2021年12月03日

かわら


「かわら」は、

瓦、

と当てる。

粘土を一定の形に固めて焼いたもの、

で、

屋根を葺くのに用いる、

ものである(広辞苑)。

日本で使われてきた瓦葺きの屋根葺きの形式には、

本瓦葺き、
と、
桟瓦葺き、

とがあり、本瓦葺きは、

平瓦と丸瓦を交互に並べて葺く形式、

で、飛鳥時代崇峻天皇元年(588)に百済からその技術が伝えられて以来使われてきた。丸瓦は、

直径15~17センチメートル程度の円筒を二分した形、

平瓦は、

1辺30センチメートル程度の方形で、やや湾曲した形、

が普通、とある(日本大百科全書)。丸瓦は、

重なり部分に玉縁をつけ、突きつけて並べる、

が、全体を円錐形に細めた丸瓦もあり、この丸瓦を重ねながら葺く葺き方を、

行基(ぎょうき)葺き、

と呼び、奈良の元興寺(がんごうじ)極楽坊、京都の宝塔寺、兵庫の浄土寺浄土堂、大分の富貴寺に、僅かにみられる(仝上)、という。平瓦は、

少しずつずらしながら重ねて葺いている。桟瓦葺きは、

江戸時代に発明された桟瓦1種類だけで葺く形式である。桟瓦は、本瓦葺きの平瓦の1辺を湾曲とは反対に折り曲げ、二つの対角を欠いた形で、葺くときの重なり部分が少なく、丸瓦を使わないため重量を軽減することができた。また、桟瓦の裏面に突起をつけた引掛け桟瓦は、野地板に打った桟に掛けて葺き、それまで瓦を安定させるため野地板の上に敷いていた粘土が要らなくなり屋根がいっそう軽くなった、

とあり(仝上)。幕末から現在に至るまで引掛け桟瓦が瓦葺きのもっとも一般的な形式になった(仝上)、という。

現存日本最古(飛鳥時代)の瓦(本瓦葺き、元興寺).jpg

(現存日本最古(飛鳥時代)の瓦(本瓦葺き、元興寺) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A6より)

中国大陸では夏の時代に瓦がつくられていたという記録があり、春秋戦国のころになれば遺品がみられ、漢代には、画像や明器(めいき)によって宮殿や城郭などが瓦葺きで、唐代には寺院、宮殿、都城などに広く用いられている(仝上)、日本では6世紀の末に、百済から技術が導入され、飛鳥寺(法興寺)で初めて用いられた、とされる(ブリタニカ国際大百科事典)。

「かわら」は、歴史的かなづかいでは、

カハラ、

で、梵語、

カパーラkapāla(原意は、皿、鉢、頭蓋などの意)、

とする説が多数派である(広辞苑・箋注和名抄・大言海・外来語の話=新村出後・国語の中の梵語研究=上田恭輔・外来語辞典=荒川惣兵衛・日本語源広辞典)、

㙛(かわら)の意の梵語から(岩波古語辞典)、

も同趣旨と思われる。ほかに、

瓦磚の別音ka-haに諧音のラを添えたもの(日本語原考=与謝野寛)、
カワラ(亀甲 加宇良 こうら)の意(古事記伝)、
カハラ(甲冑 伽和羅 かわら)の義(言元梯)、
屋上のカハ(皮)の義(俚言集覧・家屋雑考・和訓栞)、
土を焼いて板に変えることから、カハルの転訛(日本釈名・柴門和語類集)、
触れた時の擬音語から(雅語音声考・国語溯原=大矢徹)、

等々ある(日本語源大辞典・由来・語源辞典)が、『日本書紀』に、「瓦」が、

百済から仏教と共に伝来した、

とあり、中国から朝鮮半島を経て、仏教とともに伝来し、寺院の屋根に用いられてきたので、梵語由来と見るのが妥当なのだろう。

「瓦」 漢字.gif


「瓦」(漢音ガ、呉音ゲ)は、

象形。半円の筒型にしたかわらを互い違いに重ねた姿を描いたもの、

とあり(漢字源)、転じて、土器の意に用いる(角川新字源)、とある。

「瓦」 簡帛文字・戦国時代.png

(「瓦」 簡帛文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%93%A6より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする