尾脇秀和『氏名の誕生~江戸時代の名前はなぜ消えたのか』読む。
本書では、
「日本人の人名の歴史を、古代から語り始めることをあえてしない。江戸時代の『名前』を出発点として、その時代における人名の常識がどんなもので、それがいかなる経緯で変化し、どのように今の『氏名』が生まれたか―。それを語りたいのである。」
とし、そのために、
「まず江戸時代の人々が無意識のうちに受容・共有していた、その時代の人名の常識」
から始め、それが王政復古により、朝廷の常識とする人名への人名の「王政復古」を強制される中での混乱を通して、結局、今日の「氏名」へと落ち着くまでの経緯を描く。
その混乱の収斂のありさまも滑稽だが、江戸時代の名前の常識は、改めて独自の世界だと驚かされる。
今日、
氏名、
あるいは、
姓名、
という呼び方で意味しているのは、例えば、
横浜太郎、
なら、
氏(あるいは姓)が、横浜
名が、太郎、
というのが、常識である。しかし、これは、明治五年五月七日の、
太政官布告、
で、
従来通称・名乗、両様用来候輩、自今一名たるへき事、
と、
一人一名、
とする旨の布告以降のことなのである。つまり、逆にいうと、江戸時代は、例えば、武士だと、
苗字+通称、
と、
本姓+名乗、
の両名を持っていた。それを、著者は、
壱人両名、
と呼ぶ。
(江戸時代の人名の実態と名称 本書より)
苗字は、江戸時代、
苗氏、
名字、
等々と表記し、これを、
姓、
とか、
氏、
と呼んでいた。通称は、
遠山金四郎、
の、金四郎のような、下の名前で、
名、
とか、
名前、
と呼ばれた。この通称には、
①大和守とか図書頭というような正式の官名、
②主膳、監物、主計などの、疑似官名(江戸時代は官名を僭称できなくなっている)、
③熊蔵、新右衛門、平八郎などの一般的な通称、
の三種がある。しかし、大名・旗本などを中心に、
本姓(姓)、
というものがあり、
源、
とか、
藤原、
とか、
の「姓」を持つ。名乗は、
実名、
諱、
名、
とも呼ばれたが、通常、
「日常世界では使わないし、その機能も有していない」
ものだが、
本姓+名乗、
という、自身の系譜を表現する「姓名」として設定しておく必要があった。通常は使わなくても、
「正式な官名を名前とする大名と一部の旗本には、人生で一度くらい必要になる」
設定であった、とある。
しかし、この時、朝廷は別の常識、古代以来の官制に基づく、常識を持っていた。たとえば、
山部+宿禰+赤人、
というように、
氏(本姓)+姓(=尸 かばね)+名(実名)、
で表記される。つまり、
姓+実名、
こそが、その人の個人の名とするのである。官位は、あくまで、この姓に対して与えられる。
(二つの人名の常識 本書より)
この朝廷の常識が、王政復古で復活されようとして、維新の五年間大混乱になるが、徴兵制導入とともに、
「『国家』が『国民』個人を一元的に管理・把握する」
必要があり、
明治八年二月、名字強制令、
で、全国民に「氏名」強制されることになる。これ以降、
苗字+名、
という「氏名」が常識になる。
「『苗字』の血縁的な意味とか、それを名乗る正当性とか、そんなものに、『国家』は何の関心もない。『国家』にとっての『氏名』とは、『国民』管理のための道具でしかない」
ものになったのである。この上に立って、
戸籍法、
が成立し、
「初回の徴兵は徴兵対象者の80%が徴兵を逃れた」という、
徴兵制、
の厳格化が可能となったのである。
(近代氏名の成り立ち 本書より)
著者が言うように、
「歴史上『名前(苗字+通称)』と『姓名(姓+実名)』、そして明治五年以降の『氏名』という三種類が存在」
したことになるのである。その認識も、今日ほとんど共有されていないが。
参考文献;
尾脇秀和『氏名の誕生~江戸時代の名前はなぜ消えたのか』(ちくま新書)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95