2021年12月01日

いら


「いら」は、

刺(広辞苑・大言海・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
莿(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

などと当てる、

とげ、

の意と、

苛、

と当て、

苛立つ、
いらいら、
いらつく、

等々と使う、

かどのあるさま、
いらいらするたま、
甚だしいさま、

の意とがある(広辞苑)。この「いら(苛)」は、

形容詞、または、その語幹や派生語の上に付いて、角張ったさま、また、はなはだしいさま、

を表わし、

いらくさし、
いらひどい、
いらたか、

等々とつかわれる(精選版日本国語大辞典)とあり、

イラカ(甍)・イラチ・イラナシ・イララゲ(苛)などの語幹、

ともある(岩波古語辞典)ので、

苛、

と当てる「いら」は、

莿、
刺、

とあてる「いら」からきているものと思われる。

「いら」は多くの語を派生し、動詞として「いらつ」「いらだつ」「いらつく」「いららぐ」、形容詞として「いらいらし」「いらなし」、副詞として「いらいら」「いらくら」などがある、

とある(日本語源大辞典)。この「いら」の語源には、

イガと音通(和訓栞)、
イラは刺す義(南方方言史攷=伊波普猷)、
イタ(痛)の転語(言元梯)、

等々の諸説がある。ただ、

刺刺、

と当てる、

いらら、

という言葉がある(大言海)。平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、

木乃伊良良、

とあり、

草木の刺、

の状態を示す「擬態語」と考えると、

いら、

はそれが由来と考えていい。擬音語・擬態語の多さは、日本語の特徴なのだから。

『字鏡』には、

莿、木芒、伊良、

とある。「芒」(ぼう)は、

のぎ、

で、

穀物の先端、草木のとげ、けさき、

の意である(漢字源)。

「莿」  漢字.gif


「莿」(シ・セキ・シャク)は、

とげ、のぎ、

と訓ませる。異字体は、「茦」とあるhttps://jigen.net/kanji/33727。手元の漢和辞典には載らない。

「刺」 漢字.gif

(「刺」 https://kakijun.jp/page/0824200.htmlより)

「刺」(漢音呉音シ、漢音セキ、呉音シャク)は、

会意兼形声。朿(シ とげ)の原字は、四方に鋭いとげの出た姿を描いた象形文字。刺は「刀+音符朿」。刀でとげのようにさすこと。またちくりとさす針。その左は朿であり、束ではない。もとはセキの音を用いたが、のち混用して多くシの音を用いる、

とある(漢字源)。

「苛」 漢字.gif


「苛」(漢音カ、呉音ガ)は、

会意兼形声。可は「¬印+口」からなり、¬型に曲折してきつい摩擦をおこす、のどをからせるなどの意。苛は「艸+音符可」で、のどをひりひりさせる植物。転じて、きつい摩擦や刺激を与える行為のこと、

とあり(仝上)、「苛刻」「苛政」「苛(呵)責」などと使う。別に、

形声。艸と、音符可(カ)とから成る。小さい草の意を表す。転じて、せめる、むごい意に用いる、

とか(角川新字源)、

会意兼形声文字です(艸+可)。「並び生えた草」の象形と「口と口の奥の象形」(口の奥から大きな声を出すさまから「良い」の意味だが、ここでは、「呵(カ)」に通じ(同じ読みを持つ「呵」と同じ意味を持つようになって)、「大声で責める」の意味)から、「大声で責める」、「厳しくする」を意味する「苛」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2098.html

「苛」 成り立ち.gif

(「苛」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji2098.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:03| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月02日

いらか


莿、
刺、

と当てる「いら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484621462.html?1638302620で触れたように、それに由来する「苛」は、

形容詞、または、その語幹や派生語の上に付いて、角張ったさま、また、はなはだしいさま、

を表わし、

いらくさし、
いらひどい、
いらたか、

等々とつかわれ(精選版日本国語大辞典)、

イラカ(甍)・イラチ・イラナシ・イララゲ(苛)などの語幹、

とあった(岩波古語辞典)。つまり、「甍」の「いら」も、

苛処(いらか)の意(広辞苑・大言海)、
イラ(刺)が語根(岩波古語辞典)、

とみられる。従来は、

その葺いた様子が鱗(うろこ)に似ているから、イロコ(鱗 ウロコの古名)の転(和語私臆鈔・俗語考・名言通・和訓栞・柴門和語類集・日本古語大辞典=松岡静雄・国語の語根とその分類=大島正健)、

と、

語源については、その形態上の類似から、古来「鱗(いろこ)」との関係で説明されることが多かった、

が(日本語源大辞典)、

高く尖りたる意と云ふ、棟と同義、鱗(イロコ)の転など云へど、上古、瓦と云ふものあらず、

というように(大言海)、

上代においては「甍(いらか)」が必ずしも瓦屋根のみをさすとは限らなかったことを考慮すると、古代の屋根の材質という点で、むしろ植物性の「刺(いら)」に同源関係を求めた方がよいのではないかとも考えられる、

とされる(日本語源大辞典)。和名類聚抄(平安中期)に、

屋背曰甍、伊良賀(いらか)、

とあり、践祚大嘗祭式、大嘗宮正殿に、

甍置、堅魚木八枚、

とある。因みに、「堅魚木(かつおぎ)」は、

勝男木、

とも書く。形が鰹節に似るためこの名がある。

神社の本殿屋上棟木に直角の方向に並べられる木。実用的意味よりも荘厳を添えるためのもの。大嘗宮で8本、住吉造で5本、神明造で10本、大社造で3本、春日造では細く黒塗りなどである、

とある(百科事典マイペディア)。

富士山本宮浅間大社.jpg

(浅間大社本殿屋根の上にある水平方向の棒が鰹木、両端で交叉しているのが千木 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%9C%A8%E3%83%BB%E9%B0%B9%E6%9C%A8

「いらか」は、瓦と間違えられることが多いが、本来は、

海神(わたつみ)の殿のいらかに飛び翔けるすがるのごとき(万葉集)、

と、

屋根の背、

つまり、

家の上棟(うはむね)、

の意である(岩波古語辞典・広辞苑・大言海)。それが、

扉は風に倒れて落葉の下に朽ち、甍は雨露にをかされて仏壇さらにあらはなり(平家物語)、
銀(しろがね)の築地をつきて、金(こがね)のいらかをならべ、門をたて(御伽草子「浦嶋太郎(室町末)」)、

と、

屋根の棟瓦、
あるいは、
瓦葺きの屋根、

の意となり(広辞苑・岩波古語辞典)、唱歌・鯉のぼりの、

甍(イラカ)の波と雲の波、重なる波の中空を、

では、正に瓦屋根を指している。さらに、

いま誤りて、切妻屋根の棟の、端以下、桁、梁以上の称(大言海)、

つまり、

切妻屋根の下の、三角形になった壁の部分(日本建築辞彙)、

としても使われる(広辞苑)。

「甍」 漢字.gif


「甍」(慣用ボウ、漢音モウ、呉音ミョウ)は、

会意兼形声。甍の瓦を除いた部分はかくす、かくれるの意を含む。甍はそれを音符とし、瓦を加えた字で、屋根の下地を覆い隠す瓦のこと、

とある(漢字源)。

朝猿響甍棟(劉孝綽)、

と、「甍棟(ボウトウ)」と使う。やはり、「棟」の意である。

発見されている世界で最も古い瓦は中国の陳西省西安の近郊から出土したもので、薄手の平瓦である。中国では夏王朝の時代に陶製の瓦が作られていたという記録がある、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A6、中国では、古くから瓦が使われている。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:いらか
posted by Toshi at 05:06| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月03日

かわら


「かわら」は、

瓦、

と当てる。

粘土を一定の形に固めて焼いたもの、

で、

屋根を葺くのに用いる、

ものである(広辞苑)。

日本で使われてきた瓦葺きの屋根葺きの形式には、

本瓦葺き、
と、
桟瓦葺き、

とがあり、本瓦葺きは、

平瓦と丸瓦を交互に並べて葺く形式、

で、飛鳥時代崇峻天皇元年(588)に百済からその技術が伝えられて以来使われてきた。丸瓦は、

直径15~17センチメートル程度の円筒を二分した形、

平瓦は、

1辺30センチメートル程度の方形で、やや湾曲した形、

が普通、とある(日本大百科全書)。丸瓦は、

重なり部分に玉縁をつけ、突きつけて並べる、

が、全体を円錐形に細めた丸瓦もあり、この丸瓦を重ねながら葺く葺き方を、

行基(ぎょうき)葺き、

と呼び、奈良の元興寺(がんごうじ)極楽坊、京都の宝塔寺、兵庫の浄土寺浄土堂、大分の富貴寺に、僅かにみられる(仝上)、という。平瓦は、

少しずつずらしながら重ねて葺いている。桟瓦葺きは、

江戸時代に発明された桟瓦1種類だけで葺く形式である。桟瓦は、本瓦葺きの平瓦の1辺を湾曲とは反対に折り曲げ、二つの対角を欠いた形で、葺くときの重なり部分が少なく、丸瓦を使わないため重量を軽減することができた。また、桟瓦の裏面に突起をつけた引掛け桟瓦は、野地板に打った桟に掛けて葺き、それまで瓦を安定させるため野地板の上に敷いていた粘土が要らなくなり屋根がいっそう軽くなった、

とあり(仝上)。幕末から現在に至るまで引掛け桟瓦が瓦葺きのもっとも一般的な形式になった(仝上)、という。

現存日本最古(飛鳥時代)の瓦(本瓦葺き、元興寺).jpg

(現存日本最古(飛鳥時代)の瓦(本瓦葺き、元興寺) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A6より)

中国大陸では夏の時代に瓦がつくられていたという記録があり、春秋戦国のころになれば遺品がみられ、漢代には、画像や明器(めいき)によって宮殿や城郭などが瓦葺きで、唐代には寺院、宮殿、都城などに広く用いられている(仝上)、日本では6世紀の末に、百済から技術が導入され、飛鳥寺(法興寺)で初めて用いられた、とされる(ブリタニカ国際大百科事典)。

「かわら」は、歴史的かなづかいでは、

カハラ、

で、梵語、

カパーラkapāla(原意は、皿、鉢、頭蓋などの意)、

とする説が多数派である(広辞苑・箋注和名抄・大言海・外来語の話=新村出後・国語の中の梵語研究=上田恭輔・外来語辞典=荒川惣兵衛・日本語源広辞典)、

㙛(かわら)の意の梵語から(岩波古語辞典)、

も同趣旨と思われる。ほかに、

瓦磚の別音ka-haに諧音のラを添えたもの(日本語原考=与謝野寛)、
カワラ(亀甲 加宇良 こうら)の意(古事記伝)、
カハラ(甲冑 伽和羅 かわら)の義(言元梯)、
屋上のカハ(皮)の義(俚言集覧・家屋雑考・和訓栞)、
土を焼いて板に変えることから、カハルの転訛(日本釈名・柴門和語類集)、
触れた時の擬音語から(雅語音声考・国語溯原=大矢徹)、

等々ある(日本語源大辞典・由来・語源辞典)が、『日本書紀』に、「瓦」が、

百済から仏教と共に伝来した、

とあり、中国から朝鮮半島を経て、仏教とともに伝来し、寺院の屋根に用いられてきたので、梵語由来と見るのが妥当なのだろう。

「瓦」 漢字.gif


「瓦」(漢音ガ、呉音ゲ)は、

象形。半円の筒型にしたかわらを互い違いに重ねた姿を描いたもの、

とあり(漢字源)、転じて、土器の意に用いる(角川新字源)、とある。

「瓦」 簡帛文字・戦国時代.png

(「瓦」 簡帛文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%93%A6より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:かわら
posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月04日

いらう(答・應)


「綺ふ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484547997.html?1637870959で触れたように、「いらふ」に当てる漢字には、

