2021年09月06日
列島のカミ
佐藤弘夫『日本人と神』を読む。
本書は、
日本列島における聖なるものの発見と変貌、
という問題意識から、従来の「神仏習合」などといったような、
「日本列島の宗教現象を説明するためにしばしば用いられてきたこれらの視座や概念の有効性を改めて問い直す」
と同時に、
「『土着の』『固有の』という形容詞で語られてきた日本の神についても、その常識を根底から揺さぶる」
とし、
「決して研究成果を反芻する概説書ではない。新書という限られた紙数と制約のあるスタイルのなかで、どこまでもアカデミックな挑戦を追求する知的冒険の書」
と宣言し、
「『神』『仏』『神仏習合』などの既存のキーワードを必須のアイテムとして用いることなく、各時代の聖なるものに直接アプローチすることを試み」
であり、
「既存の宗教史の叙述方法を革新しようとする、新たな精神史の試み」
だとする、意欲的な
知的冒険の書、
を目ざす。
本書は、まず、冒頭、東北の三つの霊場、
川倉地蔵堂(津軽)、
白狐山光星寺(庄内)、
羽黒山(出羽)、
を紹介し、こう書くことから始める。
「これらの施設は、寺院と神社という違いはあっても、いずれも神の領域を示すシンボルである鳥居によって聖別されていた。これは一般的には『神仏習合』という日本固有の現象として説明される。(中略)だが、……一応は寺院のジャンルに分類される川倉地蔵堂と光星寺も、その実態を詳しくみていけば、そこに展開している死者供養の光景はとうてい『仏教』『寺院』という範疇に収まりきるものではなかった。逆に神社とみなされている羽黒山は、その核心部分に神が最も忌み嫌うはずの濃厚な死の世界を抱え込んでいるのである。
川倉地蔵堂も光星寺も羽黒山も、その内部に死者の居場所をもっている。それが聖域としての不可欠の要素をなしている。その死者の世界を核として、神道とも仏教とも容易に区別しがたく、名状しがたい空間が立ち上がっている。そして、そのいずれの施設についても、領域が鳥居によって聖別されているのである。」
そして、この聖性の根源に切り込むための方法として、
「神仏習合という視座がまったく無力である」
とする。むしろ、
「それぞれの所にある宗教的な諸要素を神道的なものと仏教的なものに腑分けしていっても、どちらにも収まりきれないものがあまりにも多い。『神仏習合』といった途端に、指の間から乾いた砂がこぼれ落ちていくように、聖性の核心をなすもっとも大事なものが抜け落ちてしまう。」
と。そして、こう書く。
「いま求められているのは、日本列島に実在する神とも仏とも取れないものを、既存の概念や方法を用いて安易に分類したり説明したりすることではない。『死者が集まるモリの山』といった俗説に、安易に寄りかかることでもない。鳥居のなかに籠められている『聖なるもの』=『カミ』(以下、日本の『神』と区別するために、『聖なるもの』の意味で使用するときは『カミ』と表記する)の正体を、どこまでも実態に即して追究し、解明していくための新たな方法と独自の視座の構築なのである。」
既存の説との対比はあまりされていないので、不案内のものには、そんなものか、と思うところも多々あるが、個人的に驚いたのは、
大神神社(おおみわじんじゃ)、
に代表されるような、三輪山を御神体とする、
「山麓から山を遥拝するという形態や一木一草に神が宿るという発想は、室町時代以降に一般化するものであり、神観念としても祭祀の作法としても比較的新しいあり方」
とする考えである。では「より古い神祭り」はどういうものだったのか。
「祭祀遺跡は20ヵ所以上が確認されているが、山中の磐座にも祭祀の形跡が残されているが、多くは山を仰ぎ見る場所に設定されている。規模の大きい建物の跡は見つかっていないことから、祭りのときだけ使用された臨時の施設であったと考えられる。(中略)もっとも関心を惹くのは、恒常的な祭祀の場所が定められていなかった点である。山そのものを崇拝の対象とするのであれば、いまの拝殿の地のように最適な地点を祭祀の場と定めて、そこで定期的な祭りを行えば済むはずである。」
そこで著者は、弥生時代に描かれた、
カミを祀るシャーマン(巫女)の姿、
祭祀の場と思われる高床式の建物や、カミの依代を思わせる樹木、
等々の絵から、卑弥呼に代表されるような、カミと人との間を取り持つシャーマンの役割が重視されるようになり、
「祭祀の場にカミを招いてその意思を聞き、終了後に帰っていただく方式が典型的な神祭りの形態」
となって、三輪山でも、
「山を仰ぐことのできる場所に祭祀遺跡が点在している。固定したスポットから山を拝むのではなく、山が見える所にそのつど祭場を設け、山からカミを呼び寄せていたことがわかる。祭祀の場所はカミの依代となる磐座や樹木のある地が選ばれた。祭りの場に集まった人々は、シャーマンを通じてカミの声を聞いた。」
とみる。
「『古事記』『日本書紀』『風土記』などの現存する最古の文献類を繙いても、山を清浄な地とする記述はあるが、それを聖なる祭祀の対象とみなす記述は皆無である。(中略)山は神の棲む場所であっても、神ではなかった。」
とし、「わたしたちは神信仰にかかわる常識や俗説をいったん投げ捨て」て、「改めて史料に即して」考えてみる必要がある、と説く。確かに、
田の神、
を考えても、神は、田植えの時期だけ、
田と里、田と家を往復する(日本昔話事典)、
ところに、あるいは、古式のカミ迎えが残っているのかもしれない。
山を神体と見る、
神体山の信仰、
が成り立つためには、
カミの抽象化、
を経なくては生まれず、
「中世において、時代の思潮を踏まえて新たに形成された理論」
だと、著者は述べる。それは、中世における、いわゆる「神道」というものの形成と関わるのかもしれない、と思う。
著者は、「あとがき」で、
「わが国の人文学の学問の大勢は、海外の研究成果をいち早く紹介して、その方法を列島に適用するという形態をとっている。わたしたちは国外で作られたルールに従って試合を行う、プレイヤーとしての地位をなかなか抜け出せないままでいる。いま必要なものは、ルール作りそのものに積極的に関わっていこうとする強い意志である。」
と述べている。日本の神についての、神道学・日本史学・宗教学・民俗学・日本思想史学などの研究の蓄積はみとめつつも、
「学問研究の国際化が進むいま、その成果を海外に開いていく努力が求められている。そのためには日本人にしか通用しない常識を前提として、閉じられた国内の学界で議論するだけでは不十分である。日本の神研究は、国境を超えてだれにでも理解してもらえるような、より汎用性の高いフォーマットへの転換が求められている。」
だから、本書は、
「閉じられたアカデミズムの世界を超えて、広くこの問題に関心を抱く一般読者と共有することを目指す」
ものであり、
「本書で展開する私説のほとんどすべては、現在の学界で認知されるに至っていない」
ものとし、先入観にとらわれず、
「従来の常識や定説と、本書に展開されているわたしの説のどちらがより説得力をもっているか」
判断してほしい、と読者に求めている。この私説に対する是非の判断を、読者もまた求められている、その意味でまさに、読者にとっても、
知的冒険の書、
なのである。
参考文献;
佐藤弘夫『日本人と神』(講談社現代新書)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95