2021年08月15日


渡邊敏夫『暦のすべて―その歴史と文化』読む。

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「暦」とは、

日を数える、

ものであり、

時の流れを数える

ものである。そして、その

時の流れを数える方法、

を、

暦法、

という。そして、その、

暦法に基づいて推算して、将来予知される公の時令を記したもの、

が、

暦書、

である。孟子のいう、

天之高也、星辰之遠也、苟求其故、千歳之日至、可坐而致也(天の高き、星辰の遠き、苟も其の故(こ)を求めば、千歳の日至(にっし 冬至)も、坐(い)ながらにして致(し 知)るべきなり)、

とはそのことを言っている。

「暦法というものは人類の生活に必要な自然の周期日・月・年を、いかに調節して日を数えるかにある。時の流れを区切る周期には、天文学的に日・月・年があるが、生活に密接な関係ある日とは、昼夜の交替する太陽日であり、太陰の満ち欠けの周期である朔望月は29.530589日、季節の循環する太陽年(回帰年)は365.24220日である。
暦法の原理は、これら三種の整数的関係にない周期を適当に組み合わせて、簡単で季節に遅速を生じない、社会生活に便利な暦を造ることにある。」

そして、

「暦法に必要な朔望月・太陽年は一日の整数倍にないために、これを調節することに問題があり、その調節の仕方によって、多種多様な暦法が生まれてくる」

ことになる。最初に発生した暦法は、

太陰の朔望だけによって日を数える太陰暦法、

である。しかし、

「太陰の運行だけに基礎を置く太陰暦法では、太陽による季節の循環する太陽年よりは、約11日ほど短いから、太陰暦法で日を数えていると、この暦の日付は、我々の太陽暦とは季節がだんだんずれていく。(中略)太陰暦法にしたがって日を数え、季節を合わしていくためには、太陰の運行に太陽の運行を考慮にいれなければならない。朔望月と太陽年とは整数的関係にないから、これをいかに調節していくか……この調節の仕方によって、太陰太陽暦法には、数多くの暦法がうまれてくる」

ことになる。

「太陽年と朔望月の比は12.36827であるから、十二箇月の太陰年と十三箇月の太陰年を適当に組み合わせて、この端数をなくしていけばよいわけである。(中略)この比の小数部分を近似する分数として、1/2、1/3、3/8、4/11、7/19、123/334、……を得る。(中略)7/19のものは、十九太陽年に七回の閏月を挿入して、十三箇月の一太陰暦年を七回置くもので、これを十九年七閏法といっている。西紀前433年、ギリシャのメトン(Meton)の発見にかかるもので、メトン法とも呼ばれる。中国では章法と呼んでいる。19太陽年(6939.6018日)は235朔望月(12月×12+13月×7=235付 6939.6884日)にほぼ等しい。」

しかし、

「太陰の運行をまったく計算に入れないならば、残るものは太陽の運行だけに基づく太陽暦法である。一太陽年は365.24220日で、この端数を切り捨てて、暦年として365日の一年を長く用いていると、1500年で約一年の狂いを生ずる。」

これを調節するためには、

「太陽年の端数は近似的に1/4、7/29、8/33、31/128、101/417、……の分数で近似的に表される。最初の1/4は四年に一回一日の閏日を付け加えて、一暦年を366日とすることで、一年の平均の長さを365.25日とする。」

これが、

ユリウス暦、

である。しかし、

「ユリウス暦の一年の長さは365.25日であるが、実際の太陽年はこれより11分14秒短い。したがって、ユリウス暦法に従って閏日を置いていると、百年で18時間余り、一千年で8日近くの相違をきたす」

ことになる。で、ユリウス暦の置閏法を改めて、

「西暦紀元年数が四で割り切れる年を閏年とする。ただし百で割った商が四で割り切れない年は平年とする。閏日は2月28日の翌日に挿入する。」

という、

グレゴリー暦が登場する。

「この置閏法によると、グレゴリー暦法の一年の平均は、(365日×303+366日×97)÷400=365.2425日となり、太陽年との差は、0.0003012日となり、百年について0.03日、一万年で三日となる。」

長く中国暦を使い続け、宣明暦は、貞観四年(862)から貞享元年(1684)の改暦まで、823年も、古い暦法を使い続けるという日本の鈍感さは、特筆に値するが、それが、

「暦道・天文道が世襲制になり、中国暦を鵜吞みにするだけで、暦學に関心が薄かった」

ことが理由とすると、もはや唖然とするほかはない。にもかかわらず、というか、それ故にこそというか、なじんだ、太陰太陽暦法を太陽暦法に改暦した時、農村では、評判が悪かったという。そもそも、季節感のもとになる、

「二十四節気は太陽の運行によって季節を調節するために設けられたもので、太陰太陽暦の旧暦時代には必要であったが、現在の太陽暦によれば、毎年一日ぐらいの相違はあっても、一定しているので、何の不自由もないのである。」

本多利明が、

月輪が晦日になく、満月が十五日にありても耕作の助にも何にもならぬことに、年々新頒暦を作りだす、

と旧暦を批判していた通り、

太陽暦なら年々新頒暦を計算して出す必要はない、

のである。ましてや、暦注の日々の吉凶には、ほとんど何の根拠もないのである。

参考文献;
渡邊敏夫『暦のすべて―その歴史と文化』(雄山閣)
小林勝人訳注『孟子』(岩波文庫)
内田正男『暦と日本人』(雄山閣)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:11| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする