2021年11月21日

爪弾き


「爪弾き」は、

つまはじき、

と訓ますと、本来は、

風やまず、爪弾きして寝ぬ(土佐日記)、
(光源氏は)ありさまのたまひて、幼かりけりとあはめたまひて、かの人の心を爪弾きをしつつ恨みたまふ(源氏物語)、

と、

心にかなわぬことのある時、または嫌悪・排斥する時など、(人差し指または中指の)爪先を親指の腹にかけて弾く、

という、

自分の不満・嫌悪・排斥などの気持を表すしぐさ、

の意であったが、それが転じて、

……豈に天下の利にあらずやと、爪弾きをして申しければ(太平記)、

と、人を、

嫌悪・排斥して非難すること、

つまり、

指弾、

の意になる。

「爪弾き」は、もともと、あるいは、

散花や跡はあみだの爪はじき(俳諧「葛の松原(1692)」)、

とあるように、仏教でいう、

弾指(だんし・たんじ)、

という(本来は「たんじ」と訓む)、

曲げた人差し指を親指の腹で弾き、親指が中指の横腹に当たり、はじいて音を出す、

動作の、

他人の家や部屋に入る許諾の意味や、歓喜の合図、

などを表し、また場合によっては、

東司(手洗い)から出て手を洗うとき、不浄を見聞したときに、これを払い除く意味で行う、

ものからきたhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%BC%BE%E6%8C%87とみられる。古く、

縁起の悪さを祓う仕草、

とされたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%BE%E3%81%AF%E3%81%98%E3%81%8Dのも、その由来ゆえかもしれない。

「指弾」も、

曲げた指を急に伸ばして物をはじく、

意で、これも漢語で、仏教の影響かもしれないが、

度百千劫、猶猶如指弾(維摩経)、

と、

つまはじき、

の意で使い、転じて、

三過門前老病死、一指弾頃去来今(三たび門を過ぐる閒に老ひ病み死す、一たび指を弾く頃(あいだ)の去来今)(蘓武)、

と、

極めてわずかの時間、

に喩える(字源)、とある。

三度門を過ぎる間に、老い病み、そして死ぬ。一度指を弾くだけの短い間に、過去・未来・現在の三世がある、

と、注記(兵藤裕己校注『太平記』)される。

「百千劫」の「劫」が、

共忘千劫之蹉跎、並望一涯之貴福(「三教指帰(797頃)」)、

と、仏語で、

天人が方一由旬(四十里)の大石を薄衣で百年に一度払い、石は摩滅しても終わらない長い時間といい、また、方四十里の城にケシを満たして、百年に一度、一粒ずつとり去りケシはなくなっても終わらない、

ような、

きわめて長い時間、

を指したことに対して、「儚い」一生を言うのかもしれない(精選版日本国語大辞典)。

箏を奏でる.jpg

(箏を奏でる https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/24/2.htmlより)

さらに、「爪弾き」は、

つまひき、
あるいは、
つまびき、

と訓ますと、

と、

苦しとおぼしたる気色ながら、つまひきにいとよく合わせただ少し掻きならい給ふ(源氏物語)、

と、

指の爪で弦を弾くこと、

要は、

筝、又は、三味線などを、假甲(かけづめ)、撥(ばち)を用いずに、手の爪にて弾くこと、

になる(広辞苑・岩波古語辞典・大言海)。

三味線を爪弾く.jpg


つめひき、

ともいう(大言海)が、また、

つまひく、
あるいは
つまびく、

と訓ませ、

爪引く、

と当てると、

梓弓つまひく夜音(よと)の遠音(とほと)にも君が御幸(みゆき)を聞かくし好(よ)しも(万葉集)、

と、

弓弦(ゆずる)を指先で引く、

意となる(仝上)。

爪弾(つまびき)、

には、どうやら、上記の仏教の

弾指(だんし)、

の動作の、

許諾、歓喜、警告、入室の合図などを表す。また場合によっては排泄後などの不浄を払う、

意から、

後に爪弾(つまはじ)きといわれ、嫌悪や排斥の気持ちを表すことになった。この行為から(12000弾指で一昼夜というきわめて短い時間を表す)時間的概念が生まれ、主に禅宗などで行われる。元は密教の行法の一つだったが、縁起直し、魔除けの所作として僧以外の人々に広まった、

とする仏教の「弾指」由来とする説https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%BE%E6%8C%87と、

楽器の弦を弾く、

意から、擯斥(ひんせき)の意の、

屈したる指を急に爪にて弾く、

という動作に転じ、その言葉が、

指弾、

の意に転じた(字源)とする説がある。どちらとも断じ得ないが、後者としても、前者の翳があり、何処か、

厄払い、

の意味がある気がしてならない。

「爪」 漢字.gif


「爪」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、

指事。つめの原字は蚤の上部であり、手の指先に「ヽ」印を二つつけて、つめのある所をしめしたもの。爪は手をふせて指先で物をつかむさまを示し、抓(ソウ つかむ)の原字。しかし普通には爪を「つめ」の意に用いる、

とある(漢字源)。しかし「象形」とする説が、

象形。上から下に向けた手の形にかたどり、物をつかむ、つかんで持ち上げる意を表す。「抓(サウ)」の原字、

とか(角川新字源)、

象形。下に向けた手の形から。元は「つかむ」のみの意で、「つめ」には「叉」に点を打った文字(「掻」の旁の上部)があったが、後代に「つめ」の意も含むようになった、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%AA

象形文字です。「手を上からかぶせて、下にある物をつまみ持つ」象形から、「つめ」を意味する「爪」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji296.html等々、多数派である。

「爪」 甲骨文字.png

(「爪」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%AAより)

「弾(彈)」(漢音タン、呉音ダン)は、

会意兼形声。單は、両耳のついた平らなうちわを描いた象形文字で、ぱたぱたとたたく、平面が上下に動くなどの意味を含む。彈は「弓+音符單」で、弓や琴の弦が上下に動くこと。転じて、張った紐や弦をはじいて上下に振動させる意、

とある(漢字源)。「弦をはじいて音を出す」意だが、「指弾」「弾劾」など、相手の悪事をはじき出す、意がある。

「弾」 漢字.gif

(「彈」 https://kakijun.jp/page/1250200.htmlより)

別に、

旧字は、形声。弓と、音符單(タン)とから成る。石つぶてなどを飛ばす弓、ひいて、「はじく」意を表す、

とか(角川新字源)、

会意兼形声文字です(弓+単(單))。「弓」の象形と「先端がY字形になっているはじき弓」の象形から「はじき弓」を意味する「弾」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1411.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2021年11月22日

すそご


「すそご」は、

裾濃、
末濃、
下濃、

等々と当てる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

すそごう、
すえご、

などとも訛る(仝上)。

白地の下方をしだいにぼかして濃くする染色法、

で、布帛(ふはく)と甲冑の縅(おどし)の場合とがある。

布帛の場合、

すそご、むらご(斑濃・叢濃・村濃 同じ色でところどころを濃淡にぼかして染め出したもの)なども、つねよりはをかしくみゆ(枕草子)、

と、

上を淡く下を濃くした、

ものだが、

織色(おりいろ)によるものと染色(そめいろ)によるもの、

とがあり、

大旗、木旗、下濃(すそご)の旗、三流れ立てて三手に分かれ(太平記)、

と、旗にも使われる。

甲冑(かっちゅう)の威(おどし)の配色では、

上を白、次を黄とし、しだいに淡い色から濃い色とする、

ものを言う(仝上)。因みに、「縅」とは、

札(さね 鉄または練革で作った鎧の材料の小板)を上から下へ連接することを言い、縅は元来「緒通す(おどおす)」に「威す」の字を当てた(縅の字は、「威」に「糸」偏をつけた和製)、

