「下司」は、
げし、
と訓むと、
身分の低い官人、
の意で、
したづかさ、
とも訓ます。
平安末期から中世にかけて、荘園の現地にあって事務をつかさどった荘官、在京の上司(じょうし)に対して言う、
とある(広辞苑)、
沙汰人、
ともいう。より詳しく見ると、
荘園領主の政所で荘園のことを扱う上司、上司と荘園現地の間の連絡にあたる中司(預(あずか)り)に対して、現地で実務にあたるものを「荘の下司」(荘司)といった。所領を寄進した在地の領主(地主)がそのまま下司に任命される場合と、荘園領主から任命されて現地に赴任するものとがあった。下司は荘地・荘民を管理し、年貢・公事(くじ)を荘園領主に進済する。代償として給田(きゅうでん)・給名(きゅうみょう)を与えられたほか、佃(つくだ)を給されたり、加徴米や夫役(ぶやく)の徴収を認められたりした。平安末期には、在地の下司は世襲となり、国衙(こくが)領の郡司職(ぐんじしき)・郷司職(ごうじしき)を兼帯して、それらの職(しき)を足掛りにして在地領主として成長し武士化するものが多かった、
とあり(日本大百科全書)、この在地領主層を武家の棟梁として組織することによって成立したのが鎌倉幕府ということになるが、
下司のうちかなりの部分が御家人化し、彼らの下司職の多くは地頭職に切り替わっていった。地頭には本所の改替権が及ばず、また地頭と称さずとも御家人化した場合には、〈所々下司荘官以下、仮其名於御家人、対捍国司領家之下知〉と《御成敗式目》に見えるように、荘官としての一面を保持しつつも、むしろ荘田・荘民を自己の支配下にとり込み、独自の領主化をすすめた、
とある(世界大百科事典)。これが、国人領主になっていく。
「下司」は、
現地にあって公文(くもん)、田所、惣追捕使等の下級荘官を指揮し、荘田・荘民を管理し、年貢・公事の進済に当たる現地荘官の長をいう、
ともある(仝上)ので、
身分の低い官人、
とはいっても、貴族から見てのことでしかない。この「上司」が、今日、
上役(うわやく)、
の意で使われる。このため、「下司」も、
したづかさ、
と訓ませて、
部下、
や
下役、
の意で使う。
「下司」は、また、
げす、
と訓ませると、
下衆、
下種、
とも当て、
身分の低いもの、
使用人、
の意で使う。この場合は、
上種(じょうず)、
上衆(じょうず)、
の対として使われ(岩波古語辞典・広辞苑)、
上衆めかし、
上衆めく、
と、
上流の人らしい、
上流の人らしくふるまう、
といった意味で使う。だから、
下種(衆)⇔上種(衆)、
の対と、
下司⇔上司、
の対は、別々の意味であったと思われる。しかし、「げす」が、
げすな奴、
とか
げすな根性、
と、
身分の低い者、
とか
しもべ、
という状態表現でから、
卑しきこと、
鄙劣(卑劣)、
等々という価値表現に転じたことによって、似た、
下層の人、
の意と混同されたのか、「卑しい」意の「げす」に、
下種、
下衆、
とともに、
下司、
も当てるようになっている。「げす」は、
げすけずし、
げすし、
と、
いかにも身分が低いものがやりそうである、
という状態表現とともに、
見るからに卑しい、
という価値表現としても使う。
本来の「下衆(種)」は、
下+ス(衆・種)、
と(日本語源広辞典)、広く、
下賤の人、
の意であったと思われる。
ところで、「下司」には、
したづかさ、
と訓ませて、
長官(かみ)、
次官(すけ)、
判官(じょう)、
主典(さかん)、
という四階級の、
四部官、
または
四等官、
を指した。おなじ「かみ」「すけ」でも、省・職・寮・司という官制によって、「下司」が変わる。官名の階級を付け、
官名+(の)+四部官、
で、たとえば、「縫殿寮(ぬいのりょう)の長官(かみ)なら、
縫殿(ぬい)+の+頭(かみ)、
大膳職(だいぜんしき)の次官(すけ)なら、
大膳亮(だいぜんのすけ)、
土佐の国の判官(じょう)なら、
土佐掾(とさのじょう)、
と称する。この四部官をつけることを、「下司をつける」という(尾脇秀和『氏名の誕生~江戸時代の名前はなぜ消えたのか』)が、ここは憶説だが、荘園の荘官を「下司(したづかさ/げし)」と呼ぶ起源は、この四部官の「下司(したづかさ)」から来たのではないか、という気がしている。
さて、「下司」にあてる「下」(漢音カ、呉音ゲ)は、
指事。おおいの下にものがあることを示す。した、したになる意を表す、上の字の反対の形、
とある(漢字源)。
(「下」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8Bより)
別に、
指事文字です。甲骨文(甲骨文字)では、基準線の下に短い線を1本引く事で「した」を意味していました。それが変化し、現代の「下」という漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji117.html)。甲骨文字を見る限り、こちらの説の方に説得力がある。
(「下」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji117.htmlより)
「司」(唐音ス、呉音・漢音ス)は、
会意。「人+口」。上部は、人の字の変形、下部の口は、穴のこと。小さい穴からのぞくことをあらわす。覗(のぞく)・伺(うかがう)・祠(神意をのぞきうかがう)の原字。転じて、司祭の司(よく一事をみきわめる)の意となった、
とある(漢字源)が、別に、
(「司」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji620.htmlより)
会意文字です。「まつりの旗」の象形と「口」の象形(祈りの言葉」の意味)から、祭事をつかさどる、すなわち、「つかさどる(役目とする)」を意味する「司」という漢字が成り立ちました、
とする解釈もある(https://okjiten.jp/kanji620.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尾脇秀和『氏名の誕生~江戸時代の名前はなぜ消えたのか』(ちくま新書)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95