「けじめ(けぢめ)」は、
区別、
差別、
数、
分、
等々と当てられたりする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%91%E3%81%98%E3%82%81・精選版日本国語大辞典・漢字源・大言海)。その語源として、
ケ(段・分段)+チ(つ・の)+目、
とする説がある(日本語源広辞典)ように、
公私のけじめ、
とか、
思ふをも思はぬをもけぢめ見せぬ心なむありける(伊勢物語)、
という、
分け目、区別、
の意味で(岩波古語辞典・広辞苑)、
物事の差、二つ以上のものの間にある質的または量的な差、優劣、大小、多少などの差、比較される一方の立場に立って他との違いをいう場合が多い、
とある(精選版日本国語大辞典)。そこから、
うちつぎて、世の中のまつりごとなど、殊に変はるけぢめもなかりけり(源氏)、
と、
連続したものが変化したときに認められる、前と後との質的な違い、物事の移り変わり、変動、
の意や、
雪はところどころ消え残りたるが、いとしろき庭のふとけぢめ見えわかれぬほどなるに(源氏)、
と、
二つ以上の物事について、内容、外観などによって区別をつけること、差を弁別すること、
の意や、
さるべき御かげどもにおくれ侍りてのち、春のけぢめも思ひ給へわかれぬを(源氏)、
と、
変化の境目、境界、
の意や、
廂の、中の御障子を放ちて、こなたかなた御几帳ばかりをけぢめにて(源氏)、
と、間を隔てるもの、境を分けるもの、
等々の意へと広がり、こうした、「区別」「境界」に準えて、
上達部みな乱れて舞ひ給へど、夜に入りてはことにけぢめも見えず(源氏)、
守るべき規範や道徳などにより、行動や態度などにつける区別、その場その場にかなった行動をとること。節度ある態度、
といった意味に敷衍され、
幼長のけじめ、
けじめを守る、
けじめをつける、
等々として使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)。室町末期の『日葡辞書』には、
Qegimega(ケヂメガ)ミエタ、
と載る。
(「數(数)」 https://kakijun.jp/page/suu15200.htmlより)
「けじめ」の語源としては、上記の、
ケ(段・分段)+チ(つ・の)+目(日本語源広辞典)、
があるが、他に、
結目(けちめ)にて、碁の結(けち)より、別目(わけめ)の意か、或いは掲焉(けちえん)のけちか(大言海)、
とする説がある。囲碁の「結」(けち)は、
闕(けち)、
で、
囲碁の終盤戦で、まだ決まらない目を詰め寄せること、
つまり、
駄目を詰める、
意である。
「けち」の「ち」は漢字の入声音「t」を仮名表記するとき字音の後に母音「i」を添えたもので、「質(しち)」「節(せち)」と同様、
とある(精選版日本国語大辞典)。ただ、「決着」の意味に関してだが、
囲碁の特定の世界での語であり、一般の用語で決着の意味に用いた例は見出しがたい、
とある(仝上)。「価値がない」の意の、
ダメ(駄目)、
が囲碁用語から転じたように、囲碁の世界の言葉が広く使われる例はなくはないのだが、
「けぢめ」の語が見られるのは平安時代で、時代的には問題なく囲碁用語からとも考えられるが、「区別」という意味になったという点で説得力に欠ける、
とする(語源由来辞典)のはどうだろう。「駄目を詰める」のは、終局時に地の整理をする時、
白黒どちらの陣地にもならない交点(ダメ)を「ダメ詰め」をして、白と黒の境界線をハッキリさせること、
をいう(https://www.nihonkiin.or.jp/teach/lesson/school/end02.html)。
(「ダメ」詰め) 白黒どちらが打っても良い交点、白1、黒2、白3と「ダメ詰め」をする https://www.nihonkiin.or.jp/teach/lesson/school/end02.htmlより)
つまり、白黒の区別を明確にするという意味で、「けじめ」の含意と重なるのである。
また、
或いは掲焉(けちえん)のけちか(大言海)、
とする「掲焉」は、
けつえん、
けちえん、
と訓ますが(「掲」をケチと訓むは呉音)、
著しいさま、目立つさま、
で、
人の様体、色合ひなどさへ掲焉に顕れたるを見渡すに〈紫式部日記〉、
と使われるが、「意味」から逆に推測したものなのではないだろうか。
このほかに、
ワカチメ(別目)の義(類聚名物考・名言通・和訓栞)、
ワカチマ(分間)の義(言元梯)、
と、「分」「別」とのかかわりを説く説もある。類聚名義抄(平安末期)に、
分、けじめ、
とある(語源由来辞典)とある。しかし、これは、「けじめ」という言葉が既にあったことを意味するので、
わかちめ(分目)の意味から生じた語(仝上)、
の証にはなるまい。第一、
わかちめ→けぢめ、
では音韻的にも無理がある。やはり、
結目(けちめ)にて、碁の結(けち)、
より由来したと見るのが、音韻的にも、意味的にも無理がなさそうである。江戸時代、
けじめをとる、
を、
雪は白しけじめをとるか竦み鷺(俳諧・鸚鵡集)、
と、
優劣・異同などを明白にする、
意で使い(岩波古語辞典)、
けじめを食ふ(けぢめを食はす)、
けじめる(「きじめる」とも)、
を、
汝等にけぢめを食ふ様な、そんな二才ぢゃあねえぞ(三人吉三廓初買)、
と、
差別待遇をされる、阻害し卑しめられる、
意で使う(広辞苑・江戸語大辞典)。江戸中期の『俚言集覧』に、
愚案、又俗に人に逼迫して卑しめ陵(しの)くやうの事をケヂメを食すと云、又キヂメルとも云、
とある(江戸語大辞典)。
「けじめ」に当てる「數(数)」(慣用スウ、漢音ス、呉音シュ)は、
会意。婁(ル・ロウ)は、女と女を数珠つなぎにしたさまを示す会意文字。數は「婁(じゅずつなぎ)+攴(動詞の記号)」で、一連の順序につないでかぞえること、
とある(漢字源)。別に、
「數」は攴+婁の会意文字で、攴は算木を手に取るという意味である動作をなす事を表し、婁は摟(ひきだす)をあらわす。又は、複数の女性(おそらく奴隷であろう)が数珠つなぎにされた様を表し、複数のものを数えることを意味(藤堂)、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%B0)。さらに、
(「數」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji230.htmlより)
会意文字です(婁+攵(攴))。「長い髪を巻きあげて、その上にさらに装備を加えた女性」の象形(「途切れず続く」の意味)と「ボクっという音を表す擬声語と右手の象形」(「ボクっと打つ、たたく」の意味)から、続けて打つ事を意味し、そこから「責める」、「かぞえる」を意味する「数」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji230.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95