を指し、「緒」の材質により、

韋(かわ)縅、
糸縅、
綾縅、

があり、縅し方には、

縦取縅(たてどりおどし 垂直に縅していく)、
縄目縅(なわめおどし 斜め状の縅毛が横に連続するため縄のように見える)、
素懸縅(すがけおどし 縦取縅の省略ともいえる間隔をおいて菱形に交差させながら2本ずつ縅す)、
寄懸(よせがけ 間隔をおいて3本以上ずつ縅す)、

等々があり、

紫裾濃、
紺裾濃、
紅裾濃、
萌黄裾濃、

等々という。縅の配色には、「すそご」と反対に、

濃い色から次第に淡い色になり、最後を白とする縅、



匂い、

といい、

黄櫨匂(はじのにおい 紅、薄紅、黄、白の順)、
萌黄匂(もえぎにおい 萌黄、薄萌黄、黄、白の順)、

等々がある(有職故実図典)。

紫裾濃鎧.jpg

(紫裾濃鎧(むらさきすそごのよろい) http://park2.wakwak.com/~ome.net/24bunkazai0082.htmlより)

縅には、一色に威すものもあるが、「すそご」「におい」の他に、

村濃(むらご 上下左右に偏せず、まばらに濃い色を配する)、
妻取(つまとり 袖・草摺の端の妻を三角に色々の意とで縅し交ぜたもの)、

等々がある。江戸後期の有職故実書『貞丈雑記』には、

すとごと云は、何色にても、上の方の色を淡くして、すその方をば、濃く染たるを云他、鎧の紅すそご、紫すそごも右の心なり、

とある。

なお、「すそご」には、他に、

三種の神器ならびに玄象(げんじょう)、裾濃、二間の御本尊に至るまで(太平記)、

と、玄象(げんじょう)と並び、

琵琶の名器の名、

にこの名がある(仝上)。平安末の日本における現存最古の書論書『夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)』に、琵琶名として、

井手、渭橋(已上、宇治殿)、玄上(大内)、牧馬(斎齋院)、下濃(すそご 内大臣殿)、元興寺(大内)、兩道、小比巴、木繪、元名(蝉丸比巴也)、以上皆、紫檀也、

とあるし、枕草子に、

御前にさぶらふものは、御琴も御笛も、みなめづらしき名つきてぞある。玄しゃう、牧馬(ぼくば)、井手(ゐで)、渭橋(ゐけう)、無名など、

とある。

参考文献;
笠間良彦『図録日本の甲冑武具事典』(柏書房)
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2021年11月23日

固唾を呑む


「固唾を呑む」は、

光寂房かたつを呑て、云やりたる事なし(「米沢本沙石集(1283)」)、
数万の見物衆は、戦場とも云わず走り寄り、堅唾(かたづ)を呑んでこれを見る(「太平記(14世紀末)」)、

などと、

事のなりゆきを案じなどして、息をこらすさま、

の意(広辞苑)で、「固唾」は、古くは、

かたつ、

と清音でもあった(仝上)が、

緊張して息をこらすときなどに口中にたまる唾、

の意である(仝上)。

「つばき(唾)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/457938309.htmlは、前に触れたように、古くは、

御頸の璵(たま)を解きて口に含み、其の玉器に唾(つは)きをいれたまいひ(古事記)、



つはき(Tufaki)、

と清音で、新撰字鏡(898~901)には、

液、小児口所出汁也、豆波岐(つはき)、

とある。

院政期加点と目される『高僧伝長寛元年点』に、「唾手(ツワキハイテ)」の語形がみえるところから、ツハキ→ツワキの変化が指摘できる、

とあり、平安期(1086~1185年頃)に、

ツハキ→ツワキ、

と変化したとみられる(日本語源大辞典)。

また「つばき」は、

つば、

とも言うが、やはり古くは、

法雷を響(ののし)り、弁を吐(つは)き(地蔵十輪経)、

と、

つは、

で、室町時代に、

ツバキ・ツワキの形があらわれた、

とあり(岩波古語辞典)、日葡辞書(1603~04)には、

つわ、

とある(仝上)が、室町時代の『文明本節用集』(15世紀後半)には、

唾、ツワキ、

とあり、同じ室町でも末の『明応本節用集』(15世紀末)では、

唾、ツバキ、

となっている。ただ、類聚名義抄(11~12世紀)には、

唌、ツハキ、

とあるので、この間に濁音化したもののようである。ただ、

室町時代には、ツバキのほかに、ツハキ、ツワキ、ツ、ツハ、ツバ、ツワの語形が存する。このような状態は江戸時代まで続くが、次第にツバキがツバと共に優勢となる。なお、ツハキ→ツハケ、ツバキ→ツバケの変化も室町時代以降に生じたものの、一般化せず俗語の域にとどまっていた、

とある(日本語源大辞典)。そして、江戸時代に入って、

「キ」の脱落した形での使用が増え、「つば」が一般的な呼称となった、

ともある(語源由来辞典)。

しかし、「つば」「つばき」は、古くは、

梅の実の酸(す)き声を聞けば、口につ(唾)たまりうるほふなり(法華題目鈔)、

と、

つ(唾)、

であり、平安末期『色葉字類抄』に、

吒、ツ、口中液也、
咤、同、

とある(岩波古語辞典・大言海)。

この「つ」(唾)から、唾を吐く意の、

つはき(唾吐き)、

唾液を飲み込む意の、

つ(唾)を引く、

という言い方があった。で、「つばき」の語源を、

ツ(唾)+吐きの変化です。古語ツは、唾。ツバキとも。動詞のツハク(ツ+吐く)から、ク音脱落より、唾となった(日本語源広辞典)、
唾吐きの義(大言海・和句解・言元梯・名言通・菊池俗語考・日本古語大辞典=松岡静雄)、

とする説が出てくることになる。しかし、「つばき」が、

ツ(唾)吐く、

の略であって、

ツ(唾)吐く→(ツハク→ツワキ→ツバキ)→ツバ(唾)、

と、変化したことの意味は分かるが、古形「つ(つば)」の語源は明らかではない。

ツはイズ(出)の上略で、人体から出るものであるところから。ハキは吐の義(日本釈名)、

の、

「つ」が「イズ(出)」、

と言うのもあるが、和語が擬音語・擬態語が多いことから見ると、「つ」は擬態語なのかもしれない。臆説かもしれないが、擬態語に、

つー、

というのがある。

糸で引かれたように真直ぐに移動する様子、

を示すという(擬音語・擬態語辞典)。前述の『新撰字鏡』の、

液、小児口所出汁也、豆波木(つはき)、

という「つば」の説明から考えると、これではないか、と独り合点するのだが、もちろん憶説に過ぎない。

因みに、「唾」(慣用ダ、漢音呉音タ)の字は、

垂は「作物の穂の垂れた形+土」の会意文字。唾は「口+音符垂」で、口からだらりと垂れさがるつば、

の意とある(漢字源)。音符垂(スイ)→(タ)とも、また、「つばをはく」意、ともある(角川新字源)

「唾」 漢字.gif

(「唾」 https://kakijun.jp/page/da11200.htmlより)

別に、

会意兼形声文字です(口+垂)。「口」の象形と「草・木の花や葉の長く垂れ下がる象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「草・木がたれさがる」の意味)から、口から垂れる液、「つば」を意味する「唾」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2124.html

