かつての暦には日々の吉凶、禁忌などを記載した暦注というものがあった。たとえば、正月三箇日だと、第一日(元日、また元日が陽が悪いと二日になる)、
はかため(歯固め)・くらひらき(蔵開)・ひめはしめ(火水始)・きそはしめ(着衣始)・ゆとのはしめ(湯殿始)・こしのりそめ(輿乗初)、万よし、
第二日には、
馬のりそめ・ふねのりそめ・弓はしめ・あきなひはしめ・すき(鋤)そめ、万よし、
等々とある。
だいたい初日に入るものと、二日目に入るものと決まっているが、年によってどちらかになるものとがある、
とある(内田正男『暦と日本人』)。だから、享保五年(1720)の『天朝天文』(源慶安)は、
門出に凶とある日、主命なれば発足するに何事もなく帰国すること毎度なり。また役目なれば金神の方の国土に行きて在宅するに何の災いなきこと主人持し人々皆これなり、
と、「儒・仏・神ともに学者の用いざる」ような、「日に依って吉凶善悪」に振り回されることを嘲笑っている。
さて、この正月の「歯固め」は、
歯固(よはひかため)を、ハと読める語なるべし、
とある(大言海)ように、
正月から三日までの間、歯(よはひ)すなわち年齢を固める意味で歯の根を固め、健康増進を願って食べる食物、
のこと(岩波古語辞典)で、
元日に、餅鏡(もちひかがみ)に向かいて見る儀、後に、これを鏡餅に居ると云ふ、
とある(大言海)。「鏡餅」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473055872.html)で触れたように、大言海は、ここから、
元旦の歯固(はがため)のモチヒカガミを略して、カガミと云ひしに、再び、下に、モチを添えたる語ならむ、
と、「鏡餅」の語源を、
もちかがみ→かがみ→かがみもち、
としているが、室町後期の『世諺問答(せいげんもんどう)』(一条兼良)に、
元日の歯固めとて、鏡餅に向ふことは、歯と云ふ文字をよはひと読むなり。齢を固むる心なり。古今集の、あふみやの、鏡の山を、たてたれば、かねてぞ見ゆる、君が千歳は、の歌を吟ず(鏡餅の名も是より起る、御歯固めの餅は、近江國の火切(ヒギリ)の里より貢するを用ゐる)、
とあるので、深くつながることは確かである。『源氏物語』にも、
歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り混ぜて、千年の蔭にしるき年のうちの祝ひ事どもして(初音巻)、
とある。
中国の『荆楚歳時記』(525年)に、
年頭に膠牙餳(こうがとう)という堅いあめを食べる風習、
が記されている(世界大百科事典)。日本にもこの風が伝わったもので、「歯固めの具」としてさまざまなものが用いられた。
たとえば、宮中では、正月に天皇へ供える膳には、
大根(おおね)・未噌漬瓜(みそづけうり)・糟漬瓜・鹿宍(しかのしし)・猪宍(いのしし)・押鮎(おしあゆ)・煮塩鮎(にしおあゆ)の七品をそろえる、
と定められていた(日本食生活史)。天皇は見るだけであったのは神供の形式であろう(世界大百科事典)、とされる。
平安末期の『江談抄』に、
元三之閒、供御薬御歯固、鹿或盛也、近代以雉盛之也(以上、今の雑煮餅也)。江家次第、一、供御薬「内膳自右青瑣門、供御歯固具……大根一坏、串刺二坏、押鮎一坏、煮鹽鮎一坏、猪宍一坏、鹿宍一坏」、
とある(大言海)。「歯固めの祝ひ」は、「供御薬儀(ミクスリヲクウズルギ)」と呼ばれる年中行事の一部として、
元日早朝に屠蘇(数種の薬草を組み合わせた屠蘇散を酒に浸してつくった薬酒)と共に硬い食べ物を口にして長寿を願う儀式、
なのである(http://heian.cocolog-nifty.com/genji/2006/01/post_2393.html)。この七品が、平安後期には、「江家次第」によると、鹿宍の代わりに鴫(しぎ)を、猪宍の代わりに雉子を用いるように変わる。仏教と陰陽道の影響で、肉食を戒める傾向が強まったためである。なお、「屠蘇」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/479283275.html)については触れた。
(歯固めの品々を載せた台に鯛や鯉、鹿、押鮎などとが並んで鏡餅が描かれている(『類聚雑要抄』)https://uryu-tsushin.kyoto-art.ac.jp/detail/105より)
さらに、平安中期からは、
鏡餅、
も加えられるようになり、朝廷、公卿の家では、
五歳までの子の頭に餅を載せ、前途を祝う儀式をした、
とある(岩波古語辞典)。どの時点からか、「歯固め」における、
歯固めの具、
が、前述の、
大根・未噌漬瓜・糟漬瓜・鹿宍・猪宍・押鮎・煮塩鮎、
等々に代わって、
神前に供えた鏡餅を元日の朝食べて歯固めをする、
と、鏡餅を食べることに意味が変わっていったように見え、
年神に供えた鏡餅をそのまま歯固めと呼ぶところ、
すらあり、これを夏季まで保存し、6月1日に食べるところもある(百科事典マイペディア)、とある。
地方によってさまざまであるが、
くり、かや、大根、串柿、かぶ、するめ、昆布、
等々を「歯固めの具」として口にしたり(ブリタニカ国際大百科事典)、
元旦に串柿、搗栗、豆などを茶うけとして家族一同で茶を飲むこと(長野県の上、下伊那郡)、
正月に搗栗や飴を食べる(広島県や鳥取県など)、
だったりする(日本大百科全書)が、全国的に大根は共通して用いられているらしい。ただ、東日本を中心に、6月1日を、
歯固めの日、
として、
正月神前に供えた鏡餅を干して保存しておいたものを食べる、
地方がある。江戸末期の『諸国風俗問状答(といじょうこたえ)』にも、伊勢国白子(しろこ)領の答書によると、正月の鏡餅をしまっておいて食べる(日本大百科全書)とある。
「鏡開き」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473083486.html)で触れたように、「鏡開き」は、
正月十一日に鏡餅を下げて雑煮・汁粉などに作って祝う行事。もと武家で男子は具足、女子は鏡台に供えた鏡餅を下ろして祝ったのが、一般の風習となったもの、
であり(江戸語大辞典)、一般に、
正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事である。神仏に感謝し、無病息災などを祈って、供えられた餅を頂き、汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などで食される、
ようになるのは江戸時代になってからであり、その意味で、「鏡餅」を「歯固めの具」とするのは、かなり新しい、と思われる。
正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事である。神仏に感謝し、無病息災などを祈って、供えられた餅を頂き、汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などで食される、
という「雑煮」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/481191464.html)も、「鏡餅」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473055872.html)と深くつながる。だから、「歯固め」に鏡餅がセットになった時から、正月の雑煮餅を祝う風習へと変化したという流れもありうるのである。
参考文献;
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:歯固め