「遊ぶ」というと、梁塵秘抄の、
遊びをせむとや生まれけむ戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ遊ぶ子供の声聞けば我が身さへこそゆるがるれ、
という歌を連想する。まさに、
遊びに興じる、
という「遊び」の、
遊戯(遊び戯れる)、
の意味だ。
日常的な生活から別の世界に身心を解放し、その中で熱中もしくは陶酔すること。宗教的な諸行事・狩猟・音楽・有楽などについて広範囲に用いる、
という(岩波古語辞典)のは、かなり後のことではあるまいか。「遊び」を、
神遊び、
つまり、
神楽を演ずる、
意で使うのは、「神楽」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482498778.html?1626461046)で触れたように、神楽の由来である、
神前での舞や音楽、
と関わるからではあるまいか。
大言海は、「あそぶ」を、四項に分けてのせる。ひとつは、
遊、
游、
と当て、
己が楽しいと思ふことをして、心をやる、
と、
梅の花手折りかざして阿蘇倍ども、飽き足らぬ日は今日にしありけり(万葉集)、
と、いわゆる「遊びたわむれる」意とし、第二に、
神楽、
と当て、
葬送の時にするは、天岩屋戸の故事の遺風にて、死者の、奏楽をめでて、かへりくる事もやと、悲しみのあまりにするわざなりと云ふ、
とし、
瑞垣(みづかき)の神の御代より篠(ささ)の葉を手(た)ふさに取りて遊びけらしも(神楽歌)、
と、天鈿女命が岩戸の前で篠を持って舞ったことに由来する、
神遊びをする、
神楽をする、
の意とし、第三には、
奏楽、
と当て、
遊ぶより移る、楽は遊ぶ事の中に、最も面白きものなれば、特に云ふなりと云ふ、
とし、
時は水無月のつごもり、……宵は、あそび居りて、夜更けて、やや涼しき風ふけり(伊勢物語)、
と、
死者ありて管弦せしは、(第二項の)あそぶの遺風なりしなるべしと云ふ、
と注記する。第四に、
遊、
游、
と当て、
漢籍見訓みの語。遊(ユウ)の訓読、
とある。和語「あそぶ」にはない、漢字「遊」の、
志於道、拠於徳、依於仁、遊於藝(道に志し特に拠り仁に依り芸に遊ぶ)(論語)、
と、
学術を学ぶ、
意で使った。
どうやら、天鈿女命が天岩屋戸の前で、伏せた桶を踏みとどろかして踊りながら神々を哄笑させた「神遊び」を淵源とする、と考えると、「あそぶ」が、
上代以来、管弦のほか、歌舞、狩猟、宴席など、
にも言うが、本来は、
祭祀に関わるもの、
とみていいのではないか(日本語源大辞典)。その意味で、
日常性などの基準からの遊離が原義、
という(仝上)のは妥当に思える。
だから、「あそぶ」の語源を、足(アシ)から転じたとして、
足+ぶ(動詞化)の変化(日本語源広辞典)、
アシ(足)の転呼アソをバ行に活用したもの(日本古語大辞典=松岡静雄)、
と動作に限定するのは、天鈿女命の舞踏から考えて、あり得るとは思うが、どうなのだろう。微妙に祭祀からは外れる気がする。といって、
遊、游の漢字atから来たもの(語源類解=松村仁三)、
アソブ(息進振)の義(日本語源=賀茂百樹)、
もと禁中御遊のことをいった、あかすべ(明方)の義(名言通)、
遊ぶの「あそ」は「うそ」に通じ、内容の無い空虚な「嘘(うそ)」こそが遊ぶの原点(https://narayado.info/japanese/asobu.html)、
アソフ(天染歴)の意(柴門和語類集)、
アソはアサオ(朝起)で、朝廷の遊びからおこった(国語本義)、
アススム(弥進)の義(言元梯)、
等々では語呂合わせが過ぎる。むしろ、
かしこしわが大君、なほしその大琴あそばせ(古事記)、
と、
アソブの未然形に尊敬の助動詞シのついた(岩波古語辞典)、
~なさる、
意で使う、
遊ばす、
が気になる。
貴人が音楽の演奏・狩り・遠出などをなさる意。転じて、広く貴人の行為の尊敬語として使う、
とある(仝上)。単なる「足運び」由来の「あそぶ」なら、尊敬語に転じるものだろうか。憶説だが、祭祀とのかかわりがあればこそではあるまいか。
因みに、「遊び」について、平安中期の『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』は、雜藝(ぞうげい)類に、
競馬(くらべうま 和名久良閉宇麻=くらへうま)、
鞦韆(しゅうせん 和名由佐波利=ゆさはり ブランコのこと)、
雙六(すごろく 俗云須久呂久=すくろく)、
相撲(和名須末比=すまひ)、
等々23種、雜藝具に、
鞠(和名萬利=まり)、
紙老鴟(しろうし 世間云師勞之=しろうし。凧のこと)、
獨樂(和名古末都玖利=こまつくり。こまのこと)、
等々10種の「遊び」を挙げている(日本大百科全書)。
漢字「遊」(漢音ユウ、呉音ユ)は、
会意兼形声。原字には二種あって、ひとつは、「氵+子」の会意文字で、子供がふらぶらと水に浮くことを示す。もうひとつは、その略体を音符とし、吹き流しの旗の形を加えた会意兼形声文字(斿)で、子供が吹き流しのようにぶらぶら歩きまわることを示す。游はそれを音符とし、水を加えた字。遊は、游の水を辶(足の動作)に入れ替えたもの。定着せずに、揺れ動くの意を含む、
とあり(漢字源)、原義は、「きまったところに留まらず、ぶらぶらする」意である。別に、
会意形声。「辵」+音符「斿」、「斿」は「㫃」+音符「汓」、「汓」は子供が水に浮かぶ様、「㫃」は旗を持って進む様子であり、あわせて旗などがゆらゆら動く様を言う。「游」と同音同義、「游」は説文解字に採録されているが、「遊」は採録されておらず、「游」の水のイメージを、「辵」に替え陸上の意義にしたものか(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%8A)、
とあるのは、同趣旨だが、別に、
辵と、ゆれうごく意と音とを示す斿(ゆう)とから成り、ゆっくり道を行く、ひいて「あそぶ」意を表わす(新字源)、
会意兼形声文字です(辶(辵)+斿)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「旗が風になびく象形」と「乳児(子供)の象形」から子供が外で「あそぶ」を意味する「遊」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji416.html)、
等々の解釈もある。
(「遊」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji416.htmlより)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95