「唾」 成り立ち.gif

(「唾」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2124.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
山口仲美編『擬音語・擬態語辞典』(講談社学術文庫)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年11月24日

素材としての説話


中島悦次校注『宇治拾遺物語』読む。

宇治拾遺.jpg


本書の底本は、旧宮内省図書寮所蔵の写本で、

う地の大納言の物語、

と記されている、とある(本書解説)。序に、

世に宇治大納言物語といふ物ありき。此大納言は隆国という人なり、

とあり、

平等院一切経蔵の南の山ぎはに南泉房といふ所、

にこもって、

往来の者、上中下をいはず呼び集め、昔物語をせさせて、我はうちにそひふして、語るにしたがひて、大きなる双紙に書かれけり、

と、

十四帖、(諸本に十五帖とある)

になったとある。この由来に拠れば、

少なくとも十二世紀頃、

には存在した、と目される(解説)。そして、その本は失われている。

序には、後段、

後にさかしき人々かきいれたるあひだ、物語おほくなれり。大納言より後の事かき入れたる本もあるにこそ、

とあり、

これは恐らく、今日の今昔物語の事かと考えられる、

とある(仝上)。

『宇治拾遺物語』は、古く、『今昔物語』と同一視されたり、混同されたりしてきた。たとえば、

今昔物語十五帖大門ニ在之(多聞院日記)、

は、明らかに『宇治拾遺物語』を指している。

『宇治拾遺物語』は、

宇治大納言物語の拾遺、

の意で、作者自身なのか、他の人なのかは分からないが、

建暦二年(1212)から承久三年(1221)までの或る時期に作られたが、(中略)大体十二世紀終わり頃に一先ず成り、少なくとも健保三年(1215)以後・仁治三年(1242)以後の二回は加筆、

された『宇治大納言物語』の後、

さる程に、いまの世に又物かたりかきいれたる、いできたれり。大納言の物語にもれたるをひろひあつめ、又其後の事など書きつめたるなるべし。名を宇治拾遺の物語といふ。宇治にのこれるをひろふと付けたるにや、又、侍従を拾遺(侍従の唐名)といへば、宇治拾遺物語といへるか、

と、後世の「序」の書き手は推測している。その作者は不明である。

『宇治拾遺物語』より「御堂関白殿の犬」(岳亭春信画).jpg

(「御堂関白殿の犬」(岳亭春信) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E6%8B%BE%E9%81%BA%E7%89%A9%E8%AA%9Eより)

しかし、『宇治拾遺物語』は、『今昔物語』が、

各話の書き出しを「今ハ昔」、結びを「トナム語リ伝ヘタルトヤ」、

と統一しているのに比べて、書き出しも、

今は昔、
これも今は昔、
昔、
これも昔、
この近くの事なるべし、

または、

うちつけに書き出す、

等々様々で、結びも統一性はない。

変化を与え、内容も各話が自由な連想のままに随筆風に雜纂され、丁度徒然草を見るように、次々目さきの変化を追うて一冊が読了されるように配慮されている作者の用意が伺われる、

とし(校注者解説)、

中世の説話文学中の白眉

と評している(仝上)。評価はともかくとして、芥川龍之介が、

地獄変、
鼻、
芋粥、
竜、

と、これを題材に小説化したほどには、人の機微を突いたものがあったものとは思う。たとえば、

鼻長き僧の事、

は、

昔、池の尾に善珍内供(ぜんちんないぐ)といふ僧住みける。真言などよく習ひて年久しく行ひて貴(たふと)かりければ、世の人々さまざまの祈りをせさせければ、身の徳ゆたかにて、堂も僧房も少しも荒れたる所なし。仏供、御灯(みとう)なども絶えず、折節(をりふし)の僧膳(そうぜん)、寺の講演しげく行はせければ、寺中の僧房に隙(ひま)なく僧も住み賑ひけり。湯屋(ゆや)には湯沸かさぬ日なく、浴(あ)みののしりけり。またそのあたりには小家(こいへ)なども多く出(い)で来(き)て、里も賑ひけり。さて、この内供(ないぐ)は鼻長かりけり。五六寸ばかりなりければ、頤(おとがひ)より下りてぞ見えける。色は赤紫にて、大柑子(おほかうじ)の膚(はだ)のやうに粒(つぶ)立ちてふくれたり。痒(かゆ)がる事限りなし。

とはじまり、

粥をすする程に、この童、鼻をひんとて側(そば)ざまに向きて鼻をひる程に、手震へて鼻もたげの木揺(ゆる)ぎて、鼻外(はづ)れて粥の中へふたりとうち入れつ。内供が顔にも童の顔にも粥とばしりて、一物(ひともの)かかりぬ。内供大(おほ)きに腹立ちて、頭、顔にかかりたる粥を紙にてのごひつつ、「おのれはまがまがしかりける心持ちたる者かな。心なしの乞児(かたゐ)とはおのれがやうなる者をいふぞかし、

と、鼻を粥に落とすという出来事が中心なのに、芥川の、



は、

禅智内供の鼻と云えば、池尾で知らない者はない。長さは五六寸あって上唇の上から顋の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰のような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。

とはじまり、長い鼻を小さくした後、原文では、

提(ひさげ)に湯をかへらかして、折敷(をしき)を鼻さし入るばかりゑり通して、火の炎の顔に当らぬやうにして、その折敷の穴より鼻をさし出でて、提の湯にさし入れて、よくよくゆでて引き上げたれば、色は濃き紫色なり。それを側(そば)ざまに臥(ふ)せて、下に物をあてて人に踏ますれば、粒立ちたる孔(あな)ごとに煙のやうなる物出づ。それをいたく踏めば、白き虫の孔(あな)ごとにさし出るを、毛抜きにて抜けば、四分ばかりなる白き虫を孔ごとに取り出だす。その跡は孔だにあきて見ゆ。それをまた同じ湯に入れて、さらめかし沸かすに、ゆづれば鼻小さくしぼみあがりて、ただの人の鼻のやうになりぬ、

とある工程を、

内供の用を兼ねて、京へ上った弟子の僧が、知己(しるべ)の医者から長い鼻を短くする法を教わって来た、

という、

湯で鼻を茹ゆでて、その鼻を人に踏ませると云う、

そのプロセスを延々と膨らませて描き、さらに、

ただの人の鼻のやうになりぬ。また二三日になれば、先のごとくに大きになりぬ、

としかないくだりを、その短くなっている間の「二、三日」を膨らませ、鼻が短くなった後、本人は、

それから一晩寝てあくる日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。内供はそこで、幾年にもなく、法華経書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった、

のだが、

所が二三日たつ中に、内供は意外な事実を発見した。それは折から、用事があって、池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一層可笑しそうな顔をして、話も碌々せずに、じろじろ内供の鼻ばかり眺めていた事である。それのみならず、かつて、内供の鼻を粥の中へ落した事のある中童子(ちゅうどうじ)なぞは、講堂の外で内供と行きちがった時に、始めは、下を向いて可笑しさをこらえていたが、とうとうこらえ兼ねたと見えて、一度にふっと吹き出してしまった、

等々、却って笑いものになったことに、「今はむげにいやしくなりさがれる人の、さかえたる昔をしのぶがごとく」ふさぎこんでしまうのである、

という話にふくらませ、鼻がもとへ戻ったことに、

内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜ゆうべの短い鼻ではない。上唇の上から顋の下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。
 ――こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。
 内供は心の中でこう自分に囁いた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。

と、安堵し、

人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥おとしいれて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる、

