2021年09月01日

時雨の化


「時雨」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471497019.htmlで触れたように、「時雨」は、

しぐれ、

ではなく、

じう、

と訓ます。というか、「時雨」は、漢語であり、

ほどよいときに降るよき雨、

を意味し、禮記にも、

天降時雨、山川出雲、

とある。それが転じて、

時雨之化(じうのか)、

というように、

教化の普く及ぶをいう。草木の好雨を得て発生するに喩う、

意で使う、とある(字源)。由来は。『孟子』(盡心)の、

君子之所以教者五、有如時雨之化者、有成徳者、有達財者、有答問者、有私淑艾者、此五者、君子之所以教也、

である。「しぐれ」の意で使うのはわが国だけである。

「しぐれ」は、

日本海側や京都盆地、岐阜、長野、福島などの山間部では突然、空がかげったかと思うとハラハラと降りだし、短時間でサッとあがり、また降り出すといった雨、

とあるhttps://japanknowledge.com/articles/kkotoba/37.html。これは、

大陸から日本海や東シナ海を渡って吹いてくる冬の北西季節風の気温は、海面の温度よりもはるかに低い。すると、この風は海面から水蒸気をもらうとともに、下から暖められて対流を起こし、団塊状の積雲や積乱雲をたくさんつくる。冬型気圧配置の日に、テレビの気象衛星の雲画像で、日本海や黄海・東シナ海に白い「雲の筋」がたくさん映っているが、それはこれらの雲が風に流されて無数の行列になったものである。(中略)その「雲の行列」の一つ一つが通過するたびに、1~2時間の周期で降ったりやんだりを繰り返す、

ためである(雨のことば辞典)。これが雪になると、

雪しぐれ、

となり、霧なら、

霧しぐれ、

となる(芭蕉の句に、霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き、と詠んでいる)。

「しぐれ」は、

時雨雲が来るとにわかに暗くなって冷たい雨が降り、あたりは荒涼とした冬景色になる。雲が過ぎると、先刻の雨がうそのように青空から日が射して、

の繰り返しである(仝上)。11月初旬の立冬の前後、

大陸性高気圧が勢力を増し、北西の季節風が吹き始める。これが「木枯し」となるわけだが、この風が中央脊梁山脈にあたって吹き上げ、冷やされた空気が雲をつくり降雨する。これの残りの湿った空気が風で山越えしてくるときに降る急雨が時雨なのである、

とありhttps://japanknowledge.com/articles/kkotoba/37.html

したがって江戸の昔から、一時的に軽い雨脚で降り過ぎていく雨を時雨といったりしてきたが(「深川は月も時雨るる夜風かな」杉風)、本来の意味では関東平野に時雨はない、

とある(仝上)。しかし、「しぐれ」は、

時雨(しぐれ)の雨、間(ま)なくな降りそ、紅(くれなゐ)に、にほへる山の、散らまく惜(を)しも時待ちて、ふりし時雨の、雨止みぬ、明けむ朝(あした)か、山のもみたむ

と、万葉集にうたわれているように、古くからある言葉だが、

初冬の景物、

として固定化するのは鎌倉以降である、という(仝上)。特に、

神無月ふりみふらずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける(後撰集)、

の歌から、神無月の景物として固定化することになった、ともある(仝上)。それが、

世にふるもさらに時雨の宿りかな(宗祇)、
世にふるもさらに宗祇のやどり哉(芭蕉)、
笠もなきわれを時雨るるかこは何と(同)、
旅人と我が名呼ばれん初霽(しぐれ)(同)、
時雨るるや我も古人の夜に似たる(蕪村)、

等々と、俳諧の時代になって、

秋時雨、梅雨時雨、初時雨、朝時雨、夕時雨、小夜時雨、北時雨、北山時雨、むら時雨、片時雨、横時雨、片時雨、山茶花しぐれ、

等々、時雨のさまざまな様態を示す言葉が生まれ、さらに涙、松風、木の葉、川音、虫の音等々を時雨と見立て、

涙の時雨、袖時雨、袂の時雨、松風の時雨、木の葉の時雨、川音の時雨、蝉時雨、虫時雨、露時雨、

等々がつくり出された、とある(仝上・雨のことば辞典)。これを、

偽物のしぐれ、

というらしい(雨のことば辞典)が、

見立て、

は歌の本領ではないのか。「偽」とは、どうなのだろう。たとえば、

靑しぐれ、
青葉しぐれ、

のように、

木々の青葉から滴り落ちる水滴を「しぐれ」に見立てた言葉や、

梅雨時雨、

と、梅雨の季節の、降ったりやんだりを指す言葉は見立てだが、「しぐれ」時期にも、

時雨明かり、
時雨傘、
時雨癖、
時雨心地、
時雨月、
時雨虹、
時雨(の)色、
時雨三日、

と、さまざまな「しぐれ」風景に関わる詞が作り出されている。「しぐれ」のもつイメージが喚起するものだろう。

こうみてくると、「しぐれ」の語源は、

志ぐれの雨の略、

とあり(大言海)、その動詞「志ぐる」は、

志は、風雨(シ)、クルは、暮る、時雨と書くは、時(しばしば)降る雨の意。時鳥(ほととぎす)の如し、

とする説もある(仝上)が、もっとシンプルに、

「過ぐる」から出た語で、通り雨の意(広辞苑・日本語源広辞典)、
過ぎ行く雨であるところから、スグル(過)の転(語源をさぐる=新村出)、

あるいは、

「秋の末から冬の初めにかけて降ったり止んだり定めなく降る通り雨をスギフル(過ぎ降る)雨といった。ギフ[g(if)u]の縮約でスグル・シグル(時雨る、下二)になった〈けしきばかりうちシグレて〉(源氏 紅葉賀)。連用形の名詞化がシグレ(時雨)である。〈長月のシグレにぬれとほり〉(万葉)(日本語の語源)、

という、

すぐる→しぐれ、

と転訛したとみるのが、自然のように思われる。

木曾街道 沓掛ノ驛 平塚原 雨中之景.jpg

(木曾街道 沓掛ノ驛 平塚原 雨中之景(渓斎英泉) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%93%E6%96%8E%E8%8B%B1%E6%B3%89より)

「しぐれ煮」http://ppnetwork.seesaa.net/article/471476208.htmlというものがある。これは、

生姜を加えた佃煮の一種、

貝類のむきみにショウガ・サンショウなどの香味を加えて醤油・砂糖などで煮しめた料理、

というように(広辞苑)、今日は、生姜を入れた佃煮を、「時雨煮」と呼んでいるが、本来は、

蛤のむき身に生姜を加え、佃煮にしたもの、

を指す(たべもの語源辞典)。時雨蛤の命名は、芭蕉の高弟(で、芭蕉の遺書を代筆した)各務支考(かがみしこう)だとされる。

「時雨とは、晩秋から初冬にかけて降ったり止んだりする雨、曇りがちの空模様を言う。通り雨の『過ぐる』が語原とも。しぐれは『し』と『くれ』に分けて、『くれ』は『暗し』と解釈し、『し』を『しばし』とか、『し』は風のことだと説いたりする。蛤の佃煮を食べていると蛤の味が醤油の辛さのうちに通り過ぎていく。この時雨煮は、簡単にのみこめるものではないから、降ったり止んだりする時雨のように口中で味の変化、過程を楽しめる。これが時雨煮とした理由と考えられる」

とする説(たべもの語源辞典)は、なかなか趣がある。

口中で味が変化することから時雨にたとえた、

とするのは「しぐれ」に適っている。一般的には、

時雨饅頭
時雨餅

等々、「しぐれ」と名づけるには、「そぼろ」になっているのがみそである。「そぼろ」は、

ばらばらで細かいこと、

を意味するが、そぼ降る雨というような、

雨がしとしと降るさま、

の意である。しかし、「時雨煮」はそぼろではない。

時雨は「しぐれ色」と称して、時雨で色づいた草木の色を取り上げることもある。だから、時雨煮とは、しぐれ色に煮上げたものと考える人もある。蛤とか牡蠣とか、時雨煮にするとき醤油で煮染めるとか、生姜を加えて佃煮にするとか、どんなものを煮ても味を濃くして口に入れたとき味が変わっていく、通り過ぎていく味を感ずるこの味つけが時雨煮の本領なのである、

という、味わいから来たとする説(たべもの語源辞典)を考えると、「しぐれ煮」とは、なかなか巧い命名に思える。。

参考文献;
倉嶋厚・原田稔編『雨のことば辞典』(講談社学術文庫)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)
小林勝人訳注『孟子』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2021年09月02日

一世風靡


山根貞男『東映任侠映画120本斬り』読む。

東映任侠映画120本斬り.jpg


「東映任侠映画の始まりは一般的に1963年の『人生劇場 飛車角』とされる」

らしいが、本書では、『人生劇場 飛車角』以降、120本を紹介している。個人的には、転機は、1973年の、

仁義なき戦い、

で、

任侠路線から、……実録路線、

へと移っていくと記憶している。

僕自身は、「任侠映画」にそんなに思い入れがあるわけではないが、同時代に、20代を過ごしただけに、記憶の端々に、この映画の残像がある。

唐十郎の状況劇場、
寺山修司の天井桟敷、
土方巽の暗黒舞踏、

も同時代だし、そのポスターで、

横尾忠則、

もいた。その時代の独特の雰囲気は、ラストの斬り込みシーンで、拍手と歓声が上がった異様な雰囲気であったことだけは覚えている。

この時代の映画館の特殊な雰囲気は、蜷川幸雄演出(清水邦夫作)の、

「タンゴ・冬の終わりに」(僕の観たのは、平幹二朗・松本典子・名取裕子という出演者だった)、

の冒頭シーンで、映画の隆盛期を象徴するように、興奮し、熱狂する館内の観客の盛り上りを演じさせた場面が、その時代の雰囲気をうまく醸し出していた。

そんな映画館の中で、作家の、

井上光晴、

を見かけたこともあった。

それは、ちょうど、昭和35年(1960)から、同48年(1973)の石油ショックまでの、

日本の急激な経済成長、

の時期と重なるのである(64年は東京オリンピックの年である)。

確か三島由紀夫が、1968年の、

『博奕打ち 総長賭博』(ばくちうち そうちょうとばく)、

を評して、

これは何の誇張もなしに「名画」だと思った、

と述べ、ギリシャ悲劇にも通じる構成と絶賛したのは、記憶に残っている。

映画史的な整理はともかくとして、当時、

全共闘の学生たちが任侠映画の隆盛を支えた、

とする説が根強くあった。しかし、著者は、評論家の権藤晋の、

「新宿東映のオールナイトは、いつも殺伐としていた。殺気だってもいた。みなサンダル履きか、下駄履きかであった。革靴でやってくるのは数えるほどだった。なぜなら、仕事を終えてから、着替えずにそのまま駆けつけるからだ。製本屋の残業を終えたら、一目散に映画館にむかうのだ。歌舞伎町裏の飲食街の若者たちも、店を閉めると同時に下駄を鳴らして走るのだ。新宿東映は、零細工場、飲食店で働く20歳前後の若者ばかりではない。12時をすぎれば、派手な女性たちがつめかけていた。彼女たちの存在を無視しては、ヤクザ映画は語れない、とわたしは思う。男と連れ添ってやってくる女性も多かったが、女性だけが二、三人の徒党を組んでやってくることもあった。女性観客は全体の二割から三割に達していただろう。それは、ヤクザ映画のほかのもう一本が梅宮辰夫の『夜の歌謡シリーズ』であったからだろうか。」

を引用して、異論を立てる。さらに、権藤は、

「わたしは……マスコミや識者による事実の捏造が気になるのである。新宿東映のオールナイトにはせ参じたのは、周辺の工場で働くアンチャンか、飲食街で働くアンチャン、ネエチャンたちであった。彼らが、観客全体の九割を占めていたのだ。全共闘がいたのかどうかは知らない。が、それ以外の観客は一割にもみたなかったはずである。」

ともいう。「たまたまをそもそも」としている部分がないわけではないとは思うが、

高度経済成長初期の真っ只中で多大なファンを集めた、

任侠映画は、

「中枢の作品群でいえば、明治、大正、昭和初期と時代設定は変わっても、物語の大筋はほぼ同じで、着流し姿の男が仁義を命より重んじて、非道を重ねる悪玉と闘う。そんな映画を、1964年の東海道新幹線開通と東京オリンピック開催に象徴される時代相のなかに置くと、アナクロニズムに見えるかもしれないが、それは微妙に決定的に違う。オールナイト上映の『殺伐としていた』熱気からして、むしろ任侠映画の反時代性こそが、経済成長の波の底であくせくと働く人々にとっては魅力的なものであったと思われる。『若年労働者』『九割を占めたアンチャンやネエチャン』の日々の鬱屈は、着流し姿の主人公のストイシズムと、反転した形でぴたりと照応している。そうした反時代性と学生運動の反体制的な情念とは、通じ合うところがあったとしても、別の位相に属する。」

という説明は一応筋が通る。ただ、ある全共闘のリーダーの部屋には『少年サンデー』と『少年マガジン』しかなかったという都市伝説とを考え合わせると、意外に両者は地続きなのではないか、という気はするのだが。

既に、そうした映画の隆盛は遠くに去り、それを支えた世代も、ほぼ古希をすぎている。日本全体の高齢化と衰弱は、いろんなところに垣間見えるが、こんなに映画も、映画館も盛り上がった時代もあったのだと、久しぶりに思い出した。

参考文献;
山根貞男『東映任侠映画120本斬り』(ちくま新書)

