「いはふ(いわう)」は、
祝う、
齋(斎)う、
と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、
吉事・安全・幸福を求めて、吉言(よごと)をのべ、吉(よ)い行いや呪(まじな)いをする意が原義、
とあり(岩波古語辞典)、
類義語イツクは、神聖なものを大切に護り、それに仕える義、
とある(仝上)。しかし、「祝ふ」は、
吉事を祈り喜ぶ、
意だが(日本語源大辞典)、「齋ふ」は、
穢れを浄め、忌みつつしんで、よいことを求める、また、吉事を求めて神事を行う、
と区別する(仝上)。で、大言海は、「齋ふ」と「祝ふ」を別項立て、「斎ふ」は、
いまふ(齋)と通ず(齋(サイ)は、齋戒(ものいみ)なり)、かはち、かまち。しまし、しばし、
とし、
いつく(齋)、
いまふ(忌)、
斎祀、
と同義とし、
祝部(はふり)等が齋経(イハフ)社の黄葉(もみぢば)も標縄(しめなは)越えて散るといふものを(万葉集)、
と、
齋(い)み清まはり、謹みて祀る、
意とする。それが、広がり、
大船(おほぶね)に真梶(まかぢ)しじ貫きこの吾子を唐国(からくに)へ遣る伊波敝(いは)へ神たち(万葉集)、
と、
齋(いは)ひて守りまさむ、
意となり、さらに、
ちはやぶる神の御坂に幣(ぬさ)まつり伊波負(いはふ)命は母(オモ)父(チチ)がため(万葉集)、
と、
齋き守る、
意が、
祈願する、
という含意にシフトしている。だから、「祝ふ」は、この、
(「齋ふ」)の転、凶を齋(いは)ひ清めて、吉ならしる、
意となり、
ことほぐ、
意の、
真幸(まさき)くて妹が斎(いは)はば沖つ波千重(ちえ)に立つとも障りあらめやも(万葉集)、
と、
吉あらしめんとす、
という意になり、さらに、
鶴亀につけて、君を思ひ人をもいはひ(古今集・序)、
君がためいはふ心の深ければ聖(ひじり)の御代にあとならへとぞ(後撰集)、
と、
祝す、
賀す、
意となっていく。
「いつく(齋)」は、
イツ(稜威)の派生語。神や天皇などの威勢・威光を畏敬して、汚さぬように潔斎して、これを護り奉仕する意、後に転じて主人の子をを大切にして仕え育てる意、
とある(岩波古語辞典)。「いつ」は、
稜威、
厳、
と当て、
自然・神・(神がこの世に姿を現した)天皇が本来持つ、盛んで激しく恐ろしい威力、
とあり、
神霊の威光・威力、
を指す。漢書・李廣伝に、
威稜憺平隣国、
とあるのに、
李奇曰、神霊之威曰稜、
とある(大言海)。こうみると、「齋く」を、
イは齋(い)むの語根(齋垣(いみがき)、いがき。齋串(いみぐし)、いぐし)。ツクは、附くなり。かしづくと同じ。齋(い)み清まりて事(つか)ふる、
意(大言海)とするのと、
神や天皇などの威勢・威光を畏敬して、汚さぬように潔斎して、これを護り奉仕する(岩波古語辞典)、
とは重なる。
いまふ(忌)、
と同義としたのも、「いまふ(忌)」が、
忌むに反復・継続の接尾語ヒのついた形(岩波古語辞典 ヒは四段活用の動詞を作り、何回も繰り返す意を表す)、
イムの未然形の、イマを活用す(大言海)、
と解釈は異なるものの、
不吉なものとして避け嫌う、
意である。「いむ」は、
忌む、
齋む、
と当てるが、「いむ」は、
齋(イ)を活用、
した語であり、「齋」(い)は、
神聖であること、
の意であり、
ユユシなどのユの母音交替形、
である。「いむ」も、本来、
凶穢(けがれ)を浄め、慎む。神に事ふるに云ふ、
の、
齋(い)む、
が先で、それ故、
禁忌(タブー)、
の意から、
忌む、
の、
穢れを避け、嫌う、
意になった(大言海)。
神聖なもの・死・穢れたものなど、古代人にとって、はげしい威力をもつ触れてはならないもの、
となった(岩波古語辞典)のである。だからこそ、
汚さぬように潔斎して、これを護り奉仕する、
必要がある。で、「齋く」が、「いむ」から由来したとすると、「いはふ」もまた、
凶事を避け、吉事を招くところからイム(忌・齋)の延言(冠辞考続貂・和訓集説・国語の語根とその分類=大島正健)、
不浄を忌み嫌って、ハフリ(祝)マツル義から、イミハフ(忌栄・齋延)の約轉(言元梯・名言通・両京俚言考)、
という説はあり得るが、
イム(忌・斎)と同根、
とされる、
い(齋)、
があり、
イ(斎)に動詞化のハフのついた語(角川古語大辞典・小学館古語大辞典)、
イはユ(齋)と同語。ハフは行為を意味する活用語尾(日本古語大辞典=松岡静雄)、
が妥当だと思われる。ここで、「わざわひ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482558802.html?1626806502)で問題となった「はふ」(這・延)が登場する。ただ、ここでは、
齋(いつ)く、
が転化して、
傳く、
とあてる「いつく」が、
神に云ふ語(齋く)の、愛護の意に移りたるなり、集韻「傳 音附近(チカヅク)也」、説文「相(タスク)也」、
とあり(大言海)、
かしづく、
大切にする、
意とある。「いはふ」の意味の広がりと重なるとみていい。この場合は、その意味では、
い(齋)+はふ(這・延)、
はあるのではないか、という気がする。「はふ」は、
さきはひ、
わざはひ、
にぎはひ、
あじはふ、
の、
辺りに広がる、
意である(岩波古語辞典)。
「祝」の字については、「風の祝」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482454191.html?1626201854)で触れたように、
(「祝」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A5%9Dより)
「祝(祝)」(漢音シュク・シュウ、呉音シュク・シュ)は、
会意。「示(祭壇)+兄(人の跪いたさま)」で、祭壇でのりとを告神職を食を表す、
とある(漢字源)。
会意。示と、兄(神にのりとをささげる人)とから成る。神を祭る意を表す。転じて「いわう」意に用いる、
という説(角川新字源)と通じる。別に、
会意文字です(ネ(示)+口+儿)。「神にいけにえをささげる為の台」の象形と「口」の象形(「祈りの言葉」の意味)と「ひざまずく人」の象形から「幸福を求めて祈る」・「いわう」を意味する「祝」という漢字が成り立ちました、
との説明(https://okjiten.jp/kanji682.html)は、より具体的である。
「齋(斎)」(とき)(http://ppnetwork.seesaa.net/article/460543513.html)で触れたが、
「齋」(漢音セイ、呉音セ)は、
会意兼形声。「示+音符齊(きちんとそろえる)の略体」。祭のために身心をきちんと整えること、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(「祖先神」の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」という
漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji1829.html)。
(「斎」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1829.htmlより)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95