綺ふ、
色ふ、
弄ふ、
借ふ、

等々があるが、ここでは、

答ふ(う)、
応ふ(う)、

とあてる「いらふ」である。

答える、
返答する、

意である。

いらへ(え)る(答へる・応へる)、

とも使う(広辞苑)。ただ、

(女の話に対して)二人の子は情けなくいらへてやみぬ(伊勢物語)、
煩わしくてまろぞといらふ(源氏物語)、

などは、

適当に返事する、
一応の返事をする、

意とある(岩波古語辞典)。だから、この語源は、

イ(唯)を語根として活用したもの(大言海)、

というよりは、

アシラフの転、アシの反イ(和訓考)、
イヘルアハセ(云合)の義(名言通)、
イヒカヘ(言反)の転(言元梯)、
イロフ(綺)と同じ意(和語私臆鈔)、

などと、何処かアイロニカルな含意を持つものの方に軍配が上がる。しかし、同じ意味で、

答ふ(う)、
応ふ(う)、

と当てる、

こたふ(う)、

もまた、

こたへ(え)る(答へる・答へる)、

とも使うが、この言葉は、

コト(言)アフ(合)の約(岩波古語辞典)、
言合(ことあ)ふるの約、傷思(いたおも)ふ、いとふ(厭)(大言海)、

とあるように、

たそかれと問はばこたへむ術(すべ)を無み(万葉集)、

と、

こと(言)を合わせる意、

になる(広辞苑)。それが転じて、

問はれて答ふの、ここなる事の、かしこに響くと、移りたるなり(大言海)、

となり、

打ちわびて呼ばらむ聲に山びこのこたへぬ山はあらじとぞ思ふ(古今集)
いなり山みつの玉垣うちたたき我がねぎごとを神もこたへよ(後拾遺)、

などと、

感じ、響く、通ず、應ず、反応す、

の意になる。この場合は、

応へる、

と当てる(大言海)。当然、そこから、

六魂へこたへてうづきまする(狂言記・あかがり)、

と、

刺激を受けて身に染みる、
とどく、
通る、

という意や、

われこの国の守となりてこのこたへせん(宇治拾遺)、

と、

報い、
返報、

の意でも使うに至る(岩波古語辞典)。

「こたふ」が、上代から用いられているのに対し、「いらふ」は、中古から例が見られるようになった。返事をする意の「こたふ」が単純素朴な返事であるのに対し、「いらふ」は自らの才覚で適宜判断しながら返事をする場合に多く用いられ、「こたふ」より自由なニュアンスがあったという。しかし、和歌ではもっぱら「こたふ」が用いられ、「いらふ」は用いられない。中古後期以降、散文では「こたふ」が勢力を回復し、「いらふ」よりも優勢となる、

とある(精選版日本国語大辞典)。「いらふ」と「こたふ」の微妙な含意の差は消えて、「こたふ」へと収斂していったということになる。当然、

答(いら)ふ、
と、
応(いら)ふ、

あるいは、

答(こた)ふ、

応(こた)ふ、

の当て分けの差異も薄れたとみていい。漢字では、

答は、當也、報也、先方の問に答ふるなり。
對は、人の問に、それは何々と、一々ことわけて答ふるなり。答よりは重し。
應は、あどうつ(人の話に調子を合わせて応答する)なり。孟子「沈同問、燕可伐與、吾應之曰、可」、

と使い分ける(字源)。

「應」 漢字.gif

(「應」 https://kakijun.jp/page/ou17200.htmlより)

「応(應)」(漢音ヨウ、呉音オウ)は、

会意兼形声。雁は「广(おおい)+人+隹(とり)」からなり、人が胸に鳥を受け止めたさま。應はそれを音符とし、心を加えた字で、心でしっかり受け止めることで、先方からくるものを受け止める意を含む、

とあり(漢字源)、「応答」「応召」などと「答える」意で使い、「応募」「内応」などと、求めに応じる意、「応報」と報いの意もある。別に、

「應」の略体。 旧字体は、「心」+音符「䧹(説文解字では𤸰)」の会意形声文字、「䧹・𤸰」は「鷹」の原字で、人が大型の鳥をしっかりと抱きかかえる(擁)様で、しっかり受け止めるの意、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BF%9C

「應」 成り立ち.gif

(「應」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji858.htmlより)

会意兼形声文字です(䧹+心)。「屋根と横から見た人と尾の短いずんぐりした小鳥の象形」(「鷹(たか)」の意味)と「心臓」の象形から、狩りに使う鷹を胸元に引き寄せておく事を意味し、そこから、「受ける」、「指名される」を意味する「応」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji858.html

「答」 漢字.gif


「答」(トウ)は、

会意。「竹+合」で、竹の器にぴたりとふたをかぶせること。みとふたがあうことから、応答の意となった、

とある(漢字源)。別に、

形声。竹と、音符合(カフ)→(タフ)とから成る。もと、荅(タフ)の俗字で、意符の艸(そう)(くさ)がのちに竹に誤り変わったもの。「こたえる」意を表す、

とも(角川新字源)ある。

「答」 成り立ち.gif

(「答」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji382.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:01| Comment(0) | カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2021年12月05日

色代


「色代」は、

色体、
式体、

とも当て、

しきだい、

と訓むが、

しきたい、

とも訓ませる。

力なく面々に暇を請ひ、色代して、科の浜より引き分けて(太平記)、

と、

あいさつ、
会釈、

の意である。

色代かひがひしく、この節(ふし)違(たが)はぬを賞(め)で感ず(梁塵秘抄口伝集)、

を、

深く頭を下げて挨拶すること、
頭を垂れて礼をすること、

ともあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

人に対して互に礼をするを旧記に色体(シキタイ)とあり……礼法を正し辞退して人を先にたて我はあとに退く心なる間式退と云也(「貞丈雑記(1784頃)」)、

とある。単なる会釈よりは、もう少しきちんとした挨拶なのかもしれない。

もともとは、

諸国年来間申請色代、望仏神事期給下文、以色代献之、公用間致事煩(御堂関白記・長和五年(1016)五月二二日)、

と、

他の品物でその代わりとする、

意で(広辞苑)、色代のことはすでに、

永保元年(1081)の若狭守藤原通宗解にみえ、その中で通宗は調絹1疋を代米1石あるいは1石5斗で納入したいと述べている。色代納はこののち室町時代に至るまで行われるが、米穀の代りとして雑穀や絹布またはその他の品を出す場合が多かった。色代納は、納入すべき品目が不足したため行われる場合もあったが、徴収する側あるいは納入する側が本来の品目と代納物との交換比率の高低を利用し利益を得ようとして行われる場合もあった、

とある(世界大百科事典)。

色代錢(しきたいぜに)、

というと、

平安時代、絹布などの物納の代わりに錢で納めさせたもの、

の意であり(仝上)、

色代納(しきたいのう・しきだいのう)、

というと、

中世に、年貢を米で納める代わりに、藁・粟・大豆・小豆・油・綿・布などで納める、

意で、

代納、

ともいい、これを、

いろだいおさめ、

と訓ませると、

江戸時代、米や錢を納めがたい時、藁・筵・糠・粟・綿・竹などいろいろなもので代納すること、中世の色代納(しきだいのう)の転じたもの、

とある(仝上)。ついでながら、「色代」を、

いろだい、

と訓ませると、

色代納(いろだいおさめ)、

の意の他に、「いろだい」の、

「いろ」は喪服の意の忌み詞、

で(精選版日本国語大辞典)、

近親者の香奠、あるいは、近親者が香奠以外に贈る金品、

の意(広辞苑)や、

百年居喰にしても気遣ひのなき身躰を、二流の色代に費やして(浮世草子「好色万金丹(1694)」)

と、

遊女をあげて遊ぶ費用、遊興費、

の意でも使う(仝上)。

「色代」の由来は、

顔色を改めて礼する意(大言海)、

とする説があるが、それは、「あいさつ」の意から考えたもので、元来、

代納、

の意から来たのだとすると、それでは、意味が通らない。

礼法を正し辞退して人を先にたて我はあとに退く心、

からとする、

式退の義(貞丈雑記)、

も、

辞退の訛(志不可起)、

も、「あいさつ」の意やその広がった意味から解釈していて、同じである。「色代」が当て字でないなら、文字通り、

色に代える、

意である。「色」の意味がよく分からない。律令制の、

租庸調、

は、中国の租庸調を基とするが、

租の本色(基本的な納税物)は粟とされていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%9F%E5%BA%B8%E8%AA%BF。租税の、

本色の代用、

の意味で、

色代、

といったのではないか。中国由来の言葉と見たがどうだろう。

さて、

あいさつ、

の意で使われた「色代」は、転じて、

色代にも、御年よりも遥かに若く見え給ふと云ふは、嬉しく、殊の他に老ひてこそ見え給へと言はば、心細く(沙石集)、

と、

追従を言ふこと(大言海)、

つまり、

相手の意を迎えるようなことを言うこと、

の意となる(大言海)。さらに、

御前の出る時、御色代をなされて、大和大納言殿を上座へ上げさせ給ひて、下座へ居替らせ給ふ(三河物語)、

と、

遠慮すること、
辞退すること、

の意でも使う(広辞苑・岩波古語辞典)。

なお、

色体、

と書くときは、

肉体、

の意で、日葡辞書(1603~04)には、

ランタイ、即ち、クサッタシキタイ、

とある(広辞苑)。

「色」 漢字.gif


「色ふ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484562978.html?1637957361で触れたように、「色」(慣用ショク、漢音ソク、呉音シキ)は、

象形。屈んだ女性と、屈んでその上にのっかった男性とがからだをすりよせて性交するさまを描いたもの、

とあり(漢字源)、「女色」「漁色」など、「男女間の情欲」が原意のようである。そこから「喜色」「失色」と、「顔かたちの様子」、さらに、「秋色」「顔色」のように「外に現われた形や様子」、そして「五色」「月色」と、「いろ」「いろどり」の意に転じていく。ただ、「音色」のような「響き」の意や、「愛人」の意の「イロ」という使い方は、わが国だけである(仝上)。また、

象形。ひざまずいている人の背に、別の人がおおいかぶさる形にかたどる。男女の性行為、転じて、美人、美しい顔色、また、いろどりの意を表す(角川新字源)、

とも、

会意又は象形。「人」+「卩(ひざまずいた人)、人が重なって性交をしている様子。音は「即」等と同系で「くっつく」の意を持つもの。情交から、容貌、顔色を経て、「いろ」一般の意味に至ったものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%89%B2

とも、

会意文字です(ク(人)+巴)。「ひざまずく人」の象形と「ひざまずく人の上に人がある」象形から男・女の愛する気持ちを意味します。それが転じて、「顔の表情」を意味する「色」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji143.html

ともある。

「代」 漢字.gif


「代」(漢音タイ、呉音ダイ)は、

形声。弋(ヨク)は、くいの形を描いた象形文字で、杙(ヨク 棒ぐい)の原字。代は、「人+音符弋(ヨク)」で、同じポストにはいるべきものが互いに入れ替わること、

とある(漢字源)。「代理」「交代」の「かわる」意である。

音符弋(ヨク)→(タイ)、

と代わったようである(角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(人+弋)。「横から見た人の象形」と「2本の木を交差させて作ったくいの象形」から人がたがいちがいになる、すなわち「かわる」を意味する「代」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji387.html

「代」 成り立ち.gif

(「代」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji387.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:13| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月06日

たをやか


「たを(お)やか」は、

嫋やか、

と当てる(広辞苑)。

萩、いと色ふかう枝たをやかに咲きたるが(枕草子)

と、

重みでしなっているさま、
たわんでいるさま、

の意で(岩波古語辞典)、そこから、それをメタファに、

衣(きぬ)のこちたく厚ければたをやかなるけもなし(栄花物語)、
この女の舞ふすがた、たをやかにして(中華若木詩抄)、

などと、

(身のこなしが)いかにも柔らかで、優美なさま、

の意となり、その状態表現から、

心ばへもたをやかなる方はなく(源氏物語)、

と、

(人の性質に)加えられる力に耐える柔軟性のあるさま、

の意や、

あなうたて、この人のたをやかならましかばと見えたり(源氏物語)、
心あらん人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を、是は始めの歌のやうに限なくとをしろくなどはあらねど、優(いふ)深くたをやか也(静嘉堂文庫本無名抄)、

などと、

ものごし、態度などがものやわらかなさま。また、気だてや性質が、しっとりとやさしいさま、おだやかなさま、

と、

女性の姿や舞いの動作などについて言う価値表現へとシフトし(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、さらに、後には、

此人七才の時より、形さだまって嬋娟(タヲヤカ)に、一笑百媚の風情(浮世草子「男色大鑑(1687)」)、

と、

あだめいているさま、

の意でも使うようになる。今日の語感は、こちらに近いのではないか。

「たをやか」の語源は、

タヲは、タワ(撓)の母音交替形、

で(岩波古語辞典・大言海・精選版日本国語大辞典)、

「やか」は接尾語、

となる(精選版日本国語大辞典)。

タヲタヲ・タヲヤグ・タヲヤメなどと同根で、しなやかな姿や形を示す語、

ともある(小学館古語大辞典)。

たをやめ(手弱女)、

は、

たわやめ(撓や女)、

の転訛と思われ、この「たわ」は、

タワム(撓)のタワ、ヤは性質・状態をしめか接尾語、タワヤでやわらかくしなやかな意。万葉集には、

手弱女の思ひたわみてたもとほり我れはぞ恋ふる舟楫をなみ、

と、

手弱女、

と書いた例がある(岩波古語辞典)。

「たをやめ」は、

ますらを(丈夫)の対、

とされる(岩波古語辞典)。

「嫋」 漢字.gif


「嫋」(漢音ジョウ、呉音ニョウ)は、

会意兼形声。弱(ジャク・ニャク)は、弓印二つに、彡印(模様)添えて、美しくしなやかな弓を示す。嫋は「女+音符弱」で、女性の捕捉たおやかなさま、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:たをやか 嫋やか
posted by Toshi at 05:01| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月07日

