「おれ」は、
汝、
己、
と当て(岩波古語辞典)、
二人称、
で、
おれ熊曾建(くまそたける)二人、伏(まつろ)はず礼(いや)無しと聞しめして、おれを取殺(と)れと詔りたまひて(古事記)、
と、
相手を卑しめていう語(広辞苑)、
相手を低くみていう語(岩波古語辞典)、
である。それが転じて、
相手が同等または目下の時に使う(岩波古語辞典)、
目上にも目下にも用いた(広辞苑)、
一人称、
となり、男性では、
おれとわごりょ(我御寮・我御料)はよいなかながら(宗安小唄集)、
女性では、
おれがいつも申すはそれよ(御伽草子・乳母草紙)、
と、
男女共に用いる、
とある(岩波古語辞典)。現代では、
主として男が同輩以下のものに対して用いる、荒っぽい言い方、
とある(広辞苑)が、女性でも使う例がある。一人称の「おれ」は、
俺、
己、
乃公、
等々とあてる(広辞苑・デジタル大辞泉)。「乃公」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/445042814.html)は、
わが輩、おれさま、
といった意味で、男性が、
自分自身を尊大にいう言葉、
つまり、相手に対して、
「乃(=汝、お前)」の「公(=主君)」
と位置関係を設定して、上から目線で言う言葉らしい。
乃公出でずんば蒼生を如何せん、
といった使い方をするので、「おれ」に「乃公」を当てた時は、「おれ」に、
おれさま(俺様・己様)、
という含意があることになる。
「おれ」は、
おのれの略、
とされることがあるが、
上代から中古にかけて主として用いられた、
二人称の「おれ」は、
上代の「おのれ」という反射指示の語形とは語源的には直接関係が少ない、
と考えられている(日本語源広辞典)とある。あるいは、古代、二人称の「おのれ」と「おれ」は併用されていたのかもしれない。だから、
自称の代名詞「あれ」や沖縄方言の指示代名詞「うり」、朝鮮語の自称「うり」との語源関係を想定する、
説もある(仝上)という。
自称の「おれ」は、
中世以降使われ。近世以降多用された、
とあり(仝上)、
貴賤男女の別なく使われたが、近世の後半期頃から女性の使用が絶えた。同等もしくは目下に対する使用例が多いが、目上に対する用例もあり、江戸期までは、現代語のようにくだけた言葉とは言えない
とある(日本語源大辞典)。
この「おれ」は、「おのれ」とは別に成立し、
二人称→一人称、
に転じたものとみていいようである。そう考えると、
オノレの略(名語記・大言海・かた言・和字正濫鈔・類聚名物考・一話一言・日本語源広辞典)、
説は消えて、むしろ、
アレ(吾)の転(言元梯)、
「吾」の別音woに補音レを添えたもの(日本語原考=与謝野寛)、
もあり得るが、「あれ」は、「われ」(ware)の語頭のwが落ちたものとすると、一人称にも、二人称にも使っていたけれども、二人称→一人称への転用が確認できない。
「二人称」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/442523895.html)で触れたように、「二人称」には、
お前、
ぬし、
君、
なんじ、
等々のように、かつては、相手への尊称や敬称であったものが、相手を貶める言い方になっているものと、
われ(我)、
てめえ(手前)、
な(むぢ)(汝)
等々のように、かつては、自分のことを指していた呼称が、相手へ転化されたものと、
そち、
そなた、
そこもと、
あなた、
等々のように、方向を指していた言葉が転じたものと、
おたく(お宅)、
のように、家や組織や分野など、その人の所属を二人称に代替したもの(今日の「オタク」の語源でもある)があるが、
二人称→一人称、
への転用の例はあまり聞かない。
「おのれ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html)でふれたように、「おのれ」は、
オノ(己)+レ(接尾語)
で、「レ」は、「ワレ(我)」や「カレ(彼)」の「それ(其れ)」の「レ」と同じである(大言海、岩波古語辞典)。さらに、
オノ+レ、
の「オノ(己)」も、また、「おのれ」と同様、一人称の、
であり、二人称の、
おまえ、
の意もあり、
アナ(己)の母音交替形、
とし、
感嘆詞アナの母音交替形、
とする説(岩波古語辞典)は、「アナ(己)」は、「あながち」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/430713882.html)で触れたように、
アナ(オノレの変化)+勝ち、
であり、
オノ(己)の母音交替形。アナガチのアナに同じ。日本書紀神代巻に「大己貴」を「於褒婀娜武智(おほあなむち)」と訓注しており、「己」をアナと訓む。母音アが脱落するとナ(汝)になる、
とし、同じ二人称「うぬ」は、
オノの轉(岩波古語辞典)、
あるいは、
オノレの略轉(大言海・日本語の語源)、
とする。一人称「うぬ(己)」は、一人称、
うら、
にも転じる。
と、みると、「おら」は、
おのれ→おのら→おいら→おら(大言海)、
おのれ→おれ→うれ→うら(仝上)、
がありうるが、「おのれ」の転訛でないとするなら、たとえば、
あれ→おの→うぬ→うら→おら、
と転じたとみてもいい。この「おら」は、
一人称で、
自分自身、
を指し、仲間や目下の者とざっくばらんに話す時に用いられる。「俺」「己」「乃公」などと当てるので「おれ」と重なる。こうみると、
おのれ→おれ、
ではないとするなら、確かに、上述の、
自称の代名詞「あれ」の転訛、
もありうるが、「あれ」は、「われ」(ware)の語頭のwが脱落した形とされる(岩波古語辞典)ので、強いて言えば、
ware→are→ore、
となるが、どうなのだろうか。それが無理筋なら、
おの→おれ、
と見るしかないのだが。
(「俺」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2092.htmlより)
「俺」(エン)は、
会意兼形声文字です(人+奄)。「横から見た人」の象形と「両手両足を伸びやかにした人の象形と稲妻の象形」(雷雲が人の頭上を覆うの意味から、「覆う」の意味)から「われ(我)」、「おれ」、「自分」を意味する「俺」という漢字が成り立ちました、
とある(https://okjiten.jp/kanji2092.html)。
なお、一人称の、
「われ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473288508.html)、
「やつがれ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482208626.html)、
「おのれ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/473275230.html)、
「私」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/483303361.html?1631041960)、
「自分」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/483288122.html?1630956077)、
については触れたし、「われ(我)」「てめえ(手前)」「な(むぢ)(汝)」「おのれ」等々の一人称が二人称に転じることについては、「二人称」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/442523895.html)で触れた。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95