「実盛(さねもり)送り」は、特に、中部以西でいうが、
実盛祭、
ともいう(日本伝奇伝説大辞典)、
虫送り、
のことである。
ウンカ、ニカメイチュウなど、主として稲の害虫を村外に追放する呪術的な行事。毎年初夏のころ定期的に行う例と、害虫が大発生したとき臨時に行うものとがある、
とある(日本大百科全書)。
(「除蝗(むしおひ)の図」(大蔵永常『除蝗録』) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536205より)
虫除け、
稲虫送り、
ともいい、
稲虫を数匹とって藁苞に入れ、松明を先頭にして行列を組み、鉦や太鼓をたたきながら、田の畦道を回って村(集落の意)境まで送って行く。そこで藁苞を投げ捨てたり、焼き捨てたり、川に流したりする。理屈からいえば、村外に追放しても隣村に押し付けることになるが、村の小宇宙の外は他界であり、見えなくなったものは消滅したと考えたのである、
とある(仝上)が、上総國大谷村の例では、
虫除けは村から村へと「虫除明神巡行」がおこなわれるが、大谷村へは隣村の川谷村から虫除明神が送られてくる。安政五年の場合、虫除明神が川谷村から送られてきたのは六月十日であった。虫除明神を迎え神事を執行するのは神官であるが、大谷村には神官がいないため、他所より来てもらっている……。十日の八つ半時(午後2時)頃神官が大谷村に到着すると、それを待っていたかのように川谷村から村境まで虫除明神がきているので迎えに来てほしいと連絡があった。神官・名主八郎兵衛・組頭そして若者中は早速迎えに行き、虫除明神を天王様(大杉神社の疱瘡や疫病除け・水上交通の守護神アンバサマ(安母様)の分霊を祀っている)に納め、神官に酒食を供している。翌十一日は名主・与頭が同席し、昨夜より泊まっている神官に朝食を供し、その後天王様で宝楽が行われ、……「虫除明神」の(村内の)巡行が始まり……虫除明神を次村へ送っている、
と、至極のんびりしたものである(山本光正『幕末農民生活誌』)が、別に静かだったわけではなく、
神社の前に集まり、焚火をして、一本一本各人が松明を持ち、田んぼの道を行列をくんで、青年達が太鼓を叩き、笛を吹きながら村境まで行って、松明をひとまとめにして、太鼓・笛で囃したてて燃え尽きたと同時に帰ってきた、
ともある(仝上)。
こうした呪術的儀礼は、
稲に虫がつくのは悪霊の所為と考え、あるいは、不幸な死を迎えた人間の怨霊の仕業と考え、虫をとらえたり、その人間をかたどった人形をつくり、高く掲げて田畑を回り、村境や川、海、山などにまで送り出す、
ものだ(ブリタニカ国際大百科事典・日本伝奇伝説大辞典)が、
中世の御霊信仰(ごりょうしんこう)と深い関係にある、
と考えられている(仝上)。御霊信仰(ごりょうしんこう)は、
人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする、
信仰のことである(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0)。
古い例から見ていくと、藤原広嗣、井上内親王、他戸親王、早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった、
とある(仝上)例を見ると、ある意味で、非業の死に追いやった側に、恐れが大きいのかもしれない。
「虫送り」に、斎藤別當実盛(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%AE%9F%E7%9B%9B)が結びつけられたのは、
実盛が敵に襲われ深田に落ちて困っているのを農民が助けなかった、
からとも、あるいは、
実盛が稲の株につまずいて倒れたのが原因で敵に討たれた、
ために、その恨みによりイナゴなどの害虫となって稲を食い荒らすと信じられたから、とされ(江戸語大辞典・日本伝奇伝説大辞典・世界大百科事典)、稲を害する蝗・浮塵子(うんか)の類に、
実盛蟲、
の名を付けている(大言海・江戸語大辞典)が、
倭俗に、実盛蟲と称するあり、いなごに似て、小也、青色也、首は兜を着たるが如し、稲葉を食て、大に害す、夜、松明をともし、鐘鼓を鳴らして逐之、
とあり(大和本草)、
横から見ると、烏帽子をかぶった武士の姿に見える、
ともある(http://m.zukan.net/blog/2008/08/86-1.xhtml)、「ウンカ」のようである。
ただ、江戸後期の『用捨箱』(柳亭種彦)には、
青色の蟲を夕顔別當と云ふも、夕顔の花の中へ潜り入り、我物顔にふるまふ故の名なり、……蝗(イナムシ)を、実盛と云ふも、原(もと)は、稲別當など云ひしを、坂東の農民、長井別當の名高きより、戯れに、実盛と、隠語のやうに云ひたるが、遂に、諸国へわたりしにはあらずや、
と書く(大言海)。長井別當とは、越前の住人でのち武蔵国長井に移り、長井別当と称した、斎藤別當実盛のことである。この説で言うなら、別當つながりで、
夕顔別當→稲別當→斎藤別當→実盛、
と、斎藤別當になったことになるらしい。実否は別にして、ありえる面白い説だ。勿論背景に御霊信仰があってのことだが。
そんなことで、「虫送り」には、
帯刀の侍姿の藁人形(実盛人形)を担ぎ歩く、
例もあるし、実盛が、木曾義仲の部将・手塚太郎光盛によって討ち取られたとされているため、
実盛と手塚太郎の人形が争う形をとる、
例もある。
「虫」は、「蟲」の略字とされているが、本来は別字である。
「虫」(漢音キ、呉音ケ)は、「まむし」の意であり、爬虫類の意味も表すが、
象形。蛇の形を描いたもの、
であり、
「蟲」(漢音チュウ、呉音ジュウ)は、「昆虫」の意であり、動物の総称で、「羽虫」は鳥類、「毛虫」は獣類、「甲虫」は亀類、「麟虫」は魚類、「裸虫」は人間と、動物の総称でもあり、
会意。虫を三つ合わせたもので、多くの蛆虫。転じていろいろな動物を表す、
とある(漢字源)。「蟲」(チュウ)は、別の字であるが、のち「虫」の字を「蟲」の略字としてもちいたものである(仝上)。
参考文献;
山本光正『幕末農民生活誌』(同成社)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95