「やつがれ」は、
僕、
と当てる(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)。また、
やつがり、
とも、とある(大言海)。和名抄に、
僕、夜都加利、
とある。
へりくだって、
わたしめ、
というような、
自分の謙称、
で、
上代は、男女に通じて用いた、
とある(広辞苑・大言海)。和名抄(平安中期)には、
奴僕、夜豆加禮、
とあり、名義抄(平安末期)には、
僕、ヤツカレ、ヤッコ、臣、ヤツカレ、
とある。
「やつがれ」は、
ヤッコアレの約(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)、
ヤッコアレ(奴我)はコア[k(o)a]の縮約でヤツガレ(僕)になった(日本語の語源)、
とされるが、「ヤッコアレ」に、
奴吾(岩波古語辞典)、
奴我(広辞苑・大言海)、
臣我(箋注和名抄)、
臣吾(言元梯)、
と、微妙に当てる字を異にする。
近世以降になると、もっぱらある程度身分のある男性の、やや改まった場での文語的な用法として使われ、近世後期には、気どったり茶化したりする用法になった。これは明治初期まで引き継がれ、その後は書生ことばなどで、ややおどけた口調の語などに用いられている、
とある(日本語源大辞典)。今日では、特殊な例を除いて、「やつがれ」は使われないし、「僕」は、漢文脈の中でも、
古代から男子の、非常にへり下った表現として見られるが、訓読されるのが一般的であった、
とある(精選版日本国語大辞典)。つまり「やつがれ」「やつがり」と訓ませた。今日は、
ぼく、
と音読するが、これは、
江戸時代の漢文から「ぼく」の形で、対等もしくは目下の者に対する自称の代名詞として多用され、さらに明治時代から、書生・学生が「ぼく」と読んで用いるようになった。現代では特に少年男子の自称として広く用いられるが、改まったときは「わたくし」を用いる、
とある(仝上・デジタル大辞泉)。
「ヤッコアレ」の「やっこ」は、
や(家)ツ(連帯助詞)コ(子)の意、室町時代までは、ヤツコ。ヤッコとなったのは近世以降、
とある(岩波古語辞典・日本古語大辞典=松岡静雄・大言海・広辞苑)。「やっこ」は、
臣、
とも、
家人、
とも
僕、
とも当てる(大言海)が、「臣」と当てると、
生事之、死不殉、是不臣(やっこ)矣(安康紀)、
と、
臣(おみ)、君に仕ふる人、
の意であり、さらに、
住吉の小田を刈らす子賤(ヤツコ)かもなき奴(ヤツコ)あれど妹がみために私田(わたくしだ)苅る(万葉集)、
と、
奴婢、
の意でも使う(大言海・岩波古語辞典)。さらに、「家人」と当てとると、
竪(タタ)さにも彼(カ)にも横さも夜都故(やつこ)とぞ、吾(あれ)はありける主の殿外(とのと=御殿)に(万葉集)、
というように(「大伴の池主が主家の大伴家持の親しき家の子なるを」と注記)、
長上より其の下を親しみで言ふ語、
の意でも使う(大言海・広辞苑)。さらに、それが、「奴」「婢」と当てると、
奴僕、
でも使われ、さらに、代名詞として、古くは、
天皇招之、因問曰、汝誰也、對曰、臣(ヤツコ)是國神、名曰珍彦(神武即位前紀)、
と、
古へ、男女共に謙遜に用いる自称の代名詞、
とある。この場合、どちらが先かは分からないが、
身分の低い人、あるいは下男、
という状態表現から、自分をへりくだる、
謙称、
として使われたということなのだろう。「やつこ」が、「やっこ」となった江戸時代以降、
武家の下僕、
つまり、
中間、
を指し、
撥鬢(ばちびん)頭・鎌髭をはやし、ぽくとぅを指した。主人の行列に槍・長柄・挟箱を持ち歩いた奉公人、
の謂いである。近世初期に、
町奴、
武家奴、
等々と、
男立、
を指したこともある(岩波古語辞典・明解古語辞典)。
「六方」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/444986084.html)で触れたように、「男立(男伊達)は、
六方、
ともいい、
奴風(やっこふう)、
を指し、
萬治、寛文の頃、江戸にありし男伊達の黨の穪。鶺鴒組、吉屋組、鐡砲組、唐犬組、笊籬(ざる)組、大小の神祇組、などありて、これを六法男伊達と云ひ、町々を徘徊せり。これ等のものを六法者とも云へり、
とあり(大言海)、三田村鳶魚は、
武家の奉公人で、身分の軽いものですが、これをすることを軽快であるとし、おもしろいとして、それを学んだものが旗本奴(江戸ッ子)、
とある。この、
男立(伊達)を気どるのを、「彌造」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/422606177.html)で触れたように、
彌造(弥蔵)、
といい、
懐手をして、着物の中で握りこぶしをつくり、肩の辺りを突き上げる姿形。江戸後期、職人、博徒などの風俗、
とある。
「ヤッコアレ」の「アレ」は、
吾、
我、
と当て、
わたし、
の意だが、
ワレ(ware)の語頭のwが脱落した形か、平安時代以後はほとんど使われず、僅かに慣用句の中に残る、
とある(岩波古語辞典)。「われ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473288508.html)については触れた。
「僕」(漢音ボク、呉音ホク)』は、
会意兼形声。菐の原字は奴隷が供え物をささげるさまに、その奴隷の頭に入れ墨をする印を加え、下部に尻尾を添えた姿を描いた象形文字で、獣に近いさまを示す。僕は、それを音符として、人を加えた字で、荒削りで作法を知らない下賤の者の意を含む。転じて謙遜するときの一人称代名詞になった、
とある。「ぼく」の使い方よりは、「やつがれ」の方が、漢字の意味にはかなっていたことになる。
(「僕」 甲骨文字 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%83%95より)
別に、
会意形声説。「人」+音符「菐」(従者等の象形)。甲骨文は「其」(箕の象形)+「辛」(刑具の象形)+「人」+「尾」+数個の点。しもべがごみを盛った竹箕を持ち、掃除する姿に象る。奴僕、しもべが本義である。「其」は後に「甾」に変形、両手は「辛」の下に移り、人は偏へ、「辛」は「丵」に変形した。劉興隆によれば、「尾」には侮辱の意味が込められている、
とする説(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%83%95)、
(「僕」 金文 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%83%95より)
会意文字です(人+其+辛+廾)。「5本の指のある手」の象形と「農具:箕(み)」の象形と「入れ墨をする為の針」の象形と「両手」の象形から、罪人・奴隷が汚物を捨てているさまを表し、そこから、「しもべ」、「召使い」を意味する「僕」という漢字が成り立ちました、
とする説(https://okjiten.jp/kanji2014.html)、
等々もある。
(「僕」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2014.htmlより)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95