久米仙人
「久米仙人(くめのせんにん)」は、
久米寺の開祖、
と伝えられる人であるが、
大和の国の人、……吉野郡の龍門寺に籠りて、仙の法を行ひ、仙人と成りて、空に昇りて、飛渡る閒に、吉野川の邉に、若き女の、衣を洗ふとて、衣を掲げて、白き脛をあらはしたるを見て、心、穢れて其女の前に落ち、遂に夫婦と成りて、凡人となりしと云ふ、
とある(大言海)。
『和州久米寺流記』には、
…
生きるとは 位置を見つけることだ あるいは 位置を踏み出すことだ そして 位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ 長い呻吟の果てに たどりついた位置だ その位置を さらにずらすことは 生涯を賭すことだ それでもなおその賭けに 釣り合う 未来はあるか