみのためし、
と訓まれている。では、この「こよみ」の語源は何か。二つの説に分かれる。ひとつは、
カヨミ(日読)の転(東雅・嘉良喜随筆・類聚名物考・和語私臆鈔・名言通・和訓栞・日本古語大辞典=松岡静雄・神代史の新研究=白鳥庫吉・岩波古語辞典・広辞苑)、
で、いまひとつは、
コはキヘ(来歴)の転(大言海・俗語考)、
である。両者とも、
ヨミは読むで、数える、
意であることは一致している。たとえば、本居宣長は、
日を数へていくかといふも、幾来歴(いくけ)、暦をこよみとつけたるも、来歴数(けよみ)にて、一日一日とつぎつぎに来(き)歴(ふ)るを、数へゆくよしの名なり、
とし(真暦考)、大言海は、
けよみ→こよみ、
かよみ→こよみ、
の両転訛を採っている。
コは、ケ(来歴)の轉、カとも轉ず(二日(フツカ)、幾日(イクカ)。気(ケ)、香(カ)。處(カ)、處(コ))。ヨミは、読むにて、数ふること、酉(ユウ)の字を日読(ひよみ)のトリと云ふも、鶏(トリ)に別ちて、暦用のトリと云ふ也。和訓栞、コヨミ「日読の義、二日、三日と数へて、其事を考へ見るものなれば、名とせるなり」。暦は、歴の義。説文に「歴、過也」とあり、年、月、日を歴(フ)る意。経歴と別ちて、下を日にしたるなり、
とある。
け→こ、
か→こ、
という母音交替は、
a→o、
e→o、
の、「奥舌母韻間の母音交替」がありうるとし、
「大開の母韻の発音運動が弱化すると、下顎の開き(顎角)はせまくなる。そのとき、舌の後部の奥舌が軟口蓋に近づき、唇が左右からすぼまると、半開きのオ[o]の音がひびく」
とされる(日本語の語源)。ただ、
日読(かよ)みとか、来歴数(けよみ)とかであることは……たしからしいとは考えられるが、このような暦の理解は、比較的後世のものではないかと思う、
という説明は説得力がある(広瀬・前掲書)。なぜなら、「こよみ」は、
時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの、
であり、
配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記した、
からである。それは、欽明紀にある、
暦博士、
とは、
現在の確認と未来の日次の予知技術に従事する人、
であり、この時輸入された中国暦法は、
観念論的数里体系であり、陰陽五行説のような形而上学的自然観に裏打ちされた非常に高度な文化所産であった、
ので、それまでの、
自然観に基づく本来の太陽暦、
を捨て去った。つまり、「こよみ」の、
けよみ(来歴数)、
かよみ(日読)、
という
カレンダー的な解釈、
は、それ以降の思想に基づくものだ、ということなのである。それ以前は、魏志倭人伝で、
其俗正歳四時を知らず、但但春耕・秋収を記して、年紀と為すのみ、
と、中国暦法(太陰太陽暦)を知らずといわれた時期の、
農耕をもとにした四季の捉え方、
にこそ、和語の、
こよみ、
という言葉は由来している、ということなのである(広瀬・前掲書)。つまり、これは「こよみ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/455951678.html)で触れたように、「暦」のある中国から見ると,
「春に耕し秋に収穫するのを一年と大ざっぱに考えている」
という程度ではあるが,季節と日々の巡りを,自然の流れの中で読んで(数えて)いたというふうに見られる。「暦」ではない,「こよみ」があったということである。
確かに、そうではなく、
日本語の「こよみ」は日を数える意である。長い時の流れを数える法が暦である。これに対し漢字の「暦」が意味するのは、日月星辰の運行を測算して歳時、時令などを日を追って記した記録である、
という解釈がある(日本大百科全書)が、この、
日を数える、
という解釈自体が、カレンダー的感覚を前提にしているということなのである。
「こよみ」の語源説の、他の、
コマカ(細)に書いたものをヨム(読)ところから、コヨミ(小読・細読)の義(和句解・日本釈名・東雅・柴門和語類集・本朝辞源=宇田甘冥)、
にも、やはりカレンダー感覚がうかがえる。
参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95