「くどく」は、
口説く、
と当てる。
また泣く泣く口説き申しけるには(保元物語)、
というように、
うらみがましくくどくどという、
愚痴っぽく言う、
という意味と、
経読み仏くどきまゐらせるるほどに(讃岐典侍日記)、
と、
心のうちを切々と訴える、
特に、
神仏に祈願して訴える場合にいう、
意味と、
此方よりくどきても埒のあかざることもあるに(好色一代男)、
と、
異性に思いのたけを訴えて言い迫る、
意とがある(広辞苑・岩波古語辞典)。
「くどく」の「くど」は、
くどくど、くだくだの語幹を活用せしむ。苛々(いらいら)、いららぐ。連連(つらつら)、つららぐ、
とある(大言海)。「くどくど」は、
長ったらしいさま、
冗長なさま、
の意で、
話、文章が長々しくて煩わしい、
同じ事を繰り返す、
といった状態表現であるが、そこから、
何をくどくどして居るぞ(虎寛本狂言・靱猿)、
とか、
ああ、由ないことをくどくどと思うた事かな(狂言記・布施無)、
といったような、
ぐずくず、
や
くよくよ、
といった、
振舞いや思い切りの悪さを意味する価値表現の言葉として使われる。「くどくど」は、古く、
ぐとぐとと埒明かずといへば(仮名草子・悔草)、
と、
ぐとぐと、
と言ったり、
あそこのすみへいってもぐどぐど、ここのすみへ行ってもぐどぐどと、同じことを云ひて(虎明本狂言・宗論)、
と、
ぐどぐど、
といったりする(擬音語・擬態語辞典)。日葡辞書にも、
ぐどぐどとする、
と載る。これが方言に残り、
徳島県で「ぐとぐと」、山形・新潟・香川・愛媛で「ぐどぐど」というところがある、
とある(仝上)。類義語に、
くだくだ、
たらたら、
ぐだぐだ、
がある。「くどくど」が、
不必要なことを繰り返す、
のに対して、「くだくだ」は、
無用のことをわざと長々説明する様子、
要領を得ない様子、
であり、「ぐだぐだ」は、
長々とだらしなく言い続ける様子、
と、似ているのに対して、「たらたら」は、
不平・文句・お世辞などを並べ立てる様子、
を表すという違いがある(擬音語・擬態語辞典)。
「くどくど」は、「長い」の語幹を重ねた「ながなが」と同様、
形容詞「くどい」の語幹を繰り返した語、
とある(擬音語・擬態語辞典)が、「くどくど」は、
くだくだの転訛、
ともある(日本語源広辞典)。
「くだくだ」は、
刀を抜き、くだくだに斬りてぞ投げ出しける(仮名草子・智恵鑑)、
と、
細かに打ち砕いたさま、
つまり、
こなごな、
の意(岩波古語辞典)だが、
くだくだしゃべる、
というように、
言い方が明快さを書き、しつこくて長たらしいさま、
の意でも使う。
くだくだし、
という形容詞は、
クダはクダク(砕)と同根、
とあるので、
いかにも細かい、
という状態表現であるが、
くだくだしきなほ人の中らひに似たる事に侍れば(源氏)、
と、
いかにも細々しくて煩わしい、
という価値表現としても使う(仝上)。名義抄には、
細砕、クダクダシ、
と載る。
古語のくだくだしは、(「くどくど」の)語源に近い言葉です、
とある(日本語源広辞典)が、
こまごまと煩わしい、
意味が、
喋り方に転用されることはあり得る。現に、
クダクダシしい文章、
は、
くだくだしい物言い、
とも言い変えられる。
こうみると、「くどく」が、
くどくど、
ぐとぐと、
ぐどぐど、
くだくだ、
ぐだくだ、
といった擬態語から来たと見るのでよさそうに見えるのだが、異説がある。
口(言葉)+説く、
で、
ことばで説得する、
意とする説がある(日本語源広辞典・和句解・和訓栞)。
反復する擬態語が、動詞を作る時は、チラチラする、ヒラヒラする、グラグラする、の形を取り、大言海のような(苛々(いらいら)、いららぐ。連連(つらつら)、つららぐ等々)例は見られません。口を、クという音韻で表すことは他にも例があります(口調、異口同音)、
として、
口+説く、
を語源とするものである。確かに、
口説、
口舌、
と当てる「くぜつ」もある。「口説」は、
くぜち、
とも訓ませ、
おしゃべり、
言い争い、
の意もあり(日葡辞書に、「クゼツノキイタヒト」とある)。さらに、「口説」には、
男女間の言い争い、
痴話げんか、
の意もある(広辞苑)。ただ、「くぜち(口舌)」は、
口舌(こうぜつ)の呉音、
とある。「ク」と訓むことだけから、
口+説く、
とするのには決め手が欠ける。意味だけからいうなら、やはり、
くどくど、
ぐとぐと、
ぐどぐど、
くだくだ、
ぐだくだ、
等々の擬態語由来とみるのが妥当なのではないか。さらに、「くどくど」が、
形容詞「くどい」の語幹を繰り返した語、
とすれば、例えば、
くどい→くどくする→くどく、
と、形容詞から動詞化することはあり得る。
また、
「口説く」は当て字、
ともある(デジタル大辞泉)。当て字から語源を遡るのは先後逆となる。この当て字は、
口説(くどき)、
と呼ばれる、
琵琶法師の、平家語る曲節(ふし)、
の意で、
語る半ばに、特に調子を変えて、書簡などを語るところ、
を指す(大言海)。この、
平曲、
が、謡曲、浄瑠璃、長唄などへと流れていく。「平曲」では、
説明的な部分をいう。地の部分で、最も普通に用いられる曲節。旋律的でなく、また、音を装飾したり伸ばしたりすることもなく、語るような口調。中音域で、テンポも中庸。歌詞の内容は雑多であるが、多くの曲はこれで始まる、
意から、謡曲で、
拍子に合わない語りの部分。散文的である点は平曲と同じであるが、内容は悲嘆、述懐などで落ち着いた調子。音域も低い、
となり、浄瑠璃、歌舞伎音楽では、
悲嘆、恋慕、恨み、懺悔などを内容とする部分。特に恋する相手に心中の思いを訴えるものが多い。いわゆる「さわり」と呼ばれる曲中の聞きどころで、詠嘆的、抒情的。テンポが遅く旋律が美しい、
ものへと変じていく(精選版日本国語大辞典)。今日の「口説き」のイメージは、浄瑠璃の心情表現のイメージが強い。この「口説き」は、
くり返して説くという意味の動詞「くどく」の名詞化、
であり(世界大百科事典)、
口説く、
と当てたのは、この、
くどき、
からのような気がする。
(「口」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8F%A3より)
「口」(漢音コウ、呉音ク)は、
象形、人間の口やあなを描いたもの、
である(漢字源)。別に、
会意文字です(卜+口)。「うらないに現れた形」の象形と「口」の象形から、「うらない問う」を意味する「占」という漢字が成り立ちました。また、占いは亀の甲羅に特定の点を刻んで行われる事から、特定の点を「しめる」の意味も表すようになりました、
とする解釈もある(https://okjiten.jp/kanji1212.html)。
(「口」成り立ち https://okjiten.jp/kanji1212.htmlより)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95