「金輪際(こんりんざい)」は、
金輪際ごめんだ、
と、
(多く、あとに打消しを伴って)強い決意をもって否定する意を表す語として、
絶対に、断じて、
の意で使う。あるいは、
聞きかけたことは金輪際聞いてしまはねば、気がすまぬ(膝栗毛)、
と、
どこまでも、とことん、
という意味でも使う(広辞苑・デジタル大辞泉)。これは、
金輪際、
という言葉が、
金輪奈落、
金剛輪際、
ともいい、仏語の、
金輪、
からきている。「金輪」とは、
この世界の地層の名、其最下底にあるものは風輪なり、其上に水輪あり、水輪の上に金輪あり、これ即ち地輪(大地)なり。其下水輪に接する所を金輪際と云ふ、
とある(大言海)。つまり「金輪際」は、
大地がある金輪の一番下、水輪に接するところ、
から来た言葉で、
地層のどんづまり、
を指し、そこから、
金輪際の敵、憎しといふはきやつがこと(浄瑠璃・鑓の権三重帷子)、
のように、
物事の極限、ゆきつくところ、
の意で使い、それを副詞的に使うと、上述のように、
金輪際嫌だ、
と、否定を強調する使い方になる。
『倶舎論』には、
安立器世閒(きせけん)、(世界)風輪居下、……次、上水輪、……水輪凝結為金、……於金輪上有九大山、妙高山王處中而住、
とある。妙高山とは須弥山(しゅみせん)の訳名とある(大言海)。「須弥」が漢字による音訳で、「妙高」は意訳となる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1)らしい
(須弥山の図 『天文図解』(元禄2(1689)年刊) https://www2.dhii.jp/nijl_opendata/NIJL0201/049-0284/より)
「金輪(こんりん)」は、
仏教的宇宙観、
に根ざしているのである。それによると、世界は、
有情世間(うじょうせけん)とよばれる人間界、
と、それを下から支えている、
器世間(きせけん)とよばれる自然界、
とに分類され、後者は、
風輪、
水輪、
金輪、
三つからなっている(日本大百科全書)。それは、
虚空にとてつもない大きさの風輪というものが浮かんでいる。その風輪の上に、風輪よりは小さいがなおかつ無限大に近いような水輪というものがあって、またその上に金輪がある。もちろん厚みも大変なものである。その金輪の上に九つの山がある。その中央にそびえるのが須弥山である。その高さは今の尺度でいうと56万キロメートルあるという。この山の南側に贍部(せんぶ)洲という名前の場所がある。ここがわれわれ人間どもの世界である、
というものである(内田正男『暦と日本人』)。「金輪」の厚みも、須弥山並にある、という。だから、その底、
金輪際、
までは底の底という感じである。古い図ではわかりにくいが、この層は、
三輪、
と呼ばれ、
虚空(空中)に「風輪」という丸い筒状の層が浮かんでいて、その上に「水輪」の筒、またその上に同じ太さの「金輪」という筒が乗っている。そして「金輪」の上は海で満たされており、その中心に7つの山脈を伴う須弥山がそびえ立ち、須弥山の東西南北には島(洲)が浮かんでいて、南の方角にある瞻部洲(せんぶしゅう)が我々の住む島、
と(http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=90)、三つの円盤状の層からなっている、とする。
いちばん下には、
円盤状つまり輪形の周囲の長さが「無数」(というのは1059に相当する単位)ヨージャナ(由旬(ゆじゅん)。1ヨージャナは約7キロメートル)で、厚さが160万ヨージャナの風輪が虚空(こくう)に浮かんでいる、
その上に、
同じ形の直径120万3450ヨージャナで、厚さ80万ヨージャナの水輪、
その上に、
同形の直径は水輪と同じであるが、厚さが32万ヨージャナの金でできている大地、
があり、その金輪の上に、
九山、八海、須弥四洲(しゅみししゅう)、
があるということになる(日本大百科全書)
「須弥山」をとりまいて、
七つの金の山と鉄囲山(てっちさん)があり、その間に八つの海がある。これを九山八海という。
周囲の鉄囲山(てっちせん)にたたえた海水に須弥山に向かって東には半月形の毘提訶洲(びだいかしゅう、あるいは勝身洲)、南に三角形の贍部洲(南洲あるいは閻浮提)、西に満月形の牛貨洲(ごけしゅう)、北に方座形の倶盧洲(くるしゅう)、
があり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1)、われわれの住んでるとされる「贍部洲(せんぶしゅう)」は、インド亜大陸を示している、とされる(仝上)。その天竺図には、
須弥山(しゅみせん)の南方海上に浮かぶとされる大陸(南贍部州 なんせんぶじゅう)を、中天竺、北天竺、東天竺、南天竺、西天竺の五つの地域に分けて描き、その上に玄奘が辿った旅の道筋が朱線で示されている、
という(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/455179)。
天竺図は、
天竺(インド)で生まれた仏教が震旦(中国)を通して本朝(日本)にもたらされたという地理的・歴史的な関係が表されている、
と考えられており、この三国によって世界が形成されているという見方を
三国世界観、
という(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/455179)、とある
確かに、金輪と水輪の境目の「金輪際」は、贍部洲(南洲あるいは閻浮提)からみれば、
遥かな底の底、
になるわけである。
参考文献;
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:金輪際