「わざわひ(い)」は、
災い、
禍、
殃、
等々と当てる(広辞苑)。
ワザは鬼神のなす業(わざ)、ハヒはその状(さま)をらわす、
とあり、
其の殃(わざはひ)に罹らむ(法華経)、
というように、
傷害・疾病・天変地異・難儀などをこうむること、
悪い出来事、
不幸な出来事、
の意である(仝上)。「わざ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482526535.html?1626633416)は、
こめられている神意をいうのが原義、
であり(岩波古語辞典)、
もと、神のふりごと(所作)の意。それが精霊にあたる側の身ぶりに転用されたもの(国文学の発生=折口信夫)、
とあるのも同趣旨になる(日本語源大辞典)。「ワザ」は、
ワザハヒ(災)・わざをき(俳優)のワザ、
とある(岩波古語辞典)のは、
ワザワヒ(禍)の転用、曲之靈が禍を為すむというところからか(国語の語根とその分類=大島正健)、
と同趣旨で、「災害」「災い」を神の「しわざ」と考え、そこに神意を読み取る側の受け止め方ということになる。だから、単なる、
行為、
や
行事、
ではなく(大言海)、
人妻に吾(あ)も交はらむ、吾妻に人も言問へ、此の山を領(うしは)く神の昔より禁(いさめ)ぬわざそ(万葉集)、
と
神意の込められた行事・行為、
とか、
深い意味のある行為・行事、
というのがもとの用例に近い(広辞苑・岩波古語辞典)。
事柄に込められている神意(日本語源広辞典)、
つまり、
神わざ、
と受け止めた、という意味である。だから、「わざ」は、
人力の及ばない不気味な神意(日本語源広辞典)、
隠された神意(岩波古語辞典)、
神為(わざ)を活用す(大言海)、
神のしわざ(名言通)、
鬼神の行為(江戸語大辞典)、
ということになる。
問題なのは、「わざわひ」の「はひ」である。多く、
サキハヒ(幸)・ニギワヒ(賑)・ケハヒ(気配)のハヒに同じ、
とされる(大言海・岩波古語辞典)。その「ハヒ」は、
言霊のさきはふ国と語りつぎ言ひ継がひけり(山上憶良)、
と、接尾語として、
辺りに這うように広がる意を添えて動詞をつくる(岩波古語辞典)、
とある。だから、
そのさまをいう語(江戸語大辞典)となる。この「はふ」は、
這ふ、
延ふ、
と当て、
這い経るの意、
とある(大言海)。
這ふ⇔延ぶ、
と、
這ふは、延ふに通じ、延ふは這ふに通ず、
とあり(仝上)
蔓草や綱などが物に絡みついて伝わっていく、
意で(岩波古語辞典)、「ハヒ」は、この、
「はふ」の連用形です。 「はふ」 は 「延ふ」 で 〈蔓が延びていくように、物事が進む、広まる、行きわたる〉 というような意味、
とするのが大勢の解釈となる(https://mobility-8074.at.webry.info/201508/article_18.html)。
だから、
「にぎはひ」の「ハヒ」、
も、
「さきはひ」の「ハヒ」、
も、
「けはひ」の「ハヒ」、
も、
這ふ、
延ふ、
の「ハヒ」で、「にぎはひ」は、
和やかな状態が打ち続き盛んになる意、人々が寄り集まり、和やかに繫盛する意(日本語源広辞典)、
となり、「さきはひ」は、
サク(咲)・サカユ(栄)・サカル(盛)と同根、生長の働きが頂点に達して、外に形を開く意(岩波古語辞典)、
サキ(幸、霊力)+ハフ(這)。よい獲物が続けてとれる、栄え続ける(日本語源広辞典)、
「幸、又福を訓むも、先の字に通えり」(和訓栞)、万葉集に見える幸延國の義なるべし、幸(サキ)の動く意なり(大言海)、
となり、「けはひ」(「気配」は後世の当て字)は、
ケ(気)+ハヒ(事のひろがり)。何となく感じられるさま(日本語源広辞典)、
ケは気、ハヒは延の義(和訓栞・国語の語根とその分類=大島正健)、
ケ(気)ハヒ(延)の義。ハヒは、辺り一面に広がること、何となく、辺りにスー感じられる空気(岩波古語辞典)、
となり、「ハヒ」を、
延ふ、
這ふ、
から来た、
広がる、
延びる、
という状態表現の言葉と見る。しかし、「ハヒ」を「ハフ」とつなげるのは音韻の類似性から来た付会なのではないか、という気がする。
だから、異説がある。
サチイハフ(幸祝ふ)は「イ」を脱落してサチハフ(幸ふ)になった。〈サチハヘ給はば〉(祝詞)。サチハフ(幸ふ)も子交(子音交替)[tk]をとげてサキハフ(幸ふ)になった。「栄える。幸運にあう」という意である。〈しきしまのやまとの国は言霊のサキハフ国ぞ〉(万葉集)。(中略)サキハフ(幸ふ)は、キハ[k(ih)a]の縮約でサカフ[fu](栄ふ)になり、さらにサカウ(kawu)を経てサカユ[ju](栄ゆ)に転音した。……サキハフ(幸ふ)の連用形サキハヒ(幸ひ)は子音[k]を脱落してサイハヒ(幸)になった、