と述懐する心理的葛藤に変えている。

申し訳ないが、単なる、

長い鼻の僧の振舞い、

という状態表現を、その鼻故の葛藤という、

価値表現、

へ変えた(データに意味と目的を加えたもの、つまり価値を加えたものを情報化という)のだが、その手腕や、作品としての評価はともかく、僧の人柄も変わってしまい、素材の笑い話を、人の心のうたてなる反応という価値観へと変えた。その是非はさておくとして、僕には、素材の僧の、食事の時鼻を持っていた、

粥をすする程に、この童、鼻をひんとて側(そば)ざまに向きて鼻をひる程に、手震へて鼻もたげの木揺(ゆる)ぎて、鼻外(はづ)れて粥の中へふたりとうち入れつ。内供が顔にも童の顔にも粥とばしりて一物(ひともの)かかりぬ、

という事態に、

内供大(おほ)きに腹立ちて、頭、顔にかかりたる粥を紙にてのごひつつ、おのれはまがまがしかりける心持ちたる者かな。心なしの乞児(かたゐ)とはおのれがやうなる者をいふぞかし。我ならぬやごとなき人の御鼻にもこそ参れ、それにはやくやはせんずる。うたてなりける心なしの痴者(しれもの)かな。おのれ、立て立て、

とて、追い立てる内供に、中大童子(ちゆうだいどうじ)が、

世の人の、かかる鼻持ちたるがおはしまさばこそ鼻もたげにも参らめ、をこの事のたまへる御坊かなといひければ、弟子どもは物の後ろに逃げ退(の)きてぞ笑ひける、

と言い返している両者の対等なやり取りの方が、よほど今風に思える。

参考文献;
中島悦次校注『宇治拾遺物語』(角川文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2021年11月25日

退屈


「退屈(たいくつ)」は、いま、

散歩をして退屈をまぎらす、

というように、

することがなくて、時間をもてあますこと、

の意で使うことが多いが、もとは、文字通り、

退き屈する、

意で、宋史・李綱傳に、

創業中興之主、盡其在我而已、其成功歸之於天、今未嘗盡人事、敵至而先自退屈、而欲責功於天、其可乎、

とある(字源)。この「退屈」が、

起退屈心(地持論)、
とか、
仏心に退屈なし(反故集)、
とか、
修勝行時、有三退屈(唯識論)
とか、
亦退屈の心にて山林を出る時は、山林は悪しとおぼゆ(正法眼蔵随聞記)、

等々と、仏教で、

仏道修行の苦しさ、むずかしさに負け、精進しようとする気持ちをなくす、

意で使われて(広辞苑・字源・大言海)、そこから、

かやうに申せばまた御退屈や候はんずらめなれども(毎月抄)、

と、

嫌気がさすこと、だれること、

の意や、

いまだ行じてもみずして、かねて退屈する人は愚の中の愚なり(夢中問答)、

と、

うんざりして、やる気をなくすこと、

といった意で使われ、その状態を、

もてあますこと、

から、

倦怠、

の意の、

主殿の無力せられし折からに、長在京はさても退屈(正章千句)、
けだいといふはでうすの御ほうこうのためにみだりなるかなしひ、たいくつの事なり(「どちりなきりしたん(1600)」)、

と、

つまらない、所在ない、暇で倦みあきる、

意までは、繋がっていく(仝上)。因みに、

三退屈、

とは、

①悟りを求めるのは広大深遠であると聞いて起こす退屈、
②布施の万行はきわめて修し難いと聞いて起こす退屈、
③悟りの妙果は証し難いと聞いて起こす退屈、

とされ、これらを対治するのを、

三錬磨、

という、とあるhttps://www.hongwanji.or.jp/mioshie/words/001313.html

また、

海上の兵、陸地(くがち)の、思ひしよりもおびただしく、聞きしにもなほ過ぎたれば、官軍、御方を顧みて、退屈してぞ覚えける(太平記)、

と、

圧倒されること、戦意をなくすこと、

の意や、

されども、城の体(てい)少しも弱らねば、寄手の兵は、多分に退屈してぞ見えたりける(太平記)、

の、

くたびれ果てる、

という意や、

しかれども叶わぬ訴訟に退屈して、歎きながら徒(いたずら)に黙(もだ)しぬれば(仝上)、

の、

気力をなくす、

あるいは、

千度(ちたび)百度(ももたび)闘へども、御方(みかた)の軍勢の軍(いくさ)したる有様を見るに、叶ふべしとも覚えざりければにや、将軍(尊氏)、早くも退屈したる気色に見え給ひける処に(仝上)、

の、

気力が屈した様子、

という意は、

うんざりして、やる気をなくすこと、

という意の外延の中に入る、とみられる。

「退」 漢字.gif

(「退屈」 https://kakijun.jp/page/0971200.htmlより)

「退」(タイ)は、

会意。もと「日+夂(とまりがちの足)+辶(足の動作)」で、足が止まって進まないことを示す。下へ下がって、低いところに落ち着く意を含む、

とあり(漢字源)、

進の対、
出の対、

になり、「退却」の「しりぞく」の意、「衰退」「退色」と、「褪せる」意でもある。類義は、「却」になる(漢字源)。

退は、進の反なり、又遜譲の義にも用ふ。退士は退きて隠れる士。退筆はかきさしたるちび筆なり。老子「功成名遂身退、天之道也」、

ともある(仝上)。別に、

会意。辵と、𣪘(き 艮は省略形。食物を盛る容器)とから成る。お供えの食物を引き下げる意を表す。転じて「しりぞく」意に用いる、

とも(角川新字源)、

「退」 金文.png

(「退」 金文西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%80%80より)

会意文字です(彳+日+夊)。「十字路の左半分の象形」(「行く」の意味)と「食べ物」の象形と「下向きの足」の象形(「しりぞく」の意味)から、昔、役人が役所からしりぞいて家に帰り、食事をする事を意味し、そこから、「しりぞく(帰る)」を意味する「退」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji735.html

「屈」 漢字.gif

(「屈」 https://kakijun.jp/page/0872200.htmlより)

「屈」(漢音クツ、呉音クチ)は、

会意。「尸(しり)+出」で、からだをまげて尻を後ろにつき出すことを示す。尻をだせばからだ全体はくぼんで曲がることから、かがんで小さくなる、の意ともなる。出を音符と考える説もあるが、従い難い、

とある(漢字源)。しかし、

形声。意符尾(しっぽ。尸は省略形)と、音符出(シユツ)→(クツ)とから成る。短いしっぽ、転じて、くじく意を表す、

とか(角川新字源)、

会意文字です(尸(尾)+出)。「獣のしりが変形したもの」と「毛がはえている」象形と「くぼみの象形が変形したもの」から、くぼみに尾を入れるさまを表し、そこから、「かがむ」、「かがめる」を意味する「屈」という漢字が成り立ちました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1192.html

「屈」 金文.png

(「屈 金文・西周 」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B1%88より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:退屈
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2021年11月26日

綺ふ、


「綺(いろ)ふ」は、

武蔵守が行事、よろづ短才庸愚の事ある間、暫く綺ひを止むる処なり(太平記)、
佐兵衛督を政道に綺はせ奉る事、あるべからず(仝上)、

と使われる場合、

関与すること、
関わること、

の意である。「いろふ(う)」は、

色ふ、
彩ふ、
艶ふ、

と当てると、

色が美しく映える、彩が多彩である、
あるいは、
飾る、文飾する、

意であり、

綺ふ、
弄ふ、

と当てると、

関与する、
干渉する、

という意となる(広辞苑・大言海)。ただ、前者の場合にも、

いかばかり思ひ置くとも見えざりし露にいろへる撫子の花(和泉式部集)

