「やれやれ」は、意味に幅がある。もともとは、
感動詞「やれ」重ねて強調した語、
であり、「やれ」は、
呼びかける時、相手の注意を引く時、ふと心づいた時、困った時、他に同情する時などに発する声、
とあるが、
やんれの音便(大言海)、
あるいは逆に、「やんれ」が、
やれの転(岩波古語辞典)、
ともあり、もともとは、
やよ、
と同じく、
呼びかける声であり、「やよ」が、
やよ時雨物思ふ袖のなかりせば木の葉ののちに何を染めまし(新古今)、
と、
やあ、
とか、
やい、
とか、
もしもし、
と、呼びかける声であったように、また「やよ」が、
げにもさあり、やよ、げにもさうよのと(狂言記)、
のように、
囃子の声、
あるいは、
掛け声、
である以上、「やれ」もまた、
やれ、どうよく者、やるまいぞ(狂言記)、
や
やれ、ほんさに凪ぎるやら、
と、
掛け声、
の意がある。ただ、「やれ」には、
やんれ、
や
やよ、
にはない、
やれ、人にてありけりとて、河に投げ入れてけり(雑談集)、
やれ、一息つこうか、
やれ、困った、
というように、
おや、
とか、
あれっ、
といった、
ふと気づいた時や驚いた時などに発する声、
の意がある。
人に向けた発声、
が、
自分自身に向けた発声、
つまり、
つぶやき、
に近い、
思わず漏らす言葉、
に転じた、とみることができる。
だから、「やれ」を重ねた、
やれやれ、
にも、
やれやれ小僧ども、あの道無殿のお供の人に、よく酒をすすめよ(室町末期「人鏡論(ジンキョウロン)」)、
と呼びかける声の意の他に、
いやはや、
といった含意のつぶやきで、
ヤレヤレメデタイ(日葡辞書)、
やれやれありがたい、
のような、
安心したり深く感じたりしたときに、思わずこぼす言葉であったり、
やれやれ、ここで一服、
やれやれ、困ったものだ、
と、
疲労した時、あるいはあきれ果てた時にもらす言葉としても使う。これは、「やれ」と同じく、
人に向けていた声掛け、
を、
自分自身に向けた声掛け、
に転じたものとことができる。
(「宮 熱田神事」 歌川広重・東海道五拾三次 https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige054/より)
人に向けた声掛けとしては、
やれかれ、
やれこれ、
やれそれ、
等々の類義語がある(江戸語大辞典)。
やれ、
も、
かれ、
も、
これ、
も、
それ、
も、
共に、促したり、はやしたりする言葉である。
ただ、「やれやれ」には、今日、金融・証券用語に、
高値つかみで損をし、売りたくても売れなかったのが、相場がまた上がってきて安心する、
意で使う。そういう人を、
ヤレヤレ筋、
ヤレヤレ筋が売って手仕舞うことを、
ヤレヤレ筋の売り、
という(https://www.daiwa.jp/glossary/YST1781.html)、とある。「やれやれ」の漏れた吐息に近い言葉で「やれやれ」の意味の外延に入っている。
因みに、「やれやれ」の「やれ」については、
やよ、
や
やんれ、
といった感動詞由来ではなく、
やる(遣る)の命令形、
という説(日本語源広辞典)がある。「やれ」の元を辿れば、
命じてやらせる、
意がなくはないかもしれないが、命令形の含意と、掛け声の「促す」含意とは少し差がある気がする。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:やれやれ