とある(日本語の語源)。
この説に従うなら、「ハヒ」=「ハフ(這・延)は成立しない。
「サキハヒ」が、
サチイハヒ(幸祝ひ)、
なら、「ワザハヒ」は、
ワザイハイ(業祝ひ)、
と、神意を承けて祝う意となり、「ニギハヒ」は、
ニギイハイ(和祝ひ)、
とになるが、そもそも、
和(にぎ)を活用す、和(なぎ)に通ず、荒るるに対す(大言海)、
とするなら、
にぎはふ、
は一語であり、「にきはふ」は、「荒(あら)」の対である、
やわらぐ、
意の、
にぎ(和)、
を活用したものなのだとすると、「ハヒ」説は適用できない。「ニギ」を活用した動詞には、四段活用の、
にぎはふ(賑)、
の他に、
にぎぶ(賑 上二段活用)、
にぎははす(賑 他動詞)
にぎほほす(賑 形容詞)、
等々があり(大言海)、「ニギ」と「ハヒ」を分ける説自体が成り立たないかもしれない。
「ケハひ」も、また、
キイハヒ(気祝ひ)、
といえなくもない。「け(気)」は、
霧・煙・香・炎・かげろうなど、手には取れないが、たちのぼり、ゆらぎのでその存在が見え、また感じ取れるもの、
である(岩波古語辞典)。
「いはふ」は、
祝ふ、
斎ふ、
と当て、原義は、
吉事・安全・幸福を求めて、吉言を述べ、吉(よ)い行いや呪(まじない)をする、
意である。「わざわひ」の場合、ことに、
隠された神意に呪(まじない)する、
意の、
わざ+いはい、
はあり得る気がする。そして、憶説ながら、
サチイハフ→サチハフ(幸ふ)→サキハフ(幸ふ)、
とした転訛に倣うなら、
ワザイハフ(業祝ふ)→ワザハフ→ワザハヒ→ワザワイ、
という転訛もあり得るのかもしれない。もちろん、憶説に過ぎないが。
「わざはひ」に当てた漢字を見ておくと、
「災」(サイ)は、
会意兼形声。巛(サイ)の原字は、川をせき止める堰を描いた象形文字。災は「火+音符巛」で、順調な生活を阻んで留める大火のこと。転じて、生活の進行をせき止めて邪魔をする物事、
とある(漢字源)。
(「災」 漢字・成り立ち https://okjiten.jp/kanji95.htmlより)
別に、
会意兼形声文字です。「燃え立つ炎」の象形(「火」の意味)と「川のはんらんをせきとめる為に建てられた良質の木」の象形(「わざわい」の意味)から、火事のような「わざわい」を意味する「災」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji95.html)。
「禍(禍)」(漢音カ、呉音ガ・ワ)は、
会意兼形声。骨の字の上部は、関節骨がはまりこむまるい穴のこと。咼(カ 丸い穴)はそれと口印(穴)を合わせた字で、まるくくぼんだ穴のこと。禍は「示(祭壇)+音符咼」で、神の祟りをうけて思いがけない穴(落とし穴)にはまること、
とある(漢字源)。
(「禍」 金文・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%8Dより)
別に、
会意兼形声文字です(ネ(示)+咼)。「神にいけにえを捧げる台」の象形と「肉を削り取り頭部を備えた人の骨の象形と口の象形」(「削られ、ゆがむ」の意味)から、神のくだす「わざわい」を意味する「禍」という漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji1667.html)ほうが、「禍」の字の背景がよくわかる。
「殃」(漢音ヨウ、呉音オウ)は、
会意兼形声。央(オウ)は、大の字に立った人の首の部分を枷でおさえつけたさま。真ん中を押さえて、くぼめる意を含む。殃は「歹(死ぬ)+音符央」で、人をおさえつけてじゃまをし、死なせることを示す、
とある(漢字源)。
「災」「禍」「殃」の違いは、
「禍」は、福の反なり、不仕合せにあふなり。淮南子「禍者福之所倚、福者禍之所伏」、
「災」は、時のまわりあわせなり、天地よりなすわざわひなり。左傳「天災流行」、また人火曰火、天火曰災と註す、
「殃」は、神の咎をうける義。易経「積不善之家、必有餘殃」、
とある(字源)。その意味で、「わざわひ」の「わざ」を神意とするなら、「禍」「災」よりは、「殃」を当てる方が正確なのかもしれない。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95