綺ふ、

と当てるとするものもある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)が、類聚名義抄(11~12世紀)に、

綺、イロフ、

と、

艶、イロフ、ウルハシ、

と区別しているので、

「いろふ(う)」は、

綺ふ、

と当てたものと思われる。この「いろふ」は、

弄ふ、

と当てると、

かやうのもの(死人の入っている棺)をばいろはぬ事なりけりと逃げにけり(御伽草子・「むらまつ物語」)、

と、

手をふれる、
いじる、

意となる(岩波古語辞典)。これが訛って、

包は解くに及ぶまじいらうてみても五十両(浄瑠璃「冥途飛脚」)、

いらふ(う)、

ともなり、

いじる、もてあそぶ、

意だが、少し転じて、

あんまり深切が過ぎて、人をいらふ様な言ひ分(浄瑠璃「極彩色娘扇」)、

とからかう、おもちゃにする、

といった意になっていく。さらに、

船宿するによって、裏の離れをいらうたばかり(歌舞伎「桑名屋徳蔵入船物語」)、

と、

手を加える、手入れをする、修理する、

という意でも使われている(精選版日本国語大辞典)。ただ、

「いらふて」「いらうて」などは「イローテ」と読んだと思われるから、「いろう」と厳密には区別しにくい、

とある(仝上)ので、口語上は、「いろふ(う)」と「いらふ(う)」の区別はつけにくいようだ。

この「いろふ」の語源は、

入り追ふの約か、殊に入り込んで追う意、

しか見当たらない(仝上)。この含意は、

深入りする→踏み込む→関わる→いじる、

などといった意味の広がりになるのだろうか。

方言に多く残り、「いらう」は、

さわる、
いじる、

意である(愛知県三河・福井県若狭・近畿・中国・四国など)が、

大阪では「いらう」、
東京では「いじる」、

と使うようだ(精選版日本国語大辞典)。他に、

干渉する、

意で使う方言(熊本)もあるhttps://www.weblio.jp/content/%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%86

飴っこいらうが?

の「いらふ」(下北弁)は、

要る、

の意で、他に、

借りる、

意で、

いらう、

を使う(山梨・静岡)場合があるが、

天下の百姓の貧乏しきに由りて、稲と資財とを貸(いらへ)よ(日本書紀)、

の、

いらす、

借りる、

意とつながるようである。

「綺」 漢字.gif

(「綺」 https://kakijun.jp/page/1482200.htmlより)

「綺」(キ)は、

会意兼形声。「糸+音符奇(まっすぐでない、変わった形)」、

とあり(漢字源)、「あや」「あやぎぬ」の意で、その意味では、「色ふ」に、「綺」を当ててもおかしくはない。別に、

会意兼形声文字です(糸+奇)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「両手両足を広げた人の象形と、口の象形と口の奥の象形(「かぎ型に曲がる」の意味)」(「普通ではない人、優れている人」の意味)から、「目をうばうような美しい模様を織りなした絹」を意味する「綺」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2359.html。現存する中国最古の字書『説文解字(100年頃)』には、

綺、文繪(あやぎす)也、

とある(大言海)。

「綺」 成り立ち.gif

(「綺」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2359.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ラベル:弄ふ いろふ 綺ふ
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2021年11月27日

色ふ


「色ふ(う)」は、

彩ふ、
艶ふ、

とも当てる。

いかばかり思ひおくとも見えざりし露にいろへる撫子(なでしこ)の花(和泉式部集)、

と、

色が美しく映える、
彩が多彩である、

という対象の状態表現の意や、

かざしの花の色色は、秋の草に異なるけぢめ分かれて何事にも目のみまがひいろふ(源氏物語)、

と、

色合いで目が惑わされる、
色合いで視覚が混乱する、

という対象によって主体に起こる惑いといった意で使われる(岩波古語辞典)。それが、他動詞化すると、

文(あや)、綺(イロヘ)画けるに同じ(「彌勒上生経賛平安初期点(850頃)」)、

と、

いろどる、
あやどる、

の意となる(広辞苑・大言海)。さらに、

この皮ぎぬ入れたる箱を見れば、種々(くさぐさ)のうるはしき瑠璃をいろへて作れり(竹取物語)、

と、

金属や宝石などを鏤(ちりば)め飾る、

意となり、さらに、「彩る」をメタファに、

もろこしに白楽天と申しける人は、七そぢの巻物作りて、ことばをいろへ、たとひをとりて、人の心をすすめ給へりなど聞こえ給も(「今鏡(1170)」)、

と、

文章や演技など技巧に工夫を凝らす、潤色する、

意でも使うに至る(精選版日本国語大辞典)。

類聚名義抄(11~12世紀)には、

艶、イロフ、ウルハシ、

とある。この語源は、

色を活用す、顎(あぎと)ふ、境ふ、歌ふ、同趣、

とある(大言海)。「いろ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/438454270.htmlで触れたように、「色」の語源には、

うるは(麗)しのウルの轉なるべし。うつくし、いつくし、いちじるしい、いちじろし(仝上)、

と、「いろふ」とつながることをうかがわせる。

「色」 漢字.gif


「色」(慣用ショク、漢音ソク、呉音シキ)は、

象形。屈んだ女性と、屈んでその上にのっかった男性とがからだをすりよせて性交するさまを描いたもの、

とあり(漢字源)、「女色」「漁色」など、「男女間の情欲」が原意のようである。そこから「喜色」「失色」と、「顔かたちの様子」、さらに、「秋色」「顔色」のように「外に現われた形や様子」、そして「五色」「月色」と、「いろ」「いろどり」の意に転じていく。ただ、「音色」のような「響き」の意や、「愛人」の意の「イロ」という使い方は、わが国だけである(仝上)。また、

象形。ひざまずいている人の背に、別の人がおおいかぶさる形にかたどる。男女の性行為、転じて、美人、美しい顔色、また、いろどりの意を表す(角川新字源)、

とも、

会意又は象形。「人」+「卩(ひざまずいた人)、人が重なって性交をしている様子。音は「即」等と同系で「くっつく」の意を持つもの。情交から、容貌、顔色を経て、「いろ」一般の意味に至ったものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%89%B2

とも、

会意文字です(ク(人)+巴)。「ひざまずく人」の象形と「ひざまずく人の上に人がある」象形から男・女の愛する気持ちを意味します。それが転じて、「顔の表情」を意味する「色」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji143.html

ともある。

「色」 金文・春秋時代.png

(「色」 金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%89%B2より)

「艶(艷)」(エン)は、

会意。「色+豐(ゆたか)」で、色つやがゆたかなことをあらわす。色気がいっぱいつまっていること、

とあり(漢字源)、「艷話(えんわ)」のように、エロチックな意味もあるので、「つや」に、男女間の情事に関する意で「艶物(つやもの)」という使い方はわが国だけ(仝上)だが、語義から外れているわけではない。

「艶」 漢字.gif

(「艶」 漢字 https://kakijun.jp/page/1910200.htmlより)

別に、同趣旨の、

本字は、形声で、意符豐(ほう ゆたか)と、音符𥁋(カフ)→(エム)とから成る。旧字は、会意で、色と、豐(ゆたか)とから成り、容色が豊かで美しい意を表す。常用漢字は俗字による、