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2021年09月03日

かんなび


「かんなび」は、

神奈備、
神南備、
神名火、
神名備、

等々と当てる(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)が、

かむなび、
かみなび、

とも訓ませる(仝上)。

神の鎮座する山や森、神社の森、

を指し、

「かん」は「神」、「な」は「の」の意、「び」は「辺」と同じくあたりの意(日本語源大辞典)、

とされ、

神の杜の約なり、かんなみの転(大言海)、
神の山の意、カムはカミ(神)の形容詞的屈折、ナはノ、ビはもり、むれなどという山の意の語が融合したミの音転か(万葉集辞典=折口信夫)、
神嘗の義で、神をまつった所をいうか。また、カンノモノ(神社)の約であるカンナミの転か(和訓栞)、

も同趣旨とみていい。「な」は、

「の」の母音交替形、

とされ、

まなこ(目な子)、
たなごころ(手な心=掌)、
かむながな(神な随)、

等々、

直前に来る母音がア列・ウ列・イ列の甲類の場合、

とある(岩波古語辞典)。

「かんなび」は、固有名詞に転じ、

大和國飛鳥のかんなび、
同國龍田のかんなび、

が有名で(大言海)、また、

神奈備山、

というと、

神の鎮座する山。神社のある山、

の意から、その意の、

各地の山の異称、

となり、『出雲国風土記』には、

意宇郡の神名樋野 松江市の茶臼山に比定、
秋鹿郡の神名火山 通説では松江市の朝日山に比定、
楯縫郡の神名樋山 出雲市の大船山に比定、
出雲郡の神名火山 出雲市の仏経山に比定、

の四ヵ所が載りhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%82%99、その他、

明日香村にある三諸山(みもろやま)、
斑鳩町にある三室山(みむろやま)、
京都田辺町薪にある甘南備山、

が知られている(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、

大和の三輪山(みわやま)、

がもっとも著名で(日本大百科全書)、

大和(奈良県)、出雲(いずも)に多いため、出雲系の神を祀ったものであろうとする説、

が有力としている(仝上)。

この山容が円錐形または笠形の美しい姿をして目につきやすいので、神霊が宿るにふさわしいものと考えている、

ともある(仝上)。

三輪山・大神神社の神奈備(神体山).jpg

(三輪山・大神神社の神奈備(神体山) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%82%99より)

「かんなび」は、

みもろ、

とも呼ぶ。「みもろ」は、

御諸、
三諸、

と当て(広辞苑)、

神木・神山・神社など、神の鎮座するところ、

の意である。

ミは接頭語、モロはモリ(杜)と同じ、神の降下してくるところ(岩波古語辞典)、
ひろもぎ(神籬)の略転。……大和の三輪、龍田をも云ふ。かんなびのみもろは、神(カン)の杜(モリ)の御杜(みもり)なり、御杜木はひもろぎを云ふ。此のひもろが後にみむろと転じたるなり。かかれば後世、建物出来て、神社の奥殿を室(ムロ)と云ふも、是なり(大言海)、

とあるところを見ると、「かんなび」の方が広い神域、「みもろ」は限定された依代を指していた可能性が高い。だから、「かんなび」は、

神奈備に神籬(ひもろぎ)立てて斎へども(万葉集)、

というように、

神霊(神や御霊)が宿る御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を擁した領域、

を指し、

神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域や、神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や神体山、特徴的な岩(夫婦岩)や滝(那智滝)がある神域、

を指すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%82%99とあるのは、その意味である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2021年09月04日

ひもろぎ


「ひもろぎ」に当てる漢字には、

神籬、

胙、
膰、
脤、

とがある。

「神籬」は、古くは、

ひもろき、

と清音、

神霊が宿っていると考えた山・森・老木などの周囲に常盤木(ときわぎ)を植えめぐらし、玉垣で囲んで心性を保ったところ、後には、室内・庭上に常盤木を立て、これを神の宿るところとして神籬と呼んだ。現在、普通の形式は、下に荒薦(あらむしろ)を敷き、八脚案(やつあしのつくえ)を置き、さらに枠を組んで中央に榊の枝を立て、木綿(ゆう)と垂(しで)とを取り付ける、

とある(広辞苑)。

天穂日命の神籬.jpg

(天穂日命(あめのほひのみこと)の神籬 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B1%ACより)

伊勢神宮の心御柱(しんのみはしら)、
上賀茂社の〈みあれ〉、

も神籬の一種とされる(百科事典マイペディア)。

また、「ひもろぎ」は、

ひぼろぎ、

ともいう(仝上)。和名抄に、

神籬、比保路岐、

とある。「神籬」は、

神の降下を待つところとして作るもの(岩波古語辞典)、

つまり、

神祭りをするにあたり、神霊を招くための憑坐(よりまし)、依代(よりしろ)、

なのである。また、

古代祭祀、また現在でも地鎮祭などでは社殿がなく、その神祭りの場合のみ神霊の降臨を願うとき、神霊の宿り坐(ま)す神聖な場、またそのしるしが必要となるが、それのこと。『日本書紀』天孫降臨の条に、天児屋命(あめのこやねのみこと)・太玉(ふとだま)命に天津(あまつ)神籬を持ち降臨、皇孫のため奉斎せよと勅されたとあり、同じく垂仁天皇の条に、新羅の王子天日槍(あめのひぼこ)が持ちきたった神宝のなかに熊(くまの)神籬一具とあるのをみると、神祭りをするための祭具をさして称することがすでに古くあったかとみられる、

とあり(日本大百科全書)、日本書紀に、

吾(高皇産霊尊)は則ち天津神籬及天津磐境(いわさか)を起樹(おこした)てて、当に吾孫の為に斎ひ奉らむ、

ともある。ただ、古代、

神をめぐる空間の構造を、

磐座、
神籬(ひもろぎ)、
磐境(いわさか)、

と区別されていて、日本書紀では、

天孫の座を磐座と呼び、神体・依代(よりしろ)・神座の意に、神籬は柴垣・神垣の意に、磐境は結界・神境の意に用いている、

ともある(世界大百科事典)。古代、

神社を建てて社殿の中に神を祀るのではなく、祭りの時はその時々に神を招いて執り行った。その際、神を招くための巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲うことで神聖を保ち、古くはその場所が神籬と呼ばれた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B1%AC。「神籬」と当てた時、「籬」は竹や柴で作られた垣根を意味するので、書紀の時代には、「場所」を指していた意味が、「場所」を限る「垣」に意味が変わっている可能性があるが。

のちには、神の宿る所として室内・庭上に立てた、榊などの常緑樹もいう (2).jpg

(「神籬」 今は八脚案上に枠を組み、中央に榊の枝を立てて木綿と垂とを付ける デジタル大辞泉より)

そうみると、「神籬」は、

ヒは霊力の意。モロはモリ(森・杜)の古形。神の降下してくる所。キは未詳(岩波古語辞典)、
ヒ(霊力)+モロ(森・杜)+キ(城)、神の降りる座(日本語源広辞典)、
ヒはヒ(靈)の義で神をいう。モロキは内外を守り限る義で守る所(東雅)、

と、神の依る「もり」とみる説があり、他に、

ヒは敬称的接頭辞、モロキは室木の義(神代史の研究=白鳥庫吉)、
柴室木(フシムロギ)の約轉、秘(ひめ)室木の略轉、秀(ひ)室城の転(大言海)、
フシムロギ(柴室木)の約轉(古事記伝・名言通)、

と、「室木」と特定する説があるが、

「ひもろぎ(き)」の「ぎ(き)」は、上代、(上代特殊仮名遣の)甲類であるから、乙類である「木・城」(き)とは別と考えられる、

とある(日本語源大辞典)ので、「木」「城」ではなく、前者に軍配が上がる。

また、

胙、
膰、
脤、

と当てる「ひもろぎ」は、

神の降下を待つところ、

としてつくった「神籬」に、

供えるもの、

を指す。漢字の「胙」は、

神に供える肉、

「脤」は、

神に供える生肉、

「膰」は、

神に供える焼いた肉、

を意味する。

ヒフルキ(干経肉)の義(大言海・言元梯)、
日を経て食するところからヒフルギ(日経食)の義(日本釈名)、

という説はあるが、「神の降下を待つところ」の「ひもろぎ」が、そこに供えるものも「ひもろぎ」と呼ぶようになったと考えるのでいいのではあるまいか。同じように、

ひぼろぎ、

とも言うのだから。

「籬」 漢字.gif


「籬」(リ)は、

会意兼形声。「竹+音符離(リ 別々のものをくっつける)」、

とあり、竹や柴(しば)などをあらく編んだ垣根、「まがき」の意。「垣籬(えんり)」「籬垣(りえん)」も、竹や柴の垣根を意味する。

「胙」(漢音ソ、呉音ゾ)は、

形声。「肉+音符乍」で、重ねた御供えの肉、

とある。

「胙」 簡帛文字・戦国時代.png

(「胙」 簡帛文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%99より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2021年09月05日

いわくら


「岩」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482839020.htmlで触れたように、「岩(磐)」は、

依代、

であり、神霊の代わりとして祀り、

磐座(いわくら)、
神籬(ひもろぎ)、

として信仰の対象とされた。「いわ(は)くら」は、

磐倉、
岩倉、
岩座、
磐座、

等々と当て、

神の鎮座するところ、

である。古事記には、

離(おしはなち)天之岩位(いわくら)、

とあり、神武紀には、

瓊瓊杵尊闢天關(あまのいはくら)……戻止(いたります)、

とあり、「天關」「岩位」等々とも当てている。記紀や風土記をみると、本来は、

神のいる場所をたたえる語、

であったが、

やがて祭りに際して神の依り代とされた岩石を特定してさすものと認識されるようになり、さらには石そのものを神体として祭祀対象とするようになる、

と変わっていく(日本大百科全書)。考古学的に磐座が明確になるのは古墳時代以降で、

沖ノ島遺跡(福岡県)、
天白(てんぱく)遺跡(静岡県)、
三輪山ノ神遺跡(奈良県)、

等々があり、巨石の周囲からさまざまな祭祀に用いられた遺物が出土する(仝上)。

たとえば、三輪山ノ神遺跡は、

古来より神のこもる山と仰がれた三輪山の西麓にあり、三輪山祭祀遺跡群の一つで、磐座を伴う。1918年(大正7)地元農民の開墾に際し偶然に発見された。磐座は長さ1.8メートル、幅1.3メートルの巨石(安山岩)を中心に数個の石よりなり、素文銅鏡、硬玉製勾玉(まがたま)、滑石(かっせき)製勾玉、臼玉(うすだま)、管玉(くだたま)、双孔円板(そうこうえんばん)、子持(こもち)勾玉、さらに土製の臼(うす)、杵(きね)、匏(ひさご)、柄杓(ひしゃく)、匙(さじ)、箕(み)、案(あん 物をのせる台)などの模造品が出土した、

とされる(日本大百科全書)。

山ノ神遺跡(奈良県桜井市).jpg

(山ノ神遺跡(奈良県桜井市) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E5%BA%A7より)

天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)は、

渭伊神社(延喜式内社)後背の薬師山(円錐形、標高41.75メートル)山頂において、巨岩群を神の依代(磐座)とした古代祭祀遺跡である。(中略)磐座は西・東・北の巨岩3つを主体として構成された大規模なものになる。特に西岩の西壁直下では、古墳時代の手づくね土器200以上・滑石製勾玉・鉄矛・鉄刀・鉄鏃・鉇など、古墳時代前期後葉から平安時代中期の祭祀遺物が検出されている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%99%BD%E7%A3%90%E5%BA%A7%E9%81%BA%E8%B7%A1

天白磐座遺跡.jpg

(天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡(静岡県浜松市) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E5%BA%A7より)

「いわくら」の「いわ(は)」は、

堅固の意(広辞苑)、
堅固なるを稱(たた)ふる語(大言海)、
イハは堅固さをほめた語(岩波古語辞典)、

等々とあるが、「岩」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482839020.htmlで触れたように、「石」が、

イワ(ハ)、イシ、イソなどのイに、岩石関連の語根がある、

とあり(日本語源広辞典)、和語「いし」は、

イサゴ(砂=石子)・イソ(磯)・イスノカミ(石の上)・イシ(石)の、isago、iso、isu、isiに共通なis-という形が「石」の意の語源であろう(岩波古語辞典)、

とされるので、「いわ」の語根「イ」も、「いし」の、

is-

とのつながりが想定される。その意味で、「いわ」について、

イは接頭語。ハはホ(秀)から分化した語か。山の石すなわち岩の意で、磯の石すなわちイシに対する語(日本古語大辞典=松岡静雄)、
ハはハフ(延)の同義語で、拡がっている物を連想させる。その上にイを添えて、具体的に己が思想に浮かんでいる物の名とし、はじめて岩という語となる(国語の語根とその分類=大島正健)、

等々の諸説の「イ」も、「接尾語」ではなく、「石」と同根と見ると、別の視界で見えてくる。

「くら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482602676.html?1627533042でふれたように、「くら」に当てる「座」(漢音サ、呉音ザ)は、

会意兼形声。坐(ザ)は「人二つ+土」の会意文字で、人々が地上にすわって頭が高低ででこぼこするさまを示す。座は「广(いえ)+音符坐」で、家の中ですわる場所のこと、坐は動詞、座は名詞であったが、当用漢字で座に統一された、

とある(漢字源)。「すわる場所」の意から、「台座」のように、「器物を載せる台」の意や、星々の(集まる)場所の意味で、「星座」と使ったりする。

和語「くら(座)」も、

御手座(みてぐら)、
矢座(やぐら→櫓・矢倉)、
鳥(と)座、
千座(ちくら)、

等々、

人や物を載せる台、また、物を載せる設備、

の意で使われることが多い(岩波古語辞典)。「御手座(みてぐら)」は、もとは、清音で(広辞苑)、

元来は神が宿る依代として手に持つ採物(とりもの)をさした。その後幣(ぬさ)の字を当てたため、幣帛(へいはく)と混用され、布帛、紙、金銭、器具、神饌(しんせん)など神に奉献する物の総称の意にも用いられた、

