「巫女」は、
みこ、
ふじょ、
と訓ますが、
神子、
とも当て(広辞苑)、
舞姫(まいひめ)、
御神子(みかんこ)、
ともいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%A5%B3)、とある。
神に仕え、神楽・祈祷を行い、または神意をうかがって神託を告げるもの、
を指す。多くは、
未婚の少女、
とされる(仝上)。
(「巫」(ふ・かんなぎ) https://sho.goroh.net/kannagi/より)
かんなぎ、
ともいう(「かんなぎ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/483366329.html?1631388073)については触れた)が、
あがたみこ、
あづさみこ、
いちこ、
等々とも呼ぶものもある(大言海)。柳田國男や中山太郎の分類によると、
おおむね朝廷の巫(かんなぎ)系、
と、
民間の口寄せ系、
に分けられ、「巫(かんなぎ)系」巫女は、関東では、
ミコ、
京阪では、
イチコ、
といい、口寄せ系巫女は、
京阪では、
ミコ、
東京近辺では、
イチコ、
アズサミコ、
東北では、
イタコ、
と呼ばれる、とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%A5%B3)。柳田は、「もともとこの二つの巫女は同一の物であったが、時代が下るにつれ神を携え神にせせられて各地をさまよう者と、宮に仕える者とに分かれた」とした(仝上)。
この原型となる「神に仕える女性」として、
邪馬台国の卑弥呼、
天照大神、
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、
倭姫命(やまとひめのみこと)、
神功(じんぐう)皇后、
等々を見ることができ、沖縄の、
のろ、
ゆた、
もそれである(日本大百科全書)。
朝廷の巫(かんなぎ)系である、
宮廷や神社に仕え、神職の下にあって祭典の奉仕や神楽をもっぱら行うもの、
には、
神祇官に仕える御巫(みかんなぎ)(大御巫、坐摩(いがすり)巫、御門(みかど)巫、生島(いくしま)巫)、
宮中内侍所(ないしどころ)の刀自(とじ)、
伊勢神宮の物忌(ものいみ)(子良(こら))、
大神(おおみわ)神社の宮能売(みやのめ)、
熱田神宮の惣(そう)ノ市(いち)、
松尾神社の斎子(いつきこ)、
鹿島神宮の物忌(ものいみ)、
厳島(いつくしま)神社の内侍(ないし)、
塩竈(しおがま)神社の若(わか)、
羽黒神社の女別当(おんなべっとう)、
等々があり、いずれも処女をこれにあてた、とされる(仝上)。
民間の口寄せ系である、
神霊や死霊の口寄せなどを営む呪術的祈祷師、
には、
市子(いちこ)、
という言葉が一般に用いられており、東北地方では、巫女のことを一般に「いたこ」といい、これらの巫女はほとんど盲目である。そのほか、
関東の梓(あずさ)巫女、
羽後(うご)の座頭嬶(ざとうかか)、
陸中の盲女僧、
常陸の笹帚(ささはた)き、
等々の称がある、とされる(仝上)。
「いちこ」は、
降巫(岩波古語辞典)、
市子(日本語源大辞典)、
巫子(仝上・江戸語大辞典)、
神巫(大言海)、
等々と当て、
巫女、
の意で、
イチは巫女をあらわす語、コは子、
とあり(岩波古語辞典)、「イチ」は、
和訓栞、イチ「神前に神楽をする女を、イチと云ふは、イツキの義にや、ツ、キ、反チなり」。斎巫(いつきこ)なり。松尾神社に斎子(いつきこ)あり、春日神社等に、斎女(イツキメ)あり、此語、口寄せする市子とは、全く異なり、
とあり(大言海)、
略してイチとのみも云ひ、一殿(イチドノ)とも云ふ、
とある(仝上)。あくまで、ここでは「いちこ」は、
巫女、
の意で、
神前に神楽する舞姫、神楽女(かぐらめ)、
の意とする。この「いちこ」のひとつに、
あづさみこ、
がある(岩波古語辞典)とされるが、「梓(あづさ)」は、
カバノキ科の落葉高木、
で、
古く呪力のある木とされた、
とあり(岩波古語辞典)、古代の「梓弓」の材料とされ、和名抄には、
梓、阿豆佐、楸(ひさぎ、きささげ)之属也、
とある。白井光太郎による正倉院の梓弓の顕微鏡的調査の結果などから、
ミズメ(ヨグソミネバリ)、カバノキ科の落葉高木、