とする(角川新字源)ものの他に、「豔・豓」と「艷」を区別して、「豔・豓」は、「艶」の旧字とし、

会意兼形声文字です(豐+盍)。「草・木が茂っている象形と頭がふくらみ脚が長い食器(たかつき)の象形」(「豊かに盛られた、たかつき」、「豊か」の意味)と「物をのせた皿にふたをした」象形(「覆う」の意味)から、顔形が豊かで満ち足りている事を意味し、そこから、「姿やしぐさが色っぽい(異性をひきつける魅力がある)」、「顔・形が美しい」を意味する「豔・豓」という漢字が成り立ちました、

とし、「艶(艷)」は、

会意文字です(豊(豐)+色)。「草・木が茂っている象形と頭がふくらみ脚が長い食器(たかつき)の象形」(「豊かに盛られた、たかつき」、「豊か」の意味)と「ひざまずく人」の象形と「ひざまずく人の上に人がある」象形(「男・女の愛する気持ち」の意味)から、「男・女の愛する気持ちが豊か」を意味する「艶」という漢字が成り立ちました、

とする説明もあるhttps://okjiten.jp/kanji2086.html

「艶」 成り立ち.gif

(「艶」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2086.htmlより)

「彩」(サイ)は、

会意兼形声。采(サイ)は「爪(手の先)+木」の会意文字で、木の芽を手先で選び取ること。採の原字。彩は「彡(模様)+音符采」で、模様をなす色を選んで取り合わせること、

とある(漢字源)。「彩色」の「いろどり」や、「彩雲」の「色の取り合わせ」「色彩」の「いろのとりあわれせ」の意である(仝上)。別に、

「彩」 漢字.gif

(「彩」 https://kakijun.jp/page/1154200.htmlより)

会意兼形声文字です(采+彡)。「木の実を採取する象形」(「つみとる」の意味)と「長く流れる豊かで艶(つや)やかな髪」の象形(「いろどり(模様・色)の意味)」から、多くの色の中から、人が意識的に選んでとりあげる事を意味し、そこから、「いろどる(色をつける)」を意味する「彩」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1152.html

「彩」 成り立ち.gif

(「彩」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1152.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2021年11月28日

日本人の由来


溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』読む。

アフリカで誕生した人類が日本人になるまで.jpg


本書は、

なぜ日本人の姿形が、ヨーロッパ人と異なっているのか、

という問いから始まる。

「もしも、私たちホモ・サピエンスが、誕生した時のままの姿であったとすれば、私たちの外見はアフリカ人であるはずです。なぜならば、ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したことは、化石的な証拠からもほぼ確実だからです。ところが私たちの姿形は、アフリカ人とは異なっています。ヨーロッパ人もまた然りです。
アフリカで長い時間をかけて猿人から進化し、ホモ・サピエンスになった人類は、アフリカから世界各地へただ移住しただけではなく、その土地土地の環境に適応していきました。」

その結果として、日本人は日本人に、ヨーロッパ人はヨーロッパ人になったとすると、

「日本人は、いったいどのようにして日本人になったのでしょうか? 私たちはなぜ、このような姿形をしているのでしょうか? 現代の人類と化石人類の姿形の特徴から、日本人のルーツを探り、その謎を解き明かそう」

と試み、アフリカで誕生した人類が日本人になるまでの700万年を辿っていく。

いわゆる原人に当たる、

ホモ・エレクトス、

が最初に発見されたのは、アフリカから2000キロ離れたグルジアのドマニシで、

約180~70万年前、

とされる。早くも、原人の段階から出アフリカがあったのではないか、とされ始めているが、いわゆる、

出アフリカ、

は、約15~6万年前誕生した、

ホモ・サピエンス、

が、10万年前には中東に達していた、とされるものである。

「各地に住む現代人のDNA比較したところ、ヨーロッパ人も、中国人も日本人も、アメリカやオーストラリアの先住民も、すべてアフリカのホモ・サピエンス起源であるらしいことがわかってきたのです。(中略)ネアンデルタール人よりも新しいと考えられていたホモ・サピエンスの化石の一部が実はネアンデルタール人よりも古いことが判明した」

とあり、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人とは、

60万年以上前に分岐した別の種、

とされてきた。しかし、今日、

「ほとんどの現代人のDNAの中には、ネアンデルタール人由来のDNAが1~4%含まれている」

ことがわかって来ている。このことは、ネアンデルタール人由来の遺伝子が、コロナ重症化にかかわるなどということが話題になったばかりであるhttps://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/35499。その意味で、ネアンデルタール人は、絶滅したのではなく、

「交配することでしだいにホモ・サピエンス集団に吸収されていった」

という見方も最近なされている。

さて、出アフリカしたホモ・サピエンスは、

「中東またはアラビア半島の南端からインド、インドシナ半島へと海岸線を移動し、ユーラシアの南東部にたどり着いたところで、日本人の祖先のように北へ進む人々と、南へ進む人々に分かれた」

と考えられている。

「南下した一派は、遅くとも4万年前までにはボルネオ島北中部(現在のマレーシアのサラワク州)に、3万年前までにはオーストラリア南東部に到達した」

とされ、ユーラシアの東側を北上したホモ・サピエンスは、

「遅くとも3万5000年前頃までには中国の北京周辺に、2万年前頃までにはシベリアのバイカル湖南辺に到達していた」

とみられている。この辺りで見つかった2万年前の化石には、北アジア人の特徴がみられる。一般に、

寒冷地ほど、鼻が細く長くなることで、鼻腔内を通る冷たく乾いた空気を温め、湿り気を与える、

ようになるが、北アジア人の場合、

「鼻の隆起が低く、頬骨が突出していて副鼻腔が大きい……。そのため顔は平坦で、極端に言えば鼻が顔の真ん中に埋もれているようにさえ見えますが、鼻先が凍傷になりやすいことを思えば、これは非常に合理的な形態です。」

更に、日本人を含めた東アジア人、北アジア人のみが、

瞼が一重、

なのは、

「瞼に脂肪がついているからで、眼球が凍ってしまうのを防ぐため」

とされる。

さて、日本最古の化石は、沖縄で見つかったとされる、約4万年前のものになる。

「琉球諸島は約20万年前から1万8000年前までの間のかなりの間、台湾を含む細長い陸橋で大陸と地続きになっていたらしいので、東南アジア、あるいは中国南部にいた人々がその陸橋を通って北上してきた」

可能性がある。ただ、この沖縄の化石と、1万6000年くらいから始まる縄文人とはつながらないようである。そして、沖縄本島で見つかった、2万3000~1万8000年前の、

港川人、

と呼ばれる化石は、

「額が狭く、頬骨が横に張り出し、鼻の根元が窪んで、幅広の彫の深い顔立ち」

とされ、

縄文人、

に似ており、「縄文人」は、

「それ以前に日本列島にやってきた旧石器時代人の子孫が主体をなしていた」

と目される。その縄文人に最も似ていたのは、

オーストラリア南東部で見つかった化石、

とされるのは、ユーラシアの端で南と北へ分かれたホモ・サピエンスの一部が、確かに、日本列島にまで到達したという証のようである。

弥生時代は、紀元前1000年頃、

から始まるが、縄文人が、

眉間が出っ張り、鼻の付根が窪んだ、彫の深い顔、

に対して、弥生人は、

彫が浅く顔面が平坦、

という寒冷地適応の顔立ちであることがわかっている。その起源は、

バイカル湖、

とされる。

「縄文時代、日本には縄文人が広く分布していましたが、ユーラシアでは、バイカル湖からアルタイ山脈あたりにいた北方アジア系の遊牧民が、中央アジアや北東アジアへ拡散し始めました。そして弥生時代頃になると、彼らの子孫たちが中国北東部や朝鮮半島でも暮らすようになり、その中の一部の人々が西日本に渡来してきた」