北ぐ


「北(に)ぐ」は、

北(に)げる、

だが、「北」を当てる時は、

越の兵、勝(かつ)に乗って、北(に)ぐるを追ふこと十余里(太平記)、

と、

敗北する、
敗走する、
後退する、

意で用いる(広辞苑)。これは、「北」(ホク)の字が、

会意。左と右の両人が、背を向けて背いたさまを示すもので、背を向けてそむくの意。また、背を向けて逃げる、背を向ける寒い方角(北)などの意を含む、

とあり(漢字源)、その意味で、方角の「北」は、

寒くていつも背を向ける方角、

の意で、

侯鴈北(侯鴈北す)、

と(呂覧)、

北の方へ行く、

意もあるし、

三戦三北、而亡地五百里(三タビ戦ヒ三タビ北ゲテ、地を亡フコト五百里)、

と(史記)、

敵に背を向けて逃げる、

意がある(漢字源)。

北は後ろを見せる義、

とある(字源)ので、

相手に背を向ける、

つまり、

背(そむ)く、

意もある(漢字源)。「にぐ(にげる)」は、普通、

逃(迯)ぐ(げる)、

と当てる。「迯」は、

俗字、

だが(字源)、

逃の草書の誤用、

とある(大言海)。色葉字類抄(1177~81)に、

迯、ニグ、逃、ニク、亡、ニク、北、ニク、

とある。「にぐ」は、

のがると通ず(大言海)、
ノガルはニグ(逃)の母音交替形(岩波古語辞典)、
ニゲル、ノガレル、ノガス、ヌケル、ヌグ、ヌゲルは同源(日本語源広辞典)、

とあり、「のがる」とつながっており、「にぐ(げる)」を、

退離(のきか)るの義、退くと通ず(大言海)、
ノキケムの反(名語記)、
ノキクアル(退来有)の義(名言通)、
ノカル(退)の義(言元梯)、
ノキサクル(退避)の義(日本語原学=林甕臣)、

と、「のく(退)」と絡める説は多い。また、「のがる」も、

退離(のきか)るの義、退くと通ず(大言海)、
ノキカル(退避)の義(言元梯・日本語原学=林甕臣)、
ノキアル(退有)の義(名言通)、
ノク(退)から出た語(国語の語根とその分類=大島正健)、

と、やはり「のく(退)」と絡める説が大勢である。たしかに、「のく(退)」の語源も、

ノガルの約(名語記)、
「ノ(退)+ク」、場所をあけてほかへ移る(日本語源広辞典)、
ノコル(残)と同根。現在自分の居る所や、居る予定の所から引き下がって、他の人にその所を譲る意。類義語ソク(退)はソ(背)と同根、相手に背を向けて遠くへ離れる意(岩波古語辞典)、

とあり、

のく→のぐ→のがれる、

と転訛したことは想定できる。ただ、「のく」は、

(悔しさを)つつみもあへず、物ぐるはしき気色も(相手に)聞こえつべければ(自分から)のきぬ(源氏物語)、

と、

現在地から引き下がる、

意で、「逃げる」の、

背を向けて行く、

意とは、少し含意がずれる気はするが、

人目ばかりに矢一つ射て退かんとこそ思ひけるに(平家物語)、

と、

退却の意はある。だが、僕には、「退く」には、

しりぞ(退)く、

という、

後(シリ)ソキ(退)の意、後方へすさる、

と、

後ずさりする、

含意が強く感じられてならない。確かに、

後(しりへ)へ退く、

と(大言海)考えれば、同義ではあるのだが。

「逃」 漢字.gif

(「逃」 https://kakijun.jp/page/0972200.htmlより)

「逃」(漢音トウ、呉音ドウ)は、

会意兼形声。兆(チョウ)は、骨を焼いて占うときに、左右に離れた罅が生じたさま。逃は「辶(足の動作)+音符兆」で、右と左に離されること、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(辶(辵)+兆)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「占いの時に亀の甲羅に現れる割れ目」の象形(「はじき割れる」の意味)から、「別れ去る」、「にげる」を意味する「逃」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1134.html

「逃」 成り立ち.gif

(「逃」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji1134.htmlより)

「北」の字源には、

象形。たがいに背を向け合っているふたりのさまにかたどり、そむく意を表す。「背(ハイ)」の原字。ひいて、太陽がある南を向いたときに、背の向く方角、「きた」の意に用いる(角川新字源)、

「北」 漢字.gif

(「北」 https://kakijun.jp/page/0524200.htmlより)

象形。人がふたり背を向け合った形(背の原字、cf.乖)から。転じて、太陽の方角である南方に面(南面)した場合に背が向く方向を意味する、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%97ある。

「北」 甲骨文字・殷.png

(「北」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%97より)

「逃」と「北」の差異は、

逃は、たちのく、にげる、遁逃と用ふ。史記「伯夷曰、父命也、遂逃去」、
北は、うしろをみせる義、史記「三戦三北」、

とある(字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月08日

出世


「出世」は、今日、もっぱら、

立身出世、

というように、

世の中に出て立派な地位・身分になる、

意で使うが、元来は、仏教用語で、

第九の減劫、人寿二万歳の時、迦葉世尊西天に出世した給ふ時(太平記)、

というように、

諸仏が衆生済度のため世界に出現する、

意(広辞苑)であり、例えば、

弥勒、

は、

慈尊(弥勒菩薩)の出生を五十六億七千万年歳の暁に待ち給ふ(太平記)、

と、

兜率天に住し、釈尊入滅後56億7千万年後この世に下生(げしょう)して、龍華三会(りゅうげさんね)の説法によって釈尊の救いに盛れた衆生をことごとく済度するために出世する、

とされる(仝上)。

於是衆生。歴年累月。蒙教修行。漸漸益解。至下於王城始発中大乗機上、称会如来出世之大意(法華義疏)、

とある。そこから転じて、

迷いの世界を離れ出ること、

も、

出世間、

略して、

出世、

という(日本語源大辞典)。従って、

出世の子弟は世俗の親子(愚管抄)、

と、

世俗を捨てて仏道に入ること、

つまり、

出家、

も意味し、

僧侶の意味にもなる(広辞苑)。さらに、禅宗では、

寺院の住持となること、高位の寺に転住すること、黄衣、紫衣を賜ること、和尚の位階を承ける、

意で言い、また、叡山で、

公卿の子息が受戒・剃髪して左右になること、

を指す(広辞苑)。特に、

公卿の子弟の昇進が早かったこと、

から、「出世」の意味に、

世間の出世も好まねば(一遍上人語録)、

と、

立身出世、

の意味が加わったとされる(大言海・岩波古語辞典)。だが、李白の詩に、

浪跡未出世、

とあり、

身を起こし立身する、

意で使われている(字源)ので、漢語由来ではあるまいか。後には、

太夫の新艘、出世の日より三ヶ日の間、さげ髪にて後帯する法也(評判記「色道大鏡(1678)」)、

と、

女郎が一本立ちして張り見世に出ること、
遊郭の勤めに初めて出ること、

という意味でも使うようだ(精選版日本国語大辞典)。

なお、大乗仏教の修行者(菩薩)は、

「出世」するために、布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定、般若の六つの実践徳目(六波羅蜜)を修める、

とある(日本語源大辞典)。そして、修行が進み、

二度と退かない位に至ること、

を、

不退転に達した、

という(仝上)、とある。「退転」は、

菩提心を失ったために、それまでに得たさとりの位や修行などを失ってあともどりすること、

の意(精選版日本国語大辞典)になる。

「出」 漢字.gif

(「出」 https://kakijun.jp/page/0518200.htmlより)

「出」(漢音シュツ、呉音スチ、漢音呉音スイ)は、

会意。足が一線の外へ出るさまを示す、

とある(漢字源)。別に、

象形。足が、囲いから外にでるさまにかたどり、「でる」「だす」意を表す、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「足が窪(くぼ)みから出る」象形から「でる」を意味する「出」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji178.html

「出」 甲骨文字・殷.png

(「出」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%87%BAより)

「世」(漢音セイ、呉音セ)は、

会意。十の字を三つ並べて。その一つの縦棒を横に引き延ばし、三十年間にわたり期間が延びることを示し、長く伸びた期間をあらわす、

とある(漢字源)が、

「世」 漢字.gif

(「世」 https://kakijun.jp/page/0503200.htmlより)

これは、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)の、

三十年爲一世。从卅而曳長之、

とあるところから、

「十」を三つ重ねた丗を原字とし、自分の子へ継ぐまでの約三十年が元の意で幾世代も続くことを意味したもの、

としたものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%96のようだが、

三十を表すという解釈は誤りで「世」は「葉(枼)」を原字とし、甲骨文字で分かるように草木の枝葉の新芽の出ている形を示しており、それによって新しい時期、世代を表すものであるとする、

説(白川説)もある(仝上)、とされる。この場合、象形文字となる。甲骨文字ではないが、甲骨文字を引き継ぎ、漢字の祖形を示すとされる、青銅器に鋳込まれた(または刻み込まれた文字)である、西周の「金文(きんぶん)」を見る限り、「葉」の象形文字に見える。

「世」 金文・西周.png

(「世」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%96より)

ただ、別に、

会意文字です。「漢字の十を3つ合わせた」形から、「三十年」、「長い時間の流れ」を意味する「世」という漢字が成り立ちました。転じて、「世の中」の意味も表すようになりました、

との説もあるがhttps://okjiten.jp/kanji509.html、漢字源とは微妙に解釈が違う気がする。

「世」 成り立ち.gif

(「世」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji509.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:出世
posted by Toshi at 05:05| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月09日

三会


「三会」は、

さんゑ、

と訓むが、連声して、

さんね、

とも訓ます(広辞苑)。

仏が、成道(道すなわち悟りを完成する意、悟りを開いて仏と成る意の成仏と同義)の後、衆生済度のために行う三度の大法会、

の意で、

竜華(りゅうげ)三会、

が知られる(仝上)。「竜華三会」は、

釈迦の入滅後、彌勒菩薩(弥勒菩薩)が五六億七千万年後に兜率天(兜率天)から下生(げしょう )して(人間界に下って)、龍華樹(りゅうげじゅ)の下で悟りをひらき、大衆のために三度、法を説くという説法の会座、

をいい、

龍華会、
弥勒三会、

ともいい(仝上・精選版日本国語大辞典)、

慈尊出生の暁を待つ(太平記)、

と、弥勒菩薩の異称、

慈尊、

を採って、

慈尊三会(じそんさんえ)、

とも言い(精選版日本国語大辞典)、

はや、三会の暁になりぬるやらん。いでさらば、八相成道(はっそうじょうどう この世に下生して、悟りを得て仏となり、釈迦がこの世に下生して経験した八つの姿を八相という)して、説法利生(衆生を救うこと)せんと思ひて(太平記)、

と、

三会の暁、
竜華三会の暁、
華三会の時、
竜華会の朝、
竜華下生の暁、

などとも呼ぶ。「暁」とは、

釈迦寂滅後の闇黒を破って弥勒が世に現われるからいう、

とある(岩波古語辞典)。

阿弥陀信仰が盛んになる前は、この当来仏信仰が広く信じられていた、

とありhttp://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AD

釈迦が滅した56億7千万年(57億6千万年の説あり)の未来に姿をあらわす為に、現在は、兜卒天で修行していると信じられている。このため、中国・朝鮮半島・日本において、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰が流行した、

とあるhttp://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%BF%E3%82%8D%E3%81%8F

この「三会」に因んで、

南京(奈良)で行なわれた三大法会。興福寺の維摩会(ゆいまえ)、薬師寺の最勝会、宮中大極殿の御斎会(ごさいえ)の三つをいう(また、興福寺の維摩会と法華会に薬師寺最勝会を加えていう)、

南都三会(奈良の三会)、

さらに、天台宗における三つの大きな法会、

円宗寺の法華会と最勝会、法勝寺の大乗会の三つ、

を、

北京(京都)の三会、

と呼んだりする(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

「三」 漢字.gif

(「三」 https://kakijun.jp/page/0302200.htmlより)

「三」(サン)は、

指事。三本の横線で三を示す。また、参加の參(サン)と通じていて、いくつも混じること。また杉(サン)、衫(サン)などの音符彡(サン)の原形で、いくつも並んで模様を成すの意も含む、

とある(漢字源)。また、

一をみっつ積み上げて、数詞の「みつ」、ひいて、多い意を表す、

ともある(角川新字源)。

「三」 甲骨文字.png

(「三」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%89より)

「會(会)」(漢音カイ、呉音エ・ケ)は、

会意。「△印(あわせる)+會(増の略体 ふえる)」で、多くの人が寄り集まって話をすること、

とある(漢字源)が、

「會」 漢字.gif


会意。曾(こしき)にふたをかぶせるさまにより、「あう」、ひいて「あつまる」意を表す、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「米などを蒸す為の土器(こしき)に蓋(ふた)をした」象形から土器と蓋(ふた)が、うまく「あう」を意味する「会」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji257.html

ともあり、「會」の字源としては、

象形説、ふたのある鍋を象り、いろいろなものを集め煮炊きする様を言う(白川)、
会意説、「亼」(集める)+「曾」(「増」の元字)多くの人が寄り集まることを意味する(藤堂)、

があることになるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%9A

「會」 甲骨文字・殷.png

(「會」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BC%9Aより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:06| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月10日

推参


「推参」は、

定澄令申云。得業已上法師等卅余人許留、推参如何者(御堂関白記・寛弘三年(1006)七月一四日)、
遊者は、人の召に随ひてこそ参れ、左右なく、推参するやうやある(平家物語)、

などと、

招かれもしないのに自分からおしかけていくこと、

の意で、あるいは、

人を訪問することを謙遜(けんそん)していう、

場合にも使う(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。さらに、

いかなる推参の婆迦(ばか)者にてかありけん(太平記)、

と、

さしでがましいこと、
無礼な振舞い、

の意でも使う(仝上)。

「推」 漢字.gif


「推」(呉音・漢音スイ、タイ、唐音ツイ)は、

会意兼形声。隹(スイ)は、ずんぐりとしもぶくれした鳥の姿。推は「手+音符隹」で、ずっしりと重みや力を懸けておすこと、

とあり(漢字源)、別に、

形声文字です(扌(手)+隹)。「5本指のある手」の象形(「手」の意味)と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形(「鳥」の意味だが、ここでは「出(スイ)」に通じ(同じ読みを持つ「出」と同じ意味を持つようになって)、「出る」の意味)から、手で「押し出す」を意味する「推」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji902.html

「推」 成り立ち.gif

(「推」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji902.htmlより)

つまり、「推」は、「推進」というように、おし進める意で、さらに「推理」というように、考えをおし進める意でもある。その意味では、

強いて押しかける、

意で、それは、場合によっては、

差し出がましい振舞い、

となり、ひいては、

無礼な振舞いとなる。漢字の、

推参、

は、

自分から進んで参る、
参上する、

という意となる(字源)。謙遜の意でなら、

参上、
伺候、

と意味が重なる。

「参る」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484295621.htmlで触れたように、「参る」は、

まゐ(参)い(入)るの約、

とあり(岩波古語辞典・広辞苑・大言海)、

「まゐく(参来)」「まゐづ(参出)」「まゐたる(参到)」などと関連して、「まゐ」と「いる」の結合と考えられる、

とある(日本語源大辞典)。「まゐる」の、

マヰは宮廷や神社など多くの人が参集する尊貴な所へ、その一人として行く意。イルは一定の区域の内へ、外から進みこむ意。従ってマヰルは、宮中や神社など尊い所に参入するのが原義、転じて、参上する、差し上げる意、

とある(岩波古語辞典)が、

貴人の居所に入って行くのが原義(日本語源大辞典)、

と、もう少し絞り込んだ見方もある。

「參(参)」(漢音呉音サン・シン、呉音ソン)は、

象形。三つの玉のかんざしをきらめかせた女性の姿を描いたもの。のち彡印(三筋の模様)を加えた參の字となる。入り交じってちらちらする意を含む、

とある(漢字源)。つまり、「參」には、「参加」「参政」といった「まじわる」「加わる」、お目にかかる意の「参観」の意はあるが、

神社などに参る、

意や、「降参」の意の、

参る、

という意味はなく、わが国だけの使い方らしい。

「参上」は、

目上の人のところへ行く、

意で(広辞苑)、

「まいのぼる(参上)」の変化した語、

であり(精選版日本国語大辞典)、

参向、

と同義となる。

伺候、

と同義で、

高貴な人の前に参り、お目にかかる、

意の、

見参、

は、

げんざん、
けんざん、
げざん、
げぞう、

などと訓ませるが、

見参(みえまゐらす)の字の音読み、

とある(大言海)。ということは、立場が逆で、本来は、

謁見、
目通り、
引見、

等々の意に近いことになる。で、

見参する、

を、

大方には、参りながら、此御方のげざんに入ることの難しくはべれば(蜻蛉日記)、

と、

見参に入る、

という(大言海)。あるいは、

同き十八日に、明卿初て見参せしめられたり(「折たく柴の記(1716頃)」)、

と、

武士が新しく主従関係を結ぶにあたって、主人に直接対面する、

意で使う(精選版日本国語大辞典)。

ただ、「見参」を、

「参会」や「対面」の意で用いるのは日本独自の用法で、中国の文献には見られない、

とある(精選版日本国語大辞典)。

古くは、「見参」は、

見参五位已上賜祿有差(類聚国史・天長八年(831)八月丙寅)、

とあり、

上代、節会(せちえ)、宴会などに出席すること。また、出席者の名を書き連ねて、御前に提出すること。またその名簿、

の意であったらしく、その名残りは、

現参被始之。筆師訓芸〈願信房〉、鈍色・五帖けさ(「大乗院寺社雑事記」応仁元年(1467)五月二三日)、

と、

法会・集会などへの衆僧の出仕を確認すること、
出欠をとること、

の意で使われている(精選版日本国語大辞典)。

目下の者が目上の者のもとへ参上して対面すること、また逆に目上の者が目下の者を出頭させ対面すること、

の意の「見参」は、平安時代より見られる用語とある(世界大百科事典)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:推参 参上 見参
posted by Toshi at 05:01| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月11日

九原


総大将の被御覧御目の前にて、討死仕りて候はむこそ、後まで名も、九原の骨に留まり候はんずれ(太平記)、
獄門にかくるまでもなくて、九原の苔に埋れにけり(仝上)、

などとある、

「九原(きゅうげん)」とは、

墓地、

の意である。

春秋時代に晋の卿大夫の墳墓のあった地名にもとづく、

とある(広辞苑)。それをメタファに、

千載九原如何作、香盟応与遠持期(蕉堅藁(1403)古河襍言)、

と、

あの世、
黄泉、

また、

死者、

をいう、とある(精選版日本国語大辞典)。

禮記に、

是全要領、以従先大夫於九京也(京、即ち、原の字)、

とあり、黄庭堅賦に、

顧膽九原兮、豈其可作、

とある(字源・大言海)。

「九」 漢字.gif

(「九」 https://kakijun.jp/page/0204200.htmlより)

「九」(漢音キュウ、呉音ク)は、

象形。手を曲げて引き締める姿を描いたもので、つかえて曲がる意を示す。転じて、一から九までの基数のうち、最後の引き締めにあたる九の数、また指折り数えて、両手で指を全部引き締めようとするときに出てくる九の数を示す。究(奥深く行き詰まって曲がる最後の所)の音符となる。また糾合の糾、鳩合(きゅうごう)の鳩と通じる、

とある(漢字源)。別に、

象形。人がひじを曲げた形にかたどる。借りて、数詞の「ここのつ」の意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形。肘を曲げて一つにまとめるさま。一からの数字を最後にまとめる意味(藤堂)。竜を象った文字で、音を仮借したもの(白川)、

と両説あげものもhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%9D

象形文字です。「屈曲(折れ曲がって)して尽きる」象形から、数の尽き極(きわ)まった「ここのつ」を意味する「九」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji131.html、微妙に含意が異なる。

「九」 甲骨.png

(「九」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%9Dより)

「原」(漢音ゲン、呉音ゴン、慣用ガン)は、

会意。「厂(がけ)+泉(いずみ)」で、岩石の間の丸い穴から水が湧く泉のこと。源の原字。水源であるから「もと」の意を派生する。広い野原を意味するのは、原隰(ゲンシュウ 泉の出る地)の意から。また、生まじめを意味するのは、元(丸い頭)・頑(ガン 丸い頭→融通のきかない頭)などに当てた仮借字である、

とある(漢字源)。同音の別語に音を借りて、「はら」の意も表すhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8E%9Fのは借字の故のようである。

「原」 漢字.gif

(「原」 https://kakijun.jp/page/1026200.htmlより)

別に、

会意文字です(厂+泉)。「けずりとられたがけの象形」と「岩の穴から湧き出す泉の象形」からわきはじめたばかりの泉、すなわち「みなもと」を意味する「原」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji354.htmlのも同趣旨となる。

つまり、「原」は、

厡、

がもとの字になる。「原」は、

「厡」の略字、

とある(仝上)。

「原」 金文・西周.png

(「原」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8E%9Fより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:九原
posted by Toshi at 05:08| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月12日

みずら


「みずら(みづら)」は、

角髪、
角子、
鬟、
髻、

などと当て(広辞苑)、

美豆羅、
美豆良、

とも書く(日本大百科全書)、

大和時代に始まる男子の髪型、

である(ブリタニカ国際大百科事典)。

男子の成人に達したもの、

が結った(岩波古語辞典)。和名類聚抄(平安中期)に、

鬟、美豆良、屈髪也、

とある。

みずら.jpg

(「みずら」 デジタル大辞泉より)


髪(みぐし)を結(あ)げてみづらに為し(神代紀)、
御髪を解きて御みづらに纏(ま)き(仝上)、

などと、

頭の額の中央から左右に分けて、耳のところで一結びしてから、その残りを8字形に結んだもの。その8の形が、耳の中央より上か下かによって「上げみずら」「下げみずら」とよぶ。この姿は、6世紀に盛行した人物埴輪(はにわ)から知られるが、中国漢代の画像石のなかに、その髪形をした人物がみられるので、おそらくはその源は中国文化の伝来によるものであろう、

とある(日本大百科全書)。そして、

奈良時代には少年の髪型となる(広辞苑)、
平安時代以後、少年の型(岩波古語辞典)、
平安期に至りて、十四五歳の童子の髪風となる(大言海)、

と各説に時間差があるが、

当初は12歳以上の男子の髪型であったが、奈良時代には元服以前の少年用となり、さらに平安時代以降は皇族の少年用に限られるようになって名称も総角(あげまき)と変った、

ということのようである(ブリタニカ国際大百科事典)。

なまって、

びんずら、
びずら、

ともいう。

みずら(角髪).bmp

(角髪(年中行事絵巻) 精選版日本国語大辞典より)

髪を上げて巻く、

ところから、後に、

あげまき(総角・揚巻)、

と呼ばれるのは、この変形とされ(仝上)、

古の俗、年少児の年、十五六の間は束髪於額(ひさごはな)す。十七八の間は、分けて、総角にす(書紀)、

と、

髫髪(うなゐ)にしていた童子の髪を十三、四を過ぎてから、両分し、頭上の左右にあげて巻き、輪を作ったもの。はなりとも、

とある(岩波古語辞典)。

髪を中央から左右に分け、両耳の上に巻いて輪をつくり、角のように突き出したもの。成人男子の「みづら」と似ているが、「みづら」は耳のあたりに垂らしたもの、

とある(精選版日本国語大辞典)のがわかりやすい。「髫髪(うなゐ)」は、

ウナは項(うなじ)、ヰは率(ゐ)、髪がうなじにまとめられている意で、十二三歳まで、子供の髪を垂らしてうなじにまとめた形、

を言い(岩波古語辞典)、「束髪於額(ひさごはな)」は、

厩戸皇子、束髪於額(ヒサコハナ)して(書紀)、

とあり、辞書には載らず、はっきりしないが、「ヒサゴバナ(瓠花・瓢花)の項に、

上代の一五、六歳の少年の髪型の一つ。瓠の花の形にかたどって、額で束ねたもの、

とある(日本国語大辞典)。ただ、

ひさご花は後世に伝わっていない、

という(文政二年(1819)「北辺随筆」)、

という。つまり、よくわからないようだ。

「揚巻」.jpg

(「揚巻」 デジタル大辞泉より)

唐輪(からわ)、

という、

鎌倉時代の武家の若党や、元服前の近侍の童児の髪形、

とされる、

髻(もとどり)から上を二つに分けて、頂で二つの輪に作る髪型、

も(精選版日本国語大辞典)、

其の遺風なり、

とある(大言海)。ただ、

年の程十五六ばかりなる小児(こちご)の、髪唐輪に挙げたるが、麹塵(きじん 麹黴(こうじかび)のようなくすんだ黄緑色)の胴丸に袴のそば高く取り、金(こがね)作りの小太刀を抜いて(太平記)、

あるように、

垂髪を行動しやすいように頭上に束ね、輪にして巻きこめた髪型、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)ので、もっと実戦的な理由だったのかもしれない。

唐輪.jpg

(唐輪 兵藤裕己校注『太平記』より)

唐輪髷(からわまげ・からわわげ)、

ともいい、後に、

その婦は出て草をとるほどに髪をからわにまげて(「玉塵抄(1563)」)、

と、

女性の髪形の一つ、

となり、

頭上で髪の輪を作り、その根を余りの髪で巻きつけるもの。輪は二つから四つに作るのが普通、

という、

唐輪髷、

となる(精選版日本国語大辞典)。

唐輪髷。『歴世女装考』より.jpg

(唐輪髷(『歴世女装考』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%BC%AAより)

「みずら」は、

ミミツラ(耳鬘)の約(大言海・広辞苑・日本語源広辞典)、
ミミツラ(耳連)の約(日本古語大辞典=松岡静雄)、
マツラ(両鬘)の転(大言海)、
マヅラ(両列)の義(松屋筆記)、

とされるのは、髪型の位置からきている。

ミ(耳)+ツラ(鬘)、

は、

カ(頭)+ツラ(鬘)、

と対とする説明(日本語源広辞典)は説得力があるが、

「美面」の意で、ミは美称である、

とする説(筑波大学教授・増田精一説)もある。お下げ遊牧民であるモンゴル人が、おさげをクク、あるいはケクといったが、これは「いい面」の意味で、後代、中近世に広まった丁髷が大陸南方文化に多いのに対し、角髪(みずら)のようなお下げ文化は大陸の北方文化にみられる、

とするhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E9%AB%AA

埴輪 男子 古墳時代(6世紀末.jpg

(埴輪男子 古墳時代(6世紀末) https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kouko/211.htmlより)

なお、人物埴輪の美豆良の形に、

結んだ下端が肩まで垂れた〈下げ美豆良〉と、耳のあたりに小さくまとめた〈上げ美豆良〉とがある。上げ美豆良は農夫像などに見いだされる。下げ美豆良は労働には不適当であるから、この相違は身分の上下と関連するものであろう、

とある(世界大百科事典)。

「みづら(みずら)」の転訛、

びんづら(びんずら)、

も、

角髪、

と当てるが、

中世、少年の髪風となり、総角(あげまき)とも云ふ。鬟(みづら)を頭上に束ね結ふをあげびんづらと云ひ、左右に結ひ垂るをさげびんづらと云ふ、

とある(大言海)。平安時代後期の有職故実書『江家次第(ごうけしだい)』に、

幼主之時、垂鬢頬、

とある(仝上)。「あげびんずら(上鬘)」は、

髪を中央から分けて、左右それぞれを輪にし、総角(あげまき)という髪形にして、夾形(はさみがた)という紙で結んだ、

とあり、「さげびんずら(下鬘)」は、

左右の鬢(びん)の髪を結んで耳の上まで垂れ下げたもの、

とある(精選版日本国語大辞典)。当然、

あげみづら、
さげみづら、

と同じである。

「唐輪(からわ)」の語源は、

絡(から)げ綰(さ)げの義(大言海)、
髪をからめて輪にするのでカラワ(搦輪)の義(筆の御霊・松屋筆記)、

と、その結い方に因るようである。

「総角(あげまき)」の語源は、

髪を結ふをアグと云ふ。結(あ)げ巻くいなるべし、

とある(大言海)。「あげまき」に当てた、

総角、

は、漢語、

総角(ソウカク)、

を当てたものといっていい。

婉兮孌兮、総角丱兮(齊風)、

と、

小児の髪をすべて集めて頭の両側に角の形に結ぶもの、

の意で、転じて、

小児、

の義となる(字源)、とある。紐の結び方の、

総角、
揚巻、

から来たとする説は、先後逆なのではあるまいか。

「角」 漢字.gif


「角」(カク)は、

象形。角は∧型の角を描いたもので、外側がかたく中空であるつの、

とある(漢字源)。

「角」 甲骨文字.png

(「角」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A7%92より)

「髮(髪)」(漢音ハッ、呉音ホチ)は、

会意兼形声。犮(ハツ)は、はねる、ばらばらにひらくの意を含む。髮はそれを音符とし、髟(かみの毛)を加えた字で、発散するようにひらくかみの毛、

とある(漢字源)。

「髪」 旧字.gif

(「髪」旧字 https://kakijun.jp/page/kami15200.htmlより)

「髪」 漢字.gif


別に、

会意兼形声文字です。「長髪の人」の象形と「長く流れる豊かでつややかな髪」の象形と「犬をはりつけにした」象形(犬をはりつけにして、いけにえを神に捧げ、災害を「取り除く」の意味)から、長くなったらはさみで取り除かなければならない「かみ」、「草木」を意味する「髪」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji293.html

「髪」 成り立ち.gif

(「髪」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji293.htmlより)

「鬟」(漢音カン、呉音ゲン)は、

会意兼形声。下部の字(カン)は、まるい、とりまくの意を含む。鬟はそれを音符とし、髟(かみの毛)を加えた字、

とある(漢字源)。髪を束ねて丸く輪にした意、である。

「鬟」 漢字.gif

(「鬟」 https://kakijun.jp/page/E9A3200.htmlより)

「髻」(漢音ケイ・キツ、呉音キ・キチ)は、

会意兼形声。「髟(かみの毛)+音符吉(結、ぐっとむすぶ)」

で、「もとどり」「たぶさ」の意である。

「髻」 漢字.gif

(「髻」 https://kakijun.jp/page/E99F200.htmlより)

「鬢」(慣用ビン、漢音呉音ヒン)は、

会意兼形声。賓は、すれすれにくっつく意を含む。鬢は「髟(かみの毛)+音符賓」で、髪の末端、ほほとすれすれのきわにはえた毛、

とある(漢字源)。「びんずら」の意を持つ。

「鬢」 漢字.gif


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:18| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月13日

機分


「きぶん」は、

気分、

と当てる他に、

機分、

とも当てる。「気分」は、

人の気分を離れて多くの年を経たり(今昔物語)、

と、

気持、
心持ち、

の意味と、

長老の気分強情(がんじゃう)なり(奇異雑談集)、

と、

気質、
気性、

の意があり、「機分」は、

其の子、獅子の機分あれば、教へざるに、中より身を翻して飛び揚り、死する事を得ずと云へり(太平記)、

と、

生まれつきの性質、
器質、

の意と、

末世の機分、戎夷(じょうい)の掌(たなごころ)におつべき御悟りなかりしかば(仝上)、



時勢、
時運、

の意がある(岩波古語辞典)。

「機微」http://ppnetwork.seesaa.net/article/403855330.htmlで触れたが、「機」は、類聚名義抄(11~12世紀)に、

機、アヤツリ、

とあり、

千鈞の弩(いしゆみ)は蹊鼠(けいそ)の為に機を発せず(太平記)、

とあるように、

弩のばね、転じて、しかけ、からくり、

の意、

迷悟(凡夫と佛)機ことなり、感応一に非ず(性霊集)、

と、

縁に触れて発動される神的な能力、
素質、
機根、

の意、

一足も引かず、戦って機已に疲れければ(太平記)、

と、

気力、
元気、

の意と、

御方(みかた)の疲れたる小勢を以て敵の機に乗ったる大勢に懸け合って(仝上)、

と、

物事のきっかけ、
はずみ、
時機、

の意と、

息も機も同じ物、節・曲と云ふも同じ文字なれども、謡ふときは習ひやうべつなり(音曲聲出口伝)、

と、

(心の働きとしての)息、
気、

の意図がある。漢字「機」(漢音キ、呉音ケ)が、

会意兼形声。幾(キ)は、「幺二つ(細かい糸、わずか)+戈(ほこ)+人」の会意文字で、人の首に武器を近づけて、もうわずかで届きそうなさま。わずかである、細かいという意を含む。「機」は、「木+音符幾」で、木製の仕掛けの細かい部品、僅かな接触で噛み合う装置のこと、

とあり(漢字源)、漢字「機」には、

はた、機織り機、「機杼」、
部品を組み立ててできた複雑な仕掛け、「機械」、
物事の細かい仕組み、「機構」「枢機(かなめ)」、
きざし、事が起こる細かいかみあい、「機会」「契機」「投機」、
人にはわからない細かい事柄、秘密、「機密」「軍機」、
勘の良さ、細かい心の動き、「機知」「機転」、

といった意味があり、和語「機」が、強く漢字の意味の影響を承けていることがわかる。

「機」 漢字.gif

(「機」 https://kakijun.jp/page/ki200.htmlより)

「気」は、「気」http://ppnetwork.seesaa.net/article/412309183.htmlで触れたように、

漢字の「気(氣)」(漢音キ、呉音ケ)は、

会意兼形声。气(キ)は、遺棄が屈折しながら出て来るさま。氣は「米+音符气」で、米をふかすとき出る蒸気のこと、

とあり(漢字源)、漢字の「気」の意味は、

①息。「気息」「呼気」、
②固体ではなく、ガス状のもの。「気体」「空気」、
③人間の心身の活力。「気力」「正気」、
④漢方医学で、人体を守り、生命を保つ陽性の力のこと。「衛気」、
⑤天候や四時の変化を起こすもとになるもの陰暦で、二十四気。「節気」「気候」、
⑥人間の感情や衝動のもととなる、心の活力。「元気」「気力」、
⑦形はないが、何となく感じられる勢いや動き。「気運」「兵革之気」、
⑧偉人のいるところに立ちあがるという雲気。「望気術」、
⑨宋学で、生きている、存在している現象を言う。「理気二元論」、
⑩俗語で、かっとする気持ち。「動気」、

となる(仝上)が、「気」は、固有の日本語としてはない言葉で、漢字の音をそのまま使い、

目に見えないが、空中に満たされているもの、

といった意味で、漢字の意味を流用しながら、微妙に違う意味にスライドさせ、

①天地間を満たし、雨中を構成する基本と考えられるもの。またその動き、
・風雨・寒暑などの自然現象。「気象」「気候」「天気」、
・15日または16日間を一期とする呼び方。三分してその一つを、候と呼ぶ。二十四節気、
・万物が生ずる根元。「天地正大の気」、
②正命の原動力となる勢い。活力の源。「気勢」「精気」「元気」、
③心の動き・状態・働きを歩赤津的に表す。文脈に応じて重点が変る、
・(全般的に見て)精神。「気を静める」「気が滅入る」、
・事に振れて働く心の端々。「気が散る」「気が多い」、
・持ちつづける精神の傾向。「気が短い」「気がいい」、
・あることをしようとする心の動き。つもり。「どうする気だ」「気がしれない」「まるで気がない」「やる気」、
・あることをしようとして、それに惹かれる心。関心。「気をそそる」「気を入れる」「気がある」「気が乗らない」、
・根気。「気が尽きた」、
・あれこれと考える心の動き。気遣い。心配。「気を揉む」「気に病む」「気を回す」「気が置ける」「気になる」、
・感情。「気まずい」「気を悪くする」「怒気」、
・意識。「気を失う」、
・気質。「気が強い」、
・気勢。「気がみなぎる」、
④はっきりとは見えなくても、その場を包み込み、その場に漂うと感じられるもの、
・空気。大気。「海の気」「山の気」「気体」「気圧」、
・水蒸気のように空中にたつもの。気(け)、
・あたりにみなぎる感じ。「殺伐の気」「鬼気」「霊気」「雰囲気」、
・呼吸・息遣い。「気息」「酒気」、
⑤その物体本来の性質を形づくるような要素。「気の抜けたビール」、

等々(広辞苑)、僻目かもしれないが、どうも、具体的なもの、形而下的な、あるいは現象としての「気」にシフトして使われている気がしてならない。矮小化する、というと貶めすぎだろうか。

「氣」 漢字.gif

(「氣」 https://kakijun.jp/page/ke10200.htmlより)

「宇佐美文理『中国絵画入門』」http://ppnetwork.seesaa.net/article/401855141.htmlで触れたように、中国絵画では、

最初は、孫悟空の觔斗雲のような形、

で表現されていた(後漢時代の石堂の祠堂のレリーフにある)、霊妙な気を発する存在としての西王母の肩から湧くように表現されていた「気」が、

逆境にもめげず高潔を保つ精神性を古木と竹で表現した(金の王庭筠の「幽竹枯槎図」の)、

われわれが精神や心と呼んでいるものも、

気の働きと考えるようになり、そういう

画家の精神性が表現されたということは、画家のもっている気が表現された、あるいは形象化された、

という「気」まで、いずれも、「気」を表現したと見なす。簡単に言えば、中国絵画における気の表現は、気を直接形象化した表現から、実物の形象を使いつつ気を表現するというところまで変換して、「気」が形而上学化されていく、それは、宋学の「気」を出すまでもなく、

我善く浩然の気を養う。敢えて問う、何をか浩然の気と謂う。曰く、言い難し。その気たるや、至大至剛にして直く、養いて害うことなければ、則ち天地の間に塞(み)つ。その気たるや、義と道とに配す。是れなければ餒(う)うるなり。是れ義に集(あ)いて生ずる所の者にして、襲いて取れるに非ざるなり。行心に慊(こころよ)からざることあれば、則ち餒う也。

とある(孟子)、

浩然の気、

の「気」が、文天祥の、

天地に正気あり、
雑然として流形を賦す
下は則ち河嶽と為り
上は則ち日星と為る
人に於いては浩然と為る
沛乎として滄溟に塞(み)つ

の「正気の歌」につながる。これについては、「義」http://ppnetwork.seesaa.net/article/411864896.htmlで触れた。

さて、「気」と「機」は、「気」が、

こころ、
感情、

「機」が、

形、
機能、

といった大まかな違いがあったはずであるが、江戸時代になると、

むさと物事機にかけまじきことなり(宿直草)、

と、

「気」に同じ、一般に心の働きを示す語、

と(高田衛編・校注『江戸怪談集』)、ほぼ同義とされるのである。考えれば、

心の動き、

を、

機能、

で見るか、

表れ、

で見るかは、いずれ、同じになるのはやむを得ない。そう見ると、

いよいよ猛き心を振るひ、根機を尽くして(太平記)、

は、

気力の限りを尽くして、

の意だが、

手の限り闘って、機すでに疲れければ(仝上)、

は、

精も根も尽き果てた、

意だし、

敵の勢いに機を呑まれて(仝上)、

の、

気勢をそがれて、

の意や、

数ヶ度の戦いに腕緩(たゆ)み機疲れけるにや(仝上)、
敵の勇鋭を見ながら、機を撓(た)め給わず(仝上)、

などの用例などは、ほぼ「気力」の意で、「気」に置き換えても差はなくなってきているのである。

「機」 説文解字・漢.png

(「機」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A9%9Fより)

漢字「気」については、別に、

角川新字源
旧字は、形声。意符米(こめ)と、音符气(キ)とから成る。食物・まぐさなどを他人に贈る意を表す。「餼(キ)」の原字。転じて、气の意に用いられる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(米+气)。「湧き上がる雲」の象形(「湧き上がる上昇気流」の意味)と「穀物の穂の枝の部分とその実」の象形(「米粒のように小さい物」の意味)から「蒸気・水蒸気」を意味する「気」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji98.html

「氣」 簡牘文字・戦国時代.png

(「氣」 簡牘文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%A3より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:機分 気分
posted by Toshi at 05:11| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月14日

屈強


「屈強(くっきょう)」は、

強情で、人に屈しないこと、

であるが、

倔強、

とも当てる。

きわめて力が強いこと、
頑丈なさま、

の意である(デジタル大辞泉)。漢書・匈奴伝に、

楊信、為人剛直屈強、

とあり、

剛直の貌、
従順ならざる貌、

とあり(字源)、

檜曰、此老倔強猶昔(宋史)、

と、

倔強、

とも、

孟知祥倔彊於蜀(五代史)、

と、

倔彊、

とも、

迺欲以新造未集之越屈彊於此(史記)、

と、

屈彊、

とも当て、

崛彊、

とも同じとある(字源)。原意は、ただ、

強い、
頑丈、

というよりは、

頑強、
強情、

の含意が強い気がする。「くっきょう」は、

究竟、

とも当て、

六千余騎こそこもれけり、もとより究竟の城郭なり(太平記)、

と、

きわめて力の強いこと、
堅固、

の意で使い、

この場合は、

屈強、

とも当てる。しかし、本来、「究竟」は、

くきょう、

と訓ませ、

くっきょう、

は、

その急呼(促音化)、

とある(広辞苑・大言海)。「究竟(くきょう)」は、

クは呉音、

とある(仝上)。これも漢語のようであり、「究竟」は、漢音では、

キュウキョウ、

と訓ませ、

流覧徧照、殫變極態、上下究竟(後漢書・馬融伝)、

とあり、

つまるところ、

の意で、

畢竟、
究極、
窮竟、

と同義である(字源)。室町時代の意義分類体の辞書『下學集』にも、確かに、

究竟(クキャウ)、必竟之義也、

とあり、「必竟」は、

畢竟(ひっきょう)、

の意で、

梵語atyantaの訳。「畢」も「竟」も終わる意、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

つまるところ、

の意だが、

究竟は理即にひとし、大欲は無欲に似たり(徒然草)、

と、

物の究極に達したところ、

の意でも使われ、日葡辞書(1603~04)には、

クッキャウノジャウズ、

と載り、

極めて優れていること、

の意で、

金武と云ふ放免あり、究竟の大力(源平盛衰記)、

とも使われる。憶測だが、仏語で、

一切の法を悟りつくした境地、
天台宗でいう六即の最高位、

の意で、

究竟即、

といい、その略として、

究竟、

を使ったため、その転化として、

主従三騎究竟の逸物どもにて(平治物語)、

と、

卓越していること、

の意で使われ、音が、

クキョウ→クッキョウ、

と転訛し、音が重なる、

倔強、
屈強、

の、

きわめて力が強いこと、

の意と重なったのではあるまいか。

「退屈」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484531850.html?1637784119で触れたように、「屈」(漢音クツ、呉音クチ)は、

会意。「尸(しり)+出」で、からだをまげて尻を後ろにつき出すことを示す。尻をだせばからだ全体はくぼんで曲がることから、かがんで小さくなる、の意ともなる。出を音符と考える説もあるが、従い難い、

とある(漢字源)。しかし、

形声。意符尾(しっぽ。尸は省略形)と、音符出(シユツ)→(クツ)とから成る。短いしっぽ、転じて、くじく意を表す、

とか(角川新字源)、

会意文字です(尸(尾)+出)。「獣のしりが変形したもの」と「毛がはえている」象形と「くぼみの象形が変形したもの」から、くぼみに尾を入れるさまを表し、そこから、「かがむ」、「かがめる」を意味する「屈」という漢字が成り立ちました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1192.html

「倔」 漢字.gif


「倔」(漢音クツ、呉音ゴチ)は、

会意兼形声。屈は、伸の反対で、曲がって低くかがむの意を含む。倔は「人+音符屈」で、かがんでいるが底力のあること、

とある(漢字源)。「ずんぐりして芯の強いさま」の意で、「倔強」と使う。

「究」 漢字.gif


「究」(漢音キュウ、呉音グ)は、

会意兼形声。九は、手が奥に届いて曲がったさま。十進法の序数のうち、最後の行き詰まりの数を示すのに用いる。究は「宀(あな)+音符九」で、穴の奥底の行き詰まるところまで探ることを示す、

とあり(仝上)、「究奥義」と、「きわめる」意である。

「究」 説文解字.png

(「究」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A9%B6より)

別に、

会意兼形声文字です(穴+九)。「穴居生活の住居」の象形と「屈曲して尽きる」象形(「尽きる」、「きわまる」の意味)から穴を「つきる・きわめる」を意味する「究」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji472.html

「彊」 漢字.gif


「彊」(漢音キョウ、呉音コウ、ゴウ、キョウ)は、

会意兼形声。右側の字(キョウ)は、田の間にくっきりと一線で境界を付けることを示し、かたく張ってけじめの明らかな意を含む。彊はそれを音符とし、弓を加えた字で、もと弓が堅く張ったこと。転じて、広く丈夫で堅い意に用いる、

とある(漢字源)。「強弓」の意(字源)とあり、丈夫で力がこもっている、意とある(漢字源)。「強」と同義である。

「强」 漢字.gif


「強(强)」(漢音キョウ、呉音ゴウ)は、

会意兼形声。彊(キョウ)はがっちりとかたく丈夫な弓、〇印はまるい虫の姿。強は「〇印の下に虫+音符彊の略体」で、もとがっちりしたからをかぶった甲虫のこと。強は彊に通じて、かたく丈夫な意に用いる、

とある(漢字源)。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

強、蚚也、从虫弘聲……

とあり、「蚚」は、

コクゾウムシという、固い殻をかぶった昆虫の一種を表す漢字だ、とされています。つまり、「強」とは本来、コクゾウムシを表す漢字であって、その殻が固いことから、「つよい」という意味へと変化してきた、

とありhttps://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0435/

会意兼形声文字です。「弓」の象形と「小さく取り囲む文字と頭が大きくてグロテスクなまむし」の象形(「硬い殻を持つコクゾウムシ、つよい、かたい」の意味)から、「つよい」を意味する「強」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji205.htmlのは、その流れである。

しかし、白川静『字統』(平凡社)によれば、

「強」に含まれる「虫」はおそらく蚕(かいこ)のことで、この漢字は本来、蚕から取った糸を張った弓のことを表していた、その弓の強さから転じて「つよい」という意味になった

とあるhttps://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0435/。だから、「強」については、

会意。「弘」+「虫」で、ある種類の虫の名が、「彊」(強い弓)を音が共通であるため音を仮借した(説文解字他)、

または、

会意。「弘」は弓の弦をはずした様で、ひいては弓の弦を意味し、蚕からとった強い弦を意味する(白川)、

と、上記(漢字源)の、

会意形声説:。「弘」は「彊」(キョウ)の略体で、「虫」をつけ甲虫の硬い頭部等を意味した(藤堂)、

と諸説がわかれることになるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%B7#%E5%AD%97%E6%BA%90

「強(强)」 成り立ち.gif

(「強(强)」 成り立ち https://okjiten.jp/kanji205.htmlより)

「竟」(漢音キョウ、呉音ケイ)は、

会意。「音+人」で、音楽の終り、楽章の最後を示す、

とある(漢字源)。

「竟」   漢字.gif


不肯竟學(あへて学を竟(お)へず)、

とある(史記)ように、「竟日」(きょうじつ 終日)と、「最後の最後までとどく」「しまいまでやりとげる」意である。

「竟」 甲骨文字.png

(「竟」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AB%9Fより)


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:03| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月15日

轍魚


「轍魚(てつぎょ)」は、

轍にたまった水の中で苦しんでいる魚、

の意で、

義貞が恩顧の軍勢等、病雀花を喰うて飛揚の翅(つばさ)を展(の)べ、轍魚の雨を得て噞喁(げんぐう 魚が水面に口を出して呼吸すること)の唇を湿(うるお)しぬと(太平記)、

と、

困窮に迫られているものの喩え、

に言う(広辞苑)。

轍鮒(てつぷ)、

とも言う。

轍鮒之急、
涸轍之鮒、

とも言うが、これは、『荘子』外物に、

莊周家貧、故往貸粟於監河侯、監河侯曰、諾我將得邑金、將貸子三百金、可乎、莊周忿然作色曰、周昨來、有中道而呼者、周顧視、車轍中、有鮒魚焉、周問之曰、鮒魚來、子何為者邪、對曰、我東海之波臣也、君豈有斗升之水而活我哉、周曰、諾我且南遊子呉越之王、激西江之水而迎子、可乎、鮒魚忿然作色曰、吾失我常與、我無所處。吾得斗升之水然活耳、君乃言此、曾不如早索我於枯魚之肆、

