「やぐら」は、
櫓、
矢倉、
矢蔵、
兵庫、
等々と当てる。「倉」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482616330.html?1627152341)で触れたように、文字通り、
兵庫、
は武器庫の意なので、
閑曠(いたずら)なる所に兵庫(やぐら)を起造(つく)り(幸徳紀)、
と、
武器を納めて置く倉、
の意と考えられる(広辞苑)が、
矢を射るべき座(くら)の義、
とする考え方(大言海)もある。中世の城郭では専ら、
矢蔵、
矢倉、
と記され(西ケ谷恭弘『城郭』)、
飛道具武器である弓矢を常備していた蔵である。敵の来襲に即応できるように、塁上の角や入口に建てられた門上にその常備施設として作られたことに由来する、
とある(仝上)ので、臨戦態勢の中では、すぐに射かけられるように、高い所に「矢倉」が設置されたものと考えられる。だから、「やぐら」の意は、
四方を展望するために設けた高楼、
の意と(広辞苑)なり、
城郭建築では敵情視察または射撃のため城門・城壁の上に設けた、
という意に転じていく。既に、古代城郭に櫓があったことは、
鞠智(きくち)城の「不動倉」(文徳実録)、
秋田城の「城櫓二十七基、槨棚櫓六十一基」(三代実録)、
等々と、平安時代の歴史書に記述がある(西ケ谷恭弘・前掲書)。ただ、その構造は分からないという。
(藤原千任(ふじわらのちとう)櫓の上から義家を罵倒する(『後三年合戦絵詞』) https://www.yokotekamakura.com/gosan/gosan-emaki/#g001より)
中世の櫓建築の構造が分るのは、『後三年合戦絵詞』(貞和三年(1347)成立)の、
金沢柵の櫓、
で、
土塁の塀上に舞台状の出張りをつくり、掻楯(かいだて 垣楯 楯を垣のように並べたもの)をめぐらし見張り台としている、
とあり(仝上)、その櫓下の塀には拳大の石を縄で吊るした石落としがある。
『一遍上人絵伝』(正安元年(1299)成立)には、筑前国の武士の館が描かれ、館の門は、
櫓づくりの矢倉門、
で、
門上に舞台を作り、四方に低い板塀をめぐらし、掻楯を巡らしている。その後ろには、小さな切妻小屋があり、弓束が備えられている(仝上)。まさに、
矢倉、
が、
弓矢の兵庫、
であるとともに、
弓を射かける座、
でもあることを示していて、
櫓・矢倉・矢蔵は、見張り台として物見が置かれ、矢・弓などが常備され、戦闘面では、敵が最も集中する門、塀のコーナー、出張り部分に構えられた、
もの(西ケ谷恭弘・前掲書)で、
高(たか)櫓(矢倉)、
出(だし)櫓、
向(むかい)櫓、
等々と呼ばれ、
井楼(せいろう)、
と呼ばれる組み上げ式のものもあった。
(逆井城跡公園井楼矢倉 http://geo.d51498.com/nekko3rays/X-TD/td05sakai.htmlより)
これが恒常的な施設になっていくのは、戦国時代以降で、
走(はしり)櫓、
井戸櫓、
千貫櫓、
等々と呼ばれ、やがて、寺院建築の影響を受けて、
城郭の宮殿化に伴う装飾と実践を兼ね備えた設備、
となって、
隅櫓、
多聞櫓、
等々恒常化した建築物となっていく。
(近世城郭の櫓群(大坂城の三重櫓と多門櫓) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AB%93_%28%E5%9F%8E%E9%83%AD%29より)
室町時代以降、井楼のように、軍船の上部構造物の「やぐら」が造られ、高く組み上げてつくった構造物を「やぐら」と呼ぶようになった。それが、
火の見櫓、
につながり、芝居・相撲・見世物など、興行の入口に設け、染幕を廻らしたものにも使う(広辞苑)。これは、
興行の官許の印、
であり、官許を得て興行を始めることを「櫓をあげる」といった。櫓には五奉行をかたどった5本の毛槍を横たえ大幣束を立て、興行主の紋を染め抜いた幕を張りめぐらした。開閉場を知らせる太鼓をこの上で打鳴らしたが、これを櫓太鼓といい、相撲興行でも用いられる、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。「櫓をあげる」ことができたのは、
正徳四年(1714)9月以降幕末まで、中村座の中村勘三郎、市村座の市村羽左衛門、森田座の森田勘弥の3人の座元だけである、
である(世界大百科事典)。
(歌舞伎座の櫓 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AB%93より)
相撲の場合、
相撲場の正面に、高く床を設け、幕を張り、太鼓を撃ちて人を集むる、
とあり、その太鼓が、
櫓太鼓、
となる(大言海)。炬燵の「やぐら」も、
炬燵櫓、
といったもので、木で組んだところからいったものとみられる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AB%93・広辞苑)。
(両国回向院の太鼓櫓 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AB%93より)
「やぐら」と訓ませる漢字には、「櫓」以外に、
譙(ショ・ショウ 城門の上の物見、城樓)、
樓(ロウ ものみやぐら、城樓)、
がある(字源)。「譙樓」と使うし、「樓櫓」と使うので、ほぼ同義と見ていい。
「櫓」(漢音ロ、呉音ル)は、
会意兼形声。「木+音符魯(ロ 太い、大きく雑な)」で、太い棒、
とある(漢字源)。別に、
形声文字です(木+魯)。「大地を覆う木」の象形と「魚の象形(「鹵(ロ)」に通じ(「鹵」と同じ意味を持つようになって)、「おろか」の意味)と口の象形」(「考えが足りない言い方」の意味だが、ここでは「露(ロ)」に通じ、「むきだしになる」の意味)から、屋根がなくむきだしになっている「物見やぐら」を意味する「櫓」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji2506.html)。
(「櫓」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2506.htmlより)
参考文献;
西ケ谷恭弘『城郭』(近藤出版社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95