とあり(百科事典マイペディア)、

依代の採物→神への奉献するもの、

と転じたように、「いわくら」も、

本来、神のいる場所をたたえる語であった。やがて祭りに際して神の依り代とされた岩石を特定してさすものと認識されるようになり、さらには石そのものを神体として祭祀対象とするようになる、

と、

依代の岩→神体→神、

と、意味が広がった。

「ひもろぎ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483241202.html?1630696658で触れたように、古代、

神をめぐる空間の構造を、

磐座(いわくら)、
神籬(ひもろぎ)、
磐境(いわさか)、

と区別されていて、日本書紀では、

天孫の座を磐座と呼び、神体・依代(よりしろ)・神座の意に、神籬は柴垣・神垣の意に、磐境は結界・神境の意に用いている、

とある(世界大百科事典)。

磐座(いわくら)→神籬(ひもろぎ)→磐境(いわさか)、

と、

磐座を中心とした祭祀場で、「いわくら」を囲む、

神籬、

さらに、そこを神聖清浄な場所として保存する「神域」を限る、

磐境(いわさか)、

がある。

「さか」とは神域との境であり、、禁足地の根拠は「神域」や「常世と現世」との端境を示している。つまり磐境は、石を環状に配置した古代の遺跡であるストーンサークル(環状列石)と同じもので、そこを神聖清浄な場所として保存するための境界石を人工的に組んで結界を形成して「神域」を示している、

のではないかhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E5%BA%A7

大神神社.jpg

(大神(おおみわ)神社(桜井市) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E5%BA%A7より)

なお、漢字「岩」「磐」については、「岩」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482839020.htmlでふれたが、「岩」(漢音ガン、呉音ゲン)は、

会意。「山+石」。もと「巌(巖)」の俗字、

とある(漢字源)。「磐」(漢音バン、呉音ハン)は、

会意兼形声。「石+音符般(ハン 平らに広げる)」、

とある(漢字源)。「岩」ではあるが、「盤石」というように、「平らに大きくすわった石」の意がある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年09月06日

列島のカミ


佐藤弘夫『日本人と神』を読む。

日本人と神 (講談社現代新書).jpg


本書は、

日本列島における聖なるものの発見と変貌、

という問題意識から、従来の「神仏習合」などといったような、

「日本列島の宗教現象を説明するためにしばしば用いられてきたこれらの視座や概念の有効性を改めて問い直す」

と同時に、

「『土着の』『固有の』という形容詞で語られてきた日本の神についても、その常識を根底から揺さぶる」

とし、

「決して研究成果を反芻する概説書ではない。新書という限られた紙数と制約のあるスタイルのなかで、どこまでもアカデミックな挑戦を追求する知的冒険の書」

と宣言し、

「『神』『仏』『神仏習合』などの既存のキーワードを必須のアイテムとして用いることなく、各時代の聖なるものに直接アプローチすることを試み」

であり、

「既存の宗教史の叙述方法を革新しようとする、新たな精神史の試み」

だとする、意欲的な

知的冒険の書、

を目ざす。

本書は、まず、冒頭、東北の三つの霊場、

川倉地蔵堂(津軽)、
白狐山光星寺(庄内)、
羽黒山(出羽)、

を紹介し、こう書くことから始める。

「これらの施設は、寺院と神社という違いはあっても、いずれも神の領域を示すシンボルである鳥居によって聖別されていた。これは一般的には『神仏習合』という日本固有の現象として説明される。(中略)だが、……一応は寺院のジャンルに分類される川倉地蔵堂と光星寺も、その実態を詳しくみていけば、そこに展開している死者供養の光景はとうてい『仏教』『寺院』という範疇に収まりきるものではなかった。逆に神社とみなされている羽黒山は、その核心部分に神が最も忌み嫌うはずの濃厚な死の世界を抱え込んでいるのである。
 川倉地蔵堂も光星寺も羽黒山も、その内部に死者の居場所をもっている。それが聖域としての不可欠の要素をなしている。その死者の世界を核として、神道とも仏教とも容易に区別しがたく、名状しがたい空間が立ち上がっている。そして、そのいずれの施設についても、領域が鳥居によって聖別されているのである。」

そして、この聖性の根源に切り込むための方法として、

「神仏習合という視座がまったく無力である」

とする。むしろ、

「それぞれの所にある宗教的な諸要素を神道的なものと仏教的なものに腑分けしていっても、どちらにも収まりきれないものがあまりにも多い。『神仏習合』といった途端に、指の間から乾いた砂がこぼれ落ちていくように、聖性の核心をなすもっとも大事なものが抜け落ちてしまう。」

と。そして、こう書く。

「いま求められているのは、日本列島に実在する神とも仏とも取れないものを、既存の概念や方法を用いて安易に分類したり説明したりすることではない。『死者が集まるモリの山』といった俗説に、安易に寄りかかることでもない。鳥居のなかに籠められている『聖なるもの』=『カミ』(以下、日本の『神』と区別するために、『聖なるもの』の意味で使用するときは『カミ』と表記する)の正体を、どこまでも実態に即して追究し、解明していくための新たな方法と独自の視座の構築なのである。」

既存の説との対比はあまりされていないので、不案内のものには、そんなものか、と思うところも多々あるが、個人的に驚いたのは、

大神神社(おおみわじんじゃ)、

に代表されるような、三輪山を御神体とする、

「山麓から山を遥拝するという形態や一木一草に神が宿るという発想は、室町時代以降に一般化するものであり、神観念としても祭祀の作法としても比較的新しいあり方」

とする考えである。では「より古い神祭り」はどういうものだったのか。

「祭祀遺跡は20ヵ所以上が確認されているが、山中の磐座にも祭祀の形跡が残されているが、多くは山を仰ぎ見る場所に設定されている。規模の大きい建物の跡は見つかっていないことから、祭りのときだけ使用された臨時の施設であったと考えられる。(中略)もっとも関心を惹くのは、恒常的な祭祀の場所が定められていなかった点である。山そのものを崇拝の対象とするのであれば、いまの拝殿の地のように最適な地点を祭祀の場と定めて、そこで定期的な祭りを行えば済むはずである。」

そこで著者は、弥生時代に描かれた、

カミを祀るシャーマン(巫女)の姿、
祭祀の場と思われる高床式の建物や、カミの依代を思わせる樹木、

等々の絵から、卑弥呼に代表されるような、カミと人との間を取り持つシャーマンの役割が重視されるようになり、

「祭祀の場にカミを招いてその意思を聞き、終了後に帰っていただく方式が典型的な神祭りの形態」

となって、三輪山でも、

「山を仰ぐことのできる場所に祭祀遺跡が点在している。固定したスポットから山を拝むのではなく、山が見える所にそのつど祭場を設け、山からカミを呼び寄せていたことがわかる。祭祀の場所はカミの依代となる磐座や樹木のある地が選ばれた。祭りの場に集まった人々は、シャーマンを通じてカミの声を聞いた。」

とみる。

「『古事記』『日本書紀』『風土記』などの現存する最古の文献類を繙いても、山を清浄な地とする記述はあるが、それを聖なる祭祀の対象とみなす記述は皆無である。(中略)山は神の棲む場所であっても、神ではなかった。」

とし、「わたしたちは神信仰にかかわる常識や俗説をいったん投げ捨て」て、「改めて史料に即して」考えてみる必要がある、と説く。確かに、

田の神、

を考えても、神は、田植えの時期だけ、

田と里、田と家を往復する(日本昔話事典)、

ところに、あるいは、古式のカミ迎えが残っているのかもしれない。

山を神体と見る、

神体山の信仰、

が成り立つためには、

カミの抽象化、

を経なくては生まれず、

「中世において、時代の思潮を踏まえて新たに形成された理論」

だと、著者は述べる。それは、中世における、いわゆる「神道」というものの形成と関わるのかもしれない、と思う。

著者は、「あとがき」で、

「わが国の人文学の学問の大勢は、海外の研究成果をいち早く紹介して、その方法を列島に適用するという形態をとっている。わたしたちは国外で作られたルールに従って試合を行う、プレイヤーとしての地位をなかなか抜け出せないままでいる。いま必要なものは、ルール作りそのものに積極的に関わっていこうとする強い意志である。」

と述べている。日本の神についての、神道学・日本史学・宗教学・民俗学・日本思想史学などの研究の蓄積はみとめつつも、

「学問研究の国際化が進むいま、その成果を海外に開いていく努力が求められている。そのためには日本人にしか通用しない常識を前提として、閉じられた国内の学界で議論するだけでは不十分である。日本の神研究は、国境を超えてだれにでも理解してもらえるような、より汎用性の高いフォーマットへの転換が求められている。」

だから、本書は、

「閉じられたアカデミズムの世界を超えて、広くこの問題に関心を抱く一般読者と共有することを目指す」

ものであり、

「本書で展開する私説のほとんどすべては、現在の学界で認知されるに至っていない」

ものとし、先入観にとらわれず、

「従来の常識や定説と、本書に展開されているわたしの説のどちらがより説得力をもっているか」

判断してほしい、と読者に求めている。この私説に対する是非の判断を、読者もまた求められている、その意味でまさに、読者にとっても、

知的冒険の書、

なのである。

参考文献;
佐藤弘夫『日本人と神』(講談社現代新書)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年09月07日

自分


「自分」というのは、

自分の事は自分でせよ、

というように、名詞として、

自身、

の意である(漢語では「自身」(字源)を使う用例がある)が、「自分」は、また自称としても使う(広辞苑)。この場合、「自分」を文字通りに解すれば、

自らの分、

ということになり、

おのが分、

ということになる。室町末期の日葡辞書には、

ジブンニカナワヌ、

と載り、

自分自身の能力、

の意で使っている(広辞苑)、とある。

近世以降に広く知られるようになった語、

とあり、用法としては、

「おのれ」に近く、関西圏では「自分」を二人称でも用いる。

「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.htmlは、

オノ(己)+レ(接尾語)、

で、「レ」は、「ワレ(我)」や「カレ(彼)」の「レ」と同じである。この場合も、

自分自身、

を指すが、

卑下していうことが多い、

とある(岩波古語辞典)。「自分」も、そんな語感のようであるが、江戸時代は、

武士詞、

とある(江戸語大辞典)。たとえば、

「自分共も役目なれば、私づくで容赦はならぬ」(天保元年(1830)「寝覚之繰言」)

と使われる(仝上)。さらに、尊敬の接頭語「ご」を付けて、

「御自分様(御貴殿様)」(宝暦四年(1754)「世間御旗本容気」)、

と、

貴殿、

の意で二人称としても使っている(仝上)。

「分」 漢字.gif

(「分」 https://kakijun.jp/page/0428200.htmlより)

「分」http://ppnetwork.seesaa.net/article/424082581.htmlで触れたように、「分」は、

分を弁える、

の意味で使う。意味は、

各人にわけ与えられたもの。性質・身分・責任、

等々の意味で、

分限・分際、応分・過分・士分・自分・性分・職分・随分・天分・本分・身分・名分、

等々という使われ方をする。

「分」の字は、

「八印(左右にわける)+刀」

で、二つに切り分ける意を示す。

分は合の反対。物を別々にわける義(字源)、

とあり、「分割」「分別」「分配」「区別」「分裂」等々と「分ける」「分かれる」意だが、

ポストに応じた責任と能力、

の意の、

本分、
持ち前、
つとめ、、

の意でも使う(漢字源・字源)。

天人の分に明らかなり(荀子)、

と、

けじめ、

の意も含む。「身の程」「分際」という言葉と重なるのかもしれない。それはある意味、

生まれつきのもの、固有の性質、
所属する部分、担当する部分、

の意の、

「持前」とも重なる。

分を守る、
とか
分を弁える、
とか
分に余る、
とか
分にすぎる、

といった、

分際、
身の程、

は、ある意味「慎み」につながり、それは、

控えめに振る舞うこと、
江戸時代、武士や僧侶に科した刑罰の一つ。家の内に籠居 (屏居)して外出することを許さないもの、謹慎、
物忌み、斎戒 (さいかい) 。

といった意味があるが、上にか天にか神にか、分を超えたことへの戒めととらえることができる。

己(おのれ)の分を尽くす、

というと、

本分、

につながる。「けじめ」という言葉は、

ケ(段・分段)+チ(つ・の)+目(日本語源広辞典)、
ワカチメ(分目)の義(類聚名物考・名言通・和訓栞)、

等々と、

分け目、区別、

の意味で、そこから準えて、

道徳や規範によって行動・態度に示す区別、節度ある態度、

という意味に敷衍されている。「分」、「身の程」と近いが、差異というか切れ目に着眼しているので、目線が外からの色合いが強い。分、身の程は、内からの自分での弁え、ということになる。

潔さとは、分を守ることの徹底に見る。

「自分」と一人称を使うとき、そうした、

おのれの分を慎んでいる、

という含意が、本来あるのかもしれない。

「分」 甲骨文字.png

(「分」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%86より)

「分」(漢音・呉音フン、慣用プ、呉音ブン)は、

会意。「八印(左右に分ける)+刀」で、二つに切り分ける意を示す。払(フツ 左右に分けてはらいのける)は、その入声(ニッショウ つまり音)に当たる。また、半・班(わける)・判(わける)・八(二分できる数)・別とも縁が深い、

とある(漢字源)。

「自」(漢音ジ、呉音シ)については「おのづから」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483178122.html?1630350682で触れたが、

象形。人の鼻を描いたもの。「私」がというとき、鼻を指さすので、自分の意に転用された。また出生のさい、鼻を先にして生れ出るし、鼻は人体の最先端にあるので、「……からおこる、……から始まる」という起点をあらわすことばとなった、

とある(漢字源)。

「自」 甲骨文字.png

(「自」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%87%AAより)

なお、一人称の、
「われ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473288508.html
「やつがれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482208626.html
「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html
については触れたし、「われ(我)」「てめえ(手前)」「な(むぢ)(汝)」「おのれ(己)」等々の一人称が二人称に転じることについては、「二人称」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442523895.htmlで触れた。