とあるのによる(字源)。常與は水、の意。貧乏な莊周(荘子)が、

貸粟、

と頼んだところ、監河侯が、

諾我將得邑金、將貸子三百金、

と悠長なことを言ったのに対し、轍の鮒を喩えて、莊周が、

昨來、有中道而呼者、

見ると、

車轍中、有鮒魚焉、

その轍の鮒に、

君豈有斗升之水而活我哉、

と、一斗一升の水が欲しいと求められたのに対し、

諾我且南遊子呉越之王、激西江之水而迎子、

と間遠な答えをしたところ、

鮒魚忿然作色曰、吾失我常與、我無所處。吾得斗升之水然活耳、

と鮒が憤然として、そのように言うなら、

枯魚之肆、

つまり干物屋で会おうと言われたといって、監河侯をなじったのに由来する(故事ことわざの辞典)。これは、

籠鳥の雲を戀ひ、涸魚(かくぎょ)の水を求むる如くになって(太平記)、

とある、

涸魚(かくぎょ・こぎょ)、

ともいう。

カク、

は「涸」の漢音で、「涸魚」は、

水がない所にいる魚、

の意で、

今にも死にそうな状態、必死に助けを求めている状態などのたとえ、

として使われ、「轍魚」似た意味であるが、「轍魚」より事態は深刻かもしれない。

涸轍(こてつ)、
涸鮒(こふ)、

ともいい、

涸轍鮒魚、

とも言い、出典は、上記「轍魚」と同じく『荘子』である(字源)。

小水之魚(しょうすいのうお)、
焦眉之急(しょうびのきゅう)、
風前之灯(ふうぜんのともしび)、
釜底游魚(ふていのゆうぎょ)、

も似た意味になるhttps://yoji.jitenon.jp/yojii/4389.html

なお、

涸魚(こぎょ)、
枯魚(こぎょ)、

と書くと、

かれうお、

とも訓ませ、

魚のひもの、干し魚、

の意となる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。

「轍」 漢字.gif


「轍」(漢音テツ、呉音デチ)は、

会意兼形声。旁(音 テツ)は、さっと取り去る、過ぎ去るの意を含む。轍は、それを音符とし、車を加えた字で、車がさっと通りすぎた跡、

とある(漢字源)。

「涸」 漢字.gif


「涸」(慣用コ、漢音カク、呉音ガク)は、

会意兼形声。古は、頭蓋骨を描いた象形文字で、かたく乾いた意を含む。固は「囗(四方を囲んだ形)+音符古」の会意兼形声文字で、周囲からがっちり囲まれて動きの取れないこと。涸は「水+音符固」で、水がなくなって堅くなること、

とある(漢字源)。

「涸」 説文解字 漢.png

(「涸」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B6%B8より)

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:轍魚
posted by Toshi at 04:54| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月16日

南枕


「南枕」は、

頭を南に、足を北へ向けて寝る、

つまり、

「北枕」の、

頭を北へ、足を南へ向けて寝る、

の真逆であるが、

河野備後守、搦手より攻め入る敵を支えて、半時ばかり戦ひけるが、精力尽きて深手あまた所負ひければ、攻め(口)を一足も引き退(しりぞ)かず、三十二人腹を切って、南枕にぞ臥したりける(太平記)、

と使われ、

北枕の反対で、成仏を拒む死に方、

と注記されている(兵藤裕己校注『太平記』)。

「北枕」は、

北枕に寝かせるのは「涅槃経(ねはんぎょう)」に、お釈迦さまのご入滅された時、頭を北にして顔を西に向けておられた姿をされたと書かれていることによります。また部屋の都合で北枕にできない時は西枕でもよいとされています。世界の仏教国ではこの風習があり、日本では「遺体は之を北枕に寝させ、今まで使用していた枕を除き、白布又はタオルを畳んで頭の下に敷く、顔面へは白布をかけ、枕元に屏風を逆に立て、小机の上に灯火と線香を供える。又魔除けのために刀を置き袈裟を遺体の上に置く」習俗が古代からありました、

とありhttp://www.hokkeshu.jp/faq/faq_02.html

頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)、

といい、

釈迦が入滅した時の姿。その姿にならって、人が死んだ時、死者を北枕にし、顔を西に向け、右脇を下にして寝かせること

とある(精選版日本国語大辞典)。

頭北面西、
頭北西面、
頭北西面右脇臥、

ともいう。『仏本行経』には、

仏、便(すなわ)ち縄床(じょうしょう)に在り、右脇にして倚臥し、面を西方に向け、首を北にして足を累(かさ)ぬ(仏本行経)、

とありhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A0%AD%E5%8C%97%E9%9D%A2%E8%A5%BF、インドでは身分の高い人物はこのように臥されるといわれる(仝上)が、しかし、

これは仏教が将来、北方で久住するという考えから“頭北”が生まれたものである。ただし、この説は北伝の大乗仏教のみで後代による解釈でしかない、

ともありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9E%95、また、

過去には中国でも北枕の風習があったと言われる。ただし、それは仏教に根付くものではなく、食中毒などの急死の際に、北枕に寝かせることで生き返ることがあったためである。この中国思想における北枕の思想は古墳時代初期における西日本の権力者の間にも伝わったと見られ、畿内・吉備・出雲における古墳被葬者に古代中国の宗教思想である「生者南面、死者北面」が流行したと考えられている

ともある(仝上)。仏教由来で、少し「北枕」の持つ意味が変わったようである。

日本では、釈迦の故事に因み、

死を忌むことから、北枕は縁起が悪いこととされ、死者の極楽往生を願い遺体を安置する際のみ許されていた、

とある(仝上)。つまり、

成仏、

を願う意図である。冒頭の、意識して、

南枕、

とするのは、それを願わぬ、という意志であり、深読みすれば、

魂魄この世に留まりて、

ということになる。「魂魄」http://ppnetwork.seesaa.net/article/456697359.htmlで触れたように、「こんぱく(魂魄」は、

人間の精神的肉体的活動をつかさどる神霊、たましいをいう。古代中国では、人間を形成する陰陽二気の陽気の霊を魂といい、陰気の霊を魄という。魂は精神、魄は肉体をつかさどる神霊であるが、一般に精神をつかさどる魂によって人間の神霊を表す。人が死ぬと、魂は天上に昇って神となり、魄は地上に止まって鬼となるが、特に天寿を全うせずに横死したものの鬼は強いエネルギーをもち、人間にたたる悪鬼になるとして恐れられた、

とある(世界大百科事典)。死後も戦い続ける意志とみられる。

風水では、北枕は、

頭寒足熱の理にかなった「運気の上がる寝方」とされており、「頭寒足熱」説は体にいいとされる根拠の一つとなっている。また、「地球の磁力線に身体が沿っていることによって血行が促される」とする説も存在し、心臓への負担を和らげるため体にいいとされる考えがあり、「釈迦が北へ枕を向けたのもそのため」とする説もある、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9E%95が、

地球の磁力線は水平面に平行しているわけではなく、伏角(地球の磁力線と水平面との角度)と呼ばれる角度だけ傾いているため、北枕にして水平に寝ても「磁力線に身体が沿った状態」とはならない、

らしい(仝上)。

因みに、「南枕」は、風水では、

南枕はおすすめできません。自然の気の流れに逆らう方位でもあるため、熟睡できずにエネルギーも上手く補充できません。健康を損なう場合もあるのでご注意を、

とあるhttp://happism.cyzowoman.com/2012/01/post_377.html

「南」 漢字.gif

(「南」 https://kakijun.jp/page/0920200.htmlより)

「南」(慣用ナ、呉音ナン、漢音ダン)は、「南」http://ppnetwork.seesaa.net/article/445223906.htmlで触れたように、

会意兼形声。原字は、納屋ふうの小屋を描いた象形文字。南の中の形は、入の逆形が二線にさしこんださまで、入れこむ意を含む。それが音符となり、屮(くさのめ)と囲いのしるしを加えたのが南の字。草木を囲いで囲って、暖かい小屋の中に入れこみ、促成栽培をするさまを示し、囲まれて暖かい意、転じて取り囲む南がわを意味する。北中国の家は北に背を向け、南に面するのが原則、

とある(漢字源)。別に、

象形。鐘状の楽器を木の枝に掛けた形にかたどる。南方の民族が使っていた楽器であったことから、「みなみ」の意を表す(角川新字源)、

形声。テントと、丹(タン→暖)を組み合わせたもので、家の中が暖かいという意味。転じて、南を表す。鐘の形がもとになっているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%97

会意文字です。「草」の象形と「入り口」の象形(「入る」の意味)と「風をはらむ帆」の象形(「風」の意味)から春、草・木の発芽を促す南からの風の意味を表し、そこから、「みなみ」を意味する「南」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji150.html

等々の解釈がある。

「南」 甲骨文字.png

(「南」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%97より)

「北」(ホク)の字は、「北ぐ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484709038.html?1638820800で触れたように、

会意。左と右の両人が、背を向けて背いたさまを示すもので、背を向けてそむくの意。また、背を向けて逃げる、背を向ける寒い方角(北)などの意を含む、

とある(字源)。

「枕」 漢字.gif


「枕」(慣用チン、漢音・呉音シン)は、

会意兼形声。冘(イン・ユウ)は、人の肩や首を重荷でおさえて、下に押し下げるさま。古い字は、牛を川の中に沈めるさま。枕はそれを音符とし、木を加えた字で、頭でおしさげる木製のまくら、

とある(漢字源)。音符冘(イム)→(シム)と音変化したらしい(角川新字源)。別に、

会意形声。「木」+音符「冘」。「冘」は、H字形のもので押しつけ「沈」めることを意味。頭で押しつける木製のまくらを意味したものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9E%95

会意兼形声文字です(木+冘)。「大地を覆う木」の象形と「人がまくらに頭を沈める」象形から、「(木製の)まくら」を意味する「枕」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2133.html

等々の解釈もある。共通するのは、「木製のまくら」とである。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:南枕 北枕
posted by Toshi at 05:07| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月17日

玄鳥


「玄鳥」は、

つばめの異称、

である。禮記に、

仲春之月、玄鳥至、

とある(字源・大言海)。

ツバメ (2).jpg


「玄」(漢音ケン、呉音ゲン)は、

会意。「糸+一印」。幺(細い糸)の先端がわずかにのぞいてよく見えないさまを示す、

とあり(漢字源)、

「幻」と同系、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%84

「玄」 漢字.gif

(「玄」 https://kakijun.jp/page/0586200.htmlより)

「玄」は、

幽玄、

というように、

仄暗くてよく見えないさま、
奥深くて暗いさま、

の意だが、

玄色、
玄雲、

というように、

黒、

の意でもある。

玄は、黒なり、黒鳥の意なるか、

とある(大言海)のは、その意である。

「つばめ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458420611.htmlで触れたように、和語「つばめ」を、和名類聚抄(931~38年)で、

燕、豆波久良米、

本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)で、

燕、玄鳥、都波久良米、

字鏡(平安後期頃)で、

乙鳥、豆波比良古、

と、

つばくら、
つばくろ、
つばくらめ、

などとも呼び、

くら、
くろ、

を、

黒、

とする説と重なってくる。

簡狄(かんてき)感玄鳥之至。神霊福助前鑒既明者歟(源平盛衰記・厳島願文)、

とある、

玄鳥之至、

は、二十四節気の第五の三月節(清明)(旧暦2月後半から3月前半)の初候、つまり七十二候(二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた期間)の、

燕が南からやって来る、

意の、

玄鳥至(つばめきたる)、

を指す。

4月4日から4月8日頃(旧暦2月後半から3月前半)、

になる。それと対になるのが、二十四節気の第十五の八月節(白露)(旧暦7月後半から8月前半)の末候、つまり七十二候の、

燕が南へ帰って行く、

意の、

玄鳥去(つばめさる)、

の、

9月17日から9月21日頃(旧暦7月後半から8月前半)、

になるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%80%99

「玄」については、上述の字源説とは別に、

象形。黒い糸をたばねた形にかたどる。くろい、ひいて、おくぶかい意に用いる(角川新字源)、

象形。黒い糸をたばねた形にかたどる。くろい、ひいて、おくぶかい意に用いるhttps://okjiten.jp/kanji1318.html

とする説もある。「金文」の字をみると、どうも、

黒い糸をたばねた形、

に、説得力があるように思える。

「玄」 金文・西周.png

(「玄」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8E%84より)

「鳥」(チョウ)については、「鳥」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458483418.htmlで触れたように、

象形文字で、尾のぶら下がった鳥を描いたもの、

である(漢字源)。

「鳥」 漢字.gif

(「鳥」 https://kakijun.jp/page/tori200.htmlより)

因みに、尾の短い鳥は、

隹(スイ)、

で、

尾の短い鳥を描いたもの。ずんぐりと太いの意を含む。雀・隼・雉などの地に含まれるが、鳥とともに広く、とりを意味することばになった、

とある(仝上)。

「鳥」 甲骨文字・殷.png

(「鳥」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B3%A5より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:玄鳥 つばめ
posted by Toshi at 05:05| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月18日