とみられる。だから、弥生人が、寒冷地適応の特徴をもっているのも当然ということになる。

今現在、

日本人の成り立ち、

は、

南方起源の縄文人に、北方起源の弥生人、

が、

置換に近い混血、

によるとする説が大勢、という。これも、まあ、今日の常識の線だろう。

人類発祥から弥生人まで、

急ぎ足で、辿り直してみて、今日の我々の常識となっている概念と、それほどの齟齬はないようである。

参考文献;
溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(SB新書Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2021年11月29日


「いろ」に当てるものには、

色、
同母、
倚廬、

とがある。「倚廬」は、

諒闇(りょうあん)の期間、天子が籠る仮の屋、

の意(岩波古語辞典)、「諒闇」とは、

諒陰、
亮陰、

とも当て、

「諒」はまこと、「闇」は謹慎の意、「陰」はもだすと訓じ、沈黙を守る意で、天皇が、その父母の死にあたり喪に服する期間、

となり(デジタル大辞泉)、そのためにこもる臨時の仮屋「倚廬」は、

板敷を常の御殿よりもさげ、蘆の簾(すだれ)に布の帽額(もこう 御帳や御簾の懸けぎわを飾るために、上長押に沿って横に引き回す布帛)をかけ、御簾(みす)を敷く。調度品はすべて粗末な物を用いる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

同母、

と当てる「いろ」は、

イラ(同母)の母音交替形(郎女(いらつめ)、郎子(いらつこ)のイラ)。母を同じくする(同腹である)ことを示す語。同母兄弟(いろせ)、同母弟(いろど)、同母姉妹(いろも)などと使う。崇神天皇の系統の人名に見えるイリビコ・イリビメのイリも、このイロと関係がある語であろう、

とある(岩波古語辞典)。この「いろ」が、

イロ(色)と同語源(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
色の語源は、血の繋がりがあることを表す「いろ」で、兄を意味する「いろせ」、姉を意味 する「いろね」などの「いろ」である。のちに、男女の交遊や女性の美しさを称える言葉となった。さらに、美しいものの一般的名称となり、その美しさが色鮮やかさとなって、色彩そのものを表すようになった(語源由来辞典)、

と、色彩の「色」とつながるとする説もある。

ここで取り上げるのは、

物に当たって反射した光線が、その波長の違いで、視覚によって区別されて感じとられるもの。波長の違い(色相)以外に、明るさ(明度)や色付きの強弱(彩度)によっても異なって感じられる。形などと共に、その物の特色を示す視覚的属性の一つ(精選版日本国語大辞典)、

つまり、

色彩、

の意の「色」である。「色」は、「いろ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/438454270.htmlで触れたように、

色彩、顔色の意。転じて、美しい色彩、その対象となる異性、女の容色。それに引き付けられる性質の意から色情、その対象となる異性、遊女、情人。また色彩の意から、心のつや、趣き、様子、兆しの色に使う。別に「色(しき)」(形相の意)の翻訳語としての「いろ」の用例もみられる、

と(岩波古語辞典)、その用例は幅広い。だから、大言海は、「色彩」と「色情」を分けて項を立て、前者の語源は、

うるは(麗)しのウルの轉なるべし。うつくし、いつくし(厳美)、いちじるしい、いちじろし(著)、

と、「ウル」の転とし、天治字鏡(平安中期)に、

麗、美也、以呂布加志、

とあるとし、後者の語源は、

白粉(しろきもの)の色の義。夫人の化粧を色香(いろか)と云ふ。是なり、随って、色を好む、色を愛(め)づ、色に迷ふなどと云ひ、女色の意となる。この語意、平安朝に生じたりとおぼゆ、

とする(大言海)。意味の幅としては、

その物の持っている色彩

物事の表面に現われて、人に何かを感じさせるもの(→顔色→表情→顔立ち→風情→趣)

男女の情愛に関すること(恋愛の情趣→男女の関係→情人→色気→遊女→遊里)

といった広がりがある(精選版日本国語大辞典)が、やはり、大言海のように、

色彩、

色情、

とは語源を別にすると考えていいのかもしれない。

そのもとになった「色彩」の「色」の語源については、上述の、

同母(いろ)と同語原(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
うるわしの「うる」の転訛(大言海・日本語源広辞典)

以外に、

ウラ(心・裏)と同語源(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
目に入る意から、イル(入)の転(名言通)、
キラ(佳麗)の転(言元梯)、
イキウルホヒ(生気潤)の義(日本語原学=林甕臣)、
イツツニの下略。色は五色に限るということからか(和句解)、
イは妙発の霊気をいい、ロは含み集まる。その変化の気に随って染まった地気をイロ(気品)という(柴門和語類集)、
湿気は草木その他の自然物に潤沢の色を与えるところから、イロは、湿を含む義のウルフから生じたもの(国語の語根とその分類=大島正健)、
美しい色彩をいう「豔」yenの別音inの語尾をラ行に転じたもの(日本語原考=与謝野寛)、

等々などがあるが、

「ウル」の転訛、

が、もっとも自然に思える。

「色情」の「色」の語源説は、

白粉(しろきもの)の色の義(大言海)、

以外に、

漢語で女を色ということから(和訓栞)、
古代、貴族の家庭内において女の順序を示したイロネ・イロモに関連して出た語か(国文学=折口信夫)、
ウロと通う。ウルハシの語根(日本語源=賀茂百樹)、
男女の放恣な情交をいう「淫」inの語尾が省略されてラ行音が添ったもの(日本語原考=与謝野寛)、

等々あるが、

色香、

とつなげた大言海は、「色香」で、

白粉(シロキモノ)と油綿(アブラワタ)の香と、婦人の化粧、

としている。理窟的にはこの方が納得がいくが、少し間遠な感じは否めない。むしろ、

漢語の「色」は「論語‐子罕」の「吾未見好徳如好色者也」にあるように、「色彩」のほか「容色」「情欲」の意味でも用いられるところから、平安朝になって「いろ」が性的情趣の意味を持つようになるのは、漢語の影響と考えられる。恋愛の情趣としての「いろ」は、近世では肉体的な情事やその相手、遊女や遊里の意へと傾いていく、

とある(精選版日本国語大辞典)ので、「いろ」に、

色、

の漢字を当てたために、その漢字の含意によって、「性的意味」が加わったものと考えられる。

「色」 漢字.gif


「色」(慣用ショク、漢音ソク、呉音シキ)は、「色ふ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484562978.html?1637957361で触れたように、

象形文字。かがんだ女性と、かがんでその上に乗った男性とがからだをすりよせて性交するさまを描いたもの。セックスには容色が関係することから、顔や姿、彩などの意となる。また摺り寄せる意を含む、

とある(漢字源)。むしろ、漢字は、

色欲(「女色」「漁色」)

顔かたちの様子、色(「失色」「喜色」)

外に現われた形や様子(「秋色」)

色彩(「五色」)

と、色彩は後から出できたらしく、

色とは、人と巴の組み合わせです。巴は、卩であり、節から来ているといいます。卩・節には、割符の意味があり、心模様が顔に出るので、心と顔を割符に譬えて色という字になったと聞きました。顔色という言葉は、ここからきています。また、巴は、人が腹ばいになって寝ている所を表しそこに別の人が重なる形だとも言われます。つまり、性行為を表す文字です。卩は、跪くことにも通じているようです。いずれにしろ、性行為のことです、

ともあるhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1286809697。上記の「中国語の影響」というのは、漢字の語源から来ているのがわかる。ただ、

音色、

といった音に使うのはわが国だけの用例のようである。

「色」 簡帛文字.png

(「色」 簡帛文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%89%B2より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル: いろ
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2021年11月30日

同母(いろ)


「色」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484590827.html?1638129665で触れたように、

同母、

と当てる「いろ」は、

イラ(同母)の母音交替形(郎女(いらつめ)、郎子(いらつこ)のイラ)。母を同じくする(同腹である)ことを示す語。同母兄弟(いろせ)、同母弟(いろど)、同母姉妹(いろも)などと使う。崇神天皇の系統の人名に見えるイリビコ・イリビメのイリも、このイロと関係がある語であろう、

とある(岩波古語辞典)。この「いろ」が、

イロ(色)と同語源(続上代特殊仮名音義=森重敏)、
色の語源は、血の繋がりがあることを表す「いろ」で、兄を意味する「いろせ」、姉を意味 する「いろね」などの「いろ」である。のちに、男女の交遊や女性の美しさを称える言葉となった。さらに、美しいものの一般的名称となり、その美しさが色鮮やかさとなって、色彩そのものを表すようになった(語源由来辞典)、

と、色彩の「色」とつながるとする説もあるが、

其の兄(いろえ)神櫛皇子は、是讃岐国造の始祖(はじめのおや)なり(書紀)、

と、

血族関係を表わす名詞の上に付いて、母親を同じくすること、母方の血のつながりがあることを表わす。のち、親愛の情を表わすのに用いられるようになった。「いろせ」「いろと」「いろも」「いろね」など、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

異腹の関係を表わす「まま」の対語で、「古事記」の用例をみる限り、同母の関係を表わすのに用いられているが、もとは「いりびこ」のイリ、「いらつめ」のイラとグループをなして近縁を表わしたものか。それを、中国の法制的な家族概念に翻訳語としてあてたと考えられる、

とされる(仝上)。「まま」は、

継、

と当て、

親子・兄弟の間柄で、血のつながりのない関係を表す。「まませ」「ままいも」は、同父異母(同母異父)の兄弟・姉妹、

である(岩波古語辞典)。また、

兄弟姉妹の、異腹なるものに被らせて云ふ語、嫡庶を論ぜず、

とある(大言海)。新撰字鏡(898~901)には、

庶兄、万々兄(まませ)、…(庶妹)、万々妹(ままいも)、継父、万々父(ままちち)、嫡母(ちゃくぼ)、万々波々(ままはは)、

とある。その語源は、

隔てあるところから、ママ(閒閒)の義(大言海・言元梯)、
マナの転で、間之の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
ママ(随)の義。実の父母の没後、それに従ってできた父母の意(松屋筆記)、

等々があるが、たぶん。「隔て」の含意からきているとみていいのではないか。

で、「いろ」は、

イラ(同母)の母音交替形(岩波古語辞典)、
イロ(色)と同語源(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

など以外に、

イは、イツクシ、イトシなどのイ。ロは助辞(古事記伝・皇国辞解・国語の語根とその分類=大島正健)、
イロハと同語(東雅・日本民族の起源=岡正雄)、
イヘラ(家等・舎等)の転(万葉考)、
イヘ(家)の転(類聚名物考)、
蒙古語elは、腹・母方の親戚の意を持つが、語形と意味によって注意される(岩波古語辞典)、
「姻」の字音imの省略されたもの(日本語原考=与謝野寛)、

等々あるが、蒙古語el説以外、どれも、「同腹」の意を導き出せていない。といって蒙古語由来というのは、いかがなものか。

イロハと同語、

とある「いろは」は、

母、

と当て、類聚名義抄(11~12世紀)に、

母、イロハ、俗に云ふハハ、

とある。つまり、

イロは、本来同母、同腹を示す語であったが、後に、単に母の意とみられて、ハハ(母)のハと複合してイロハとつかわれたものであろう(岩波古語辞典)、
ハは、ハハ(母)に同じ、生母(うみのはは)を云ひ、伊呂兄(え)、伊呂兄(せ)、伊呂姉(セ)、伊呂弟(ど)、伊呂妹(も)、同意。同胞(はらから)の兄弟姉妹を云ひしに起これる語なるべし(大言海)

とあるので、「いろ」があっての「いろは」なので、先後が逆であり、結局、

いら、
いり、

とも転訛する「いろ」の語源ははっきりしない。

因みに、「いらつめ」「いらつこ」は、

郎女、
郎子、

と当て、

いらつひめ、
いらつつみ、

ともいい、

「いら」は「いろも」「いろせ」「かぞいろ」など特別な親愛関係を示す「いろ」と関係があり、「つ」はもと、連体修飾の助詞。「いらつめ」と同様、何らかの身分について用いられた一種の敬称と思われるが、平安時代には衰えた、

とある(精選版日本国語大辞典)が、「いろ」の説明で、

母親を同じくすること、母方の血のつながりがあることを表わす。同母の。のち、親愛の情を表わすのに用いられるようになった、

としている(仝上)ので、

従来このイロの語を、親愛を表すと見る説が多かったが、それは根拠が薄い、

となり(岩波古語辞典)、この「いら」は、

イロ(同母)の母音交替形、

と見る見方になる(仝上)。当然、そうなれば、

イリビコ・イリビメのイリと同根、

ということになる(仝上)。さらに、

郎女、

という表記は中国にない。「郎子」と対にして、日本語のイラの音を表すためにラウの音の「郎」を使ったものとみられる、

とあり(仝上)、さらに「郎子」は、

イラツメに対して作られた語らしく、イラツメに比して用例が極めて少ない、

ともある(仝上)。因みに、「郎子」は、中国語では、

他人の息子の敬称、

である(字源)

「同」 漢字.gif

(「同」 https://kakijun.jp/page/0650200.htmlより)

「同」(慣用ドウ、漢音トウ、呉音ズウ)は、

会意。「四角い板+口(あな)」で、板に穴をあけて付きとおすことを示す。突き抜ければ通じ、通じれば一つになる。同一・共同・共通の意となる、

とある(漢字源)。同趣旨で、

会意。上部「凡」(盤、四角い板)+「口」。「口」は「あな」の意で、貫き通してまとめること。「筒」「胴」「洞」と穴の開いたものの意味で同系(藤堂)。または、「口」は神器で、「同」は筒形の器を表し、会盟のため人が集まったことから(白川)、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%8Cが、

会意。口と、冃(ぼう)(おおう。𠔼は省略形)とから成り、多くの人を呼び集める、ひいて「ともに」、転じて「おなじ」などの意を表す、

との解釈もある(角川新字源)。

「同」 甲骨文字.png

(「同」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%8Cより)

また、

象形文字です。「上下2つの同じ直径の筒の象形」から「あう・おなじ」を意味する「同」という漢字が成り立ちました、

との説もあるhttps://okjiten.jp/kanji378.html

「母」 漢字.gif

(「母」 https://kakijun.jp/page/haha200.htmlより)

「母」(慣用ボ、漢音ボウ、呉音ム・モ)については「はは」http://ppnetwork.seesaa.net/article/480039226.htmlで触れたように、

象形。乳首をつけた女性を描いたもので、子を産み育てる意味を含む、

とあり(漢字源)、

指事。女(象形。手を前に組み合わせてひざまずく人の形にかたどり、「おんな」の意を表す)に、乳房を示す点を二つ加えて、子供に授乳するははおやの意を表す、

ともある(角川新字源)。

「母」 甲骨文字.png

(「母」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AF%8Dより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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