参考文献;
前田勇編『江戸語大辞典 新装版』(講談社)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:自分
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2021年09月08日


「私」は、

わたくし、

と訓ませる。名詞である。

公(おほやけ)の対、

である(岩波古語辞典)。

個人のこと、

を意味する。

背私謂之公(私ニ背クヲ公ト謂フ)、

である(韓非子)。

「私」 漢字.gif


私事(わたくしごと)、

は、

公事(おほやけごと)、

の対である(仝上)。

また、「わたくし」は、

自称、

にも使うが、

目上の人に対してへりくだって言う語(岩波古語辞典)、
男女とも丁寧な言い方として、多く目上の人に対して用いる。また改まった言い方をする時などに用いる(日本語源大辞典)、
尊長より同輩に通じて、謙して用ゐる(大言海)、

等々、どちらかというと謙譲の含意がある。

「わたくし」は中世前期頃まで、「公(おおやけ)」に対する「個人」の意味で用いられ、一人称の代名詞として用いられ始めたのは、中世後期以降である。「わたし」は近世以降に見られる語で、近世では女性が用いた、

とある(語源由来辞典)。「わたし」は、

「わたくし」が約まったもので(watakushi→watashi)、

「わたし」が約まって、

わし(watashi→washi)、

あるいは、

あたい(atashi→atai)、

となる。どんどんくだけていく(広辞苑・日本語の語源・語源由来辞典)。

「わたくし」の語源は、

ワ(吾・我)+タ(つ)+くし、私+の+しるし(個人的の意)(日本語源広辞典)、
我盡(われつく)しの轉(大言海)、
ワガタメニカクシ(我爲隠)の義(日本語原学=林甕臣)、
ワはワレ(吾)の意、シはウシ(大人)、イマシ(汝)等のシと同根か(国語の語根とその分類=大島正健)、
ワトクシ(吾等具)の義(言元梯)、

等々、一人称「わ(吾・我)」と関わらせる説が多い。一人称には、もうひとつ「あ(吾・我)」があるが、

アは、すでに奈良時代から類義語ワ(我)よりも例が少なくて、用法も狭い。平安時代になると、「あが」という形のいくつかを残すだけで、アは主格や目的格などの場合は使われない。アとワは、「あが衣(ころも)」「わが衣(きぬ)」などと、似た対象についても使ったが、アは、多くの場合、「あが君」「あが主(ぬし)」など親密感を示したい相手に対して使い、ワは「わが大君」「わが父母」など改まった気持ちで向き合う相手に対して用いた、

とある(岩波古語辞典)。「わたくし」が「わ」の流れだとすれば、

改まった気持ちで向き合う相手に対して用いた、

という含意はそのまま残っていることになる。

「あ」の語源は、

漢語のア(我)、朝鮮古語のアと暗合(大言海)、
呼ばれてこたえる音声から(本朝辞源=宇田甘冥・国語の語根とその分類=大島正健)、
叫ぶ声から。ウ(自)・オ(己)と同系(日本語源=賀茂百樹)、

等々あるが、「わ」については、

平安時代には、「わが」という形以外ほとんど使われない、

とされ(岩波古語辞典)、語源としては、「われ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473288508.htmlで触れたように、

漢語のア(我)、朝鮮古語のアと暗合(大言海)、

しかない。結局はっきりしないので、

ワが、ワれ、ワぎもこ、ワたくしのワが同根(日本語源広辞典)、

ということ以上は言えないのだが、「わぎも(吾妹)」「あが君」の「あ」や「わ」には、へりくだった含意はない。とすれば、

わたくし、

には、その含意の由来する語源なのではないか。とすると、

ワ(吾・我)+タ(つ)+くし、私+の+しるし(個人的の意)(日本語源広辞典)、
我盡(われつく)しの轉(大言海)、

にその可能性を感じるのだが、どうだろうか。

さて、漢字「私」(シ)は、

会意兼形声。厶(シ)は、自分だけのものを腕でかかえこむさま。私は「禾(作物)+音符厶」で、収穫物を細分して、自分のだけをかかえこむこと。ばらばらに細分する意を含む、

とある(漢字源)。一説に、

形声で、禾と音符厶(シ)とから成り、いねの一種の意を表す、

という(角川新字源)。

「私」 成り立ち.gif

(「私」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji962.htmlより)

会意形声。禾(稲の意)+音符「厶」(腕を回して物をとる様で「わたくしする」の意)。私有の稲の意味から、わたくしする(自分のものにする)の意味になった。なお、「公(おおやけ)」は「厶」を開く(「八」)ことからと言われる、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%81のが「厶」の意味をよく示している。

なお、一人称の、
「われ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473288508.html
「やつがれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482208626.html
「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html
「自分」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483288122.html?1630956077
については触れたし、「われ(我)」「てめえ(手前)」「な(むぢ)(汝)」「おのれ」等々の一人称が二人称に転じることについては、「二人称」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442523895.htmlで触れた。

参考文献;
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2021年09月09日

おれ


「おれ」は、

汝、
己、

と当て(岩波古語辞典)、

二人称、

で、

おれ熊曾建(くまそたける)二人、伏(まつろ)はず礼(いや)無しと聞しめして、おれを取殺(と)れと詔りたまひて(古事記)、

と、

相手を卑しめていう語(広辞苑)、
相手を低くみていう語(岩波古語辞典)、

である。それが転じて、

相手が同等または目下の時に使う(岩波古語辞典)、
目上にも目下にも用いた(広辞苑)、

一人称、

となり、男性では、

おれとわごりょ(我御寮・我御料)はよいなかながら(宗安小唄集)、

女性では、

おれがいつも申すはそれよ(御伽草子・乳母草紙)、

と、

男女共に用いる、

とある(岩波古語辞典)。現代では、

主として男が同輩以下のものに対して用いる、荒っぽい言い方、

とある(広辞苑)が、女性でも使う例がある。一人称の「おれ」は、

俺、
己、
乃公、

等々とあてる(広辞苑・デジタル大辞泉)。「乃公」http://ppnetwork.seesaa.net/article/445042814.htmlは、

わが輩、おれさま、

といった意味で、男性が、

自分自身を尊大にいう言葉、

つまり、相手に対して、

「乃(=汝、お前)」の「公(=主君)」

と位置関係を設定して、上から目線で言う言葉らしい。

乃公出でずんば蒼生を如何せん、

といった使い方をするので、「おれ」に「乃公」を当てた時は、「おれ」に、

おれさま(俺様・己様)、

という含意があることになる。

「俺」 漢字.gif


「おれ」は、

おのれの略、

とされることがあるが、

上代から中古にかけて主として用いられた、

二人称の「おれ」は、

上代の「おのれ」という反射指示の語形とは語源的には直接関係が少ない、

と考えられている(日本語源広辞典)とある。あるいは、古代、二人称の「おのれ」と「おれ」は併用されていたのかもしれない。だから、

自称の代名詞「あれ」や沖縄方言の指示代名詞「うり」、朝鮮語の自称「うり」との語源関係を想定する、

説もある(仝上)という。

自称の「おれ」は、

中世以降使われ。近世以降多用された、

とあり(仝上)、

貴賤男女の別なく使われたが、近世の後半期頃から女性の使用が絶えた。同等もしくは目下に対する使用例が多いが、目上に対する用例もあり、江戸期までは、現代語のようにくだけた言葉とは言えない

とある(日本語源大辞典)。

この「おれ」は、「おのれ」とは別に成立し、

二人称→一人称、

に転じたものとみていいようである。そう考えると、

オノレの略(名語記・大言海・かた言・和字正濫鈔・類聚名物考・一話一言・日本語源広辞典)、

説は消えて、むしろ、

アレ(吾)の転(言元梯)、
「吾」の別音woに補音レを添えたもの(日本語原考=与謝野寛)、

もあり得るが、「あれ」は、「われ」(ware)の語頭のwが落ちたものとすると、一人称にも、二人称にも使っていたけれども、二人称→一人称への転用が確認できない。

「二人称」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442523895.htmlで触れたように、「二人称」には、

お前、
ぬし、
君、
なんじ、

等々のように、かつては、相手への尊称や敬称であったものが、相手を貶める言い方になっているものと、

われ(我)、
てめえ(手前)、
な(むぢ)(汝)

等々のように、かつては、自分のことを指していた呼称が、相手へ転化されたものと、

そち、
そなた、
そこもと、
あなた、

等々のように、方向を指していた言葉が転じたものと、

おたく(お宅)、

のように、家や組織や分野など、その人の所属を二人称に代替したもの(今日の「オタク」の語源でもある)があるが、

二人称→一人称、

への転用の例はあまり聞かない。

「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.htmlでふれたように、「おのれ」は、

オノ(己)+レ(接尾語)

で、「レ」は、「ワレ(我)」や「カレ(彼)」の「それ(其れ)」の「レ」と同じである(大言海、岩波古語辞典)。さらに、

オノ+レ、

の「オノ(己)」も、また、「おのれ」と同様、一人称の、

であり、二人称の、

おまえ、

の意もあり、

アナ(己)の母音交替形、

とし、

感嘆詞アナの母音交替形、

とする説(岩波古語辞典)は、「アナ(己)」は、「あながち」http://ppnetwork.seesaa.net/article/430713882.htmlで触れたように、

アナ(オノレの変化)+勝ち、

であり、

オノ(己)の母音交替形。アナガチのアナに同じ。日本書紀神代巻に「大己貴」を「於褒婀娜武智(おほあなむち)」と訓注しており、「己」をアナと訓む。母音アが脱落するとナ(汝)になる、

とし、同じ二人称「うぬ」は、

オノの轉(岩波古語辞典)、

あるいは、

オノレの略轉(大言海・日本語の語源)、

とする。一人称「うぬ(己)」は、一人称、

うら、

にも転じる。

と、みると、「おら」は、

おのれ→おのら→おいら→おら(大言海)、
おのれ→おれ→うれ→うら(仝上)、

がありうるが、「おのれ」の転訛でないとするなら、たとえば、

あれ→おの→うぬ→うら→おら、

と転じたとみてもいい。この「おら」は、

一人称で、

自分自身、

を指し、仲間や目下の者とざっくばらんに話す時に用いられる。「俺」「己」「乃公」などと当てるので「おれ」と重なる。こうみると、

おのれ→おれ、

ではないとするなら、確かに、上述の、

自称の代名詞「あれ」の転訛、

もありうるが、「あれ」は、「われ」(ware)の語頭のwが脱落した形とされる(岩波古語辞典)ので、強いて言えば、

ware→are→ore、

となるが、どうなのだろうか。それが無理筋なら、

おの→おれ、

と見るしかないのだが。

「俺」 成り立ち.gif

(「俺」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2092.htmlより)

「俺」(エン)は、

会意兼形声文字です(人+奄)。「横から見た人」の象形と「両手両足を伸びやかにした人の象形と稲妻の象形」(雷雲が人の頭上を覆うの意味から、「覆う」の意味)から「われ(我)」、「おれ」、「自分」を意味する「俺」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji2092.html

なお、一人称の、
「われ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473288508.html
「やつがれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482208626.html
「おのれ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html
「私」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483303361.html?1631041960
「自分」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483288122.html?1630956077
については触れたし、「われ(我)」「てめえ(手前)」「な(むぢ)(汝)」「おのれ」等々の一人称が二人称に転じることについては、「二人称」http://ppnetwork.seesaa.net/article/442523895.htmlで触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:おれ 乃公
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2021年09月10日

けじめ


「けじめ(けぢめ)」は、

区別、
差別、
数、
分、

等々と当てられたりする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%91%E3%81%98%E3%82%81・精選版日本国語大辞典・漢字源・大言海)。その語源として、

ケ(段・分段)+チ(つ・の)+目、

とする説がある(日本語源広辞典)ように、

公私のけじめ、

とか、

思ふをも思はぬをもけぢめ見せぬ心なむありける(伊勢物語)、

という、

分け目、区別、

の意味で(岩波古語辞典・広辞苑)、

物事の差、二つ以上のものの間にある質的または量的な差、優劣、大小、多少などの差、比較される一方の立場に立って他との違いをいう場合が多い、

とある(精選版日本国語大辞典)。そこから、

うちつぎて、世の中のまつりごとなど、殊に変はるけぢめもなかりけり(源氏)、

と、

連続したものが変化したときに認められる、前と後との質的な違い、物事の移り変わり、変動、

の意や、

雪はところどころ消え残りたるが、いとしろき庭のふとけぢめ見えわかれぬほどなるに(源氏)、

と、

二つ以上の物事について、内容、外観などによって区別をつけること、差を弁別すること、

の意や、

さるべき御かげどもにおくれ侍りてのち、春のけぢめも思ひ給へわかれぬを(源氏)、

と、

変化の境目、境界、

の意や、

廂の、中の御障子を放ちて、こなたかなた御几帳ばかりをけぢめにて(源氏)、

と、間を隔てるもの、境を分けるもの、

等々の意へと広がり、こうした、「区別」「境界」に準えて、

上達部みな乱れて舞ひ給へど、夜に入りてはことにけぢめも見えず(源氏)、

守るべき規範や道徳などにより、行動や態度などにつける区別、その場その場にかなった行動をとること。節度ある態度、

といった意味に敷衍され、

幼長のけじめ、
けじめを守る、
けじめをつける、

等々として使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)。室町末期の『日葡辞書』には、

Qegimega(ケヂメガ)ミエタ、

と載る。

「數」 漢字.gif

(「數(数)」 https://kakijun.jp/page/suu15200.htmlより)

「けじめ」の語源としては、上記の、

ケ(段・分段)+チ(つ・の)+目(日本語源広辞典)、

があるが、他に、

結目(けちめ)にて、碁の結(けち)より、別目(わけめ)の意か、或いは掲焉(けちえん)のけちか(大言海)、

とする説がある。囲碁の「結」(けち)は、

闕(けち)、

で、

囲碁の終盤戦で、まだ決まらない目を詰め寄せること、

つまり、

駄目を詰める、

意である。

「けち」の「ち」は漢字の入声音「t」を仮名表記するとき字音の後に母音「i」を添えたもので、「質(しち)」「節(せち)」と同様、

とある(精選版日本国語大辞典)。ただ、「決着」の意味に関してだが、

囲碁の特定の世界での語であり、一般の用語で決着の意味に用いた例は見出しがたい、

とある(仝上)。「価値がない」の意の、

ダメ(駄目)、

が囲碁用語から転じたように、囲碁の世界の言葉が広く使われる例はなくはないのだが、

「けぢめ」の語が見られるのは平安時代で、時代的には問題なく囲碁用語からとも考えられるが、「区別」という意味になったという点で説得力に欠ける、

とする(語源由来辞典)のはどうだろう。「駄目を詰める」のは、終局時に地の整理をする時、

白黒どちらの陣地にもならない交点(ダメ)を「ダメ詰め」をして、白と黒の境界線をハッキリさせること、

をいうhttps://www.nihonkiin.or.jp/teach/lesson/school/end02.html

ダメ詰め.gif

(「ダメ」詰め) 白黒どちらが打っても良い交点、白1、黒2、白3と「ダメ詰め」をする https://www.nihonkiin.or.jp/teach/lesson/school/end02.htmlより)

つまり、白黒の区別を明確にするという意味で、「けじめ」の含意と重なるのである。

また、

或いは掲焉(けちえん)のけちか(大言海)、

とする「掲焉」は、

けつえん、
けちえん、

と訓ますが(「掲」をケチと訓むは呉音)、

著しいさま、目立つさま、

で、

人の様体、色合ひなどさへ掲焉に顕れたるを見渡すに〈紫式部日記〉、

と使われるが、「意味」から逆に推測したものなのではないだろうか。

このほかに、

ワカチメ(別目)の義(類聚名物考・名言通・和訓栞)、
ワカチマ(分間)の義(言元梯)、

と、「分」「別」とのかかわりを説く説もある。類聚名義抄(平安末期)に、

分、けじめ、

とある(語源由来辞典)とある。しかし、これは、「けじめ」という言葉が既にあったことを意味するので、

わかちめ(分目)の意味から生じた語(仝上)、

の証にはなるまい。第一、

わかちめ→けぢめ、

では音韻的にも無理がある。やはり、

結目(けちめ)にて、碁の結(けち)、

より由来したと見るのが、音韻的にも、意味的にも無理がなさそうである。江戸時代、

けじめをとる、

を、

雪は白しけじめをとるか竦み鷺(俳諧・鸚鵡集)、

と、

優劣・異同などを明白にする、

意で使い(岩波古語辞典)、

けじめを食ふ(けぢめを食はす)、
けじめる(「きじめる」とも)、

を、

汝等にけぢめを食ふ様な、そんな二才ぢゃあねえぞ(三人吉三廓初買)、

と、

差別待遇をされる、阻害し卑しめられる、

意で使う(広辞苑・江戸語大辞典)。江戸中期の『俚言集覧』に、

愚案、又俗に人に逼迫して卑しめ陵(しの)くやうの事をケヂメを食すと云、又キヂメルとも云、

とある(江戸語大辞典)。

「けじめ」に当てる「數(数)」(慣用スウ、漢音ス、呉音シュ)は、

会意。婁(ル・ロウ)は、女と女を数珠つなぎにしたさまを示す会意文字。數は「婁(じゅずつなぎ)+攴(動詞の記号)」で、一連の順序につないでかぞえること、

とある(漢字源)。別に、

「數」は攴+婁の会意文字で、攴は算木を手に取るという意味である動作をなす事を表し、婁は摟(ひきだす)をあらわす。又は、複数の女性(おそらく奴隷であろう)が数珠つなぎにされた様を表し、複数のものを数えることを意味(藤堂)、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%B0。さらに、

「數」 成り立ち.gif

(「數」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji230.htmlより)

会意文字です(婁+攵(攴))。「長い髪を巻きあげて、その上にさらに装備を加えた女性」の象形(「途切れず続く」の意味)と「ボクっという音を表す擬声語と右手の象形」(「ボクっと打つ、たたく」の意味)から、続けて打つ事を意味し、そこから「責める」、「かぞえる」を意味する「数」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji230.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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2021年09月11日

こなから


「こなから」は、

小半、
二合半、

などと当てる(広辞苑)。

半分の半分、

つまり、

四半分、

の意と、米や酒の、

一升の四半分、つまり、4分の1、二合五勺(約4.5デシリットル)、

の意である(仝上・デジタル大辞泉)。そこから、「こなから」は、

こなからざけ(小半酒)、

の意で、

少量の酒、

の意でも使う。また、

こなからいり(小半入)、

というと、

二合五勺入りの容器、

を指し、

小半入りの徳利、
小半枡、

などともいう(仝上)。なお「とっくり」http://ppnetwork.seesaa.net/article/474699082.htmlについては触れた。

この「こなから」に当てる

小半、

を音読みして、

こはん(小半)、

とも言う(仝上)。だから、

半斤の半分を、

小半斤(こはんきん 四半斤)、

豆腐の半挺の半分を、

小半挺(こはんちょう)、

一時(いっとき)の四分の一を、

小半刻(こはんとき 30分)、

などというのと同じ、とある(大言海)。

なお、「こなから」は、

二合半、

の意味から、関西では、

二号はん=お妾さん、

の意味でも使うという。

半分、

を、

なから、

といい、その半分なので、

こなから、

となるので、

小+なから、

で、この接頭語「小(こ)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/445760046.htmlは、

体言・形容詞などの上に付く、

が、意味は幅広く、

物の形・数量の小さい意(「小舟」「小島」「小人数」等々)、
事物の程度の少ない意(「小雨」「小太り」等々)
年が若い意(「小犬」「小童」等々)、
数量が足りないが、ややそれに近い意(「小一里」「小一時間」等々)、
半分の意か(「小なから」「小半金」等々」)、
いうにいわれない、何となくの意、またその状態表現を憎む意(「小ぎれい」「小憎らしい」「小汚い」等々)、
軽んじ、あなどる意(「こざかしい」「小わっぱ」等々)
(体の部分を表す語について)その動作を軽く言う意(「小耳」「小腹」「小腰」等々)、
語調を整える意(「夕焼け小焼け」「大さむ小さむ」等々)、

等々があり(広辞苑)、「小」は、

「お」(「小川」「小暗い」等々)、
「しょう」(「小心」「小社」等々)、
「さ」(「小夜」「小百合」)等々、

とも訓ますが、訓み方は変わっても、この意味の変化は、「小さい」「少ない」という、

状態表現、

が、そのことに価値表現を含めて、貶めたり、蔑んだり、逆にみずからを謙ったり、という価値を加味した、

価値表現、

へと変るのは、一貫している。

「なから」は、

中ら、
半ら、

と当て、

ラは漠然と場所・方向を示す接尾語。従って、ナカラは、明確にはとらえられない途中、中頃を指すのが原義。のち、ナカバ(ちょうど半分)との区別を次第に失った、

とある(岩波古語辞典)。だから、

おおよそ半分、

という感じなので、時間に用いても、

およそ半分の頃合い、

の意となり、

中半尺(なからはんじゃく)、

というと、

中途半端、
生半可、

という意だし、

なからじに(半死)、

は、

半死半生、

という意になる(仝上・江戸語大辞典)。

「小」 漢字.gif

(「小」 https://kakijun.jp/page/0325200.htmlより)

「小」(ショウ)は、

象形。中心の丨線の両脇に点々をつけ、棒を削って小さく細く削ぐさまを画いたもの、

とある(漢字源)が、ちいさい点を三つ重ねて、水滴・火花などのように、ちいさいものの意を表す、ともある(漢字源)。

「小」 甲骨文字.png

(「小」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%8Fより)

「半」(ハン)についてはは、「よわ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483039167.html?1629658969で触れたように、

会意。「牛+八印」で、牛は、物の代表、八印は両方に分ける意を示し、何かを二つに分けること、八(両分する)はその入声(ニッショウ 音)にあたるから、「牛+音符八」の会意兼形声と考えてよい、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2021年09月12日

かんなぎ


「かんなぎ」は、

巫、
覡、

と当てるが、

かむなぎ、
かみなぎ、
かうなぎ、

等々とも訓ませる(デジタル大辞泉・広辞苑)。古くは、

かむなき、

とある(仝上)。

「巫」 漢字.gif


神に仕え、神楽を奏して神慮をなだめ、また神意を伺い、神おろしを行いなどする人、

とあり(仝上)、

巫女(みこ)、

の謂いだが、

(「かみなぎ」は)女子の、神に奉仕し、神楽に舞ひなどする者、多くは少女なり、又、かみおろしなどするものあり、専ら音便に、かんなぎと云ふ。…官に仕ふる者を、御神(ミカン)の子と云う、

とある(大言海)。日本では、

普通女性、

だが、男子の「かんなぎ」は、特に、

をかんなぎ(覡)、

女を、

めかんなぎ(巫)、

というとある(広辞苑)が、男を、

男巫(ヲノコカンナギ)(大言海)、
をのこかむなぎ(岩波古語辞典)、

というともある。平安中期の『和名類聚鈔』には、

覡、祝女也、加无奈支、男、男覡也、乎乃古加无奈岐、

とあり、後漢の漢字辞典『説文解字』には、

巫、祝也、女能事無形以舞、降神者也、

とか(大言海)、

能く齋肅(さいしゅく)して神明に事(つか)ふるなり、男に在りては覡と曰ひ、女に在りては巫と曰ふ、巫に従ひ、見に従ふ、

ともあるhttps://jigen.net/kanji/35233ので、本来は、男女で、覡、巫を使い分けていたものと思われる。

「覡」 漢字.gif

(「覡」 https://kakijun.jp/page/E64D200.htmlより)

平安後期の漢和辞典『字鏡』には、

祓の字を女偏に作れる字に、「加牟奈支」(祓女の合字にて、巫女なり)、

とあり(大言海)、平安時代写本の『天治字鏡』には、

同字(祓の字を女偏に作れる字)に、「加美奈支」、

とあり、同じく、

巫、加无奈支、

とある(仝上)。

「かんなぎ」は、

カムは神、ナギは、なごめる意。神の心を音楽や舞でなごやかにして、神意を求める人(岩波古語辞典)、
神の祈(ネギ)の転、禰宜(ネギ)と同意か、(大言海)、
神和(かんなぎ)の義(桑家漢語抄・東雅・円珠庵雑記・箋注和名抄・名言通・和訓栞・大言海)、
カミノネギ(神祈)の転(東雅)、
かむ(神)+なぎ(なごめる)から(漢字源)、

という、「ナギ」に着目する説がある。「なぎ」は、

神の心を安め和らげて、その加護を祈る、

意の、

ねぐ(祈ぐ・労ぐ)、

の転訛とみる(「禰宜」は、「ねぐ」の名詞形)か、

ナゴヤカ(和)のナゴと同根、

の、

やわらぐ、おだやかになる、

意の、

なぐ(凪ぐ・和ぐ)、

かの二説があるが、常識的には、

神の心を慰め和らげ祈請の事にあたる者、

の意である「禰宜」とつながる、

ねぐの転訛、

ではあるまいか。「なぐ(和)」も、「ねぐ(祈)」に通じる気がする。

それとは別に、「猫も杓子も」http://ppnetwork.seesaa.net/article/451814115.htmlで触れたように、音韻の変化から、

神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。
さらにいえば、心から祈るという意味で、ムネコフ(胸乞ふ)といったのが、ムの脱落、コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。
ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が『禰宜』である。また、カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した、

と、「ねがふ」から「ねぎ」「かんなぎ」となったとする説がある(日本語の語源)。似たものに、

神意を招請する意の「神招ぎ(かみまねぎ)」という語から、

という説https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%ABもあるが、いずれも「ねぐ」とつながるのではないかと思う。

この他の語源説として、

神の子、御神(みかん)の子の転か(水(み)の本(もと)、みなもと。鉤(かぎ)、鉸具(かご))(大言海)
カミノアギの転。アギは朝鮮語で子の義(日鮮同祖論=金沢庄三郎)、
神の子の意で、カムノアギの転。アギのアは接頭語、ギはコ(子)の転で、男子の敬称(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々、「神の子」とつなげる説があるが、これは、音韻から見ると、

巫女(みこ)、

につながるのではないか、という気がする。

「巫」 甲骨文字.png

(「巫」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%ABより)

「巫」(慣用フ、漢音ブ、呉音ム)は、

会意。「工+人二人」。工印を玉の形と解する説もあるが、神を招く技術を示したものであろう。原字にはもうひとつあり、それは「工+召(招く)二つ+両手」の会意文字で、神を招く手ぶりを示す。目に見えない神を手ぶり足ぶりして呼ぶこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。工(降ろす)の転音が音を表し「くだす」を意味する。人人は召の略字で、巫女が声を上げて神を呼ぶ招魂のことで巫祝の意。また巫女が舞う時の両袖からの象形という説もある、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%AB、「工」の意味はこれでよくわかるが、甲骨文字の印象とは少しかけ離れていて、少し後の秦の、簡牘文字(戦国時代)の「巫」の字の説明に妥当する気がする。

「巫」 簡牘文字.png

(「巫」 簡牘文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%ABより)

「甲骨文字」の説明としては、

上の横線は天、下の横線は地を、そして中央の縦線は天から地へ神霊や精霊を降臨させること、左右のヒトは踊る巫祝を表している、

とかhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB

象形。神を地上に招くための工形の道具を交差させた形にかたどる。神おろしをする人、「みこ」の意を表す、

とか(角川新字源)の方が近いのではないか。別に、

象形文字です。「神を祭るとばり(仕切り)の中で、人が両手で儀式で使う道具をささげる」象形から「神を招き求める者:みこ」を意味する「巫」という漢字が成り立ちました、

とする説https://okjiten.jp/kanji2365.htmlもあるが、この字にあたる原字は見当たらなかった。

「巫」 成り立ち.gif

(「巫」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2365.htmlより)

「覡」(慣用ゲキ、漢音ケキ、呉音ギャク)は、

会意。巫は、両手で玉を神の前にささげて神意を求めることを示す会意文字。覡は「巫+見」で、神意を探してみようとする人のこと、

とある(漢字源)。「巫」は神意を求める行為を指し、「覡」はそれをする人の意ということになるが、漢字では、「巫」は女性、「覡」は男性を指す(仝上)、と区別したらしいことは、上述した。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年09月13日

宇宙の常識


高水裕一『宇宙人と出会う前に読む本―全宇宙で共通の教養を身につけよう』を読む。

宇宙人と出会う前に読む本.jpg


本書は、仮構の、

惑星際宇宙ステーション、

という場で、地球人として、

宇宙に通用する常識とは何か、

を、

あなたはどこから来たのですか?
あなたは何からできていますか?
あなたたちの太陽はいくつですか?
あなたは力をいくつ知っていますか?
宇宙の破壊者を知っていますか?
宇宙の創造者を知っています?
宇宙最古の文書を知っていますか?
あなたは左右対称ですか?
数のなりたちを知っていますか?
宇宙人の孤独を知っていますか?
エネルギーは何を使っていますか?

という11の設問に応えながら、今日の最新の宇宙物理学の知見を確認していくことになる。

「『日本』という一国の中だけの価値観にとらわれていると『世界』が想像できないのと同じように、『地球』の価値観にとらわれていると『宇宙』ではどう答えればよいかが想像できないのです。」

と、著者が「プロローグ」で書くように、いわば、

地球の常識は宇宙の非常識、

を確認させられることになる。

しかし、もちろん、現実には、

星同士の距離、

がネックとなり、たとえば、お隣とされる、

「ケンタウルス座の星に達するまでにも4万年はかかると予想され、そのころまでに人類が生存しているかどうか、まったくわかりません。」

という状態である。仮にすぐ返事を返したとしても、往復8万年要する。だから、

「おそらく、銀河系内の文明の数をいくら方程式(銀河系内の地球系が交信可能な文明を割り出すドレイクの方程式)から算出しても意味はないのです。『星どうしがあまりにも離れている』という現実を『文明の寿命』を延ばすことでよほど補えないかぎり、宇宙人はお互いに、あまりにも孤独なのです。」

というのが結論のようではあるのだが。

宇宙から見た「地球」について、その見え方は、どの位置から見ているかによって異なるが、たとえば、

「ケンタウルス座α星には『リギル・ケンタウルス』という別名があり、『リギル』はアラビア語で『足』を意味します。星座図によればケンタウルスは向こうを向いて立っているので、左足の爪先に対応します。右足の爪先はケンタウルス座β星です。」

太陽は、どちらかの足の踵に位置する、という。また、別の位置からは、太陽は、しし座にあり、太陽はライオンのお尻に位置していて、著者は、

ライオンのうんち、

と呼んでいる。その位置を別の視点から見ると、太陽もまた、

「10光年ほどの範囲なら、近くの恒星と一緒の星座」

に加えられる、ということになるらしいのである。

地球から考えると、

太陽は一つ、月も一つ、

ということになるが、

「惑星にとっての『太陽』が1個であることは、まったく普通ではありません。すべての恒星の少なくとも半数以上は『連星』と呼ばれる、2個の星の組み合わせで存在している」

のである。しかも、連星には、三重連星、五重連星もあり、

「地球からさそり座方向に約5000光年離れたところにある、さそり座ν(ニュー)星が七重連星」

であることがわかっている、という。

更に、太陽系でも、水星と金星はゼロだが、衛星が1個しかないのは、地球だけで、他は、

火星は2個、
木星は72個、
土星は53個、
天王星は27個、
海王星は14個、

と衛星を持ち、太陽系の中でも、地球は異質なのである。

同じ宇宙物理学でも、外からの視点を入れることで、どう説明するかが問われ、改めて知識を別角度から眺める必要性を求められる。これは結構新鮮である。

ところで、いま月は少しずつ(毎年約4㎝)地球から遠ざかっている。

角運動量の輸送、

といわれる現象で、月と地球の自転速度が近づいていく、という。かつては、地球一回の自転が24時間ではなく、もっと短かった。

「恐竜がいた時代(約2億5200万年~約6600万年)には23時間、まだ誕生したばかりのマグマの海のような原子地球では、…3時間しかなかった。現在の月は、(中略)一日の長さが少しずつ長くなっていく。何億年もすれば25時間、26時間となる。……100億年後に、同期化による速度移動が完了して地球と月の回転速度が同じになると、1日はなんと約1200時間になる。…このとき、月はまだ地球の周囲をゆっくり回っていて、地球の自転速度とほぼ同じになる。つまり1ヵ月=1日となり、1年はわずか7日程度になってしまう。」

と。

本書には、「あなたの宇宙偏差値」をチェックするチェックリストが載っている。たとえば、第1問から、

天の川銀河の直径は約10万光年あり、その中に約1000億個の恒星がある、
太陽は天の川銀河の中心から端までのほぼ真ん中に位置している、
太陽から最も近い恒星はケンタウルス座α星の中のプロキシマ・ケンタウリ星で、太陽から約4.2光年である。

等々と、50問ある。ある意味、宇宙物理学の常識チェックになっている。

参考文献;
高水裕一『宇宙人と出会う前に読む本―全宇宙で共通の教養を身につけよう』(ブルーバックス)

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2021年09月14日

巫女


「巫女」は、

みこ、
ふじょ、

と訓ますが、

神子、

とも当て(広辞苑)、

舞姫(まいひめ)、
御神子(みかんこ)、

ともいうhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%A5%B3、とある。

神に仕え、神楽・祈祷を行い、または神意をうかがって神託を告げるもの、

を指す。多くは、

未婚の少女、

とされる(仝上)。

巫(ふ・かんなぎ).jpg

(「巫」(ふ・かんなぎ) https://sho.goroh.net/kannagi/より)

かんなぎ、

ともいう(「かんなぎ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483366329.html?1631388073については触れた)が、

あがたみこ、
あづさみこ、
いちこ、

等々とも呼ぶものもある(大言海)。柳田國男や中山太郎の分類によると、

おおむね朝廷の巫(かんなぎ)系、

と、

民間の口寄せ系、

に分けられ、「巫(かんなぎ)系」巫女は、関東では、

ミコ、

京阪では、

イチコ、

といい、口寄せ系巫女は、

京阪では、

ミコ、

東京近辺では、

イチコ、
アズサミコ、

東北では、

イタコ、

と呼ばれる、とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%A5%B3。柳田は、「もともとこの二つの巫女は同一の物であったが、時代が下るにつれ神を携え神にせせられて各地をさまよう者と、宮に仕える者とに分かれた」とした(仝上)。

この原型となる「神に仕える女性」として、

邪馬台国の卑弥呼、
天照大神、
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、
倭姫命(やまとひめのみこと)、
神功(じんぐう)皇后、

等々を見ることができ、沖縄の、

のろ、
ゆた、

もそれである(日本大百科全書)。

朝廷の巫(かんなぎ)系である、

宮廷や神社に仕え、神職の下にあって祭典の奉仕や神楽をもっぱら行うもの、

には、

神祇官に仕える御巫(みかんなぎ)(大御巫、坐摩(いがすり)巫、御門(みかど)巫、生島(いくしま)巫)、
宮中内侍所(ないしどころ)の刀自(とじ)、
伊勢神宮の物忌(ものいみ)(子良(こら))、
大神(おおみわ)神社の宮能売(みやのめ)、
熱田神宮の惣(そう)ノ市(いち)、
松尾神社の斎子(いつきこ)、
鹿島神宮の物忌(ものいみ)、
厳島(いつくしま)神社の内侍(ないし)、
塩竈(しおがま)神社の若(わか)、
羽黒神社の女別当(おんなべっとう)、

等々があり、いずれも処女をこれにあてた、とされる(仝上)。

民間の口寄せ系である、

神霊や死霊の口寄せなどを営む呪術的祈祷師、

には、

市子(いちこ)、

という言葉が一般に用いられており、東北地方では、巫女のことを一般に「いたこ」といい、これらの巫女はほとんど盲目である。そのほか、

関東の梓(あずさ)巫女、
羽後(うご)の座頭嬶(ざとうかか)、
陸中の盲女僧、
常陸の笹帚(ささはた)き、

等々の称がある、とされる(仝上)。

「いちこ」は、

降巫(岩波古語辞典)、
市子(日本語源大辞典)、
巫子(仝上・江戸語大辞典)、
神巫(大言海)、

等々と当て、

巫女、

の意で、

イチは巫女をあらわす語、コは子、

とあり(岩波古語辞典)、「イチ」は、

和訓栞、イチ「神前に神楽をする女を、イチと云ふは、イツキの義にや、ツ、キ、反チなり」。斎巫(いつきこ)なり。松尾神社に斎子(いつきこ)あり、春日神社等に、斎女(イツキメ)あり、此語、口寄せする市子とは、全く異なり、

とあり(大言海)、

略してイチとのみも云ひ、一殿(イチドノ)とも云ふ、

とある(仝上)。あくまで、ここでは「いちこ」は、

巫女、

の意で、

神前に神楽する舞姫、神楽女(かぐらめ)、

の意とする。この「いちこ」のひとつに、

あづさみこ、

がある(岩波古語辞典)とされるが、「梓(あづさ)」は、

カバノキ科の落葉高木、

で、

古く呪力のある木とされた、

とあり(岩波古語辞典)、古代の「梓弓」の材料とされ、和名抄には、

梓、阿豆佐、楸(ひさぎ、きささげ)之属也、

とある。白井光太郎による正倉院の梓弓の顕微鏡的調査の結果などから、

ミズメ(ヨグソミネバリ)、カバノキ科の落葉高木、

が通説となっている、とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93

ミズメ。日本の古典に現れる「梓」の正体。.jpg

(「ミズメ」 日本の古典にあらわれる「梓」の正体 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93より)

「梓弓」は、

古くは神事や出産などの際、魔除けに鳴らす弓(鳴弦)として使用された、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93%E5%BC%93

梓弓の名に因りて、万葉集に、弓をアヅサとのみも詠めり、今も、神巫に、其辞残れり、直に、あづさみことも云へり、神を降ろすに、弓を以てするば和琴(わごと)の意味なり(和訓栞)、

と、

神降ろしに用いる、

が、

その頃はべりし巫女のありけるを召して、梓弓に、(死人の靈を)寄せさせ聞きにけり(伽・鼠草子)、

と、

梓の弓をはじきながら、死霊や生霊を呼び出して行う口寄せ、

をも行う(岩波古語辞典)。「あがたみこ」は、

縣巫、
縣御子、

等々と当て(岩波古語辞典・大言海)、

祈祷・占い・口寄せ、竈祓(かまはらひ)などを業として、主に地方を回る巫女、売色もした、

とあり(岩波古語辞典)、

市子と云ふは、(「あづさみこ」と比して)、品格甚だ違へり、これは市街巫(イチコ)の意なるべく、縣巫(あがたみこ)と云ふも、田舎巫の意なり、

とするが、しかし、

巫女の、小弓に張れる弦を叩きて、神降をし、死霊・生霊の口寄せをする、

「あづさみこ」は、

髑髏(しゃれこうべ)を懐中し居るなり、これをアヅサとのみも云ひ、又、市子とも、縣巫(あがたみこ)とも云ふ、何れも賤しき女にて、賣淫をもしたりと云ふ、

とある(大言海)。こうなると、

あづさみこ、
あがたみこ、
いちこ、

は、ほとんど市井の巫女の意で、江戸時代に、

いちこ(巫子)、

は、

生霊・死霊の口寄せをする女、梓巫子(あずさみこ)、神子(みこ)、略して「いち」とのみもいい、促呼して「いちっこ」ともいう、

のと重なってくる(江戸語大辞典)。

「巫女」の語源は、

御子(みこ)の義(名語記)、
神子(かみこ)の上略(名言通・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日鮮同祖論=金沢庄三郎)、

とされるが、何れも、原義的には同じとみていい。

ただ、「猫も杓子も」http://ppnetwork.seesaa.net/article/451814115.htmlで触れたように、

「神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。
 さらにいえば、心から祈るという意味で、ムネコフ(胸乞ふ)といったのが、ムの脱落、コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。
 ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が『禰宜』である。また、カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した、

と、和語の音韻変化とする説もある。

「巫」 小篆・説文・漢.png

(「巫」 小篆・説文(漢) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%ABより)

「巫」(慣用フ、漢音ブ、呉音ム)は、「かんなぎ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483366329.html?1631388073で触れたように、

会意。「工+人二人」。工印を玉の形と解する説もあるが、神を招く技術を示したものであろう。原字にはもうひとつあり、それは「工+召(招く)二つ+両手」の会意文字で、神を招く手ぶりを示す。目に見えない神を手ぶり足ぶりして呼ぶこと、

とあり(漢字源)、さらに、

形声。工(降ろす)の転音が音を表し「くだす」を意味する。人人は召の略字で、巫女が声を上げて神を呼ぶ招魂ことで巫祝の意。また巫女が舞う時の両袖からの象形という説もある、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%AB、「工」の意味はこれでよくわかる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年09月15日

禰宜


「禰宜(ねぎ)」は、

神主の下、祝(はふり)の上に位置する神職、伊勢神宮では、少宮司(ショウグウジ)の次、宮掌(クジョウ)の上位、宮司の命を受け祭祀に奉仕し、事務をつかさどる、

とある(広辞苑)。ただ、「禰宜」は、

イナゴ、

の異称でもあり、和漢三才図会(1712)には、

ばった(飛蝗)の異名、

とある。「飛蝗」は、

関東にては䘀螽(イナゴ)類の総称、

とある(大言海)。

古くは「禰宜」は、神主と祝(はふり)の中間に位置したが、現在の神職制によれば、禰宜は、

宮司(ぐうじ)・権(ごん)宮司の下、権禰宜の上に位置する、

とある(日本大百科全書)。

禰宜を初めて置いたのは神宮(伊勢神宮)であり、大宮司の下に10人(現在は12人)置かれ、中世以降は荒木田(あらきだ)氏(内宮(ないくう))と度会(わたらい)氏(外宮(げくう))が世襲した、

とある(仝上)。著名な大社にはたいてい禰宜が置かれているが、賀茂神社、松尾社、日吉社、平野社では禰宜は第一の神職とされ、香取神宮、鹿島神宮ではその上に大禰宜が置かれhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B0%E5%AE%9C、宇佐(うさ)神宮には女禰宜もいた、とある(日本大百科全書)。「禰宜」は、

年齢的にある程度成熟し、知識や経験が豊富な者が務めることが多く、一般に、祭祀では重要な役割を果たす、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B0%E5%AE%9C

「禰宜」の語源は、

祈(ねぎ)の義、我が身、人の上を神に祈る、或いは神を労(ねぐ)の義か(大言海)、
祈ぎ・労ぎ(神の加護を祈る)(日本語源広辞典)、
祈(ね)ぐの連用形(広辞苑)、
ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化である(日本語の語源)、
ねぐ(労)の連用形の名詞化(日本語源大辞典)、
「和ませる」の意味の古語「ねぐ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B0%E5%AE%9C

等々、「願ふ」「祈ぐ」「労ぐ」の三説に分かれるようである。

ネギ(祈)の義。自他のことを神に祈る者であるところから(万葉代匠記・万葉集類林・円珠庵雑記・雅言考・俗語考・大言海・「ほ」「うら」から「ほがひ」へ=折口信夫・八重山古謡=宮良当壮・宮良当壮・猫も杓子も=楳垣実)、
ネギゴト(祈)から(南嶺子=百草露)、

と、「祈ぐ」が多数派の見えるが、

ネガヒ(願)の義(名言通)、
ネガヒ(願)の約。ガヒの反はギ(日本声母伝・俚言集覧・和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本古語大辞典=松岡静雄)、

とする説も少なくない。

禰宜.bmp

(「禰宜」 精選版日本国語大辞典より)

しかし、「ねが(願)ふ」は、

ネグ(労)と同根、神などの心を慰め和らげることによって、自分の望むことが達成されるような取計らいを期待する意。類義語イノルは、タブーとなっていることを口にする意。神の名とか仏の名号とかを口にして呼ぶのが原義、

とあり(岩波古語辞典)、「ねぐ」は、

祈ぐ、
労ぐ、

と当て、

神などの心を安め和らげて、その加護を祈る、

意であり、「労ぐ」も、

ねぐ(祈)から(国語の語根とその分類=大島正健)、

とあり、「願ふ」は、

祈(ね)ぐの延、

と(大言海)、

願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、

の語源は、ほぼ重なるのである。つまり、

神などの心を安め和らげて、その加護を祈る、

ことであり、

神の心を慰め和らげ祈請の事にあたる者、

を、

ねぎ、

としたとみていい。「禰宜」は当然、当て字である。

「ねぐ」(労)について、

他の心を慰めいたわる意を原義とし、上位に対するとき願う意に、下位に対するときねぎらう意になるとする、

説があり(時代別国語大辞典・上代編)、

「禰宜」も、この上二段活用動詞の連用形の名詞化とすれば、「宜」が乙類の文字であるのとよく合う、

ともある(精選版日本国語大辞典)。

因みに、「権禰宜」(ごんねぎ)は、

禰宜の下位にあたる最も一般的な職階。宮司および禰宜が一般的に、1社に1人ずつと決められているのに対して、権禰宜には人数制限は特に設けられていない。権禰宜の下位に「出仕」などの職階が置かれることもあるが、それらは神職には含まれない、

とある(実用日本語表現辞典)が、この「権」は、

実に対して仮(かり)、

の意味があり、

権大納言、

といったように、

官位を示す語に冠して、定員外に権(かり)に置いた地位を示す、

意であり、

本来のものに準ずる、

意を持つので、「禰宜」に準ずるという意になる。

「禰」 漢字.gif

(「禰」 https://kakijun.jp/page/ne18200.htmlより)

「禰(祢)」(漢音デイ、呉音ネ・ナイ、慣用ネイ)は、

会意文字。「示+音符爾(シ・ニ 近い、身近な)」、

とあり(漢字源)、別の解釈では、

「禰」 成り立ち.gif

(「禰」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2621.htmlより)

形声文字です(示(ネ)+爾)。「神にいけにえをささげる台」の象形(「祖先の神」の意味)と「美しく輝く花」の象形(「美しく輝く花」の意味だが、ここでは、「邇(ジ)」に通じ(同じ読みを持つ「邇」と同じ意味を持つようになって)、「近い」の意味)から、自分に最も近い先祖「父のおたまや」を意味する「禰」という漢字が成り立ちました、

と、より詳細であるhttps://okjiten.jp/kanji2621.html

「宜」 漢字.gif

(「宜」 https://kakijun.jp/page/0865200.htmlより)

「宜」(ギ)は、

会意文字。「宀(やね)+多(肉を盛ったさま)」で、肉をたくさん盛って、形よくお供えをするさまを示す。転じて、形がよい、適切であるなどの意となる、

とある(漢字源)。別に、

「宜」 甲骨文字.png

(「宜」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AE%9Cより)

会意文字です(宀+且)。「屋根・家屋」の象形と「まないたの上に肉片をのせた」象形から、出陣にあたり、屋内で行われる儀礼にかなった調理を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「よろしい」を意味する「宜」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1366.html。「ねぎ」に当てた、「禰」も「宜」も、共に「御供え」の意があり、ふさわしい字を当てたものだと感心させられる。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ラベル:禰宜
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2021年09月16日

物のそかどを申す方


今福匡『「東国の雄」上杉景勝―謙信の後継者、屈すれども滅びず』読む。

「東国の雄」上杉景勝.jpg


上杉景勝は、謙信の甥である(姉の子)。どちらかというと、確か大河ドラマ『天地人』でも、主役が直江兼続であったように、目立たぬ、地味な存在である。司馬遼太郎は、

「私は、上杉景勝という人物を、謙信や直江兼続の華やかさよりも好きであるかもしれない。」

と書いている(『街道をゆく』「羽州街道」)、とか。謙信を、

家祖、

景勝を、

藩祖、

としているらしいが、とかく、地味である。上田家中の丸田友輔『北越耆談』(1661)には、

「景勝は、素性詞寡く、一代笑顔見たる者なし。常に刀・脇差に手を懸けて居らる。或時に、常々手馴れて飼ひ給ひける猿、景勝の脱ぎて措き給ひける頭巾を取り、樹の上へ昇り坐して、彼頭巾を蒙り、手を扠(あざ)へて、座席の景勝へ向ひて点頭(うなず)きたるを見て、莞爾と咲ひ給ひたるを、近習の者共、始めてみたるとなり」

とあり、他にも、

「上杉家の行列は景勝の輿のまわりは言うにおよばず、全員無言で咳払いひとつせず、足音ばかりが響いていた」

とか、

「(行列が)川を渡る折、供の人数が多すぎて船が沈みかけた際、景勝が杖を振り上げると、皆々川中へ飛び込んだ、

とか、

「景勝が前線視察に回ると、兵たちは皆見咎められるのではないかと竹楯の外へ出たという。当然、敵の矢弾にさらされることになるが、兵たちにとっては敵よりも自分たちの主人のほうが恐ろしかったためだという。」

等々、

「士卒共、景勝を恐るること此の如し」

とか伝わる。石田三成は前田利家に、

「彼方ハチトおもくちなる」

と伝えたという。「おもくち(重口)」とは、

「口がかたくて軽々しく話したりしない意であるが、口下手という意味合いもある」

と、著者は書く。さらに、三成は、後に関ヶ原合戦直前の手紙で、真田父子に景勝との連携を託し、その際、景勝について、

「国のならひにて景勝様は物のそかどを申す方であるから、物やわらかに彼方の気に入られるように伝えてください」

と助言している。この意味について、著者は、

「これに近いのが『麁(そ)に入り細に入る』という言い回しだろう。全体的な輪郭から細部に至るまで、という意味だが、「麁」「粗」=概要、あらまし、「角」「廉」=肝要な部分という意味合いに照らして、ほぼ同義と言える」

と解釈し、三成は、

「景勝が物事の大まかな把握かつ核心的な部分にこだわる人だから、順序だてて丁寧に説明することが大事だ」

と記している、と見る。三成は、それを、

国のならひ、

つまり、

上杉家の家風、

とみている。「豊臣政権で取次を担ってきた三成ならでは」の見識とみることができる。

とすると、景勝は、無口ではあっても、

物の本質にこだわる、

気質だということになる。だからこそ、関ヶ原の合戦後、減封処分となった折、

「今度、会津を転じて米沢へ移る。武運の衰運今に於いては驚くべきに非ず」

と、兼続に言ったとされる言葉は、

「権力闘争に敗れたことを自覚していた」

ことを意味している。

この後、大坂冬の陣では、

鴫野(しぎの)、

に陣を張り、冬の陣最大の激戦、鴫野・今福の戦いでは、

「上杉景勝は『紺地ニ日之丸』の御旗を立てさせ、床机に腰掛けたまま明け方より晩まで、少しも動かなかったという。景勝本陣の周囲には、左備えに本庄重長、右備えに百騎衆・五十騎衆、後備えに兼続および嫡男平八郎景明が布陣していた。」

といい、朝から午後四時までにおよんだ戦いで、

「紺地日の丸と『昆』字の旗二本、浅黄の扇の馬印を押し立て、景勝は物具(武装)もせず青竹を杖にして床机に座し、左右に控えた兵たちは鑓を横たえひざまずき、前方見据えたまま、しずまりかえっていた」

と、丹羽長重が目撃している(常山紀談)。しかし、戦勝後、巡検に来た家康、秀忠に対し、

「陣所をきれいに清掃させた上で、『大将軍仕寄御巡見の古実(慣わし)』として総鉄炮を釣瓶撃ちに城へ放たせた。家康は感心し、鴫野合戦の功をねぎらった。景勝は『童の喧嘩みたいなもので、別に骨折りというほどのことはございません』と答えたという。」(武辺咄聞書)

このとき、景勝六十歳。同世代の戦国大名の多くはほぼ家督を譲っており、

戦国大名の当主は、徳川家康、伊達政宗、

くらいである。この言葉に、戦国を生き残った武将の矜持をみる。

参考文献;
今福匡『「東国の雄」上杉景勝―謙信の後継者、屈すれども滅びず』(角川新書)

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2021年09月17日

ねがふ


「ねがふ(う)」は、

願ふ、

と当てるが、「禰宜」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483417211.html?1631647344で触れたように、

「ねが(願)ふ」は、

ネグ(労)と同根、神などの心を慰め和らげることによって、自分の望むことが達成されるような取計らいを期待する意。類義語イノルは、タブーとなっていることを口にする意。神の名とか仏の名号とかを口にして呼ぶのが原義、

とあり(岩波古語辞典)、「ねぐ」は、

祈ぐ、
労ぐ、

と当て、

神などの心を安め和らげて、その加護を祈る、

意であり、「労ぐ」も、

ねぐ(祈)から(国語の語根とその分類=大島正健)、

とあり、「願ふ」は、

祈(ね)ぐの延、

と(大言海)、

願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、

は、ほぼ重なるのである。別に、音韻変化から、

神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。さらにいえば、心から祈るという意味で、ムネコフ(胸乞ふ)といったのが、ムの脱落、コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が『禰宜』である。また、カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した(日本語の語源)、

あるいは、逆に、

ネ(祈)グの未然形ネガに接尾語フのついた語(広辞苑・日本語源広辞典)、
ネギラフのネギと同源(日本語の年輪=大野晋)、

等々との説があり、

ネガフ(願ふ)→ネグ(祈ぐ)、

に転訛したのか、あるいは、

ネグ(祈ぐ)→ネガフ(願ふ)、

に転嫁したのかは、はっきりしないが、

願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、

は、音韻的にも同根のようなのである。さらに、当然予想の範囲内のことだが、「ねぎらう」(労う・犒う)も、

ネギはネグ(祈・労)と同じ、

とあるように(岩波古語辞典)、

ネギ(祈願・労う)+らう(動詞化)(日本語源広辞典)、
ネグ(祈)から(国語の語根とその分類=大島正健)、

等々、「ねぐ(祈・労)」と重なる。

「願」 漢字.gif

(「願」 https://kakijun.jp/page/1919200.htmlより)

「願」(慣用ガン、漢音ゲン、呉音ゴン)は、

会意兼形声。「頁(あたま)+音符原(グヱン まるい泉、まるい)」。元の意味はまるい頭のことで、頑(ガン まじめだが融通のきかない)と同じ。融通の利かない意から、転じて、生まじめの意(愿と書く)になり、さらに生まじめに考える、一心に求めることをあらわすようになった、

とある(漢字源)。また、「愿」と同意で心からねがうことhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A1%98ともあり、「大きな頭の意」を表す(角川新字源)ともある。

「願」 成り立ち.gif

(「願」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji650.htmlより)

別に、

形声文字です(原+頁)。「崖・岩の穴から湧き出す泉」の象形(「みなもと」の意味だが、ここでは「愿(ゲン)」に通じ(同じ読みを持つ「愿」と同じ意味を持つようになって)、「きまじめ」の意味)と「人の頭部を強調」した象形(「かしら(頭)」の意味)から、きまじめな頭を意味し、そこから、自分の主張を曲げず、ひたすら「ねがう」を意味する「願」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji650.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ラベル:ねがふ
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2021年09月18日