鷸蚌之争


「鷸蚌之争」(いっぽうのあらそい)は、

鷸蚌相挿む、

とも言い(日本大百科全書)、

鷸蚌相挟んで、烏その弊(つい)えに乗る(太平記)、
名越尾張守高家(鎌倉幕府の総大将)、戦場に於て命を墜(お)としし後、(尊氏は)始めて義卒(官軍)に与して、丹州に軍(いくさ)す。天誅命を革(あらた)むるの日、兀(たちまち)鷸蚌の弊えに乗じて、快く狼狽が行を為す(仝上)、

と、

鷸蚌の弊(つい)え、

とも言う。

漁夫の利、

と同義で、

鷸(しぎ)と蚌(はまぐり)とが争いに夢中になっている間に両方とも漁師に取られたという故事から、二人が利を争っている間に、第三者にやすやすと横取りされて、共倒れになるのを戒めた語、

とある(広辞苑)。

出典は『戦国策』の、

趙且伐燕、蘇代為燕謂惠王曰、今日臣來過易水、蚌方出暴、而鷸喙其肉、蚌合而箝其喙、鷸曰今日不雨、明日不雨、卽有死蚌、蚌亦謂曰、今日不出、明日不出、卽有死鷸、両者不肯相捨、漁者得而幷擒之、今趙且伐燕、燕趙久相支以敝大衆、臣恐強秦之爲漁父也、燕王曰、善、乃止、

である(字源)。

趙且に燕を伐たんとす。蘇代、燕の為に惠王に謂ひて曰はく、今者臣来たりて易水を過ぐ。蚌方に出でて曝す。蚌合して其の喙を箝む。鷸曰く今日雨ふらず、明日雨ふらずんば、即ち死蚌有らんと。蚌も亦鷸に謂ひて曰はく、今日出でず、明日出でずんば、即ち死鷸有らん。両者、相舎つるを肯ぜず。漁者得て之を并せ擒(とら)ふ。今趙且に燕を伐たんとす。燕と趙久しく相支へ、以て大衆を敝れしめば、臣強秦の漁父と為らんことを恐るるなり。故に王の之を熟計せんことを願ふなり、

https://tactical-media.net/%E9%B7%B8%E8%9A%8C%E3%81%AE%E4%BA%89%E3%81%84/、その諫言に従い、出兵をやめた。

漁夫之利、

と表記される、

漁父の利、

も、同じ出典から来た。

中国語では、

鷸蚌相争、

というhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B7%B8%E8%9A%8C%E3%81%AE%E4%BA%89%E3%81%84、とある。

「鷸」 漢字.gif

(「鷸」 https://kakijun.jp/page/EA5A200.htmlより)

「鷸」(漢音イツ、呉音イチ)は、

会意兼形声。矞(イツ)は、素早く避けるとの意を含む。鷸はそれを音符とし、鳥を加えた字、

とある(漢字源)。「鷸蚌」と使う場合、「しぎ」の意だが、「鷸冠」と、「かわせみ」(「翡翠」ともいう)の意である。なお、「しぎ」に当てる「鴫」は、国字である。

「蚌」 漢字.gif


「蚌」(慣用ボウ、漢音ホウ、呉音ボウ)は、

会意兼形声。丰(フウ、ボウ、ホン)は、三角形にあわさる意を含む。蚌はそれを音符とし、虫を添えた字で、二枚の殻の頂点があわさり、横から見て三角形をなす貝、

とあり(漢字源)、「蚌貝」というと、黒い二枚貝で、湖沼などの泥の中に棲む、からすがい、どぶがいを指し、「蚌蛤(ボウコウ)」というと、「蛤(コウ)」とも当てる、ハマグリ、を指す。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:10| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする

2021年12月19日

アインシュタイン方程式を読む


深川峻太郎『アインシュタイン方程式を読んだら「宇宙」が見えた―ガチンコ相対性理論』を読む。

アインシュタイン方程式を読んだら「宇宙」が見えた ガチンコ相対性理論.jpg


俺だって数式が読めるかっこいい男になりたい! 分不相応な野望を抱いたド文系オヤジが、数式世界の最高峰ともいえるアインシュタイン方程式を読み解く旅に出た。「さがさないでください」という一通の書置きをのこして。はたして彼は、この数式に何が書かれているかを読むことができるのか? 予定調和なしの決死行を見守りながら相対性理論がわかってしまう、世界初の数式エンターテインメント!(アマゾンの本書の紹介)

とか、

「数式を知らずして、宇宙がわかるものか!」 突然そんな激情に駆られた男(50代・文系)は、「数式でできたエベレスト」登頂をめざして、若きシェルパ1人を伴い無謀な旅に出た。……(おそらく)史上初の数式ドキメンタリー、ここに誕生!(カバーの文句)、

というのが、本書の謳い文句である。現に、五十代の文系編集者の、

嗚呼、わかりたい。ちょっとでいいから、数式で宇宙がどう書かれているのかをわかってみたい──そう思うのが人情だろう。だって、彼らは自分と同じ人間なのだ。しかも間違いなく、ものすごく面白いことを研究している。ならば、交流したいじゃないか。カタコトでいいから、同じ言葉でお喋りしてみたいじゃないか(プロローグ)、

ということから思いついたのが、本書の企画である。

「宇宙について書かれた数式を、毛嫌いせずに読んでみるのだ。」

とはじまるのである。読むのを目指したのは、アインシュタインの、

一般相対性理論の重力方程式、

アインシュタイン方程式.jpg

である。各部は、

アインシュタイン式の各部分.jpg

となっている。これを順次読んで行こうというのである。

その登山の準備項目というのがある。

特殊相対性理論の基本原理と時空図、
k計算法を用いた特殊相対性理論の解法、
不変間隔とローレンツ変換、
4元ベクトルと特殊相対論的運動論、

「登山の準備だけで体を壊しそうである。というか、これ、最初から登山じゃん」

と、著者が嘆くわけである。そして、

特殊相対性理論、

に入って行くために、

ガリレオの相対性原理、

から始めていく。

ガリレオの相対性原理では「ガリレイ変換」、特殊相対性原理では「ローレンツ変換」、一般相対性原理では「一般座標変換」と、それぞれの相対性原理では異なる座標転換を行う、

ということで、「準備」の部で、

第1章 ガリレオの相対性原理
第2章 時間の延びとローレンツ変換
第3章 距離と時間と不変間隔
第4章 4元ベクトルとE=mc2、

を経て、漸く、アインシュタインの方程式を読む登山の部に至り、

第5章 一般座標変換と共変微分
第6章 リーマン曲率テンソルとメトリック
第7章 測地線方程式とエネルギー・運動量テンソル

を積み重ねて、

アインシュタイン方程式.jpg

に至り、
第8章 アインシュタイン方程式、

を登頂することになる。著者は言う。

「とくに一般相対論ワールドに踏み込んでからは、接続と微分、測地線方程式、エネルギー・運動量テンソル……などなど、よくわからないところを次々と『わかったこと』にしながら山頂をめざした。勉強を始める前は『これは入門ではなく冒険だ!』などと嘯いてみたものの、結局のところ自力での登頂はかなわず、途中で何度もへりに乗せてもらって難所をスキップしたのだから情けない。冒険とは名ばかりで、実際は甘っちょろい体験ツアーに参加したようなものである。」

と。とはいえ、アインシュタインの方程式が予言した、

重力波、

をめぐって、

「アインシュタインが『あるわけがない』と考えたブラックホールから、アインシュタインが『あるはずだ』と考えた重力波が届けられたのだから、実にスリリングな成り行きである。
 そして、いまの私がそこにぞくぞくするようなスリルを感じられるのは、数式でアインシュタイン理論に取り組んだからこそだろう。」(エピローグ)

と書くのは、体験したものにしか分からない「見える世界」があるからなのだろうと、羨望を禁じ得ない。傍から見ているだけでは岡目八目とはいかない。

参考文献;
深川峻太郎『アインシュタイン方程式を読んだら「宇宙」が見えた―ガチンコ相対性理論』(ブルーバックス)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする

2021年12月20日

天知る


ただ二人して言ふ事だに、「天知る、地知る、汝知る、吾知る」と云へり。況や、これ程の大勢が集まって、云ひ囁く事なれば、なじかは隠れあるべき(太平記)、

というように、

誰も知るまいと思っても天地の神は照覧し、自分も知り、それをしかけるあなたも知っていることだ。隠し事というものはいつか必ず露顕するものだ、

の意で、悪事の隠蔽をいさめる例言などとして用いられる(精選版日本国語大辞典)。

出典は、『後漢書』楊震列伝。

至夜懷金十斤、以遺震。震曰、故人知君、君不知故人、何也。密曰、暮夜無知者。震曰、天知、神知、我知、子知、何謂無知。密愧而出、

で、

(王密は)夜になって、金十斤を懐にし、楊震に賄賂として贈ろうとした。楊震が、「私は君の人となりを知っているのに、君が私の人となり(賄賂を受け取る人間ではない)を知らないのはどういうことだ」というと、王密は「日も暮れて誰も知るまい」といった。楊震は「天も、神も、私も、あなたも知っている。誰も知らないとどうして言えるんだ」といった。王密は恥じ入ってそのまま部屋を出た、

などと訳される(https://ja.wiktionary.org/wiki/・精選版日本国語大辞典等々)。

天知、神知、我知、子知、

が元。「子」は、

二人称の代名詞、

とされ、また、

人、

の意でもあり(漢字源)、

天知る、地知る、我知る、人知る、
天知る、地知る、子知る、我知る、

等々ともいわれる(仝上)。さらに、『十八史略』の時代には、

「神」を「地」として伝わる、

とされ、

天知る、地知る、我知る、汝知る、

ともいう(仝上)。

中国語では、

天知地知你知我知、

と表記されるらしい(仝上)。

「天」 漢字.gif

(「天」 https://kakijun.jp/page/0441200.htmlより)

天知、神知、吾知、子知、

故に、

四知(しち)、
楊震の四知、

とも言い、『後漢書』楊震伝の賛に、

震畏四知、秉去三惑、

とあるのにより、

ここをもって、やうしんは四知をはぢてとらず(「九冊本宝物集(1179頃)」)、

と使われる(精選版日本国語大辞典)。

秉去三惑(へいきょさんわく)、

は、後漢の楊秉(ようへい)が、常に「三つの誘惑」を絶ったという故事で、楊秉(ようへい)は、上記の楊震の子、

常に三つの不惑を有す、

と、己が戒めとしていたという(不惑は、酒・女色・財である)。つまり、父は、四知を畏れ、子は三惑を去った、というのが賛の意図らしいhttps://gonsongkenkongsk.blog.fc2.com/blog-entry-603.html

天知、神知、吾知、子知、

の類義句に、

天網恢恢疎にして漏らさず、

がある。「天網恢恢」http://ppnetwork.seesaa.net/article/438205191.htmlで触れたように、もとは『老子』に、

天網恢恢、疎而不失、

とあるのによる。

天の道は、争わずして善く勝ち、言わずしてよく応じ、召さずしておのずから来たり、繟然(せんぜん)として善く謀り、天網恢恢、疎にして失わず、

とあり、

自然の運行というものは、素晴らしく懐が深く、大きなもので、その道に従ってさえいれば、争わなくても勝つようになり、相手に言わなくても、自分の意図が通じ、必要と思えば、呼ばなくても訪ねてくるものです。自然のはかりごとは、人の考えよりずっと壮大なものです、

だから、

疎にして失うことはない、

と。これが載る章(七十三章)は、

敢えてするに勇なれば則ち殺(さつ)、敢えてせざるに勇なれば則ち活(かつ)。此の両者は、或いは利、或いは害。天の悪(にく)む所は、孰(たれ)かその故(こ)を知らん。是を以て聖人は猶お之を難しとす。天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召さずして自(お)のずから来たり、繟然(せんぜん)として善く謀る。天網は恢恢、疎にして失わず、

とあり、

人為的な刑罰よりも自然の裁きに任せて無為の政治を行うべきこと、

を述べているとされる。とすると、天はわかっているのだから、

天意を迎えて利害を揣(はか)るは、其の已(や)むるに如かず(列子)、

ということらしい。

「天」(テン)は、

指事。大の字に立った人間の頭の上部の高く平らな部分を一印で示したもの。もと、巓(テン 頂)と同じ。頭上高く広がる大空もテンという。高く平らに広がる意を含む、

とある(漢字源)。

「天」 金文・殷.png

(「天」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A9より)

別に、

象形。人間の頭を強調した形からhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A9

指事文字です。「人の頭部を大きく強調して示した文字」から「うえ・そら」を意味する「天」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji97.html

指事。大(人の正面の形)の頭部を強調して大きく書き、頭頂の意を表す。転じて、頭上に広がる空、自然の意に用いる(角川新字源)、

等々ともある。

参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
吉川幸次郎監修『老子』(朝日新聞社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 05:14| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする