2021年06月27日
せがれ
「せがれ」は、
倅、
忰、
と当てる(広辞苑)が、
躮
世椊、
忰子、
とも書く、
とある(岩波古語辞典)。「躮」は、
造字なり、
とある(大言海)。国字のようである(字源)。江戸中期の『書言字考』には、
忰、セガレ、本朝俗謂我子為忰、
とある(仝上)。
古くは女子にも用いた、
とある(広辞苑・デジタル大辞泉)。
ただ、漢字では、
忰、
と
倅、
は別字である。
「倅(伜)」(漢音・呉音サイ、漢音ソツ、呉音ソチ)は、
会意兼形声。卒は「衣+十」の会意文字で、法被を着た十人一組の雑兵や人夫をあらわす。小者の意を含む。倅は「人+音符卒」で、小者の意から、小さい人、添え役などの派生義をあらわす、
とあり(漢字源)、「せがれ」の意味はない。「助け役」「副官」の意で、周禮(夏官篇)、「遊倅」の註に、
子之未仕者、
とあり(大言海・字源)、
部屋住、
の意で使われる。
「悴(忰)」(漢音スイ、呉音ズイ)は、
会意兼形声。卒は、小者の雜卒のことで、小さい意を含む。悴は「心+音符卒」で、心やからだがやせて小さく細ること、
とある(漢字源)。「憔悴」とか「悴顔」というように、やつれ体で使う。「せがれ」に使うのは、
倅の誤用、
とある(字源・漢字源)。「悴」は、屈原「漁父辞」に、
屈原既放、
游於江潭、
行吟沢畔、
顔色憔悴、
形容枯槁、
に、
顔色憔悴、
と使われている(字源)。
「せがれ」は、
室町時代から見られる語、
とある(語源由来辞典)が、屈原の、
顔色憔悴、
形容枯槁(ここう)、
を、
「憔悴」「やせ」、「枯槁」を「かれ」と訓んだ(つまり痩せ枯れ)ところから、
とする説が結構ある(鋸屑譚・海録・俗語考・用捨箱・日本語源=賀茂百樹・猫も杓子も=楳垣実・日本語源広辞典他)。大言海も、
痩枯(ヤセカレ)の略。痩法師の意。乱世に、武勇を貴びしより、己れが子を卑下して、憔悴(ヤセガレ)と云ひしなり。此語、屈原の漁父辞に、顔色憔悴、形容枯槁(カレ 古調)とあるより出づ。悴の字を省きて、忰に作り、過りて、倅となれり。名義抄に、「顇、又倅、かじく」と見えたり、
とする。「かじく」は、古くは「かしく」で、
悴く、
とあて、
痩せる、
意である(広辞苑)。しかし、
「憔悴」「やせ」、「枯槁」を「かれ」と訓んだ、
というのが付会に思えてならない。「子供」を卑下して、
痩法師、
というのは、「坊主」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473899166.html)で触れたように、
腕白坊主、
というような子供(男の子)を指すのと同様、
昔男児は頭髪を剃ったから、
法師、
ということも、
痩法師、
ということもあり得る。しかし、それと、
痩せ枯れ、
と呼ぶのとはつながらない。しかし、
中國で娘を称する蕉萃と同義か(書言字考節用集)、
セガラウ(拙郎)の義か(燕石雑記)、
兄子吾(日本語源=賀茂百樹)、
セカルル(世悴)の義(名言通)
等々、他には見るべき説がない。ここからは勝手な憶説だが、似た音の、
やつがれ(僕)、
という言葉がある。これは、
奴我(ヤッコアレ)の約、
とされる(古くは「やつかれ」と清音)。「アレ」は、
吾(我)、
である。この言葉との類縁性の方が、気になるのだが。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95