2021年11月12日
澆季
「太平記」(http://ppnetwork.seesaa.net/article/484264044.html?1636314250)で触れたように、「澆季(ぎょうき)」は、
世、澆季になりぬと云へども、天理も未だありけるにや、
とか、
世すでに澆季に及ぶと云へども、信心まことある時は、
等々と、たびたび使われる。
「澆」は軽薄、「季」は末の世(広辞苑)、
の意で、
道徳が衰え、人情が浮薄となった時代、
で、
末世、
の意とある(仝上)。「澆」は、中国最古(100年頃)の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、
澆、薄也、季、末也、
とある(大言海)。
世の末となり、人情軽薄なる時代、
の意である(仝上)
澆は、うすしと訓む。次第に薄くなる義、漓(醇の反、薄い酒。転じて人情世態のうすきに用ふ)に同じ、後漢書「澆醇散樸」、
とある(字源)。「樸」は、「朴」と同じ、「質樸(シツボク)」「純樸(ジュンボク)」「素樸(ソボク)」と使う。
「澆季」を使う熟語に、
澆季溷濁(ぎょうきこんだく)、
澆季之世(ぎょうきのよ)、
澆季末世(ぎょうきまっせ)、
等々がある。いずれも、
思いやりなどの人らしい感情が薄くなり、善悪や正邪の基準がおかしくなって、世の中が乱れること、
であり、まさに、いまの、
いまだけ、金だけ、自分だけ、
の時代そのものでもある。
「澆」(慣用ギョウ、呉音・漢音キョウ)は、
会意兼形声。堯(ギョウ)の原字ば、人が高く荷を担いださま。のち「土三つ(うずたかく盛った土)+人のからだ」を組み合わせたもの。背の高い人、崇高な巨人を示した会意文字(聖天子堯も「高い巨人」の意を踏まえている)。澆は、「水+音符堯」で、高いところから水をふりかけること、
とある(漢字源)。「澆灌(ギョウカン)」と「注ぐ」という意と、「はらはらとふりかける水のようにすくないさま」で、「澆季」「澆薄」と「薄い」意で使う(仝上)。「うすい」意の漢字は、
薄、厚の反、分(ぶ)のうすきなり、総じて徳のうすきにも、薄徳、薄俗などと使う、
菲、野菜の粗末なるものなり、転じて菲薄の義に用ふ、
涼、薄と同じ、涼徳は薄徳に同じ、
漓、醇の反、薄い酒。転じて人情世態のうすきに用ふ、
澆は、うすしと訓む。次第に薄くなる義、漓に同じ、
偸、苟且(こうしょ かりそめ、また、いいかげん)なり、又、薄なり、佻(チョウ 軽い)なり、人情・風俗などの次第に変わりて薄らぐをいう、
淡、あはしと訓む。濃の反なり、色叉は味のうすきなり、
と、使い分けられている(字源)。
「季」(キ)は、
会意。「禾(穀物の穂)+子」。麦やあわの実る期間。作物のひと実りする三ヶ月間。収穫する各季節のすえ、禾に子を加えて、すえの子を意味する。のちに広く、末(すえ)の意に用いる、
とある(漢字源)。他に、
会意形声。子と、稚(チ)→(キ)(おさない。禾は省略形)とから成る。末っ子の意を表す。ひいて、おさない意に、また、循環する「とき」の意に用いる、
という解釈(角川新字源)、さらに、
会意文字です(禾+子)。「穀物」の象形と「頭部が大きくて手・足のなよやかな幼児」の象形から、穀物の霊に扮して(装って)舞う年少者を意味し、そこから、「若い・末の子」を意味する「季」という漢字が成り立ちました、
という解釈もある(https://okjiten.jp/kanji667.html)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
田部井文雄編『四字熟語辞典』(大修館書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95