「子育て幽霊」は、
飴買い幽霊、
ともいい、
妊婦が死んで埋葬されてから出産し、幽霊となって飴などを買い求めてその子を育てる、
という話で、
東北から奄美大島まで全国に分布している(日本昔話事典)。落語では、
幽霊飴、
となっている。この話の典型例は、
一文商いの飴屋へ、毎晩決まった時刻に、一文をもった女が飴を買いに来る。六晩目に、不思議に思った飴屋の主人が女の後をつけると、墓場にきて、そこに赤子の泣き声がする。棺の中の六道銭を使って毎夜飴を買って育てていたが、今夜で錢が尽きたという、女の嘆く声を聞いて、墓の主に知らせる。墓を掘ると、赤子が目をぱちくりしていたので、連れてきて育て、改めて母親を弔う(越後黒姫)、
で、この基本形に、細部で各地各様の変形が見られ、多く、特定の寺院や人名と結び付けた伝説の形をとる(仝上)、とある。
(「子育て幽霊図(部分)」(安田米斎) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E8%82%B2%E3%81%A6%E5%B9%BD%E9%9C%8A)
幽霊の買い求めるものには、飴のほか、
団子、
餅、
菓子、
砂糖、
牛乳、
乳の粉、
酢、
等々、代金も、一文から、
二文、
三文、
六文、
一厘、
一銭、
十銭玉、
等々、時代を反映して、さまざま。そして、赤子が、
高僧になった、
とする例も多い(仝上)。有名なのは、
通幻寂霊(つうげん じゃくれい (1322~91年))、
で、通幻の門下には通幻十哲と呼ばれる優れた禅僧を輩出し、全国に開基した寺院8900寺とされる。
因みに、「六道銭」とは、
死者を葬る時棺にいれる六文の錢、
の意で、俗に、
三途の川の渡し錢、
とされるが、
金属の呪力で悪例の近づくのを避けようとしたのが起源、
とある(広辞苑)。これは中国由来の考え方で、六道銭と呼ぶのは仏教による。
日本国内における墓地への銭貨の埋納は、和同開珎の時代にすでに見られるが、数は5枚の整数倍で、結界または土地神(土公神)に対する土地購入の対価と考えられている、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93%E9%8A%AD)。六道思想が広まった中世以降、6枚の例が増えるが、6枚が通例となったのは、近世になってからである(仝上)。
「夜泣石」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/483101232.html?1629920079)で触れたことと重なるが、岡本綺堂『中国怪奇小説集』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/444432230.html)にある、宋代の『夷堅志』「餅を買う女」とほとんど同じ話である。それは、次のような話である。
街に近い餅屋へ毎日餅を買いにくる女があって、彼女は赤児をかかえていた。それが毎日かならず来るので、餅屋の者もすこしく疑って、あるときそっとその跡をつけて行くと、女の姿は廟のあたりで消え失せた。いよいよ不審に思って、その次の日に来た時、なにげなく世間話などをしているうちに、隙をみて彼女の裾に紅い糸を縫いつけて置いて、帰るときに再びそのあとを附けてゆくと、女は追ってくる者のあるのを覚ったらしく、いつの間にか姿を消して、赤児ばかりが残っていた。糸は草むらの塚の上にかかっていた。近所で聞きあわせて、塚のぬしの夫へ知らせてやると、夫をはじめ一家の者が駈けつけて、試みに塚を掘返すと、女の顔色は生けるがごとくで、妊娠中の胎児が死後に生み出されたものと判った。夫の家では妻のなきがらを灰にして、その赤児を養育した。
まさに、「子育て幽霊」と話の骨子は同じである。
日本各地につたわる話を、
説法による真実性を増すためにでっちあげ説、
飴の販売促進のための飴屋による宣伝説、
禁忌を破り子を生した僧の外分を保つための保身説、
墓場に捨てられた赤子が拾われた場合の出所説、
等々(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E8%82%B2%E3%81%A6%E5%B9%BD%E9%9C%8A)と、話の由来をあげつらうことはできるが、江戸時代(寛文年間1660年代)に、
『伽婢子(おとぎぼうこ)』
『狗張子(いぬはりこ)』
が、志怪小説の翻案として出されている。中国で志怪小説『夷堅志』に取り上げられたのが、宋代なので、日本で流布する600年前になる。やはり、中国伝来と考えていいようである。
別に、「子育て幽霊」の話は、親の恩を説くものとして多くの僧侶に説教の題材として用いられたりもしており、
死女が子供を生む話はガンダーラの仏教遺跡のレリーフにも見られ、日本で流布している話の原型は『旃陀越国王経』であるとされる。幽霊があらわれて7日目に赤ん坊が発見される件に注目し、釈迦を生んで7日で亡くなった摩耶夫人のエピソードとの関連を指摘する、
という説もある(仝上)。それが、中国の志怪小説に流れ、それが日本で流布する原型になった、ということなのかもしれない。因みに、
ゲゲゲの鬼太郎、
も、死んだ母親から墓場で生まれたとされ、元々は、
墓場の鬼太郎、
であった(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E9%AC%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E)、とか。
「子育て幽霊」伝説の多くは、「異常死葬法」の発生を説くものがある。曰く、
身ごもって死んだときにはその子を育てるだけの金を棺に入れる、
六文銭を入れる、
死んだに妊婦は胎児と見ふたつにして葬る、
等々こうした習俗の理由説明を説いている(日本昔話事典)。
なお、妊婦の妖怪「うぶめ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/432495092.html)については触れた。
なお、「あめ(飴)」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/460068884.html)で触れたように、「飴」(漢呉音イ、漢音シ、呉音ジ)は、
会意兼形声。「食+音符台(人工を加えて調整する)」。穀物に人工を加て柔らかく甘くした食物、
とあり(漢字源)、別に、
会意兼形声文字です(食+台)。「食器に食べ物を盛りそれに蓋をした」象形と「農具:すきの象形と口の象形」(「大地にすきを入れて柔らかくする、やわらか」の意味)から、やわらかな食品「あめ」を意味する「飴」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji2275.html)。
参考文献;
稲田浩二他編『日本昔話事典』(弘文堂)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95