2021年08月11日
過大な負担に疲弊
成松佐恵子『名主文書にみる江戸時代の農村の暮らし』を読む。
本書は、二本松藩十万石の福島県安達郡南杉田村(現二本松市)の安斎家に伝わる文書類(地方文書 人別帳・検地帳・御用留等々)を通して、江戸中後期の農村の状況や人々の暮らしぶりを、
「ミクロな視点からとらえること」
を目的としている。江戸時代の名主役は、
「幕藩体制の末端に位置して命令系統の一翼を担い、それを村に触れて支配が円滑に行われるよう秩序を守る立場にあった。地方(じかた)支配を担当する郡奉行や代官は、…名主が存在することでその役目を果たし得たともいえる。名主は村の実情に通じ、村民の日常生活に立ち入って世話をし、一方年貢諸役の納入は、たとえ人口の減少や凶作が著しい場合でも村請として名主の肩にかかったきた……。」
ある意味、幕藩体制の矛盾が先鋭に現われるところといってもいい。
安達郡杉田村は、
二本松城へ一里という地に位置、
し、
石高3070石、
と大村であったことから、
「杉田川により北杉田・南杉田に分離され、さらに各々が街道に面しているかどうかで町と在の二手合(てあい 配下の意味で使われる)に分けられ、それぞれを一人の名主が支配していた。」
とある。南杉田村は、
東西30町、南北25町、
宝永二年(1705)の検地によると、総反別は、
田 88町8反6畝歩、
畑 97町9反28歩、
石高は、
1487石6斗8升、
とある。年貢の他、街道沿いは、道普請、宿駅の夫役等々があり、その他、大豆と油荏(あぶらえ えごまのこと)の上納が、それぞれ、
1石9斗(代米1.6石)、
2石e斗(同1.4石)、
割りつけられ、さらに、
夫錢(ぶせん 参勤交代の夫役の賃金を金納したもの)7貫54文、
真綿役専錢(真綿の上納を金納に代えたもの)10貫3文、
糠藁代(馬の飼料代)3両と錢887文、
山手役・木葉役(薪や柴、木の葉採取税)2両2分と錢700文、
等々四十朱以上の小物成(雜年貢)があった。この地は、郡山から、本宮、二本松、福島へと続く奥州街道沿いであり、
馬継ぎ、
が課され、月の半分を南北で請け負い、
「江戸へ向かう上り15日が北杉田、下り15日を南杉田が負担」
した。馬継ぎの必要がない場合は、
助郷、
として、人馬を提供した。
「白河以北の奥州街道は、北の南部・仙台のような大藩秋田・米沢など出羽国の諸藩を中心に江戸との往復に利用された」
が、さらに、
「松前の御鷹方関係の幕吏や、江戸後期以降となると蝦夷地をとりまく複雑化に伴って、視察を目的とした役人の往来も増え、同街道を通行する頻度や輸送量は増加の一途をたどった。」
とある。それは村方の負担の増大を意味した。各宿場には問屋場が設置され、
「人馬継立を行って人と物の輸送を管理していたが、交通量の増大に伴い各駅は難渋し、周辺の農村にその不足分を割り当て助郷を命じたことから、村々の疲弊を招く結果となった。」
南杉田村では、安永四(1775)年町在両名主が願い出て、
救籾、
の無利子拝借が翌年認められたが、これは、
籾を10ヵ年賦無利子拝借、
であり、
「それを貸し付け、利子を宿駅の維持費にあて、10年後に借籾を返納する」
というもの。農村の負担はそれだけではない。
「各藩とも、いわゆる士身分に属するものだけでは御供廻りや藩士の雑用を巻かないきれず、民間からかなりの数の奉公人を雇い入れている」
が、二本松藩では、それを、
家中奉公、
と呼び、
「石高に応じて各村に人数を割り当て、宛山人と称して徴集し、領内町村の諸役のひとつとなっていた。」
しかし、
「藩から下付される給金はいわゆる在奉公に比して少額であったことからそれを望む者が少なく、各村では補助金を出さざるを得なくなる。これを与内金と呼んでいる。当初は村が処理していたが、やがて代官の官吏へとかわり、村民税のような形で賦課が義務づけられるになる。」
何のことはない、租税が増しただけだ。疲弊する村々での、口減らしとしての、
間引き、
堕胎、
に、藩側も、人口減は、藩そのものの存続にかかわるとして、二本松藩では、
赤子養育手当、
を、延享二(1745)年より設けているのが注目される。
13歳以下の子が三人いて、4子目に1ヵ年米3俵、
6歳以下の子が3人いて、3子目に1ヵ年米1俵、
というもの。今日の児童手当とは異なり、三子目とか四子目と、数が増えること自体を目途としているのが露骨すぎるのだが。
ところで、同じ歴史人口学的なアプローチで人別帳から農民生活の実態に迫った速水融『江戸の農民生活史』については、「農民生活の実態」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482114881.html)で触れた。
また、幕藩体制下の農民、ないし農村社会のありようについては、
藤野保『新訂幕藩体制史の研究―権力構造の確立と展開』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/470099727.html)、
渡邊忠司『近世社会と百姓成立』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/464612794.html)、
菊池勇夫『近世の飢饉』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/462848761.html)、
深谷克己『百姓一揆の歴史的構造』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/474047471.html)、
水林彪『封建制の再編と日本的社会の確立』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/467085403.html)、
速水融『江戸の農民生活史』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482114881.html?1624300693)、
山本光正『幕末農民生活誌』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482424187.html)、
でそれぞれ触れた。
参考文献;
成松佐恵子『名主文書にみる江戸時代の農村の暮らし』(雄山閣)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95