2021年08月14日
さすが
「さすが」は、
流石、
石流、
遉、
等々と当て字するが、中世の当て字(岩波古語辞典)で、和訓栞に、
世に、流石の字を、さすがと云ふ辞に用たり。流石は、晋の孫楚の故事に因れり、さすがによく牽合せりと云へり、
とあり(大言海)、晋書孫楚伝の、
漱石枕流(石に漱ぎ流れに枕す)、
の、
石に枕し流れに漱ぐというべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤り、「石に漱ぐ」とは歯を磨くこと、「流れに枕す」とは耳を洗うことと強弁した故事、
から(広辞苑)、そのこじつけを「さすが」とみて、「流石」と当て字した(日本語源広辞典)、とある。
通俗に、流石の字を當つ、是は、小石は急流に流れはすれど、淀み淀みして流るる義にして、躊躇ふ意なるべし(孫楚が漱石枕流の説は付会甚だし)、有繋の字を當てたるあるは、繋る所ある義にて、関心の意にもあるか、
と見る説(大言海)もある。「さすが」の表記は、
中古は平仮名書きが普通であったが、中世では、「流草 サスガニ 大小同 流石 同 有繋 同」(運歩色葉集)など多様な漢字表記がなされた。特に「蒙求」の「孫楚漱石」にもとづくとされる「流石」の表記は近世期に一般化し、近代以降へと続いた、
ものである(日本語源大辞典)。
「遉」(漢音テイ、呉音チョウ)も、
会意兼形声。「辶+音符貞(占ってきく、たずねる)」、
で(漢字源)、
偵に通ず、
とあり(字源)、「うかがう」「たずねる」意で、「さすが」に当てるのは、わが国だけの用例となる。この字を当てた理由は、
偵に通じて、増韻「偵、廉視(かんがへみる)也」とあれば、熟視、熟慮、の意にもあらむか、
とする説(大言海)もある。
「さすが」は、
奈良時代の「しかすがに」のシカスガにあたる、平安時代以後の形。前にあった様子や事情から当然予想されるのとは相違矛盾する事態が現れた場合に使う語。当然の予想と相違する、よい事態が現れた場合にも使うところから、「何といっても、たいしたもの」という賞賛にも使うようになった、
とある(岩波古語辞典)。意味としては、
ある情況を一応認めはするが、事柄の本質から、それとは違う情況を認めるさま。そうはいうものの、そういってもやはり、
と、
しかるべき原因が当然の帰結を生んだこと、本性が発揮されたこと、実力や評判に背かないことについて感嘆するさま、何といっても、そういってもやはり、
となる(日本語源大辞典)。「しかすがに」は、
「シカ(然)する(為る)からに(接助)」は、流音を落としてシカスガニ(然すがに)になった。〈雪は降りつつシカスガニわがへの園に鶯ぞ鳴く〉(万葉集)、
とされ、さらに、シカ[s(ik)a]が縮約されて「さすが」になったことになる(日本語の語源)。
中古における「しか」と「さ」の副詞の交替によって「しかすがに」から副詞「さすがに」へ転じ、次に語尾を活用させて形容動詞となり、さらに「に」が付属語のように解された結果「さすが」が独立して副詞化した。中古では「さすがに」が「さすが」や形容動詞「さすがなり」よりも多く用いられており、中世から「に」を伴わない「さすが」が多くなる、
とある(日本語源大辞典)。「しかすがに」の、「しか」は、
然、スは有りの意の古語。ガは所の意。アリカのカの転。ニは助詞。平安時代以後、サスガニとなる(岩波古語辞典)、
然(しか)スルカラニの約略(大言海)、
と、少し解釈は異なるが、
そうであるところでの意が古い意味、転じてそうではあるが、それでも(岩波古語辞典)、
しかしながらに、然(さ)は云ふものの、然(しか)はあれども(大言海)、
と意味は重なる。「しか(然・爾)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/480132942.html)で触れたように、「しか」は、
シはサと同義の副詞、カは接尾語、
とある(広辞苑)が、
指示代名詞「し」+接尾語「か」から(デジタル大辞泉)、
指示語「し」に接尾語「か」のついたもの(日本語源大辞典)、
とあるので、「し」は指示詞とみていい。さらに、
代名詞シと状態を示す接尾語カとの複合。すでに述べた状態を指示する語。上代では歌にも使われたが、平安時代には漢文訓読に使い、平安女流文学ではこれに当たる語は「さ」で、「しか」は男性の言葉として使われることが多い、
とある(岩波古語辞典)。そして、
和文では平安以後「さ」が多くなるが、「さ」が発生した後でも、「しか」は漢文訓読語として、依然として使われた。室町以後は一般には減少し、「かく」から変じた「こう」や、「さ」から変じた「そう」などがこれに代わっていく、
とある(日本語源大辞典)。
指示語「し」+接尾語「か」
の、接尾語「か」は、
カアヲ・カボソシなど接頭語のカと同根、
とあり、確かに、
物の状態・性質を表す擬態語などの下につき、それが目に見える状態であることを示す、
とあるが(仝上)、
のどか、
ゆたか、
なだらか、
等々の用例から見ると、ちょっと違う気がして、少し疑問が残る。といって、
其気(そけ)の転(大言海)、
シは発語、カは古語カレ(故)のカと相通ず(国語の語根とその分類=大島正健)、
シカ(息香)の義。息は水、香は火をいい、万事は皆水火をもととするため、種々品々をさしてシカという(柴門和語類集)、
イカスガ、またはサスガの略(類聚名物考)、
というと、あまりにもひねくりすぎて首をかしげる。
ただ、「か」が、
接頭語「か」と同根、
とある(岩波古語辞典)。接頭語「か」は、
アキラカ・サヤカ・ニコヨカなど、接尾語カと同根、
とあり、
か細し、
か弱し、
等々のように、
目で見た物の色や性質などを表す形容詞の上につき、見た目に……のさまが感じられるという意を表す、
とあり、
転じて、ケ(気)となる、
とある。接尾語「か」も、
後に母音変化を起こして、「け」となり、「あきらけし」「さやけし」などのケとして用いられ、「さむげ」などのゲに転じた、
とある(仝上)。とすると、
其気(そけ)の転(大言海)、
はあり得るが、しかし「しか」の「し」が指示詞なら、「か」は、
ありか(有處)、
すみか(住處)、
かくれが(隠處)、
の、
處、
とあてる接尾語「か」ではあるまいか。「か」は、
處(こ)に通ず、
とあり(大言海)、「しか」は、
指示「し」+か(處)、
の方が、意味が一貫する気がする。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95