が通説となっている、とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93)。
(「ミズメ」 日本の古典にあらわれる「梓」の正体 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93より)
「梓弓」は、
古くは神事や出産などの際、魔除けに鳴らす弓(鳴弦)として使用された、
とあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93%E5%BC%93)、
梓弓の名に因りて、万葉集に、弓をアヅサとのみも詠めり、今も、神巫に、其辞残れり、直に、あづさみことも云へり、神を降ろすに、弓を以てするば和琴(わごと)の意味なり(和訓栞)、
と、
神降ろしに用いる、
が、
その頃はべりし巫女のありけるを召して、梓弓に、(死人の靈を)寄せさせ聞きにけり(伽・鼠草子)、
と、
梓の弓をはじきながら、死霊や生霊を呼び出して行う口寄せ、
をも行う(岩波古語辞典)。「あがたみこ」は、
縣巫、
縣御子、
等々と当て(岩波古語辞典・大言海)、
祈祷・占い・口寄せ、竈祓(かまはらひ)などを業として、主に地方を回る巫女、売色もした、
とあり(岩波古語辞典)、
市子と云ふは、(「あづさみこ」と比して)、品格甚だ違へり、これは市街巫(イチコ)の意なるべく、縣巫(あがたみこ)と云ふも、田舎巫の意なり、
とするが、しかし、
巫女の、小弓に張れる弦を叩きて、神降をし、死霊・生霊の口寄せをする、
「あづさみこ」は、
髑髏(しゃれこうべ)を懐中し居るなり、これをアヅサとのみも云ひ、又、市子とも、縣巫(あがたみこ)とも云ふ、何れも賤しき女にて、賣淫をもしたりと云ふ、
とある(大言海)。こうなると、
あづさみこ、
あがたみこ、
いちこ、
は、ほとんど市井の巫女の意で、江戸時代に、
いちこ(巫子)、
は、
生霊・死霊の口寄せをする女、梓巫子(あずさみこ)、神子(みこ)、略して「いち」とのみもいい、促呼して「いちっこ」ともいう、
のと重なってくる(江戸語大辞典)。
「巫女」の語源は、
御子(みこ)の義(名語記)、
神子(かみこ)の上略(名言通・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日鮮同祖論=金沢庄三郎)、
とされるが、何れも、原義的には同じとみていい。
ただ、「猫も杓子も」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/451814115.html)で触れたように、
「神仏に願い望むことをコフ(乞ふ・請ふ)という。カミコヒメ(神乞ひ女)は語頭・語尾を落としてミコ(巫女)になった。
さらにいえば、心から祈るという意味で、ムネコフ(胸乞ふ)といったのが、ムの脱落、コの母韻交替[ou]でネカフ・ネガフ(願ふ)になった。
ネガフ(願ふ)を早口に発音するとき、ガフ[g(af)u]が縮約されてネグ(祈ぐ)に変化した。その連用形の名詞化が『禰宜』である。また、カミネギ(神祈ぎ)はカミナギ・カンナギ(巫)に変化した、
と、和語の音韻変化とする説もある。
(「巫」 小篆・説文(漢) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%ABより)
「巫」(慣用フ、漢音ブ、呉音ム)は、「かんなぎ」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/483366329.html?1631388073)で触れたように、
会意。「工+人二人」。工印を玉の形と解する説もあるが、神を招く技術を示したものであろう。原字にはもうひとつあり、それは「工+召(招く)二つ+両手」の会意文字で、神を招く手ぶりを示す。目に見えない神を手ぶり足ぶりして呼ぶこと、
とあり(漢字源)、さらに、
形声。工(降ろす)の転音が音を表し「くだす」を意味する。人人は召の略字で、巫女が声を上げて神を呼ぶ招魂ことで巫祝の意。また巫女が舞う時の両袖からの象形という説もある、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%AB)、「工」の意味はこれでよくわかる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95