ねぎらう


「ねぎらう」は、

労う、
犒う、

と当てる(広辞苑)。

乃(すなわ)ち自ら往き迎へてねぎらふ(欽明紀)、
百済国に遣して其の王を慰労(ねぎら)へしむ(神功紀)、

と(斉明紀では、「賜労(ねぎら)ふ」と当てている)、

骨折りを慰める、
労を謝する、

意である(広辞苑・岩波古語辞典)。「ねがふ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483450086.html?1631819332で触れたことと重なるが、「ねぎらう」は、

ネギはネグ(祈・労)と同じ、

とあるように(岩波古語辞典)、

ネ(祈)グと通ず(大言海)、
ネギ(祈願・労う)+らう(動詞化)(日本語源広辞典)、
ネ(祈)グから(国語の語根とその分類=大島正健)、
奈良時代の上二段動詞「ねぐ(労ぐ)」で、神の心を和らげて加護を祈る意。また相手の労苦をいたわる意(由来・語源辞典)、

等々、「ねぐ(祈・労)」と重なる。

「ねぐ」は、

祈ぐ、
労ぐ、

等々と当て、

神などの心を安め和らげて、その加護を祈る、

意であり(岩波古語辞典)、この名詞化が、「禰宜」http://ppnetwork.seesaa.net/article/483417211.html?1631647344で触れたように、

神の心を慰め和らげ祈請の事にあたる、

禰宜、

とする説もあり(日本語源広辞典・岩波古語辞典)、別に、「ねが(願)ふ」の、

ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化し、その連用形の名詞化、

が「禰宜」となったとする説(日本語の語源)もあるが、「願ふ」は、

祈(ね)ぐの延(大言海)、
ネギ(労)と同根、神などの心を慰め和らげることによって、自分の望むことが達成されるような取り計らいを期待する意(岩波古語辞典)、
ネグと同根。ネグは「禰宜」、「ねぎらふ」のネギと同源(日本語の年輪=大野晋)、

と、

願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、

は、ほぼ重なるのである。別に、音韻変化からみた場合、

神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。さらにいえば、心から祈るという意味で、ムネコフ(胸乞ふ)といったのが、ムの脱落、コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が『禰宜』である。また、カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した(日本語の語源)、

あるいは、逆に、

ネ(祈)グの未然形ネガに接尾語フのついた語(広辞苑・日本語源広辞典)、
ネグ(祈)の延(大言海)、
ネギラフのネギと同源(日本語の年輪=大野晋)、

との両説があり、

ネガフ(願ふ)→ネグ(祈ぐ)、

に転訛したのか、あるいは、

ネグ(祈ぐ)→ネガフ(願ふ)、

に転嫁したのかは、はっきりしないが、

願ふ、
祈ぐ、
労ぐ、

は、音韻的にも同源のようなのである。

なお、同義の「いたわる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/451205228.htmlの、

イタは痛。イタハリと同根。いたわりたいという気持ち、

とあり(岩波古語辞典)、

(病気だから)大事にしたい、
大切に世話したい、
もったいない、

といった心情表現に力点のある言葉になっている。この言葉は、いまも使われ、

骨が折れてつらい、
病気で悩ましい、
気の毒だ、
大切に思う、

と、主体の心情表現から、対象への投影の心情表現へと、意味が広がっている。だから、たとえば、

イタイ(痛い)→イタム(傷む)→イタワシ(労わし)→イタワル(労わる)、

と、おおよそ、主体の痛覚から、心の傷みに転じ、それが他者へ転嫁されて、他者の傷みを傷む意へと、転じていったとみることができ、「ねぎらう」とは、まったく由来を異にしている。

「勞」 漢字.gif

(「勞」 https://okjiten.jp/kanji719.htmlより)

「勞(労)」(ロウ)は、

会意。勞の上部は、火を周囲に激しく燃やすこと。勞は、それに力を加えた字で、火を燃やし尽くすように、力を出し尽くすこと。激しくエネルギーを消耗する仕事や、その疲れの意、

とある(漢字源)。別に、

会意。力と、熒(けい)(𤇾は省略形。家が燃える意)とから成る。消火に力をつくすことから、ひいて「つかれる」、転じて「ねぎらう」意を表す、

ともある(角川新字源)。さらに、

「勞(労)」 成り立ち.gif

(「勞(労)」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji719.htmlより)

会意文字です(熒の省略形+力)。「たいまつを組み合わせたかがり火」の象形と「力強い腕」の象形から、かがり火が燃焼するように力を燃焼させて「疲れる」、また、その疲れを「ねぎらう」を意味する「労」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji719.html

「犒」(コウ)は、

形声。「牛+音符高」、

で、

飲食物を贈って、陣中の将兵をなぐさめる、またその飲食物、

の意とある(漢字源)。

「犒」 漢字.gif


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2021年09月19日

いなご


「いなご」は、

蝗、
稲子、
螽、

等々と当て(https://hyogen.info/word/909857・広辞苑)、

蝗虫(こうちゅう)、

とも言う(デジタル大辞泉)。 

古くは、擬人化して、接尾語「まろ」を加えた、

いなごまろ(稲子麿)、

と呼んだ(日本語源大辞典・岩波古語辞典)。『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)には、

蚱蜢(さくもう) 以奈古末呂、

と載り(仝上)、平安末期の『梁塵秘抄』には、

茨小木の下にこそ、鼬が笛吹き猿奏でかい奏で、稲子麿賞拍子つく、さて蟋蟀(きりぎりす)は鉦鼓の鉦鼓のよき上手、

とある。また、

イナゴ、バッタ、キリギリス、

等々の俗称として、

祇園林も近ければねぎ殿といふ虫も有(浄瑠璃・弘徽殿鵜羽産家)、

と、

禰宜殿(ねぎどの)、

とも呼ぶ(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

「蝗」 漢字.gif

(「蝗」 https://kakijun.jp/page/E59B200.htmlより)

「いなご」は、

稲子の「子」は、殻子(カヒコ)、呼子鳥など云ふに同じ(大言海)、
イナカム(稲噛)の義(日本釈名・滑稽雑誌所引和訓義解)、
イネクキモリ(稲茎守)の義(日本語原学=林甕臣)、
イナクヒ(稲喰ひ)が語尾を落としてイナゴ(蝗)(日本語源広辞典)、

等々の説があるが、

稲の葉につく虫、

という意味で、「稲子」からきていると見るのでいいのではないか。イナゴは、

イネの成育中または稲刈り後の田んぼで、害虫駆除を兼ねて大量に捕獲できたことから、昔から内陸部の稲作民族に不足がちになるタンパク質・カルシウムの補給源として利用された、

とあるのだからhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B4

イナゴ.jpg


「いなご」にあたる漢字には、

螽(シュウ)、
蠜(ハン)、
蝗(コウ)、

等々がある。

蝗螽(こうちゅう)、
螽斯(しゅうし)、

も「いなご」を指す(字源)が、

「蝗」(こう)は、日本で呼ばれるイナゴを指すのではなく、ワタリバッタが相変異を起こして群生相となったものを指し、これが大群をなして集団移動する現象を飛蝗、これによる害を蝗害と呼ぶ、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B4。日本では、

トノサマバッタが「蝗」、すなわち群生相となる能力を持つが、日本列島の地理的条件や自然環境では、この現象を見ることはほとんどない。そのため、「蝗」が漢籍によって日本に紹介された際、「いなご」の和訓が与えられ、またウンカやいもち病による稲の大害に対して「蝗害」の語が当てられた、

とある(仝上)。

もっとも、「螽斯」を、

きりぎりす、

とする説もある(漢字源)が、「螽斯」について、「太平記」に、

「螽斯の化行われて、皇后元妃の外、君恩誇る宮女、甚だ多かりしかば、宮々次第に御誕生ありて、十六人までぞおはしましける」

とあり、「螽斯」つまり「いなご」を、

後宮の女たちがお互いに嫉妬せずいなごのように子孫が増えること、

の意で使っている。出典は「詩経」(周南 「螽斯」)に、

螽斯羽(螽斯(しゅうしう)の羽)
詵詵兮(詵詵(しんしん)たり)
宜爾子孫(宜(むべ)なり爾(なんじの)子孫)
振振兮(振振たり)

とあるhttps://ncode.syosetu.com/n0421gm/6/他)のによる。

「蝗」(漢音コウ、呉音オウ)は、

会意兼形声。「虫+音符皇(=徨、四方に広がる)、

とあり、

「螽」(漢音シュウ、呉音シュ)は、

会意兼形声。「虫+虫+音符冬(たくさんたくわえる)」で、幼虫を多く巣の中へたくわえて異常発生する虫のこと、

とある(漢字源)。いずれも「いなご」を指す。ただ、「蝗」は、

群れを成して四方に広がる、

含意があり、「螽」は、

一度にたくさん子を産む、

という含意があり、

子孫繁栄のしるし、

とされ(仝上)、

螽斯詵詵(シュウシセンセン)、

という言葉があり、

螽斯は蝗の類、はたおり、一回に九十九子を生む、詵詵は和らぎて多く集まる、夫婦和合して子孫の多きに喩ふ、

とあり(漢字源)、上述のように、

螽斯羽詵詵兮、
宜爾子孫振振兮(周南)、

と詠われ(仝上)、「蝗」と「螽」とは、微妙な意味の差がある。

「螽」 漢字.gif

(「螽」 https://kakijun.jp/page/E5A8200.htmlより)

なお、虫追いについては「実盛送り」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482409402.htmlで触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
兵藤裕己校注『太平記』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:いなご 稲子
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2021年09月20日

もがり


「もがり」は、

殯、

と当てる(広辞苑)。

あらき(殯・荒城)、

ともいう。日本古代の葬制で、

喪屋を造りて殯し哭く(神代紀)、
大君の命畏み大殯(あらき)の時にはあらねど雲隠ります(万葉集)、

と、

貴人の本葬をする前に、棺に死体を納めて仮にまつること、またその場所、

の意である。古代皇室の葬送儀礼では、

陵墓ができるまで続けられ、その間、高官たちが次々に遺体に向かって誄(しのびごと)をたてまつった、

とあり(百科事典マイペディア)、

殯の萌芽形態は、《魏志倭人伝》にすでに見えており、古代日本のみならず、中国南部から中部インド、メラネシア、ポリネシアなどに広く分布する複葬形式の一つと認められる、

ともある(世界大百科事典)。『隋書』「東夷 俀國」には、

死者は棺槨を以って斂(おさ)め、親賓は屍に就いて歌舞し、妻子兄弟は白布を以って服を作る。貴人は3年外に殯し、庶人は日を卜してうずむ、

とあり、また、『隋書』「東夷 高麗」(高句麗)には、

死者は屋内に於て殯し、3年を経て、吉日を択(えら)んで葬る、父母夫の喪は3年服す、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%AF。倭国・高句麗とも、貴人は3年間殯にした(仝上)。

これは、

近親の者が諸儀礼を尽くして幽魂を慰める習俗、

とも、

死者のよみがえりに求める、

ともあり(世界大百科事典)、殯の終了後は棺を墳墓に埋葬したので、

長い殯の期間は大規模な墳墓の整備に必要だった、

とも考えられるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%AF、ともある。

あらきのみや(殯の宮)、

は、

あらきの場所を尊んでいう、

仮宮、

であるが、

もがりの宮、
あがりの宮、

ともいう。「あらき」は、また、

かりもがり(殯)、

とも言う(広辞苑)が、

仏、涅槃に入り給ひぬれば、阿難、仏の御身をかりもがりし奉りて(今昔物語集)、

と、要は、

死人を本葬する前、しばらくその死骸を棺に入れて安置すること、

である(仝上)。これは、

死者の霊を慰める、あるいは故人を偲ぶといった意味・意義のある行いである。日本古来、殯は「貴人の弔い方」として営まれてきた。現代においては、皇室でのみ(天皇、皇后の崩御した際にのみ)営まれる。現代の通夜(つや)は、殯を短縮・形式化した習わしとも言われている、

とある(実用日本語表現辞典)。

「もがり」の語源は、

喪あがりの意(広辞苑)
もあがりの略、モは凶事、アガリは崩御(カンアガリ)の義(无火殯斂(ほなしあがり)のアガリと同じ(大言海)、
もあがり(喪上)の約、アガリはカムアガリのアガリで、貴人の死を言う(岩波古語辞典)、
モ(喪)+アガリ(神上り、崩御)(日本語源広辞典)、

が大勢の説だが、

モバカリ(喪許)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、
カリモ(仮喪)の倒置(上代葬儀の精神=折口信夫)、

等々もある。しかし、

もあがり、

でよさそうである。因みに、无火殯斂(ほなしあがり)とは、

竊かに天皇の屍を収めて…豊浦宮に殯(もがり)して、无火殯斂〈无火殯斂、此をば褒那之阿餓利(ホナシアガリ)と謂ふ〉を為(書紀(720)仲哀九年二月)、

というように、

死を秘するために、灯火をたかないで殯(もがり)をすること、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「あらき」は、

アラはアライミ(粗忌)のアラと同根。略式の意。キは棺(岩波古語辞典)、
ウラキ(新棺)の義。キはオクツキ(奥城)の意。説文「殯、死在棺、将遷葬柩、賓遇之」(大日本国語辞典・大言海・日本古語大辞典=松岡静雄・日本語源=賀茂百樹)、
アラカキ(荒籬)の略(万葉考・松屋筆記)、

等々の諸説あるが、「仮」の意味で、「アラ」は、荒・粗なのではないか。

「殯」 漢字.gif


「殯」(ヒン)は、

会意兼形声。「歹(死体)+音符賓(ヒン お客、側にいる相手)で、死体のそばにいる客として、しばらく身辺に安置すること、

とある(漢字源)。やはり、

於我殯(論語)、

と、

埋葬する前に、しばらくの間死体を棺に納めたまま安置する、

意である。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ラベル:もがり
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