『太平記』に、
而(しか)るに今、戦功未だ立たざるに、罪責忽ちに来たる。(中略)今より後、勲業孰(たれ)が為に策(はか)らん。行蔵世に於て軽(かろ)し。綸宣儻(も)し死刑を優(ゆう)せらるれば、永く竹園(皇族)の名を削り、速やかに桑門(僧侶)の客と為らん、
と、流罪に際しての護良親王(もりよししんのう)の御書(おふみ)にある。「行蔵」は、
世に出て道を行うこと隠遁して世に出ないこと、
の意、つまり、
出処進退、
の意である(広辞苑)。
この言葉は、「行蔵は我ニ存す」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/476090186.html)、松浦玲『勝海舟』(http://ppnetwork.seesaa.net/article/476090186.html)等々で触れたが、海舟が使った言葉として広く知られる。
海舟が嗣子小鹿を亡くす直前(明治二五年の正月末)、福沢諭吉は、ひそかに脱稿した『痩我慢の説』を、榎本武揚と勝海舟に送り付けた。二人とも反応しなかったので、二月五日付で、諭吉は、再度、
過日呈した瘦我慢の説一冊、いずれ時節を見計い世に公にするつもりだが、事実に間違いや立論の不当のところ「『無御伏蔵』御意見を承って置きたい、
と返事を催促し、尚書として、
草稿は極秘とし、二三の親友以外には見せていない、
と断った。榎本は、
昨今別而多忙に付、其中愚見可申述候、
と躱したが、海舟は、
行蔵は我ニ存す、毀誉は他人之主張、我に与らず我に関せずと存候、
と有名な返事を書き、尚書についても、
各人へ御示御座候とも毛頭異存無之候
と突き放した。
「行蔵」の出典は、『論語』述而篇、
用之則行、舎之則蔵(之を用うれば則ち行い、之を舎(す)つれ則ち蔵(かく)る)、
とされる(字源)。有名な、
暴虎馮河、
の出てくる節である。すなわち、
子謂顏淵曰、用之則行、舍之則藏。唯我與爾有是夫。子路曰、子行三軍、則誰與。子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也。必也臨事而懼、好謀而成者也(子、顏淵に謂いて曰く、之を用うれば則ち行ない、之を舎つれば則ち藏る。唯我と爾と是有るかな。子路曰く、子、三軍を行なわば、則ち誰と與(とも)にかせん。子曰く、暴虎馮河し、死して悔いなき者は、吾與にせざる也。必ずや事に臨みて事懼(おそ)れ、謀を好みて成さん者也)、
と。「暴虎馮河」とは、
何も武器を持たずに虎と組み討ちをし、大河を歩いて渡る、無謀な冒険の典型、
の意(貝塚茂樹)である。
「暴」は「搏」に同じで、打つ、なぐる意。「馮」は川などを徒歩で渡る意、
とある(新明解四字熟語辞典)。この「河」は、元来は中国の黄河をさす。要は、
血気にはやって向こう見ずなことをすること、
である。ぼくの中では、西郷の、
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり、
という言葉が重なる。勿論、いい意味でではない。ある意味、鳥羽伏見も、博打のようなものだ。かろうじて(江戸焼き討ちという)テロの論理が、常識人の幕府側を乗せた。
それはさておき、「行蔵」は、ときどき使われるが、頻度は多くなく、用例に出るのは、上記『太平記』と、
去来不失候。可謂識行蔵(経国集(827)・詠燕)、
である(精選版日本国語大辞典)。存外に、
重い含意、
と見た。たとえば、『太平記』に、
三朝礼儀の明堂、云(ここ)に捨てて、野干(やかん 狐)尸(かばね)を争ふ地と為り、八宗論談の梵席、永く絶えて、鬼神舌を暢ぶる声に替へたり、笑うてかの行蔵を問ふに、何か似たる(所)ぞ。譬へば、猶調達(ちょうだつ 釈迦の従兄弟)が衆を萃(あつ)めて、提羅(だいら 比丘、比丘尼)が供(く)を貪(むさぼ)って利門(りもん 利欲に結びつく道)を開きしが如し、
とある。この「行蔵」は、「行い」だが、ただの「ふるまい」ではなく、「仏道を修める」とか「仏事を行う」という意で使われている。
「行」(漢音コウ。ゴウ、呉音ギョウ、唐音アン)は、
象形。十字路を描いたもので、みち、みちをいく、動いて動作する(おこなう)などの意を表す。また、直線をなして進むことから、行列の意ともなる、
とあり(漢字源)、別に、
四方に道が延びる十字路の形にかたどり、人通りの多い道の意を表す。ひいて「ゆく」、転じて「おこなう」意に用いる、
ともある(角川新字源)。「歩行」「走行」「行為」等々、「行は止の反、歩き進む」(字源)意であり、
行有余力則以學文(行ひて余力有らば、則ち以て文を学ぶ)、
であるが(論語)、「徳行」「修行」「勤行」等々のように、和語の「しわざ」「ふるまい」といった含意の、
心にあるを徳と言ひ、之を施すを行といふ
と、単なる行いではない意味を「行」に込めることがある(字源)。
(「行」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A1%8Cより)
「倉」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/482616330.html)で触れたように、「蔵(藏)」(漢音ゾウ、呉音ソウ)は
形声。艸は収蔵する作物を示す。臧(ソウ)は「臣+戈(ほこ)+音符爿(ソウ・ショウ)」からなり、武器をもった壮士ふうの臣下。藏は「艸+音符臧」で、臧の原義とは関係がない、
とある(漢字源)。「秘蔵」とか「収蔵」とか「珍蔵」という言葉があり、「物を納めて蓄える」という意味が強いが、特に、
見えぬようにくらへかくしいるる、
意(字源)とあり、世の中から「隠れる」含意がある。別に、
形声文字です(艸+臧)。「並び生えた草」の象形と「矛(ほこ)の象形としっかり見開いた目の象形」(「倉(ソウ)」に通じ(同じ読みを持つ「倉」と同じ意味を持つようになって)、「かくしてしまう」の意味)から、「かくす・かくしてしまう場所」、「くら」を意味する「蔵」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji965.html)。
参考文献;
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
兵藤裕己校注『太平記』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:行蔵